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狼領主の末息子と魔法使いの弟子  作者: 深月 涼
アライス15歳、魔法使いの弟子になる
7/16

魔法使いと異邦の少女

「何が見える」

「高い……高い『ビル』」

 老人は周囲が見守る中、異邦の少女に優しく問いかけた。

 老人―――“魔法使い”あるいは賢者、森の方とも呼ばれる老人は、水の入った杯を少女の眼前に突き付けて問いつづける。

「“ビル”とは何ぞや?」

「建物……塔?」

「そこは何をする場所であるか。何の目的で塔を建てる?」

 老人は重ねて問う。

 酒を含んだ娘は意識がもうろうとしており、それゆえに隠し事ができない。

 杯に満たされたのは神秘の水。

 さる事情から老人の手に渡り、納めるべき正しき器が無いゆえにそのまま預かり続けている不思議な水であった。

 小さな水鏡に浮かぶのは、彼女にとって最も慣れ親しんだものに相違ない。

 魔法使いの催眠術によって、少女の意識は質問者の望むままに答えを紡ぐ。

 彼女が隠しているであろう『何か』を紐解こうとするのなら、まさに今が好機であった。


「……色々な事。だいたいは、仕事?住んだりも、する」

 ゆらゆらと頭を揺らし、ぼんやりと杯を見つめながら答える少女。

 見張る目的で隣に座った領主の長男が、見かねたようでそっと肩を支えた。

 嫁はほっとし、彼女と一番に親しいという末息子は少し複雑そうにしている。

 人同士の関係に……特に、まだ幼く今まで浮いた話など無かった領主の末息子の変化が面白く思え、老人は微かに頬を緩めた。

「人はどんな場所に住む。どんな仕事をする?」

「……色々」

 これは、質問の仕方を間違えたようだ。

 老人は顔をしかめ、話を変えた。

「人は、どのように生活している?」

「どう……って、普通?」

「そなたは、どうじゃ?」

「私……?」

 やや、間があった。

 どう話すか整理していたようで、次の言葉は長いものとなった。

「朝……起きて、歯磨きして顔を洗って。ご飯を食べたら学校へ行くの」

「学校?」

 こくりと頷く。

「勉強する所」

「教会のようなものか……?」

 周囲がざわめきかけるが、振り返った老人の鋭い目つきにすぐさま静寂が戻る。

「どのような場所か」

「どの……同じくらいの子供たちが集まって、勉強したり、運動したり、たまに行事もあって……他にも部活があったり……『委員会』があったり……15歳までは……『義務』だから、子供は全員行かなきゃいけなくて……でも、友達がいるから……」

 催眠が深いせいか取りとめなく紡がれる言葉はあやふやで、聞きなれない単語も混じり始める。

 あるいはそれこそが、彼女の言う元いた故国の言葉なのかもしれなかった。

 少女の話は続く。

「大通りの交差点……信号が青になったから渡らなきゃ」

 夢を見ているように、彼女の見ている風景は目まぐるしく変わっているようだ。

「『交差点』とは?『信号』とは」

「たくさん人がいて……車もたくさん通る、大きな道。石や土じゃなくて、もっと、ちゃんとした……」

 信号、車、石や土で無い道。

 聞き覚えのある言葉もそうでないものも、後に続く説明でとたんに意味不明なものとなる。

 どう想像したらいいのか、一体、彼女の言う故国とはどのような国なのか。

 周囲で聞いている人たちには、彼女の故郷がまるで魔境のようにしか思えなくなっていた。

「道はどんな風だ?田舎道ではなさそうだが……」

「『コンクリートで舗装された道』ビルも『コンクリート』でできている」

 もはや質問など意味をなさない。

 返ってくるのは、余計に意味のわからない言葉なのだから。

 少女はもはや、今幻視するものがどのようなものなのか、止めどなく口からあふれさせる泉と化していた。

「駅には電車が待ってて、それに乗って学校へ通う……」

 『ライン』で友達とやりとりして、勉強は国語―――現代文と古文に数学―――生物、物理、政治経済歴史―――

 酒と催眠によって思考という枷を外された彼女に、相手がわからないであろう事は言わない、などという自制は効かない。

 言語はすでにブリタニアのものではなく、知らぬ言語ゆえに意味すらも不明。

 何がおかしいのか、くすくすと笑いながらもたらされる“ソレ”は、かつて少女―――『新井鈴花』が『西暦2000……も10年ほど過ぎた』『日本』という国で過ごし培ってきた、記憶の奔流そのものであった。


