60話・洗脳、だと。
―武元曹駛―
俺は、目をゆっくりと開いた。
変な夢でも見ていたのかひどく気持ち悪い。
辺りはもう暗い。
そして、この匂い……。血、か……。
「なんと……とはいえ、やはり起きたか……」
血まみれのお爺さんが、仰向けに倒れている俺に、そう話しかけてきた。
その瞬間、俺は、全てを思い出した。
そう、俺は確か、この断鬼っていうお爺ちゃんを、怨栽こと恩を、満曳を……殺そうとしたんだ。
「ふむ、しかし、幸い、もう操られてはいないようじゃな……」
「なっ! す、すいません、本当にすいませんでした」
俺は、脚を折りたたみ、腰を曲げ、頭を地に付け謝った。
こんなことで許されることは無いだろう。俺は何者かに操られていたと断鬼さんは言っていたが、それでも俺は意識があったわけだし、俺が悪いことに違いない。
「いや、良い、ただ何者かに操られていただけであったようだしな」
「良くなんかありません、何人か人も、殺めてしまいました……それに、あなたと、満曳も……」
「いや、大丈夫じゃ、誰も死んじゃおらん」
「えっ……」
誰も死んでいない、だと?
「ああ、確かに死にかけだった、だが、儂の孫、怨栽は魔法が使える。そして、得意なのは回復魔法じゃ、魔力切れは起こしたようじゃが、皆無事じゃ」
「ほ、本当ですか?」
「うむ」
そうか。
人殺しにはならずに済んだようだな。
だが、それでも未遂犯ではある訳だし、ただで済む訳が無いし、ただで済ませるつもりもない。
「すいません。その、もう既に分かっていらっしゃるかもしれませんが、その、俺、普通の人間ではないんです」
「その不死性が、それか?」
「はい、まぁ、元人間ではありますけど……」
「元人間? つまりそれは最初からそうだったわけではないという事か?」
「はい、不死にはなったばかりです、その、詳しくはあまり話せませんが」
この力、いや、あの洞窟の秘密は誰にも話してはいけないだろう。
悪用するやつがきっと現れるだろうからな。
「その、それより、その、えっと、満曳も大丈夫なんですか? 彼は、僕がとどめを刺してしまったはずでは……」
「ああ、ナイフが奇跡的に肋骨で止まっておったようでな。かろうじて生きておったわい」
「そうですか」
満曳も無事であると聞いて、俺は、胸を撫で下ろした。なんか二つの意味で悪い夢を見た気がするからな。俺がおかしくなって、誰かが俺の前からいなくなる夢。
えっと、少し思い出してきたぞ。えっと、確か、俺と満曳が夜の街を見ていたら、急に満曳がいなくなって……あれ? 良く考えたらなんで俺は満曳と二人きりで夜景なんか見ていたんだ? うーん、なんか考えたらいけない気がするから、考えないでおこう。それに、満曳は、本当にいなくなるかもしれなかったんだしな。ナイフが肋骨で止まったから無事だったなんていう、そんな物語の中の話みたいな奇跡に感謝しよう。
「そ、それよりも、あ、あなたは大丈夫なんですか?」
「儂か? うむ、伊達に体は鍛えておらんのでな」
「で、でも、血が……それに、身体だって貫かれているんですよ」
俺によって……な……。今すぐにでも、回復させてあげたいけど、残念ながら、俺は回復魔法が使えないと言っても差し支えない。それに、回復魔法を使えるらしい恩も既に魔力切れだと言っていたし。
でも、し、止血くらいなら、俺の初心者未満の術でも。
「その、し、止血くらいさせてください、というか、それしかできないんですけど、その、せめて、止血くらいは……」
「ふむ、それじゃあ、頼む」
俺は、断鬼さんの体に魔力を流していく。
そして、少しずつ傷口を魔力で埋めその魔力の半結晶化を進める。
これは回復魔法でも何でもないのだが、止血は出来る。森の中を進む際、血を垂れ流したまま進むわけにもいかなかったので、俺が編み出した術だ。
「ふむ、これは回復とは少し違うようだが」
「はい、えっと、一応土属性と水属性の組み合わせみたいな感じです」
「これは、大丈夫なのか?」
「はい、自分にも使っていたので、大丈夫なはずです」
俺は、余り激しい動きをするとまた血が出てくることや、余り触っても止血効果は無くなってしまうことなど、この出来損ないの止血用魔法の説明を軽くしてから、満曳が倒れていたところを見た。
そこには、恩に膝枕されて寝ている満曳がいた。
俺は、恩に謝るために、歩いてそちらに向かった。
「な、ほ、本当に生き返って……」
恩は俺が近付いてきていたことに気付くや否や杖をこちらに向けてきた。魔力もないのに、しかも、回復魔法が得意と言う事は、攻撃魔法は逃げて出ないにせよ得意ではないだろうに。満曳を守ろうとしているんだな……。
「もう、魔力、無いんだってな」
「そ、そんなことない」
「いや、その、俺の所為だ……本当にすまんっ!」
俺は、また体を小さく折りたたみ、頭を地に付け謝った。
「そ、そんな態度を取ったって、私は騙されない、きっと、また……」
「怨栽、いや、恩と言った方がいいか、大丈夫、もうその人は敵ではない、安心しろ」
「お、お爺ちゃんまで……だ、だって、この人は、お、お爺ちゃんも殺そうとしたんだよ……」
