第6話 読めぬ相手 琴ヶ浜女子
休日の練習は夏大を見据えて様々な守備陣にて行う。
ノッカー・武川のランダムで放った打球は鍋島の足元。鋭いピッチャー返しに捕球できないが、案の定、そこを守るのはあの二遊間である。
「えいや」
「あいよ」
逆シングル捕球の近江がバックトス。受けた春馬が1塁送球のスイッチトス。
高難易度のはずの連携プレーであるが、ここ最近は練習だろうが試合だろうが、無駄な動き無く百発百中で決めてしまう。
「ナイス二遊間」
その送球を受けた寺越は、蛍が丘が誇る名二遊間に声援を送りつつノック補助兼キャッチャーの皆月へと投げ返す。
「いぇ~い」
その一連の動きでセカンド・ショートの立ち位置が入れ替わった近江と春馬。2人は元の守備位置に戻りながら、擦れ違いざまにハイタッチ。春馬が意地悪く高い場所で右手を構えたが、彼女はむしろそれではしゃぐようにジャンプして手を叩いた。
「武川く~ん。こっちにも打ってよ」
「えぇ、打ってはいるんだけど……」
ただその光景に不満なのはセンター・大崎。この二遊間がその広大な守備範囲を生かして片っ端から打球を処理してしまうため、センターへ打球がなかなか抜けてくれないのである。
「それなら」
そこで武川はやや高めにボールをトスすると、思いっきりバットを振り上げて近江並みのフルスイング。一発で真芯を食って捉えた打球は、さすがの近江にも処理できない高い弾道で右中間を襲う。
「ひぃぃ。そんな打球打つぅぅ?」
文句を言いながらも快足を飛ばして打球落下地点へと向かう大崎。楓音も打球へと駆けるが、おそらくは間に合わない。
「大崎くん。バックアップ」
そう声を出した楓音はダメ元で打球へと突っ込む。頭から飛び込みグローブを伸ばすも、まったくと言っていいほど届かずボールが抜ける。しかし楓音がその抜けた打球に目を向けると、そこへと回り込んでいたのは大崎。
「近江さんっ」
「ひゃっはい」
彼の送球は長打コースと見て、中継目的で深追いしていた近江へ。
「2つ」
素早い動きで捕球から送球をこなして2塁へ。受けた春馬はランナーをタッチする動き。
普通ならば右中間を抜ける長打コースであったが、この動きならばバッター次第だがほぼツーベースすらないだろう。内野だけではなく外野も盤石。なにせ蛍が丘高校は実質的に猿政・近江だけの貧弱打線で、信英館や大野山南と善戦しているのである。その武器は投手力を含めた守備力に他ならない。
「新田。12時。腹減ったぞ」
「もうそんな時間か」
そしてまだ基本すらできていない島沢・優奈の両名、そしてついでに沖満も含めた3人相手に基礎練習を行っていた最上。彼が手を振って春馬にアピールすると、彼は学校の校舎に付けられた時計を振り返る。
「あぁ、もうそんな時間か。じゃあ、そろそろ上がろうか。昼休」
「お昼だぁ」
いつもは新田政権における短期集中の考え、並びにサッカー部とのグラウンドの兼ね合いから短い練習。昼休憩を跨ぐことは珍しいのだが、本日は大会前最後の調整と、サッカー部が試合で出かけていることから昼休憩を跨ぐ練習である。
「近江、食べる前には手を洗えよ」
「は~い」
よほど空腹だったのか嬉々として荷物へと走っていた近江へと注意。すると彼女はきれいな転回を見せて水道へ。素直と言えば素直なのだろうが、やはり子供っぽさがにじみ出ているのはいつも通りである。
「で、新田。夏大のオーダーは決まったのか?」
「予定では鍋島を先発させる。試合展開次第で調整登板として僕や近江が投げてもいいけど」
そんな彼女に代わって声をかけてきたのは副キャプテン。春馬はその問いにただただ簡潔に答える。
「調整登板ねぇ。そんなことができる余裕ができるとは」
「鍋島の加入はでかかったな。先発完投型とは言えないけど、完投能力は持ち合わせているピッチャーだし」
もちろん球数がかさんだ場合は完投不能だが、蛍が丘守備陣がしっかり機能するならば球数はその分少なくて済むはずである。
「何より新田が守備に専念できるしな。甲子園を目指す大会の初戦。しっかり1年の背中を守ってやれよ。監督」
春馬の背中を叩く最上だが、どうも春馬は悩んでいる様子。
「相手が相手だし、他の1年も出そうとは考えてる」
「いいじゃん」
