アライスと謎の訪ね人
領主と使者が会談する、少しだけ前からのスタートです。
マリーン師匠は相変わらず忙しいらしく、とうとう城で寝泊りするまでになってしまいました。
けれど勉強に関してはきっちりと、さぼる事が無いようにとしっかりくぎを刺され、忙しい合間を縫って出された課題は人体に関する分野が主なものでした。
学校で勉強した事とやや違っている部分もありましたが、細かいところはともかく大きな部分ではそう違いは無かったので、すんなりと理解できたように思います。
実地で学ぶ機会があったのも大きかったのでしょう。
……何せ怪我人が毎日のようにやってくるのですから。
最近本当に、何してるんです?ニコ。
そうです。怪我人というのは、なにも城の兵士さんや農家のおじさんたちではなく、ニコなのです。
お義兄さんと一緒に来るのは構いませんが、どうしてそう、毎回毎回擦り傷や打ち身だらけなんですか!?
包帯を取りかえるのも、すっかり慣れっこになってしまいました。
少しだけなら薬も扱えますし、タダで診てくれる都合のいい看護師扱いなんですかね?
……まあ、いいですけど。
不穏な空気が漂っているのは知っていましたが、あくまで城に近い所でしたから、農村の端っこに位置する師匠の家にいた私がいくら気をつけようとしたところで、どのくらい気にすればいいのか、限度があったと思うんです。
師匠がお城に行っているのも、滞在している使者さんたちの目をそちらに向けるためだと知っていました。
だからその日は、完全に不意打ちだったんです。
ここ最近いつものように1人で寝起きし、朝も早くから畑に水をやっている時でした。
「こんにちは、あのー、ここ、マリーン師のご自宅で合ってますでしょうかー?」
低いけれど柔らかい声。
それは、私の知らない男性の声でした。
「はいっ、あの、そうです……けど」
慌てて桶の水で手を洗い、前掛けでぱぱっと拭きながら振り返ると、そこにはいつの間に立っていたのか、背の高い、若い男の人がいたのです。
結構近くまで来てたのに、私、ちっとも気が付きませんでした。
そんなに集中していた自覚は無いんですが……。
「君は……もしかしてお弟子さん?」
「そうです」
師匠と弟子、というよりは、先生と生徒の間柄のような気もしますけどね。
「えっと、マリーン師匠なら、ここのところしばらくお城に行っていて帰ってきていません。もし御用があるのでしたら、お城の方を尋ねるといいですよ」
じっと目を見て話しますが、この人本当に背が高いです!
近くだと、首を伸ばさないと視線が合わないくらいですもん。
師匠の不在を伝えると、男の人は、がっかりしてしまったみたいでした。
「……そっかー、こーまったなあー」
眉毛をへにゃって下げた男の人は、どこかのんびりした口調で穏やかにそう言いながら頭をかきます。
うーん、本当に困ってるみたいですね。
「お城なら、一度村の方に戻ってから大きな道沿いに進んでまっすぐ行った先にある大きな建物ですから、迷う事は無いと思います。大丈夫、ここまで来たんですから、後ちょっとですよ。頑張ってください」
とりあえず励ましてみます。
ここで落ち着かれちゃっても、私ひとりではどうしようもありませんからね。
お兄さんは、ちょっとびっくりしたみたいな表情になってから「あはは」って笑いました。
「そっか、そうだよねえ。あっはは、おにーさん慰められちゃったよ」
慰めたんじゃなくて、応援です。エールですよ。
「んー、でもおにーさん結構遠くから来たんで、このへんの土地勘無くて不安だなー。“お嬢さん”案内してくれない?」
お、と、ちょっとびっくりします。
だって今着ている服、この辺の農家の男性が着るような簡素なシャツにズボンでしたから。
髪の毛が長いとはいえ首筋でひとくくりにしてますし、そういう人がいない訳じゃないですから、多分この人も男の子扱いするんだろうなーと思っていたんですが。
嬉しい誤算、なんでしょうか?