「お前は命を実際に狙われるのが初めてだからな、怖いのも分かる。だが、この人はもう大丈夫じゃ、それに、この人もまた、我々と同じ被害者じゃ、儂の見立て通りやはり何者かに洗脳系統の術を掛けられていたようじゃ……」
「あ、そうです、それです」
そうだ、伝えなければ、俺は確かにおかしくなっていた。
きっとその術を掛けた人間は、あの受付のくそ女だろう。というか、それ以外に心当たりがないし、逆に、あいつには心当たりがある。あいつのボディタッチの後は、なんか不思議と体が言う事を聞かなくなっていた。自然と体が動くのもおかしいしな。精神操作系の術なのかもしれない。ただ、まとめてみると、色仕掛けに見えてもおかしくは無いほどだが、もしも色仕掛けなら、俺が一度死んで復活した今も、同じ精神状態じゃないとおかしいはずなのだ。なのに、身体が死んだら、そいつへの気持ちも死んだ。つまり、これは色仕掛けではない。別に死んだからと言って心の中まで約一ヶ月ちょっとまえの俺に戻る訳でもないからな。
「その、その精神操作を仕掛けてきた奴の名前は……」
あ、しまった……。あいつに偽名すら教えてもらっていない。
洗脳が解けないにせよ、ぽろっと言い漏らす可能性まで考えて俺に教えなかったのか。
「すいません、名前は知りません……どうやら、用心深いようで……でも、」
でも、奴らの計画は知っている。
「その、そいつは大きなグループの一員でして、そのグループ名も分からないんですが、奴らが何をしようとしているかは、分かります。ですから、それだけでも話して……」
「いや、その必要は無いかな……」
「誰だっ」
まず反応したのは、断鬼さん。
そして、まず死んだのは、断鬼さんだった。
断鬼さんの胸には小刀が刺さっていた。その位置はど真ん中。心臓を確実に貫いている。
「お、おじい、ちゃん……」
恩は、今にも泣きだしそうな顔でそう小さく呟いた。
「き、きさまっ! こ、こいつが俺をっ……」
「ははっ、凄いねぇ、私の精神操作を解除するなんて」
と、笑う。
こいつ。このクソがっ!
「ぐふっ……、そうか、お前が……」
「しゃ、喋らないでください、断鬼さん」
「ふふっ、そうだね、喋らないでね、お じ い ちゃ ん」
そう言って、その女は断鬼さんの頭を……踏み砕いた。
恩がいる俺の背後からは、水音と、少女の嘔吐く声が聞こえてくる。
くっそ、この状況は、不味い。
「ふふふぅ、ふふっ、ふふふ」
女は急に笑い始めた。
「な、何がおかしい」
「何がって、なにもおかしくは無いよ、ただ、誤算が二つ。一つは嬉しくない誤算だけど、もう一つの誤算が嬉しすぎて、有って無いようなものかなぁ……ふふっ」
小さく笑ってから、その女は首から上がずたずたな断鬼さんの遺体をこちらへ蹴り飛ばした。
俺は、それを避けた。
受け止めたいところだが、受け止めた瞬間を狙われて攻撃されたら、どうすることも出来ないからな。
だが、その選択によって、俺は結果的に後悔することになった。
その断鬼さんの遺体は恩に当たってしまったのだ。
恩の目から光が消えたように見えた。
気絶は……していない。が、気絶よりひどいかもしれないぞ、これは……。
多分放心状態というか。自分で自分の意識を投げ捨てたようなものだからな。下手をすると、一生このままの可能性だってある。
「てめぇ……」
「ふふっ、感謝しているんだよ、武元曹駛クン」
「な、なぜ、その名前を……」
「いやぁ、君の脳の中見させてもらったからね、君、記憶強盗って知ってる? まぁ、知らなくてもいいけど、だから、君の記憶は大方知っているよ、妹さん、元気だといいね」
「くっ、そんなことまで……」
「ふふ、まぁ、でも、一部は物凄く靄がかかったようで分からないんだけどさ、君、ワープでも使えるの?」
「どういうことだ?」
「そのままの意味だよ、君の祖国の記憶のあと数日分が抜けてて、その後急に森の中にいたみたいだけど」
「さぁな、それに関しては俺もよく分からない」
「うーん、まぁ、いいか」
よ、よかった、こいつらにあの洞窟の事はばれていないようだな……というよりも、あそこは何処だ? 俺の記憶からもあの村の位置が、洞窟の位置が、記憶の中から抜け落ちている……。
ど、どういうことだ。
「ん? その顔、どうやら、そもそも君自身が思い出せないようだね」
「まぁ、そうだな、ああ、思い出せない」
「そっか、じゃあ、尋ねても仕方ないね」
「ああ、そうだな……」
「まぁ、いいや、で、そうそう誤算の話をしていたんだっけ?」
「知るか……」
俺は、そんなことより、今、この状況をどう切り抜けるかの方か大切だ。
せめて恩と満曳は守らないと……。
「まぁ、君への精神操作が解けてしまったのは誤算だよ、嬉しくない方のね……でも、君が思った以上に働いてくれたから、殺すとなったらこちらの被害も小さいものではないと思われていた、あの断鬼が、私一人でこうもあっさり殺せちゃったよ。ありがとうね、感謝しているよ、はい、お礼の投げキッス……」
くっ、俺の想いが、揺らぎ始めた?
