83話・王子は攫ってくれる人。
―スミ=キ=フォルジェルド―
えっと、恥ずかしいから、何をしていたかは言えないけど、私は、裸でベッドの上にいた。
この町が突然深い霧に包まれたのは、ついさっきの事だ。
あまりにも深い霧であるのと、どうやらこの町から出ることが出来なくなってしまったらしく、城内が騒がしくなったが、老爀斎さんが来たらしく、今はそれも収まっている。
この深く、辺りを見渡すことも出来ないくらい濃い霧を見て、城のみんなは不吉だ不吉だと言うが、私は、そうは思っていない。いや、実際は不吉なのかもしれない。でも、それでも、この霧の中、これから何かが起きるのではないかという期待の方が私にとっては大きい。
私は、立場の上では姫であるが、実際は、ここに監禁されているだけの、国を動かす為の、国家権力を使うためだけの道具でしかない。私は、私の派閥の人に言われた事をリピートして言うだけの道具だ。
私は、小さいころから、本ばかり読んでいた。だって、それ以外に、やる事が無いから。
そして、私は、物語の中の姫に憧れた。王子様が、現れて、私を攫ってくれる。
お姫様は、拒否する「私は姫だから、この城から出られない」と。
でも、王子様は強引にお姫様の手を引き、連れて去っていく。
そんな、物語の中限定の展開に憧れていた。
この深い霧は、日光を遮り、部屋の中は薄暗くなっていた。まるで夜である。
この深い霧の中から、私の王子様が現れて、私を攫っていってくれる。なぜか、そんな気がした。これも、普段の妄想となんら変わらないことは分かっている。何時だかの土砂降りの雨の日も、似たようなことを考えたし。いつかの、新月の夜もまた同じことを考えた。
そして、今回も、同じことを考え、妄想しているうちに、なんだが悶々としてしまい、色々あって、今に至るというわけだ。
私は、先ほどまでしていた行為の余韻に浸っていた。
すると、急にガラスの割れる音が響いた。私の部屋のガラスが、破られたのだ。
どうやら、人が飛び込んできたらしい。
ガチガチッ……という音がしたかと思えば、いつの間にか、部屋の扉は無くなっていて、そこには、大きな岩があるだけだった。
私の事を、殺しに来たのだろうか……確かに、一般的に私派閥と呼ばれる人は、保守派である。お姉ちゃんの殺したのも私派閥の人間だという噂もある。私は、いつ殺されてもおかしくは無いのかもしれない。
「えっと、その、どちらさま?」
私は、恐る恐る、そう尋ねた。暗殺者だったらどうしよう。でも、それはそれで仕方ないのかもしれない、などと色々と考えた。
えっと、足が痙攣して、恐怖が原因なのか、どうか分からないけど。声の震えは、恐怖からだろう。
この部屋に飛び込んできた、人物は立ち上がった。身長からして、男性だろうか……
その方は、こう答えた。そう、そう答えたのだ。
「俺は、お前を攫いに来た……」と。
その言葉に、私はまるで心臓撃ち抜かれてしまったようだった。
なんか、ずっと待ち望んでいたかのような、そんな言葉だった。
でも、私は、攫われるわけにはいかない。だって、お姉ちゃんがいなくなった以上、私がこの国の最後の姫だから。
攫われてはいけない。どうせ、物語のようにはいかない。身代金の請求などに使われて終わりだろう。いや、それだけで終わればいい方なのだろう……酷い場合、売られたり、使われたりして、投げ捨てられるかもしれない。
男は、一歩一歩、こちらに近づいてきた。私は、何もすることは出来ない。
ここで、私は、今、自分が裸であることを思い出した。このくらい部屋の中、私が裸であることには、気づいていないのか、裸を見慣れているのか、彼は特段私に反応することもなく、一歩、また一歩と近づいてくる。流石に、これ以上近づかれれば、体を見られてしまうだろうと、ベッドに敷いてあるシーツをはぎ取り、それで体を隠した。
「待ってください」
せめて、服を着させてください……そう続ける前に「嫌だ」と断られてしまった。
彼は、この暗さの中でも、顔がはっきり分かるくらいにまで近づいていた。
この人が、王子なら……私だけの王子様なら……この期に及んで、そんな期待を捨てきれない。
顔を見て、なおさらそう思ってしまった。
彼の雰囲気は私が今まで見てきた誰とも違う、これが優しい雰囲気という物なのだろうか。そんなもの、知らないのに、そう思ってしまった。彼の行動からは、優しさなんて、感じられないのに。なぜか、そう思った。
「私、まだ、心の準備が……」
「そんなもの必要ない」
彼は足を止めてそう言った。
私の心の準備など、彼には必要ない事だろう。そんなこと分かっているのに、せめて彼を足止めできればと思い、そう言うが、もうこの距離で足止めなんて意味のない事だろう。そもそも、足止めも何も、この部屋の扉は開きそうにない。誰かが助けに来てくれるとは思わない。何より、ガラスの割れる音がしたにもかかわらず、誰も来ないのだ。この場所に、私を助けに来てくれる人など来ないだろう。なんて、言い訳だろう。実際に、心の準備が出来ていない。彼に攫われる準備が。彼が王子でないという事実を受け止める準備が。彼が、もしも、もしも、もしも、私の、私だけの王子であった時の準備が。
彼は、何かを投げてきた。攫うのはやめにしたのだろうか、私を殺すことにしたのだろうか。そう思った。
それを見た時は、やっぱり心の準備なんか必要なかった。なんて、そう思った。だって、殺される時、それは、一瞬で終わってしまうから。
それは、私のおでこに当たった。だけど、何ともない。
本当に、何ともなかった。
私は、自分のおでこに触れてみる。すると、何か紙のようなものが貼ってあった。