少し前の彼に比べれはかなり肩の力が抜けたようである。一転、油断しているように見えるものの、そもそも春馬は石橋を叩いて渡るタイプ。なんなら石橋を叩きすぎて壊しかねないくらい慎重な一面もある。たまに石橋が壊れる前に駆け抜ける大胆さも見せるが、基本的には慎重なのである。あまりその気の緩みは気にすることもないだろう。
「ただそうなると、誰を引かせるかって話になるんだよな」
「外野2人と内野1人だろ?」
「考えとしては、大崎、因幡を引かせる」
「楓音で初心者2人をカバーか。怖いな、それは」
「それは否定しない。天性の才や謎の打球勘はあるけど、基本的には野球経験2年ちょいの女子だし」
大崎のような俊足や、因幡のような強肩があるわけでもない。そんな彼女に広い外野を任せるのは少々怖いものがあるのは共通認識である。
「で、内野は?」
「ショートを空けようかと思う」
「新田はセカンか、サードでもするか?」
「サードはまだしも、セカンは空けたらうるさいだろ。アレが」
春馬が指さすのはホースを使って頭から水をかけている近江。確かに彼女をメンバーから外すとうるさいことこの上ないだろう。
「だったらこれはどうだ。新田がセカン、近江がキャッチャー」
「鍋島と近江を組ませるか? それはきついだろ」
「じゃあ、新田の案は?」
「僕が外れる。監督業に専念させてほしい」
「ということは、僕と新田と、大崎、因幡がベンチ入りか」
「うん。その予定。もしくは最上以外フルメンバーを組んで、後で入れ替えるか」
その提案が出てくるあたり、やはり琴ヶ浜に対する警戒心は緩んでいない様子。
そもそも蛍が丘高校は春のセンバツへの出場、信英館撃破、大野山南との善戦、秋の中国地区大会出場などと9人ピッタリの公立高校野球部らしくない結果を残している。が、ダークホースと言えども強豪校とは言えない立場なのである。
「そんなに不安なら行ってみるか? 琴ヶ浜女子」
「……行く?」
「僕は別にいいけど?」
「考えとく」
話をしながらさっさと手を洗いとりあえず昼食へ。やはりなんだかんだ言っても腹は減っているのである。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
7月。夏の暑さも本格的になってきた中、ついにこの時がやってくる。
『全国高等学校野球選手権大会 島根県予選』
「最後の夏」
キャプテン・近江は感慨深く看板へと目を向ける。この舞台は今年で3回目であり、そして最後でもある。もう二度とここに来ることはないのだと思うと、能天気な彼女らしくもなく思うところもあるものである。
「やっぱりいたか」
そんな彼女からやや離れた場所。春馬は帽子を深く被り直しながらある方向へと目を向ける。
「1回戦の相手」
そして皆月も同じくそちらを注視する。
「琴ヶ浜女子」
その名前を口にしたのは因幡。
結局、春馬は「視察に行く暇があるなら練習した方がいい」と琴ヶ浜へは行かなかった。よって新生・琴ヶ浜女子野球部とは今日初めて顔を合わせることになる。
1回戦の相手を鋭い目つきで食い入るように見つめる3人は、もはや勝負師のようであった――
「俺の好みは12番」
「因幡はあんな感じが趣味か。俺は15番。1年かな?」
「う~ん。僕の好きなタイプはいないなぁ」
そんなことはなかった。
皆月・因幡に加えて春馬すらも男子高校生らしい会話を行っていた。ただ特に珍しい光景でもなく、去年の開会式においても同じようなことをしていたりする。つまるところが3年連続1年ぶりとなる恒例行事である。
「春馬の好みは6番っぽい」
「そうそう。お前の趣味ってあれだろ」
「6番って、あの化け物ショートの岩井ひなた?」
「お前が言うな」「あいつが化け物なら、お前は神様じゃねぇかよ」
アマチュアが誇る名ショート(守備だけ)が何を言うか。しかもそんな名ショートの本職はセカンドと言うのだから、もう何者か分かったものじゃない。ただ一時的にそのような話の方向性にいったかと思えば、すぐに元の話に戻るあたり男子高校生である。
なお前年もそうであったが、春馬がそのような話に関わっていて楽しくないのは、典型的な『私だけを見て』であり『春馬好き』な近江である。彼女は彼の元へと駆け寄ると、無防備な左腕に抱き着く。