ちくしょう、投げキッスでも駄目なのか……。
俺は、こちらに伸びてきた女の手から逃れるように、後ろに飛び退いた。
「へぇ、馬鹿ではないようだね。ハニートラップに見せかけた精神操作術を避けるなんてさ、でも、もうちょっとかかり始めていることにも気づいているんでしょ」
そうだ、俺は確かにかかり始めている。奴の術に……
先ほどまであんなに憎くて憎くてしかたがなかったはずなのに、その憎悪はすでに俺の中にはない。こののまま行くと、また俺は操り人形になってしまう。
「そうだ、そうだな。だからっ、こうするっ!」
「なっ……!」
俺は断鬼さんの遺体に突き刺さっていた小刀を抜き取り。
己の心臓に突き刺した。
「へぇ、腹切りって言うのかな? 自殺するってこと? まぁ、いいけど、どっちにせよ私には悪い結果じゃないし、まぁ、君を勧誘できなかったのは少し残念かな? 断鬼をここまで追い詰めるほどの実力なら、よろこんで私の駒の一等兵にしてあげたのに……」
「ふん、だ、だれが……お前に……つ、く……かよ……」
息がつらい。視界がくらむ。バランスが保てない。
気持ち悪い、頭が痛い、全身が痛い。
俺は、死んだ。
「なんか策があるのかな、とも思ったけど、本当に死んじゃった」
かつ……かつ……
誰かの歩く音が地面を伝い、俺の耳に届く。
誰かの……だれかの……
そうっ! あのくそ女のだっ!
「喰らえっ!」
「なっ……」
俺は、獲物を駆る犬のような勢いで跳ね上がり、女の背中を先ほどまで断鬼さんと俺に刺さっていた小刀を突き刺した。
「い、生きていた……? いや、確かに、死んだはず……」
「どうだろうな……」
「はっ……そういうことか……お前、不死だな……だから、私の精神操作が……解けたのか……」
「そうだ、だが、もう、それを知ったところでどうすることも出来ないだろう」
「ふふぅ……ふふっ……ふふふっ……」
女は不敵に笑う。
笑う。
何か、あるのか。それともおかしくなっただけか?
どちらにせよ、その笑いがおれの不安を掻きたててくることに違いは無い。
「へへぇ、でも、残念」
するんっ……
小刀が急に重くなり、俺の手からすり抜けて、地面に落下した。
正確には小刀が重くなった訳ではない。小刀を支えるものが無くなったのだ。
つまり、さっき俺が刺したのは……ぶ、分身、もしくはそれに類する何か……。
「やるねぇ、不死性ねぇ……珍しい、その君の珍しい特性に免じて、今日はここで引いてあげる。それじゃあね、またどこかで会いましょう」
女の声が俺の後ろから聞こえてきた。
だが、俺が振り向くころにはもう、奴はいなかった。
くそっ、逃げられた……いや、退いてくれたと言うべきか。このまま戦っていても、良くて生き残れるのは俺一人。きっと、恩と満曳は守れなかった。
「くそっ……くそ……」
俺は、こんなにも弱いのか……。弱い。弱い。弱い。
弱い弱い弱い弱い弱い。
弱いっ……
分かっていたはずなのに……どうして……
どうして、俺はこんなことを……
暗殺……なんで……
くっそ……
「ちくしょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」
俺の叫び声が夜空にこだました。




