50話・試練、ですか。
―武元曹駛―
試練。それが何なのかは分からない。
けど、それが命に危険が及ぶものであることだけは分かる。
目の前の白銀のドラゴンから感じられる殺気は、人間のそれとは比べ物にならない。人の言葉を理解し、扱えると言う事は、とんでもない知能を持っていると言う事である。
ドラゴンは、普通のモンスターとは違う。人が何人束になろうと、正面と向かって行っては勝てない。それは、ドラゴンが強い力を持っているからというだけではない。ドラゴンは、知力を持つ、数少ないモンスターの一種だからだ。
それでも、その知力は人間に匹敵するものではない。だから、人がドラゴンに勝つには、頭脳で戦うしかないのだ。それが、普通の人がドラゴンを倒すための唯一の手段である。もちろん、人側も普通でないのなら、唯一ではなくなるが、少なくとも、この時の俺は、ただの、普通の、一端の、しがない兵士でしかなかった。
それに、目の前にしているのは、大型のドラゴン。知力を、人間に匹敵するか、それ以上の知力を持っているであろうドラゴンである。
周りには、誰もいない。俺一人だ。
その時、俺は確かに死を感じていた。
竜がまたしても口を開く。
『私に勝てたのなら、望む力を与えてやろう』
望む力。
そんな物はない。
ただ生きて帰りたかった。
約束があった。いっぱい稼いで、きっといい暮らしをすると。
小さな家には、麻理が待っている。きっと、俺を待ってくれている。
『金が欲しいのか?』
心が読めるのか、竜はそんなことを言ってくる。
「いや、いらねぇよ」
そんなこと分かっているだろ。俺は、ただ、生きて帰りたい。
少なくとも、麻理を一人にするつもりはない。
俺達に、親はいない。いや、いたのかも知れないが、顔は知らない。声も知らない。知っているのは名前だけだろうか。
だから、ここで俺が死ねば、麻理は一人になる。
だから、死ねない。
だから、俺は帰らなければいけない。
帰るって、約束したから。
「さっきは、勝つとかなんとか言っていたが、試練ってなんだ」
俺は、勇気を振り絞り、少し上ずった声でそう尋ねる。
一騎打ちだったなら、もはや絶望的だ。
勝てる見込みが一切ない。
『いい勘じゃないか。勘は大事だと思うぞ。そう、お前の思っている通り、一騎打ちだ。私と戦え。そして、勝った暁には、なんでも望む力を、物を、与えてやる』
そうか、一騎打ちな。
もはや、死は目の前まで迫ってきている。
でも、死ねない。
だから、俺は、ただただ……死にたくないと思った……。
鎧なんか、まるで意味を持たない。そんなことは分かっていた。けれども、その鎧に命を預ける。
盾もまた、意味を成すとは思えない。ただ、そんな盾でも、遊びで放った一撃や、炎くらいなら、守ってくれるはずだ。だから、その盾を右手に構える。
槍だって、相手に届くかどうかわからない。それに、届いたとして、本当にダメージが通るとは全く思えない。けど、その槍が、俺の武器だ。しっかりと、その槍を左手に構えた。
「いくぞ」
その言葉は、自分を説得するために行っているようであった。動かない体に動けと口で命令しているようであった。
走る。重い装備と少しぬかるむ岩場に足を取られながらも、ドラゴンに突撃を掛けた。
そして、重い重い槍を、突きだす。
ガッ―――!
初撃は、見事に受け止められた。それも、俺が完全に突き出しきる前の、威力の弱いうちに反応され止められた。
そして―――グシャ……―――俺がドラゴンに天井に叩きつけられてから……グシャ……重力に地面へ叩きつけられた。
「カ……」
声も出ない。息がしにくい。肺がやられたのか?