「……父上、どうもこれ以上は」

「……部屋を用意せよ。……どうもしたたかに酔っておるようだ」

「ご領主」

「……わかっておる」

「俺が!俺が連れてく!」

「ほんのちょーっとだけだったのにねえ」

「弱いっていうのは、嘘でも誇張でもなかったようだ」

「さてはこの意味不明な言葉も、きっと夢のせいだな?」

「夢ならば納得だ。まったく、こいつの頭ん中はどうなってんだか」

 息子たちがことさらに張り上げた『夢のせい』という言葉に、同席していた城の者たちがほっとしたのは間違いない。

 ただ、全てを『夢』の一言で片づけたのが、故意である事に気づいた者もいる。

 ほとんどの者はそれを、ご領主の意向と受け止めたが……。


 年若い末子が、少女を抱えあげ部屋を出る。

「これにて我らは部屋を出るが、皆は遠慮なく晩餐を続けるがよい」

 長子のダニエルが最後に振りかえりそう宣言すると、中からは感謝の声がいくつも聞こえてきた。

 その声を聞きながら扉を閉める。

 父は部屋を移すとは言ったが、話を止めるとは言っていない。

 直前のジェフもそうだが、恐らくはこれ以上迂闊な事をあの場で問えば騒ぎになるとでも思ったのだろう。

 そう―――人ひとりこの世から消し去ってしまうほどの、恐ろしく冷酷な騒ぎに。

 ――――――そして、その考えは決して間違っていなかったのだ。


 領主の私室に近い客室にて、少女は再び杯を握らされた。

 うっかりすると眠ってしまいそうなほどに、彼女の意識はもうろうとしている。

 長椅子に座らせ、両脇を長兄と次兄に挟まれた少女を見ている末子は、ずっとおろおろしっぱなしで、それを兄弟たちにからかわれながらもようやく落ち着きを取り戻した後、覚悟を決めた声音で問いかけたのは、さきほどまで質問していた魔法使いの老人ではなく、領主その人であった。

「そなたの国はどうなっている?王はどのような方なのだ?」

 聞いたところでさっぱりイメージできない、訳のわからない国。

 ただ、恐らくは進んだ技術を持つ国であろう事はうかがい知れた。

 よく分からない制度もあるようだが、国に存在する民―――子供のすべてに教育が行き届くというのは、国力を高めると同時に権力者にとっては足元をすくわれかねない諸刃の剣のようにも思えた。