ただ『グリーンモンスター』だの『広島市民のラバー』だの好き勝手言われている彼女は、そうしたところで女子としての魅力に欠けるのである。抱き着かれた春馬は一瞬だけ何事かと彼女の顔へと視線を落とすが、近江だと気付くなり何もなかったかのような反応で話に戻る。
「確か春馬は……」
因幡はそんな近江に目すら向けず虚空を見上げながら思い出す。
「微乳派」
「そう言われるといやだなぁ」
「でもそうなんだろ?」
肯定しづらそうにする春馬だが皆月の後押しに「う~ん」とうなり声を上げながらも否定はしない。
すると壁こと近江は頬を膨らませながら口を挟む。
「うぅぅ、やっぱり春馬君は私が嫌いなんだぁぁ。楓音や優奈が大好きって言うのは本当だったんだぁぁぁ」
さて、近江美優という子。女子高生らしからぬ超絶野球バカである一方で、女子らしい甲高いよく通る声の持ち主でもある。そんな彼女がやや悲鳴交じりに発した言葉は、もちろんのこと楓音や優奈当人たちへと届かないはずがないのである。
「ふへぇ!?」
「え?」
少なくとも人間のそれではない声を上げる楓音。加えて優奈はシンプルに驚きの声。
「何言ってんだ、バ~カ。んなこと言ったことないだろうが」
「言ったぁぁ。楓音と優奈が好きって言ったぁぁぁ」
「『近江に比べて』な」
「やっぱり好きなんだぁぁぁ」
「面倒くせぇぇぇぇ」
近江慣れしている3年生&優奈たちは騒がしそうに見つつ、1年生や武川は物珍しそうに、そして沖満は近江とじゃれている春馬に嫉妬の眼差しを。そして楓音はと言うと、最初の近江の発言以降の言葉が耳に入っていなかったりする。
『(しゅ、春馬君が私を好きって言ったの? でも優奈ちゃんも好きって言ったんだよね。本当なのかな? 近江ちゃんが勝手に言った事? 信じていいのかな?)』
どうして心配ならば真偽を確かめずにそれ以降の言葉を聞こうとしないのか。もっともその反応が恋する乙女として妥当なものなのかもしれないが。
『(どうなんだろ? 聞いてみたいけど、開会式前に聞くのも変だよね。でも聞きたい。うわぁ、どうしよぉぉ)』
3度目の開会式ともあろうに、本当にみんな落ち着きがない子たちである。
「監督。そろそろ開会式が始まりますので、自分はスタンドへ」
「お、おぅ。じゃあ、終わったら――」
「言ったぁ。楓音と優奈と結婚するって言ったぁぁ」
「一夫多妻制ってどこの国だよっ。てか、どんどん話が膨れ上がってんじゃねぇか」
「で、では、終わったら1番ゲートで待ってます」
騒がしいような、微笑ましいような口げんかを横目に、選手登録されていない武川はスタンドへと向かう。彼が放っておかれる程度にはケンカをしているのだが、それでも攻め手の近江が守り手の春馬の腕に抱き着いているのだから、これまた本気でいがみ合っているわけではないのがよく分かる。
「新田。近江」
そこへと入ってくるのは副キャプテン・最上。2人の間に割って入ると、半ば強引に引きはがす。
「そろそろ始まるぞ」
「むぅぅ。だって春馬君が、楓音と優奈が大好きだって言ったんだもん」
「そんなこと後でいいから」
「よくないもん」
「並ばせろよ。キャプテン」
「並ばせる」
とりあえず「キャプテン」と言っておけば素直になる子である。その点については春馬だけではなく最上も分かっているようで、上手い具合に近江を制御する。彼女は手を挙げて列の先頭を示し、3年生を前に、1年生を後ろへと並ばせる。
ようやく近江から解放された春馬は、ひと悶着あったせいで歪んだ帽子をかぶり直し。
「さぁ、最後の夏の始まりだ」
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全国高等学校野球選手権大会 島根県予選
女子参加が認められて3回目となる大会であり、近江のように女子参加元年から大会に出ている女子たちにしてみれば最後の夏。あのころの女子部員は蛍が丘の近江・楓音のみと言っても過言ではない状況であった。しかし今年の島根は異なっていた。蛍が丘高校が近江優奈・沖満佳苗と2人の女子を迎え入れ、総合鈴征には立花兄弟の妹が加入。さらには琴ヶ浜が初の夏大会出場と、多くの女子が増えてきた。
この長かったような短かったような3年間。その間にもしっかり高校野球の歴史は大きな一歩を踏み出していたのである。
