88話・逃げ込む先は実家。
―武元曹駛―
暗い蔵から一転、明るい場所に出る……と、思った。けど、なんというか、まぁ、蔵よりは明るいんだけど……煙かった。なんか、湯気が……
あとは、少し転移に失敗したのか、足元を滑らせたのか、俺は横たわっていた。まぁ、つまり、こけた。
それと、無駄にすべすべむにむにな床。
そして、高めの声。
全身に柔らかさを感じていた。唇なんか、もう甘酸っぱいくらいだね。
数秒後、背後に立つ存在に俺は蹴り飛ばされた。
「な、何やってるのよっ! 曹駛っ!」
「え、えっと、わ、私、先に上がるです」
この声は……レフィとテンチェリィか……となると……
俺の下にいたのは……俺と唇を重ねたのは……麻理か……
マジか……いや、事故なんだけど……また麻理とキスするとは思っていなかったし、この数秒で二人とキスするとも思っていなかった。
「……お兄様……ぽっ……」
麻理は、ぽっ……と口で言った。
顔も真っ赤だ。
ただ……そのぽっ……という効果音は顔を赤らめる音ではないし、実際はそんなものではない。顔も赤らめているのも……単純に自分の右手に有る大きな火球が熱いからだろう。
口で言うまでもなく、ボッ……という、音と共に、現れたその火球は、俺に向かって飛んできて、俺を焼き殺したのは言うまでもない。
俺は、目を覚ました。一応、ベッドの上には寝かせてくれたようだ。
ここは……俺の部屋? いや、麻理の部屋か。
「目を覚ましましたか、変態」
開口一番それか。
ベッドの隣に置いてあった椅子には麻理が座っていた。
「変態じゃねぇ」
いつものやり取りだ。
毎度毎度、変態扱い。反抗期か?
「ロリコン」
「ロリコンでもねぇ」
「じゃあ、変態ペド野郎」
「よりひどくなってる」
ひどい言いようだった。
窓から差し込む光は既に橙色になっている。
もう夕方か。小腹空いたな。
まぁ、今日は一日、いろいろ予想外だった。
町を隔離したり、スミ姫攫ったり、コイチ姫に殺されたり、スミ姫にキスされたり、麻理とキスしたり、麻理に殺されたり。
「じゃあ、シスコン」
「違……うとは、言いきれない」
「そう、シスコン」
「その、微妙に突っ込みづらいし、否定しづらいけど否定したらしたで、微妙な空気になるような言葉で攻めてくるの止めてくれない?」
「……まぁ、分かりました」
お互い一息、間を開ける。
「麻理」
「なんですか、シスコン」
「いや、だからな……はぁ……」
今日一日、下手したら、次合う時まで、もしくはその後当分はずっとそう呼ばれるかもしれない。
「レフィとテンチェリィは?」
「いま、料理を作ってくれています」
「そうか」
「はい」
会話が途切れる。俺は、また窓を見る。橙色の光は、徐々に薄紫に染まっている。
本当は、今日中にフォルド王国に帰るつもりだったんだけど、二回死んだし、予想以上の時間が経っている。だから、今日は、ここに泊まらせてもらうことにしよう。
「なぁ」
「はい」
「今日、泊まっていい?」
「えっちなことをもうしなければ」
「しねぇよ」
「どうだか……」
またしても、会話が途切れる。
なんか、続かないな。
もしかしなくとも、浴場でのキスが原因だろう。いや、原因と言うよりは、原因となる事を思い出させる鍵に近いかもしれない。
「えっと、そろそろ、ごはんもできたのではないでしょうか」
「あ、ああ、そうか」
俺たちは、始終目を合わせることはなかった。
昔は、もっと、仲が良かったような気がする。今のように、距離は、開いていなかった。凄く仲が良かった。それもそのはず、唯一の家族だったから。けど、まぁ、その非常に近い間柄と、非常に長い空白の時間が、俺達の関係性を拗れ絡ませた。
「じゃ、じゃあ、先に行っています」
「ああ」