うーん、ただ、私はダメなんですよね。
「ごめんなさい、近くの村の人に聞いてもらってください。私は師匠に言われて留守をまかされているので、ここを勝手に離れるわけにいかないんです」
「えっ、そうなの?でもー、ちょっとくらいならー……」
むむ?意外に軽薄そう?それに少し粘りますね。
しつこいというほどではないと思うんですが……。
柔らかい口調で自分の意志を押し通す……こういう人をどこかで見かけた気が……。
ああ、そうです、お義兄さんにどっか似てるんです。わかりました!
「ダメですよ、師匠に怒られてしまいますから。それに、ここまでまっすぐこれたのなら、お城なんてすぐですよ。目立ちますから」
少しだけぎこちないしゃべり方をするお兄さんは、よく見ればこのへんでは見かけない独特の模様の服を着ています。
だからきっと、すごく遠くから来たんでしょう。
その割に、腰に付けた小剣以外は特に手荷物らしきものを持ってませんでしたし、くたびれている様子もありません。
多分どこかに宿を取ったのでしょう。
旅慣れてる人なのかもしれないな、と思ったんですが。
「そっかー。…………」
くすくす笑って、それでもきちんとお断りすると、お兄さんは少しムッとしたみたいでした。
あの、バカにした訳じゃないんですよ?
ただ、知ってる人によく似ているなって、楽しくなっちゃっただけで。
「ああ、そういえば名乗るのが遅れたね、俺はセタンタ。高名な賢者殿に、ひとつ薬を頼みたくてはるばるやってきたんだけど……」
お兄さんは気を取り直したらしく、改めて見つめてきたその表情に、怒っている様子はさっぱり見えませんでした。
「そうだったんですか。それならなおさらお城に行った方がいいですよ?今から行けば、お昼になる前には着けると思います」
「君は?」
はい?
唐突に尋ねられました。
「賢者殿の弟子なんだろう?君が薬を作ってくれたりとか、できないのかな?」
はあ、私、ですか。
「物によります。簡単な傷薬くらいなら少しは出来ますけど。あ、でも人に差し上げたりとかはできないんです」
「それは……どうして?」
「師匠にまだ許可をもらえてませんから。軽い傷の手当てくらいなら出来ますけど、ええと、病気に効く薬とか、薬だけど使い方を間違えると毒になるものとか……とにかくそういう扱いの難しいお薬は、師匠の判断が無いと使えないです」
「それは、どうして?」
「どうしてって……私が素人、だからではないでしょうか」
……おかしいです。
どうして私は、この人に圧倒されているんでしょう。
いつの間にか本当に目の前にこの人がいて、私は一生懸命にその人の目を見ようと首を伸ばしている状況です。
目が、離せないのは何故なんでしょうか。
少しだけ、怖い気持ちになります。
「……俺が、今すぐに薬の必要な人がいるって言っても?」
「どのような状態なのかにもよります。もしかしたら薬が必要無い状況かもしれませんし」
人工呼吸や心臓マッサージについては、こちらの―――ブリタニアに来る前、学校の保健の授業で習った事がありました。
一応まじめに取り組んだせいか忘れていなかったので、師匠に話をしたりもしたんですが……。
あれ何気に、避難訓練の話と合わせて、城のご領主さまに伝えられたらしいんですよね。
お城の衛兵さんたちの間で、一部罰則とされた事もあったらしいんですが(マウストゥマウスの事でしょうか)偶然打ち所が悪かった方に実際試したところ、無事に息を吹き返したとか。
ニコからの聞きかじりなので本当かどうかわかりませんが、今はまじめに訓練内容に盛り込まれているそうですよ。
これで少しは、事故の救命につながればいいんですけどね。
そういった技術を必要としているのは、何も衛兵さんたちだけじゃありませんから。
それはともかく、この状況をどうにかしないといけない気がします。
全然怖い感じがしなかったので安心しきっていましたが、今思うと不自然な気もします。
師匠が城にいるのは事実で、実際家には誰もいませんし、他の場所にかくまっているとかいうセンが無いのはすぐにわかったはずです。
隠し事があるのなら、多分すぐにバレてしまったでしょうから。
本当に師匠に用があるのならすぐにでもお城に行けばいいのに、まるでこの人は、何かと理由を付けてここにとどまりたがっているみたいです。
私は『もしかして』と思い始めていました。
理由は分かりませんが、師匠に用があるといったのは口実で、最初から『私』に用があってきたのでしょうか?
