42話・変態、違う。
―武元 曹駛―
痛い。
頬が痛い。
理由?
妹に引っ叩かれたから。
「痛いな、なんだよ全く」
パァンッ!!
またしても叩かれた。しかもさっきより強めに。
「だから痛いって」
パァンッ!!
「いや、まて、無言ではたくのは……」
パァンッ!!
「だから……」
スパァンッ!!
いった、いったい。めちゃくちゃ痛い。というか、音が変わった。
あ、もう既に右手が振り上げられている。
こいつ、毛全くないな。産毛と髪の毛くらいしかないんじゃないかな……なんて。
「こっち見ないでください、変態」
バチッ!!
これ以上叩かれてはたまらんと、右腕をつかんでビンタを止めたが……
「死ね」
あ、左拳が握られた。
死ぬ。やめて。
……く、来るぞっ……あの技が……。
「いつまで裸を見ているのですか? 死んでください」
麻理の左手が緑と紫が混ざったような色に変わっていく。
そして、その握り拳が俺の顔へ振り下ろされる。
パンッ!!
パンチにしては、威力は物凄く低い。麻理は非力なので、そこまで威力は出ない。それでも痛いには痛いのだが。利き手じゃないのもあってビンタよりも威力が低い。まぁ、かなり強めに小突かれたといった感じ。
ただ、本当の地獄はそこから。
「ぐあああぁぁ……」
俺の顔面が、先ほど麻理の左腕に触れられた部分が、溶けていく。崩れ落ちていく。
そして、激痛。
当たり前だ、顔が解け落ちているのだから。
べちょり……
俺の顎が地面に落ちた音だ。
大変ショッキングな映像のため、詳しくは説明したくない。音声だけでお楽しみいただきたい。
幸い、テンチェリィの視界はレフィが塞いでくれているので、テンチェリィに伝わるのは音声だけのはず。
ぺちぺち。
威力そのものは全く無い、連続ビンタ。
それによって、俺の顔が、体が、どんどんと溶けていく。
そして、べちょりべちょりという半液体状の物質が落ちる音が響く。
グチャ……
「ああ、もう取れてしまいましたか」
麻理がそう呟いたあたりで、ビンタの雨は止んだ。
きっと、麻理の腕も溶け落ちたのだろう。
これで、これ以上溶かされることはない? いや、もう手遅れ。
俺、そろそろ、全部解け切る。グッバイ意識。
それにしても、相変わらず成長していなかったな、麻理。
―レフィ=パーバド―
曹駛が解けた肉塊となった。
それに、麻理さんの左腕も……
「その、左腕……」
「ああ、これ? 大丈夫ですわ」
麻理さんが言う。
「私、感覚物凄く鈍くて……少し痛むくらいですので」
いや、そういう事じゃないんだけど……
「さてと、お目汚し失礼しました、レフィさん、テンチェリィさんを一旦外に出してから、戻ってきて、お兄様の回収を手伝っていただけます? あれは特殊な毒でして、自然に回復するのを待っていたら、数時間くらいかかりますので、袋の中にまとめておいきたいのです」
笑顔で麻理さんはそう言った。
すごくいい笑顔だ。
ただ、今、麻理さんは、右手に小さめの鋸を持ち、左腕の溶けかかっている部分の少し上を切っているので、かなり狂気的に見えないこともないのだが……。
「あ、すいません、嫌でしたら、別にお断りいただいてもいいのです、良く考えましたら、溶けた生肉に触るなんて、嫌ですもの……変なことお頼みしてしまいすいません……」
今度はかなり申し訳なさそうな顔で謝ってきた。
「その、ただ、私、今は片手しかない物ですので、せめて、そこの袋を広げて持っていただけませんか?」
と、その辺にあった黒いビニールのゴミ袋を指差して、またしても申し訳なさそうに頼んできたので、なんか可哀そうに思え、テンチェリィを浴室からだした後、ゴミ袋の口を開くように持った。ゴミ袋の中には、いくつかゴミが入っているが、麻理さんがこの袋を指定したので、逆らう必要もないだろう。
「ありがとうございます、では少しそのままで……」
麻理さんの右手には白い棒が握られている。あれ? 確か、それは、曹駛が姫様達に渡していたような……。確かに、こっちは少し装飾が施されていて豪華に見えるけど、なんか本質的には同じもののような気が……。
「転送」
肉塊は光り出し、気づけば、袋に重みを感じるようになっていた。
「……ふぅ……」
物凄い汗をかいている。
ここが浴室だからという、誤魔化しがきかないくらいに。
それに、息もかなり荒い。本人はそれを誤魔化しているつもりなのかもしれないが、こちらも浴室の温度が高いからという誤魔化しはきかない。
「はぁ……はぁ……」
どうやら、誤魔化すのを諦めつつあるようだ。
中途半端に息が荒いのを隠そうとする全裸の少女は、女性である私から見ても、少しエロティックだった。
「さ、さて、お兄様を運びましょう……と言いたいところなのですが、申し訳ありません、一回シャワーを浴びてから行かせてもらいますわ」
麻理さんはそう言って、シャワーが取り付けられてあるところまで歩いて行った。
「あ、その、先に浴室から出て行ってもらっても構いませんわ」
と、麻理さんが言うので、お言葉に甘えさせてもらって、先に出させてもらった。