俺達は、やはり目を合わせることはなく、俺は目を合わせないため、意味もなく床を見ていた。
夕食では、お昼の満曳の家で起きた事と大抵同じようなことが起きていた。
麻理とキスしたことからの怒りで、レフィに一回殺された。もちろんコイチ姫と違って、反省の色は見えないけど。それどころか、だれも、俺の死に興味を持ちすらしなかったことが悲しかった。もうちょっと心配してほしい。
その後は普通に会話をしたり、楽しい時間をすごした。それこそ、いつも通りのような。
食事を終えた俺は、俺の部屋に戻った。俺の部屋と言っても、こっちにはあまり返ってこないから、今は俺の部屋と言っていいのかどうかは分からないんだけど。
なんで、ここに、麻理の住むこの家に来たかと言えば、まぁ、単純に、簡単に……最後の時になる可能性だって、ゼロということはないからである。
いくら死なずとも、封印系の術は、対処できない。それは、今の俺でも、いや、今の俺だからだ。いずれは、完全に克服したいが……今は、まだ完璧じゃない。
もしも、俺が負け、戻ってこれない。そんなことを恐れたからだ。
最後の思い出作りってわけじゃないけど、最後にする後悔が、少しでも少なくなるように……なんて、そう思ってここに来たこと自体を後悔したかもしれない。
よけいに負けられないじゃないか……こんな時間を過ごしたら……
「どうしたの? いつにもなく真面目な顔して」
気づけば、麻理が部屋に入ってきていた。
「俺は、いつでも真面目だ」
「またまた、ご冗談を」
麻理が、俺が寝ているベッドに腰を掛けた。
「なんか用か?」
「いえ、何も」
「何しに来たんだよ」
「別に、特に理由は有りませんけど、理由なんかいらないでしょう、ここは、元より私たちの家ですし」
「まぁな」
部屋に妙な静けさが訪れる。
会話が途切れたのだ。
そして、また時間が経って……
「あの」「えっと」
ほぼ同時だった。
「「………」」
お互いが無言。
そして、顔を上げると……麻理と、目が合った。
みるみるうちに、麻理の顔が赤く染まっていく。夕方ならまだしも、もう外は暗い。誤魔化しの文句は何もない。お風呂だって、随分と前に済ませてあるしな。
「……麻理」
「……なんです?」
「……ごめん」
「謝るくらいなら……」
最初からしないでください。
俺が、謝って麻理がこう答える。何時もの流になると思った。
「謝るくらいなら……」
だけど、その言葉は続かなかった。
「謝る……くらいなら……」
麻理は、泣いていた。
いつ以来だろうか。麻理が泣いている所を見るのは。
最後に見たのは……確か、俺がまだ兵士になるまでだっただろうか……
「あや……まる……くらいなら……」
俺は、無意識の内に手を伸ばしていた。頭を撫でようとしたのだ。スミ姫の時のように。思えば、麻理がまだ泣き虫だったころ、良く頭を撫でてやっていたな……
左手を麻理の頭に置いたが、撫でる前に麻理に手を弾かれてしまった。
そして……
「謝るくらいならッ……!」
……一瞬……時間が止まったようだった。
「……最初からしないでください……」
そう言って、麻理は走ってこの部屋を出て行った。
もしかしたら、俺がなんでここを訪れたのか、麻理は分かっていたのかもしれない。
「それにしてもなぁ……」
俺は、自分の唇を軽くなぞった。
「あれは、ねぇだろ……」
先ほどまでそこにあった、柔らかくて、甘くて、怖くて、罪深い、そんな感触を思い浮かべながら……
その後、レフィが飛び込んできて、泣きながら走って俺の部屋を出て行った麻理の事を聞かれたのは言うまでもないだろうが、なんとか黙秘を貫いた俺の心臓は、レフィの手にある火掻き棒で貫かれた。
ああ、理不尽。とっても、理不尽。
俺は、沈みゆく意識の中、必ず返って来る決心をした。