 だから、そんな国を治める国王という人物は一体どのような統治をなすのか、それを知りたかった。

 だが、彼女の返した答えはそんな『国の王』と『仕える民』という当たり前の常識や秩序、世界のありようそのものを、根底からひっくり返しかねないものであった。

「……お姫様も王様もいたけど、政治はしない。……『いわゆる象徴』?」

「……遊び暮らしているということか?」

「ちがう。他の国の偉い人と会ったり、ご褒美をくれたりする。……政治をするのは、別の人」

「ふむ。大臣や摂政などといったものはあるらしいな」

「もしや幼い方なのでは?」

 ひそひそと上の兄弟たちが言葉を交わす中、落とされた次の一言に、一同は息の根を止められる思いがした。

「政治をするのは“選ばれた人”」

「“選ばれた”?」

「国に住む大人たち全員で選んで、その人たちが国を動かす。王様は飾り。……ええと……心の、支え?」

 ざわっ、と一度大きな波が起こり、そして、痛いくらいの沈黙が訪れた。

 そんな中、ふとふわふわ漂っていた『アライス』の心は不思議に思っていた。


 学校に通っていた頃『イギリス』も立憲君主制だと習った。

 だから細かいところは違うにしても、日本と同じような政治の仕方だったはずだ。

 けれど今そんな風に驚くのなら、この国の―――もしかしたら『世界』の―――王様はやはりファンタジーの王様で、ご領主さまみたいに自分自ら政治を行うのだろう。

 ご領主さまの言うとおりにイギリスもイングランドもないのなら、やっぱり『ここ』は、私のいた『あの世界』の『あの時代』ではないのかもしれない。

 ―――でも例えばもし、これから『ここ』が『あの時代』になるような道を歩むとして、ならば自分には何ができるだろうか。

 けれど、ふわふわした頭では余計に考えがまとまらず、大河に流される木の葉の如き自分は、ただただ流れるままにしかならないようにも思えた。


「私の国の王様は、戦争で“ただの人”になった。でもみんな尊敬しているし、訪問してくださればみんな喜ぶ。……きっととても大事な人。ご領主さまみたいな」

 突如出てきた戦争という言葉に、彼女の故国も穏やかで無かった事がうかがわれた。

 何があったかは分からないが、その大きな出来事によっておかしな政治形態が作られたのかと思うと、各人はぞっとするのを抑えられなかった。

 尊敬していると言われても、そんなものは何の慰めにもならない。

 他者の思惑一つで王の地位が脅かされるなど、あってはならない事であったからだ。


 いつのまにか、娘は勝手にぺらぺらと異国語を話し始める始末。

 本格的に酔いがまわったのもあるだろうが、催眠暗示も影響があるのかもしれない。

 何か楽しそうに歌まで歌い始めた。

 時折繰り返される同じ旋律は、放浪の吟遊詩人たちが語る嘔とも違うようであった。


 陽気に歌う小さな娘を見ながら、痛いほどに黙していた領主一家と魔法使いの老人。

 やがて末の息子がこわばった顔で父を呼んだ。

「ちちうえ……彼女は……」

 悲壮な覚悟さえ滲ませて見上げる若い男に、父は少しだけ頬を緩ませた。

「……マリーン殿に預ける。そう申した」

 言外に、無碍にはせんと伝えると、それまで固くこわばっていた末息子の表情が解けた。

「もう、これ以上のお話は無理そうですな」

 白髪の爺が長い顎鬚をさすりながらそう言うと、末息子は「俺が寝かせとくよ」と再び抱えあげた。

 兄弟たちにからかわれながらも、誰一人止めやしない。

 好きにさせるつもりらしい。

 堂々と抱き上げ部屋の壁際にしつらえた寝台に寝かせる姿は、着飾った彼女を見て赤くなっていた奴と同じとは思えない。

 一同はその姿を―――1人の大人の男としての道を歩み始めた末の弟の姿を、微笑ましく見守った。



「キャルヴィン様、マリーン様がお越しです」

「おお来たか。通せ」

 夜もとっぷりと更けた頃、見張りの男に案内され、領主の私室に魔法使いの老人がやってきた。

 さして大きくはない窓からはちょうど、稜線に消え行こうとする月の姿が見える。

 せっかくだから月見酒でも、とらしくない事を言いながら寝酒のつもりで用意した酒を振る舞って向き合う。

 話題は当然、渦中の娘の事であった。

「……どうやら本人の言は本当のようだな」

 あれは間違いなくブリタニアの子ではなく、さりとてアイルランドやイングランドの育ちでもない。

「いったい、どうして……?」

 どこから、どうやって。

 意味不明な国からやってきて、訳のわからぬ事を言う少女。

 しかし酒や暗示でもなければああもしゃべらなかったあたり、周囲の様子を見るだけの知恵はあるらしい。

 それに先ほどの言葉通りであるならば、彼女自身きちんとした教育を受けている事になり、ニコラスから聞いた話から推測するだに内容もそこらの教会で教わっただけの農村の子らとは比べ物にならないはず。

「……あるいは本当に、妖精の取り換え子かもしれませんな?」

 片目を細め、茶目っけたっぷりに老人が言う。

 魔法使いが言うとしゃれにならんと思ったが、領主はわずかにほほ笑んだだけだった。

「……甘い、といわれるかもしれんが、今すぐの処断は時期尚早と考えている。やはり当初の通り、貴方に任せよう」

「……そうですな。それがよろしいでしょう。わたくしめもようく見ておきますし、しばし様子を見ましょうぞ」

 わずかな話でも、聡明さをにじませた彼女。

 だがいかんせん、まだまだ語彙に乏しい様子。

「滑らかに話せるようになれば、引き出せる情報も増えましょう。それはきっと、この地、この国にとっても益となるはずでございます。今処分するには、彼女の持つ知識はあまりにもったいない」

 そう言って杯を空けた老人に、今度は領主がからかいのまなざしを向けた。

「それは、貴方が知識バカだからであろう?」

「さて、否定は致しませぬが」

 領主の言葉に老人も笑って返す。

 年齢を超えた友人同士の、気軽な会話がそこにはあった。

「わたくしめも、嬉しいのでございますよ」

 ぽつりとこぼれた歳経た友人の言葉に、領主は「うむ?」と問い返す。

 魔法使いの老人は空になった杯を掲げ、中空を見つめた。

 万感の思いを抱いて。


「長き時を費やし収集し、蓄積した知識を後に托せるやもしれない人材と出会ったのです。―――これを喜ばぬ魔法使いなど、おる訳がない」



 ―――領主と魔法使いの密談。

 それを聞いていたのは空の月と、見張りの男のみ。

「――――――さあて、こいつは“どこ”に売りつけるのが一番高く、売れるかねえ」

 槍を持った男は、くひ、とわずかに口の端を持ちあげた。

 







中2の世界認識と英語能力はこんなもんかなあ、と思いながら書きました。

多分違う。

色々違う。




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