58話・さあ、仕事だ。
―武元曹駛―
あの夜から数日、俺はやたらでかい屋敷の上から見下ろしていた。と、いっても別に本当に上にいる訳では無いのだが。
あの日から少し魔法の研究をしていた。あとついでにいくつかの依頼もこなしておいた。
それで、この数日間を掛けて編み出した魔法の一つが、これ。『水鏡』と言う魔法だ。薄い水の板を魔法で生み出して、それを空へ飛ばす。そして、その水の板と、俺の手にあるお茶は魔力で繋いである。
この水鏡という魔法は、水面に映る鏡像を別の水面でも見ることが出来るようにする技だ。もちろん、ただ普通の水をじゃあ使い物にもならないだろう。だが、俺が飛ばしている水は少々特殊な加工をしてあるので、いくつか普通の水とは違う点がある。
まず、光を良く集める。まぁ、映る映像が暗視スコープみたいな感じになるといった感じだ。
次に、この水は光をほとんど反射しない。だから、この宵闇の中では、目立たないどころか、気付かれすらしないだろう、だが、手元にある方の水面には、ちゃんと映るようになっている。
あとは俺がその辺の広場でおにぎりをむしゃむしゃしつつ、お茶の水面に映るその屋敷を見ていれば、怪しまれることもなく敵情視察を出来ると言うわけだ。
この屋敷の当主は天露 断鬼というお爺ちゃんだ。見た感じ、名前に似合わず優しそうなお爺ちゃんだった。いや、実際いいお爺ちゃんだった。この屋敷の位置を確認しにきたのだが、帰り道がよく分からなくなって困っていたところ、たまたま出会ってしまった。
その時は焦ったのだが、道に迷って困っていたと言ったら、丁寧に傭兵センターまで案内してくれたし、しかもあるものまでくれた。明日、そこに仕掛ける訳だからちょっと罪悪感もあるが、今、そんな罪悪感は必要ない。大きな目的に犠牲は付き物だ。罪悪感は犠牲が出てから感じればいい。
今回、暗殺対象として指定されたのは、そんなお爺ちゃんの孫である天露 怨栽。
なぜ、現当主ではなく、その孫を狙うかというと、実はこの子の父である、天露 刃は病で既に他界している上に、天露家には既に他の後継ぎがいない。だから、今、その刃の一人娘である怨栽を始末してしまえば、いずれ天露家は崩壊するという。
それに、この天露家は、代々皆武人らしく、あのお爺ちゃんも戦いとなれば、一刀両断の断鬼として有名な刀使いらしい。
だから、まだ未熟である怨栽を始末する。それが、今回の作戦だ。
俺は、屋敷の構造や、人目のない場所などを粗方確かめたところで、お茶を飲み干した。
今日は、天露家で饗宴が開かれる。そこでは、この国のトップが集まるそうな。
暗殺の決行予定日は今日である。昨日、木尾の部屋に戻ってから、あの屋敷がどうなっていたかを思い出しつつ、作戦をいくつか考えた。そして、予定では、ひっそり忍び込むはずだったのだが、例のお爺ちゃんが、俺に招待状をくれたのだ。いや、本当にいいお爺ちゃんだ。だが、それが命取りになったな。
俺は例の受付のお姉さんから受け取った、俺の喉に切れ目を入れた物と同型の小刀を懐の隠し持ち外に出ようとした。
「おい、こんな夜中にどこにいくんだ? というか、今日も出かけるのか?」
木尾が飯を食いながら、そう言って俺を引き留めた。
「ああ、ちょっと依頼があってな」
「ああー、あれか、夜型のモンスターか、あれは厄介だよな。夜勤の時、たまに光に釣られて門に突っ込んでくるやつがいるんだけどさ、やたら動きは早いし、なかなかしぶといし、相手取るの面倒なんだよなー、まぁ、全然攻撃力ないから、比較的楽に倒せるんだけどさー」
木尾が言っているのは、きっと虫型のモンスターのことだろう。実際、別に夜型でもなんでもないのだが、夜になると光に釣られてやってくるやつが何種類かいる。
だた、光に釣られるような奴は大体かなり弱い。めちゃくちゃ弱い。例としては、レジェンドスカイモス。どんな奴かと言えば、ただただめちゃくちゃでかいだけの蛾。名前と強さは比例しない。そいつの攻撃手段は羽ばたいて毒鱗粉を飛ばしてくるだけ。しかもその毒鱗粉自体そこまで強い毒性は無く、少しの間体が動きにくくなったり、ちょっと気持ち悪くなるくらい。しかもあいつ口がないから、人を食わない。爪とかもないからせっかく人を先頭不能に追いつめても、とどめが刺せない。光に釣られるような雑魚は大体こんな感じのやつばっかりである。ただ奴らと戦いたくない理由として大きいのは、汚い体液を大量に飛び散らすということと、何より、外見が気持ち悪いことが原因だ。
「じゃあ、行ってくるな」
「ああ、行ってらっしゃい」
俺は、木尾の住む部屋の扉に手を掛けた。
「って騙されるかっ!!」
「うわっ、な、なんだよ」
も、もしかして、ば、ばれたか?