それを剥がし、それが何なのか彼に尋ねてみた。
「まぁ、おまじないのようなものだ、本当の気持ちを表に引っ張ってくるというか、なんというか」
本当の気持ちを表に引っ張って来る? それは、素直にさせるということだろうか。
でもそれを、私にして、何の意味があるのだろうか。
でも、これは、もしかしたら、彼が、私がいつも何を思っているかを知った上で、私の本当の気持ちを私の口から聞きたいのだろうか。だとしたら、彼は、本当に、私の王子様なのだろうか。
ぐるぐると、色々な思考が私の中で回る。
そして、そのおまじないのせいなのかどうかは分からないけど、私は、彼が私の王子であることを確かめようとした。
「私を攫うの?」
「ああ」
「どうしても、攫うの?」
「ああ、どうしてもだ」
これじゃ、分からない。
けど、確かめるためのいい質問が分からない。
頭をフルに動かして、考える。そして、考えた結果。
「それは、あなたの意志?」
そう質問した。
もし、彼が単独犯ならば、後ろに誰かが付いているというわけでないのなら……彼は私の王子様だ。
どこかの組織から命令されたわけでもなく、本当に、彼が彼の意志でやっているのなら……
そして、彼は……「ああ」と一言だけ、返してくれた。
それは、私が、彼の事を、私の王子であると、信じる決心をさせるのには十分な返答であった。
「なら、私を攫ってください」
私は、そう言った。
すると……
「それは、お前の意志か?」
彼もまた、私を同じ質問をしてきた。
私はもちろん「うん」と答えた。
彼は、またこちらに向かって歩き始めた。
「少し待ってください」
服を着たいので、そう言うが。
「それはさっき嫌だと言っただろ」
と、またしても断られてしまう。
そして……
「俺は、いち早くお前を攫いたいからな」
彼はそう言った。
その言葉に、私は口を閉じてしまった。
彼は、私をお姫様抱っこした。私は姫だけど、実際にされるのは初めてだ。今の服装が裸にシーツ一枚なのもあって、酷く恥ずかしい。いま、下を見られたら……私の方を見られたら……なんて考えてしまい、顔が、身体が、ぽぅ……っと熱くなってしまう。
彼は、私を抱き上げたまま、窓の方へ向かっていき、そのまま外に出た。
私は、驚く隙もなく、外に出てしまった。だけど……落ちてない。彼は、宙を歩いていた。それは、まるで魔法のようだった。
「スミ=キ=フォルジェルド姫」
彼が、私の名前を呼んだ。
私が「なんですか」と返すと、彼は、こちらを見て……見て……あ、見られた……
彼が、急に視線を私から逸らしたので、私の体を見て見れば、シーツはいつの間にか、異様に濃い霧でビショビショになっており、透けていた。よく見なくても、私の体は丸見えの状態である。
本当に見られた、わ、私の裸……
視線を逸らしているようで、ちらちらこっちを見てきているのが分かる。
「その、恥ずかしい……」
いくら相手が、私の王子とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。
自然と、言葉は口に出ていたようで。
「ごめん」
王子は、ちゃんと前だけを見て歩き始めた。
その、やっぱり、見られても良かったかも。だって、霧のお蔭で下からは見えていないはずだし。この空の上、私と王子は二人きりなのだから。
「悪い、その、シーツ一枚とは思わなくて」
王子はそう言った。
どうやら、私が裸であることには、気づいていなかったようだ。
王子は、顔を真っ赤にしている。そして、きっと、私も……
「いいよ、別に……その、急いでいたんでしょ……」
今考えれば、着替えている時間なんてなかったかもしれない。だって、扉が岩のようになっていれば、誰かがそれに気づいて、無理やり入ってくるかもしれないし、最初のガラスの割れる音に気付いた人もいるかもしれない。
だから、彼は急いでいたのだろう。
「あ、ああ……」
彼は、上手く言葉が出てこないかのように、そう答えた。
顔を赤らめる彼は、少し可愛く思えた。さっきまでは、結構強引だったのに、いざ私が裸だと知ると、しどろもどろになってしまう。
「えっと、スミ=キ=フォルジェルド姫」
「スミって呼んで」
私は、王子にそう言った。
流石にフルネームは長すぎるし、何より、距離が遠すぎる。
彼は、もごもごと口籠って……少し黙った……そして、また少しして、口を開いた。
「スミ姫……じゃ、駄目ですか?」
そう尋ねてきた。
スミ姫……か……
「うーん……」
まぁ、許容の範囲だろう。相手が誰であろうと、私が姫であることには変わりはないんだし。フルネームではなくなったし。でも、姫は、姫でも、私は、彼だけの姫になりたいな。
「まぁ、いいよ、えっと……」
私は、彼の名前を呼ぼうとした。だけども、良く考えたら、私は彼の名前を知らない。
「名前は?」
そう尋ねると、彼は、「グルック=グブンリシ?」と、よく分からない答え方をした。
それが嘘であることは、すぐに分かった。嘘をつく人は見慣れているというのもあったのだが、それを置いておくとしても、彼の反応はまるで、私は嘘をついています、と言っているようで、とても分かりやすかったから。
「嘘は駄目」
と言ってあげると、彼は、なぜばれたんだ、という表情をしたので、本当に偽名だったのだろう。
また少しの沈黙を挟み、彼は、「武元曹駛。武元曹駛です、スミ姫」と言った。
名前からして、多分、ファーストネームは後ろの方だろう。
ソーシ……ソーシという名前なのか。
そっか、じゃあ……
「よろしくねっ! ソーシ王子っ!」
私は、心の底からの気持ちを口に出した。
魔法のようだった(魔法です)