口と喉に詰まった血を吐き出すことが出来ない。このままじゃ……。
なんて考える時間もなく―――ガツッッッ!―――地面に俺の槍が刺さった、俺の胸を貫いて……。
正確には、突き刺された。天井に当たった音と、地面に落ちた音が一つだったのは。俺が槍と盾を離さなかったからではない。俺は、手を離していしまっていた。だば、音が鳴らなかったのは、それらを竜が持っていたからだ。
そして、俺は、その竜によって、俺の槍で俺と地面を縫いつけた。
もう、息も、出来ない。
だが、俺は、帰らなければいけない。
帰る。どうしても、帰らなければ。
『次は、盾で潰してやろう』
そう言った竜は、盾をゆっくりと降ろしてきて。
ごりゅ…ぶちっ…ぐちっ……ガツッ……
「―――――――――ッッ!!!!」
俺の脚は潰された、それでも俺が気絶しなかったのは、俺の意志の強さなのか、目の前にいる白銀の竜の仕業なのかは分からない。だが、まだ意識はあった。
『ほう』
と、一言。
なんだよ……俺。
もう、俺は死ぬのかよ。
まだ死ねないのに。まだ、初任給しかもらってないだろ。
初任給の時はびっくりした。どんなアルバイトでも稼げないほどの量のお金だった。
その時は、流石国軍のお給料だと、麻理と二人で喜んだ。
そして、贅沢をして、焼き肉に行ったんだっけ?
美味しかったな。
ああ、今まで、いろいろあったな。これ、走馬灯というやつなのか?
まだ、死ねないのに。俺は、約束をしたから、死ねないのに。
なんで、こんなもの……見て……いるんだ?
確かに、貧しかったが、それなりには、楽しかったし、幸せだった気がする。俺、兵士になるべきじゃなかったのか……?
あの時、麻理の反対を聞き入れていればな。
『ほう』
と、また竜がそう言う。
「 」
声は出ない。
それもそうだ、息が出来ないのに、どうして声が出るというのだ。
そうか。もう駄目なのか。
死にたくない。生きて、もう一度。麻理と話したかった。一緒にご飯を食べたかった。
ああ、約束破ったこと謝らないとな。
約束破ったままにしていると、麻理は怒るからな。
ああ、ごめん。
ごめん。
こんなところで、一人で死んで、ごめん。
一人にして、ごめん。
俺、幸せになれなかったな。でも、せめて、お前だけでも。
いや、幸せだったよ。
十分なほど。
『そうだな、だが、まだじゃないか?』
と、竜が言う。
「何がだ」
と問い返す。
……それがもう既に、答えだった。
「なぜ、声を、いや、痛みが無い。一体どういうことだ?」
俺の体は完治していた。まるで、何事もなかったかのように、先ほどまで霧の中にいた時と同じで、五体満足の俺の体が、そこには在った。
『合格だ、本当に私に勝てる奴がいるとは思っていない』
「どういうことだ」
『私が、見たのは、本当に欲しい力と、それに対する想いの強さだ』
「それはどういう……」
『お前たちを一人一人、試させてもらった。もちろん、想いが弱い者は何人か死んだが、そいつらは試験に落ちたからな。ああ、それに、これは私の分身体のようなものだ。本当に私が出向くのもいいが、力を持った者に怪我をさせられるのも嫌だしな。自分の与えた力で傷つけられるなんて、誰が好き好んですると言うのだ。』
つまり、俺は、生きている。
帰れるのか?
『言ってはおくが、今まで通り暮らせると思うなよ。一応、お前の欲する力が面白かったから、少しおまけは付けておいた』
「おまけ?」
『数種類、術を伝授しておいた。何を伝授されたかは、分かるはずだ。己の頭の中を探ってみろ』
と、言った、竜の周りに霧が発生し始めた。
「待て、どういうことだ」
『自分で考えろ、考えることは大切だ』
竜は、霧の中に消えてしまった。
そして、俺も……。
霧が晴れる頃。いや、いつ晴れたかは分からない。
俺は、気絶していたようだ。どうやら、ここは森の中らしい。ただ、こんなところ、見覚えが無い。
そう、俺が倒れていたのは、あの深い霧の森ではなかった。
ここは、どこだ?
まずそう思った。
全て夢だったのか?
そうも、考えた。
だが、それは無い。
理由は、頭に浮かぶ数々の術であった。
生命変換。残り寿命の判断基準である生命力をマナに変換する術。
残り寿命の判断基準が生命力であることをなぜ知っているかもわからないが、なぜこの術を知っているかも分からなかった。
それに、マナを魔力に変換する術。
これも、何故知っているか分からない。
そもそも、魔力の元がマナであることが分からないはずのおれが、なぜこれを知っている。
それに、俺は、なぜ、死なないんだ。
この痛みは胸からくるものだ。
俺の心の臓は自らの槍で貫かれたままであった。
なのに、死んでいない。今思えば、俺は先ほどから、たったの一呼吸もしていない。なのに、生きている。
俺は……人間じゃなくなったのか……?