だとしたら結構まずい状況だったりするぞ。木尾は仮にもこの国の兵。ばれたとしたらら……。
「おまえが、そんなおしゃれな服を着て外へ出るんだ……」
ゴクリッ……唾を飲む音が異様に大きく聞こえた。
ま、まずいっ……。必死にポーカーフェイスを作ろうとしてはみているものの、俺は昔から思っている事が顔に出やすいタイプなんだ、きっと出来ていない。
「お前、この後デートでもしに行くんだろ」
「え?」
「え? じゃないだろ、だから、お前、どうせデートだろ、おいおい、この国に来てから数日も経っていないのに、なんだよ、モテやがって、くそ」
「いや、それ勘違い、うん」
「いや、いいんだぜ、俺は。別に、悔しくなんてねーし」
いや、地団駄踏まれながら言われても……あ、下の階の人から怒られた。
「あ、すいません、ほんとすいません……で、どんな女の子とだ? 可愛いのか?」
「だから、そうじゃないって言ってるだろ、はぁ、もうばれちゃったし白状するが」
「なんだよ、デートじゃないのかよー」
あ、かなり嬉しそう。
「で、何しに行くんだ?」
「ああ、そうだな、まぁ、ちょっとしたパーティに」
「ああ、おまっ、ずりぃ、俺も連れてけ」
「いや、無理、流石に……」
「なんでだよ」
「だって、招待状、一人分しかないから」
「……ちぇ、仕方ねぇ、今回は諦めてやる。だが、次は必ず二人分は用意しておけよ」
「まぁ、用意ったって、能動的に出来るものでもないけど……出来たらしておいてやる」
その時に、俺がこの国に居るかどうかは分からないけどな。
俺は、今度こそ、部屋の外に出た。
俺は、屋敷の門の前に立っていた、私兵であろう男に例の招待状を見せ、楽々侵入成功、あとは、天露怨栽を殺すだけだ。
ちなみに、天露怨栽が、どのような人物なのかは一切分かっておらず、謎に包まれている。だから、そこを探るのも任務の一つ。いや、むしろそっちがメインなのかもしれない。もちろん最終的には殺す為なのだが、今日は殺せなかったとして、正体が分かればそれだけでも、十分な手柄だとかなんとか言っていたし……。
大豪邸の饗宴っていうからどんなもんかとも思っていたが、フォルド王国の城でってた立食パーティのようなものか……ってよく考えたら凄いな。国レベルのパーティを開けるのか……。まぁ、実質、この国の王みたいなもんだしな。貴族とか、大富豪が長を務める。公国は確かそんな感じじゃないっけか。だから、暗殺対象になってしまったわけだが。
さてと、さっさと殺して、あの受付の娘からたっぷり報酬を貰わないとな。ああ、たっぷりと。金だけじゃない、いろいろとな。
「あ、君は」
と、俺に駆け寄って来る長髪の人物が一人。
まぁ、辺りが暗いせいもあってか、近くに寄って来るまで性別がよく分からなかったが、良く見ると男か。どっちにせよ関係ない事だがな。
「やぁ、奇遇だね、本当に」
それにしても白い髪で長髪。男にしては珍しいな。
というか、満曳か。まぁ、こいつくらいしかいないだろ。
「本当に、奇遇すぎるね。まさか、君も招待状を持っているなんて」
「ああ、そうだな、俺もなんで持っているか分からないくらいだ」
この国のトップが集まるような場所に、なんでこの国に来て数日の俺がいるのか、そして、招待されたのか、自分でもよく分からない。
「で、お前はなんでここにいるんだ? 満曳? もしかして、お前の家も天露の家同様にこの国を束ねる一家なのか?」
「うーん、半分正解、まぁ、実際そうなんだけど、どっちかと言うと椎川家は天露の御付きみたいな感じなんだ。そして、僕は、別に来たくないんだけど、彼女が呼ぶものだから」
「彼女?」
誰の事だろう。
「あいつのことか? 奴井名だっけ?」
「あ、あぁ……まぁ、うん、ま、いっか」
煮え切らん返事だな。
自己完結されても困るんだけど。
「まぁ、そうなるかな」
「そうか」
「うん」
で、気になることが一つ。こいつ、さっき椎川家は天露家の御付きだとかなんとか言っていたよな。もしかしたら、怨栽の正体を知っているかもしれない。
「なぁ、お前は、さっき半分ハズレって言っていたけど、どういうことだ?」
「うぅん、僕は半分正解って言ったんだけどな、どうして悪い方に捉えちゃうんだろう」