だとしたらそれは、何の用でしょう?
そうです、もしかしてこの人は、師匠の言っていた―――?
私が警戒し始めたのに気づいたのでしょう、お兄さんはやっと柔らかい……少し情けない感じの表情に戻って、困った風に頭をかきます。
「あー、ごめん、おびえさせるつもりは無かったんだけどー、今の俺って、ものすごく不審者だよね?」
「……ええと、その」
まさか本人に向かって、そんなこと言えませんよ!
かといって、まるきり嘘を言う気にもなれなかった私はぼかします。
「すみません。私の周りには普段、よく知っている人しかいませんから」
余り軽々しく謝るなって、そういえばニコが言ってましたっけ。
……思い出したらちょっとだけ、助けてほしい気分になりました。
朝早いですし、来るとしてもまだまだ先の事でしょう。
今は、このお兄さんにお城に行ってもらうのが先決、でしょうか。
「守られているんだねー」
「そうですか?」
守られている、といえばそうなのかもしれませんが、放置されてるとも言えると思います。
本当に大切なのは、ちゃんと自分の手元で大事にしておきたいものじゃないですか?
状況によるのかもしれませんが。
実感半分、といった自分に、お兄さんは急にぐい、と背をかがめて私の顔を覗き込んできました。
びっくりして固まった私に、お兄さんはにっこり笑って言いました。
「許可が無いからできないといったね。なら『やろうと思えば』毒になる薬も作れるのかな?君は」
え……と?
急に、周りの温度が一度下がった気がした時。
「アライス!」
家の向こうからよく知った声が響きます。
……ニコの声でした。
「どうしたちびちゃん」
なんとお義兄さんもです。
どうしちゃったんでしょう、とってもナイスなタイミングです!
ただ、何故かその後、旅のお兄さんを見たお義兄さんは固まってしまいましたが。
「あんた……」
「どうも」
「…………」
ニコも混ざって男3人、見合って固まっちゃってます。
何かあったんでしょうか?
「……このようなところにいらしたとは。何の御用かは“存じませんが”勝手にうろつかれては困りますな」
おお!?お義兄さんが丁寧ですよ!?
「なに、マリーン殿に用があってきたのだが、不在だと聞いて戻るところだったのだ」
あ、あれ?
お兄さん、さっきまでの優しそうだった顔が急に凛々しくなっちゃってます。
……年下の子だから優しく接したとか、そういう事なんでしょうか?
「さようでしたか。使者の方々もお待ちでいらっしゃいます。城までご案内いたしましょう」
「それにはおよばない。わざわざ御手を煩わせる事も無い」
「これも仕事ですから、お気になさらず。“ニコ”私が戻るまでここで待機していろ」
どんどんと進められていく話に、口を挟む間もありません。
そんな空気でも無いです。
それに……どういう、事ですか?
何故お義兄さんが、ニコに命令しているんです?
「っ、了解、しました」
お義兄さんの考えている事、セタンタさんの考えている事、どちらもよく飲み込めません。
だけどニコが手のひらを固く握りしめ、こわばった表情でいるのだけは分かりました。
怪我をしてはいけないと、私はニコのそばまで寄って、そっと手のひらを開かせます。
ニコも私の方を見て、少しほっとしたように笑みを浮かべました。
それにしても、お義兄さんとニコの、この様子……。
思うにこの方は、アイルランドから来られた方なんじゃないでしょうか?
もしそうなら、私に声をかけたのも本当に用があったのではなく、何か別の目的があったのでは―――?
