27話・死人ですか、泣けますね。
変換魔法は、戦闘にも使える非戦闘魔法です。
―コイチ=キ=フォルジェルド―
今、私が見ているのは夢なのでしょうか。
私は、船に乗っていましたし、もしかしたら、夢なのかもしれません。
でも、それを夢と信じたいと思う私は、もう、現実にいるのでしょう。
ですから、きっとこれは……現実でありましょう。
目の前には、真っ赤な水溜りに、散乱した生肉。
サキは……片腕を失っていました。
血が溢れ出ています。でも、まだ生きています。
きっと、きっと助かるはずです。彼女なら……きっと……。
でも……グルック様は……もう……。
目の前の船の一部だったものからは、もはや血すらも流れていない。
赤黒く、染まっている。
それは、もう、グルック様の死を表していた。
ここに、グルック様が……。この下に……。
必死に押してみるも、動かない。
動かない。
動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動いて……。
レフィ様は、じっとこの血で染まった鉄の塊を見ているだけ。動く気配はありません。
なぜなのでしょう? レフィ様は、いつも、グルック様と一緒に居たはずなのに、私がなりたくてもなれないものに、居たくても居られない場所に、ずっといたというのに、なぜ、動かないのでしょう。なぜ、そこでじっとしているのでしょう。なぜ、そこまで冷静にしていられるのでしょう。
私から見れば、頭がおかしいくらいなまでに冷静です。
それは、奴隷だからでしょうか。
奴隷であるから、もう慣れてしまったのでしょうか。
こんなにも、凄惨で悲惨な惨状を見て、なおそこまで冷静でいられる彼女は、過去に何を体験してきたのでしょう。
でも、それでも、彼女が動かないのは、おかしいです。
グルック様が、死んだと言うのに。
いや、もしかしたら、奇跡的に生きているかもしれない。
この血と肉は、サキのものかもしれない。
サキは、右肩から下は全て無くなっているのです。
ですから、グルック様もきっと無事で……。
なんて、自分の心に言い聞かせたところで、頭では、知能では、「死」の一文字しか映し出してはくれません。
どんなに求めても、心でどんなに映しても、頭には「生」の字は有りません。
「レフィ……さま……早く、手伝って……ください」
そう呼びかけてみるも、レフィ様は動きません。
もう一度呼びかけようともしましたが、その前に彼女はこう口にしました。
「その、姫様、退かしても、きっと意味は無いかもしれません」
知っています。
確かに、そうかもしれません。
でも……
「それでも!! それでも……せめて、埋葬……くらいは……」
私は、柄にもなくそう叫びました。そう叫んでいました。
しかし、声はどんどんと弱く小さくなっていく。
まるで、心の中に映した「生」の字が、頭の中に映し出された「死」の字で上塗りされていくように感じられました。
もう、グルック様が死んでいると、心でも思ってしまっている。
そう感じてしまったように思ったのです。
「そうではないのです、姫様」
レフィ様が、そういいます。
確かに、埋葬するためだけに、今、体力を使うのは、割に合わない、不適切な判断になるのかもしれません。
それでも。
「じゃあ、どうだと言うのですかっ!!」
こう叫ぶしかなかった。
私の心。「死」の字を映し出し始めている、私の心に聞かせるように、響かせるように。
「だから、そうではないのです、姫様」
どこまでも、冷静な人。
こんなに冷静だからこそ、グルック様はレフィ様を隣に置いておいたのかもしれません。
私は、きっと、いつまで経っても、こうはなれないでしょう。
ですが、その冷静さが、今は、私の心を少し落ち着けてくれました。
聞いたところ、話には、続きがあるようです。
もしかしたら、生きているという話かもしれません。
彼女は私よりも、よくグルック様の事を知っているはずです、生きているという事を言うのかもしれません。
ほんの少しですが、映し出された「生」の字が濃くなったような気がしました。
「姫様、きっと、その下にグルックはいません。退かしても無意味です」
「では、どこにグルック様がいると言うのですか」
別のところにいる。
それで、生きている。
そう願った。
願うだけ願った。
ドラゴンに襲われたあの時のように、願いました。
もしかしたら、もしかしたらに掛けて。
「はい、そうです。ですが、この先を聞けば、姫様はもっと深い絶望の谷に落ちるかもしれません、それでも、構いませんか? この先を知りたいですか?」
願いは、叶わない物です。
そんな、奇跡は二度と起きないと分かっていたのに……。
彼女の言葉は私の希望を砕くには十分でした。
既に、「生」の字は「死」の字に変わっていました。
ですが、私は、この先を見なければいけない。
きっと、見なかったならば、それは後悔してしまう。
見たら、それはそれで、後悔するかもしれません、しかし、見ないよりはきっといいはずです。
ですから。
「もちろんです。私はそれを知らなければいけない」
私はこう言いました。
声は震え、力も入っていませんでした。
けど、なんとか、そう答えることが出来ました。