蛍が丘高校の最初の試合は開会式翌日の第二日。
練習スペースの確保ができていないため、休養も兼ねて練習は休み。
「最後の夏」
近江は手元の自分の帽子を眺める。
そこには『全国制覇』の文字。
1年以上前に春馬によって書かれたもので既に薄くなってきているが、それでもハッキリ読むことはできるその言葉。去年春のセンバツにて苦い思いをさせられた蛍が丘にとって、その悪夢を取り払うには十分すぎる結果である。しかしそれの難しさはそれを書いた春馬自身も分かっている。なんなら半ば『夢』として割り切っているくらいである。
「甲子園、行こう。もう1回。ね」
近江は振り返り彼の顔を見上げる。
「暇なら帰れよ」
ただ彼の返しは冷たいものであった。
公立高校の狭いグラウンドがたたって何もできなかった蛍が丘野球部。明日に備えた休養令が出されたものの、暇を持て余した近江がやってきたのは春馬宅である。なんならよほどひと肌が恋しいのか、春馬のかいた胡坐の上に座っている。
「なんだよ。新田、つれないなぁ。せっかくお土産もってきたのに」
「私もせっかくお菓子作ってきたのに……」
「グッジョブ、2人とも。近江は帰れ」
現金な対応の春馬は、机の上の袋を指さす最上・楓音の両名にサムズアップ。なおその手のままで親指をドアに向け、近江へは「出ていけ」のサイン。しかし彼女は反論。
「私だってお土産持ってきたもん」
「え? どこに?」
お土産らしいものは何一つ持っていない彼女。しいて言うなら小さいカバンがあるが、その中に入るものなどたかがしれているだろう。すると彼女は色っぽい(はずの)ポーズをしながら、
「私がお土産だよ」
「やっぱり帰れ」
帰れ宣告を受けた。
「や~だ」
彼女は春馬の腕を取って自分の前へと回す。傍から見る分には春馬が後ろから抱き着いているように見えるのだが、別にそういうことはない。近江が勝手にじゃれているだけである。なおその様子を楓音がうらやましそうな目をしつつ眺め、状況を把握している最上が薄ら笑いを浮かべているのはいつものことである。
ただこのまま惚気を聞かされ続けるのも怠かった最上は、適当な理由を付けて話題を変える。
「新田。2回戦以降は考えてるのか?」
「まぁな。とはいっても、2回戦以降におそらく上がってくるであろう相手は信英館や天陽永禄、ダークホースで総合鈴征とかだろうし。正直、厳しいことには変わりないよな。戦力温存ができるだけ戦力的余裕ができても、その戦力温存をする機会的余裕がない」
「しんどいなぁ」
「なかなかにしんどい戦いだよな。それも去年、中途半端にいい結果出しちゃってるし、もしかすると相手方に対策立てられてしまうかもしれないし。いつぞやの中国地区大会みたいにな」
近江の連続敬遠や、最上の3被弾などを思い出しつつ難しい表情を浮かべる。すると近江が顔を上げて頬を膨らませる。
「弱気はダメだと思う」
「弱気じゃなくて冷静な情報分析と言え」
言い返す春馬だが、近江はその意味がいまいちよく分かっていない様子。ただただ彼の目を見つめる。こう見ている分にしては可愛らしい小さな女子高生なのだが……
「じゃあ、勝ったらご褒美になんでもあげる。私とか、meとか、拙者とか」
「なんでもって一択じゃないか。だいたい拙者ってなんだよ」
基本的にアホな子なのである。ただアホなりの感覚と言うものか。しっかり確信を突いている時は突いているのである。
「でも春馬くん。今までやるべきことはやったんだよね。だったらあとは頑張るだけじゃないかな?」
「それはそうだけど……」
楓音の指摘に口ごもる。
「頑張ろ。最後の夏。そう簡単に終わらせないために」
明るい表情で喝を入れる彼女に春馬はため息ひとつ。
「野球経験2年の奴にこんなこと言われる、経験10年以上の僕って何なんだろうなぁ」
「い、いいんじゃないかな? 私、もしかしたら能天気なだけかもしれないし」
「と、楓音も言ってんだ。自信を持てって。監督さんよ」
さらにエースも彼を励ます。
「できることはやるよ。うん。ちょっと心配だけど」
「頑張って。春馬くん」
「あっ、楓音。明日は1番な」
「ふぇっ⁉」
自信を持った春馬によって先んじてオーダーが発表された。