今更ながらにぞっとします。
何を、するつもりだったんでしょうか。
何を……されるところだったんでしょうか。
今となっては、知らなくて済んで本当によかったと思う他ありません。
「それにしても、ここは素晴らしく豊かだ。マリーン師の手腕の賜物か、こんなに小さな畑でさえ豊かな実りを見せている」
軽く周囲を見回し、歌うようにそう言って、セタンタさんはお義兄さんと一緒に去って行きます。
来た時とはまるで違って背筋をぴんと伸ばし、さっそうと歩いて行く彼の背中は、まるで吟遊詩人の謳う世界の登場人物でもおかしくないと思わせるのに十分なものでした。
それにしても、うーん。
褒められたんでしょうか?畑。
そんなにおかしな事は、してないんですけどね。
農薬や合成肥料こそありませんが、腐葉土やら動物のウ○チやら石灰をまいたりしているくらいで……。
でもそれくらい、どこの農家もやっている事ですしね。
首をひねっていると、ニコがようやく復活したみたいです。
「何も、無いよな?家の中は?連れ出されたのか?」
「最初からここにいましたし、特に何をされた訳でもありません。……大丈夫ですよ」
「お前ー……楽天的すぎるぞ!あと一歩遅かったらどうなっていたか、わからないんだからな!」
呆れた風に言われてしまいました。
お義兄さんの様子も、いつもとずいぶん違ってましたし……。
「もしかしてさっきの人、そんなに怖い人だったんですか?」
「……ああ。“奴”は、アイルランド一の槍の名手なんだそうだ。向こうじゃ『狂犬』っていわれてるらしい」
どこのヤンキーさんですか、それは。
思わず心の中でツッコミを入れてしまいました。
「そうなんですか?そんな風には見えませんでしたけどねえ」
槍どころか、腰に下げていたのはナイフと剣の中間みたいなものでしたし。
背が高いなあとは思いましたけど、横とか厚みとかの体格がいいといった印象もなかったですしねえ。
「それが奴の作戦なんだろ。お前も気を抜くなよ」
まるで本当に、家族に、兄弟に心配されているみたいです。
思わず笑ってしまいました。
「はい。……でも、どうにかさせないようにって、ニコもお義兄さんもご領主さまも師匠も、皆が動いているんでしょう?だったらきっと、大丈夫です」
その後、立ちっぱなしなのも不用心だから、と私はニコに押し込まれるように家へ連れて行かれました。
なんとニコの話では、これから私はお城に行く事になったらしく、それで迎えに来たのだそうです。
早めの行動をと言われ、さっそく来てみたらいきなり変な不審者がいてびっくりしたとか。
しかもそれ、不審者どころか偉い人?みたいでしたしね。
待っている間の時間が惜しいという事で、私はニコの手を借りながら、荷物を纏める事になりました。
2人で行くのも今となっては怖いそうで、その判断を下した本人……お義兄さんの帰りを待って、3人で城へと向かいます。
でもですよ?こんなにがっちり固められてたら、そっちの方が不審な気もしますけど?
とか言いながら、短い道中お義兄さんが明るく話を振って来て、気が付いたらいつもみたいに笑っていましたから、怪しまれるような事も無かったのではないかと思います。
お城についた私は、師匠やご領主一家と顔を合わせる事も無いままに与えられた部屋へと案内され、一緒についてきてくれたイライザお姉さんと荷ほどきを済ませます。
そのまま食事の用意までしてもらって、まるで至れり尽くせりですね。
海外にあるようなお城のホテルに泊まりにきたみたいで、ちょっと楽しくなってきちゃいました。
浮かれていたのがバレたのか、最後にお姉さんに、部屋を後にする際「いい?お呼びがかかるまで、絶対に外に出ちゃダメよ。いいわね、絶対よ?」と念押しされました。
大丈夫ですよ、寂しいからって外を勝手にうろついたりするほど、私子供じゃありませんから。
私がこくんと頷いて了承すると、イライザさんは満足そうに頷いて去って行きました。
見送った私は部屋に戻り、そのままベッドへと向かいます。
――――――その数時間後、あんな事件に巻き込まれるとも知らず。