「そうですか……なら、お答えします。グルックは、この鉄くずの下に居る訳ではなく……きっと、この鉄クズの中……サキの右肩と一緒にこの鉄クズに挟まれて、潰されているでしょう」
レフィ様は、そう言いました。
「………そう……なのですか……」
「はい」
死んでいる。
もう、生きている可能性がゼロになりました。
可能性が消えた、今。
私は、何ができるのでしょう。
悩んでいたところで、グルック様がここから出られるわけではありません。
せめて、御遺体だけでも……。
そう思い、潰れた船の隙間に指を入れ、こじ開けようとしました。
そんなの開く訳が有りません。
分かってはいます。
でも、行動せずにはいられないのです。
「姫様……今から、その鉄クズを土塊に変えます。これより先の光景は保障できません、それでも、ここにいますか? そのとき、正気を保っている自信がないのなら、できれば、ここから離れていてもらいたいです」
お気遣い、感謝いたします。
ですけれど……
「いえ、私は、ここにいます」
「そうですか……」
彼女は甲斐甲斐しくそう言った。
私がこう答える事が分かっていたのかもしれません。
「では、詠唱をはじめます」
彼女は、そう言って、魔法の詠唱を始めました。
その詠唱を聞いている間は、それが、何時間にも感じられましたが、思い返してみれば、一瞬のようにも思えました。
「……この、願い、力にして、叶え。土塊変換」
大きな金属の塊が、光り、見る見るうちに色褪せていきました。
そして、土に変わりました。
私は、それをただただ見ている事しかできませんでした。
動くことも、手伝うことも、何もできませんでした。
「姫様、話があります」
不意にレフィ様からそう声が掛かってきました。
一体、何お話でしょう。
魔法を使った後だと言うのに、彼女からは少ししか疲労は感じられません。
彼女はエルフ族。珍しい、亜人種の方です。
きっと魔法が得意なのでしょう。
きっと、グルック様が彼女を隣に置いておく理由の一つがそれなのかもしれません。
「姫様、私にグルックとサキを任せてもらえないでしょうか」
レフィ様が、そう言った。
訳が分からなかった。
「それは、どういう事でしょう」
そして、疑問がそのまま口からこぼれ落ちてしまった。
「私なら、グルックを生き返らすことが出来るでしょう」
私は、その言葉を聞いて、固まった。固まって動けなかった。
「それは、一体……」
またしても、疑問がこぼれ落ちました。
「グルックは、普段自分に魔法をかけています。その魔法は、蘇生魔法です。どんな死に方をしたとしても、多量の魔力を流すと復活する術式を自分に掛けているのです。ですので、私に任せてもらえないでしょうか。それと、悲しい話になるのかもしれませんが、サキさんの方は、助かるかどうか分かりません。もしかしたら、グルックは助かったとしても、サキさんは、助からないかもしれません」
希望と絶望が同時に訪れた。
グルック様が生きて、サキが死ぬ。
そんな希望と絶望。
「その、サキは……助からないのですか?」
「はい、恐らく……全力で回復には取り組みますが、グルックを復活させた後に、どれだけ魔力が残っているか……」
「それでも、その、やれるだけは、やっていただけますか?」
「はい、もちろん、そのつもりです」
サキの死。
それも、分かっていたのかもしれない。
私は、自分でも驚くほどに冷静でいられた。
それと、レフィ様が冷静だった理由もなんとなく分かりました。
きっと、グルック様が生き返る手段をお持ちであるという事を知っているからこそ、あんなに冷静だったのでしょう。
そうだとしたら、本当におかしいのは私の方なのかもしれません。
サキを失おうとしているのに、なぜ、こんなに冷静でいられるのでしょう。
不思議でなりません。
私の中で、それほどまでに、グルック様が大きな存在になっていると言う事なのでしょうか。
私は、土の山を崩しに掛かりました。
「待ってくださいっ!!いけません、姫様っ!!」
途端、レフィ様が叫びました。
その意味は、すぐ分かることになります。
「……うっ……」
私は、嘔吐き、お腹の中身を戻してしまいました。
中身は出し尽くし、何もないはずなのに、胃液が次から次へと出てきます。
私が、こうなっている原因。
それは、間違いなく目の前にあるものです。
それは、土まみれになった人間だったものです。
辛うじて人であったのが分かりますが、それが誰なのかは分かりません。
いえ、人であったと言うのも、それを知っていたからこそなのかもしれません。そうでなければ、人であったことすら分からなかったでしょう。
これが……グルック……様?
信じられませんでした。
これが、生き返ることも。
それに、臭い。
先ほどまでとは、比べ物にならないくらい濃い臭いでした。
これらに、耐えきれず、今の私が存在している訳です。
喉が焼けるように痛い。
胃酸が、私の粘膜を焼いていきます。
「姫様、すいません」
そんな私の顔をレフィ様はハンカチで拭いてくれました。
なぜ謝るか、私にはわかりませんでした。むしろ、私が謝る側なはずなのに……。
少し眠くなってきました。
と、言うより……これは、あまりにも……眠すぎる……よう……な……。