浴室から出て、脱衣所からでて、廊下を抜けると、大きなロビーが……。
なぜ、始めてきた場所なのに、ロビーの位置が分かったかというと、この建物が似ているから……。その、曹駛の家に……。瓜二つである。お風呂もそうだけど、廊下とか、部屋とか、天井の高さとか。まぁ、今のところだけど。
そして、待つこと数分、真っ赤なドレスに身を包んだ麻理さんが現れた。その左の袖はひょろりと下に垂れたまま、動きそうにない。
「ここにいらしたのですね」
「はい」
「良くここが分かりましたね」
「いや、なんか、曹駛の家にすごくよく似ていたもので」
「なるほど……」
右手を顎にあて、何かを考える仕草をした。
「まぁ、いいですわ、さてと、そろそろ、お兄様を復活させますわ」
麻理さんは懐から、黄緑色の粉末が入った瓶を取り出した。
「麻理さん、それは?」
「メアリーとお呼びください、それと、さん付けは堅苦しいので好きじゃありませんわ」
「その、め、メアリー、それは?」
なんか、言葉遣いが綺麗なだけに、急に呼び捨てにするのが躊躇われる。
「これは、先ほどの毒の解毒薬です、実のところ先ほどの毒は、いまだに効果を発揮し続けているのです。だから、お兄様は生き返らない、生き返る前に溶けていきますから」
恐ろしい毒だ。
普通なら、きっと助からないのだろう。
しかも、その毒は触れたらアウト。本当に恐ろしい。
「さて、袋を広げてくださいと言いたいのですが、流石に、臭いますので、其のままでいいです」
またしても、あの白い棒を右手に持っている。
そして、左手で物を掴むことが出来ないので、同じ右手で蓋を開けた瓶を持ち、その瓶に白い棒を振るう。
なんの魔法かまでは分からないが、魔力が流れたことから魔法をかけた事だけは分かった。
「よいしょ」
そして、その粉末状の解毒薬をゴミ袋に振りかけた。
最初は、何故そんなことを? と思ったが、よく見れば、解毒薬は袋を透過して、中に入っていっている。
「これで毒の中和が始まったはずですので、あと1時間もすれば体も治るようになりますわ」
「そんなに時間が掛かるのですか?」
「まぁ、特別製の毒ですので」
まだ残っている左の二の腕を振り、袖をパタパタさせながらそう言う。
なんか、痛ましい。サキの時は状況も状況だったのだが、メアリーの非力さというか、か弱さもあって、凄く痛ましく見える。
「その、腕は治らないのですか?」
曹駛みたいに治す手段を持っているのかもしれない。不死じゃないにせよ、たかが兄への制裁のために腕を一本犠牲にするとは思えない。
「その、曹駛は、生き返りの他に、凄い回復力を持っていますし、そんな感じで回復とか……」
「いえ、私は、お兄様のようにそのようなことは出来ませんわ。ですので、死ぬまでずっとこのままです」
衝撃的な告白である。裸を見られたことに対しての制裁でそこまでするのか。
「まぁ、でも、そろそろ死にたいとも思っていたので、そこまで気にする必要は有りません」
「え?」
「まぁ、その、流石にショッキングな光景になると思いますし、後処理が面倒になると思いますので、浴室で死なせていただきますけど……」
「いや、待ってください」
「では……」
メアリーは、そう言い残して、テレポートで消えた。
「テンチェリィ、ちょっと、曹駛見てて……って寝てるし」
さっきから反応ないなとか、会話に入ってこないなとか思っていたけど、寝てるし。よくこんな状況で寝られるなー。
まぁ、テンチェリィはここに置いて行くとして、私は、急いで浴室に向かった。
走る。
扉を開ける。
走る。
走る。
扉を開ける。
そして、目の前には、口から血を流すメアリーがいた。
「……あまり……見てほしく……は……ないの……ですが………いくら……女性……同士とはいえ………裸を……みられるのが……恥ずかしくない……訳では……無いので……」
急ぎ駆け寄って、メアリーを抱き上げる。
そのメアリーの胸には白いナイフが刺さっている。その白いナイフの材質は、きっとあの白い棒と同じであるのだろうが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
目の前で、曹駛の妹が死のうとしているのだ。
何とかして、助けないと。
ナイフは、突き刺さっていると言うよりは、貫いていると言った方が正しいのかもしれない。よく見れば、これはナイフでは無く、小刀のようにも見える。
「その、死なないでください」
「な……ぜ……?」
「その、悲しみます。きっと悲しみます」
「だ……れ……が……?」
「曹駛です、それに、私も」
「そ……う……でも………死に……たい……と……思っ……た……から……仕方……ない……の……それ……よりも……離れ……た……ほう……が……いい……わ……服が……汚れ……ちゃ……うわ……」
その後、メアリーは静かに、息絶えた。
このことを曹駛にどう説明したらいいのだろう。
メアリーに突き刺さった白いナイフを抜きながら、私は、少し、泣いた。