「ああ、気に病まなくてもいい、状況は悪く捉えろって、兵士時代の時ならったのが癖になっちゃっただけだから」
嘘である。そんなことは無い。実際言い換えたのに、大して意味はないのだが、今は話を早く進めたいから、そんなことを言っただけだ。
「それで、結局どの辺が外れていたんだ? いくら天露お付きだとしても、トップはトップだと思うんだが」
「そう、それね、本当は、僕は来なくてもいい、というか招待状なんか貰えないだけど、その例の彼女がくれてね、結構人ごみが苦手だから、来てほしかったらしいんだけど、僕も苦手だから、あんまり意味は無いと思う。それに、今日のこの立食会のメインの目的からしてもね……」
「どういうことだ?」
「まぁ、それは、お楽しみ、で、君は?」
「俺?」
「うん、どうして、ここに入れたの? もしかして、遠く離れた国の人だからとか?」
「残念、10割ハズレだ」
「うわっ、バッサリ切り捨てられた」
ガクリとうなだれて、しょんぼりする満曳。まぁ、こいつ地声が高いのもあって、本当に女っぽいな。俺がこいつを男だと知らなくて、あの受付の娘にも会っていなかったとしたら、可愛いと思ってしまっていたのかもしれない。
まぁ、男だけど。
「じゃあ、正解は?」
「まぁ、道に迷っていたら、お爺さんに助けられて、そのお爺さんがここの当主で、なんか知らないけど、招待状をくれた」
「へぇ」
そう言って、頷く満曳。
「って、どういうことっ!?」
「さぁ、俺もさっぱり、でもせっかく招待してくれたから来てみたんだが、凄いな、これ」
「ええ、知らずに来たの?」
いや、知ってて来たけど。
その言葉は、呑み込んでおく。
「じゃ、じゃあ、僕がいなかったらどうするつもりだったの?」
「うーん、帰っていたかもしれないけど、せっかく呼ばれたわけだし、帰る訳にもいかないかな?」
「そんな行き当たりばったりな……」
「行き当たりばったりでもなければ、この国に来ることもなかったけどな」
そんな訳が無い、この国にはきっと来るべくして来たに違いない。あの受付の娘に会うためにな。
「で、一つ聞いていいか?」
「なに?」
俺は、彼の耳元に口を持っていき、こう尋ねた。
「なぁ、この天露家の後継ぎの怨栽ってどんな奴だか知らないか?」
「えっ?」
と、満曳は驚いた表情を見せた。
「良く知ってるね」
「なんのことだ?」
「怨栽って名前」
あれ? これは、失敗したか?
「ははっ、凄いね、まぁ、でも、それはそのうち分かると思うよ、だって、この立食会の目的は、その彼女、怨栽のお披露目会みたいなものでもあるからね」
「へぇ、そうか」
なら、殺すチャンスはともかく、正体は分かる訳か。
十分だ。まぁ、もちろんなるべく殺すがな。全てはあの娘のためだ。あの娘のためなら、やってやるさ、暗殺だろうと、国の再興だろうとな。
「で、そういや、一つ、気になってたんだが、お前、奴井名はいいのか?」
「あ、うん、まぁ、それもすぐに分かるよ、今は、美味しい料理でも食べよう、高いだけあってかなり美味しいはずだから」
満曳は俺の手を引いて、料理の並んだ場所まで連れて行った。
そして、俺と、満曳は、いくつかの料理を皿に取り、端の方でちまちまと食べながら、会話をした。俺はこんなことしている場合ではないと言っては無いんだが、こうしてこいつと会話していれば、怪しまれもせずに済むだろう。
そうして、1時間が経った頃だろうか。
「みなさん、お待たせしました」
断鬼のお爺ちゃんが、そう言いながら現れた。
お待たせした。つまり、やっとお出ましなさるのか、お嬢様。待ってろ、殺してやる。
「では、次期当主、怨栽を紹介いたします」
さあ、どんな奴だ?
「見てびっくりすると思うよ」
満曳が、ここでそんなことを言った。
一体どういうことだ?
そう思った。だが、それもその時だけ、すぐにその意味が分かる。
「天露怨栽です、皆さま、よろしくお願いします」
その断鬼に紹介されて天露怨栽とは、奴井名恩だったからだ。
「どう? 驚いたでしょ」
満曳がそう言う。
俺は、口を開けたまま、後悔した。
なぜ、あの図書館で殺しておかなかったんだ、と……。
レジェンドスカイモス、まさかの再登場。




