159話・夢。いつか見た……
―レフィ=パーバド―
過去の記憶。
それは、過去の記憶。
私も覚えている。私が覚えている。その記憶。
それは、火の海だった。だけれども。それだけじゃない。それが印象に残らないはずがないから、その記憶がちゃんと残っているというだけ。その他の記憶が無いというわけじゃない。
私だって覚えている。それだけじゃない記憶。確かに、私はその炎に包まれた日の事を強く覚えているというのに違いはないけれど、別にあの頃の日々の記憶が薄れているというわけじゃない。だから、曹駛の事……知らないわけじゃない。
あの時、曹駛が、あの光景を創り出した張本人だったと知った時。私は、ただ、確信したというだけだ。
あの時の青年が、曹駛であったということに。
私は、覚えている。曹駛が、私の家で泊まっていた時の事。ちゃんと覚えている。
その時、曹駛は、曹駛と名乗っていたわけじゃないし、グルックとも名乗っていなかったのもあるけど、流石に記憶は記憶。事細かに全てを覚えているというわけじゃない。だけれども、それでも、ちゃんと覚えている。曹駛が、私に優しくしてくれて、仲良くしてくれていたこと。
今は、周りに曹駛やメアリーがいる所為で、ごく普通程度にしか見えないかもしれないが、昔は、凄かった。私は、村で一番の魔法の使い手であるお父さんと、次に凄い使い手のお母さんから生まれた子ということで、あの村の中での魔法の腕はかなり上の方にいた。子供でありながらも、大人よりも凄かった。今となっては、過去の自慢にしかならないから、誰にも言っていないけれど。その時は、凄かった。だから、大人たちからは、もてはやされた。すごいね、すごいね。って。
でも、それもあって、周りの子供たちからは、あまりよく思われていなかったみたい。私の態度が悪かったのもあるんだろうけど……いや、むしろ、それが一番の原因かな。
私は、村の大人たちとはなかはよかったのだけれど、同年代の友達は誰もいなかった。それもあって、より一層魔法の練習をして、もっと上手くなって、また大人たちと仲良くなる代わりに、子供たちには疎外される。私の態度もまただんだんと悪くなっていった。なんというか、ずっとツンケンしていた。それが、誰とも合わなかった。だから、友達なんかいなかった。
いくら仲が良いと言っても、いくらもてはやされたと言っても、結局のところ、大人と、子供では、友達にはなれないのだから。同年代の知り合いなんていないし、友達なんかいなかった。
今思うと。私は、あの頃の時間を無駄にしていたのかもしれない。私は、たくさん間違いをした。きっと、たくさん間違いをしたんだ。もう少し、温和な性格をしていたら、きっと、違う人生を歩んでいただろう。今更それを望むわけじゃないけれど、そうだったら、どうなっていなのか、見てはみたい。
もしかしたら、私は、普通のエルフだったらもつ、その感情を持っていただろうから。
今日、その感情を持たなかった時に、私は、知った。理解した。
なんで、捕まって、奴隷になった時、自殺したくてもしなかったか。燃え盛る村で死にゆく皆を思い出しても、死ねなかったか。要は、自殺したくなかったから。でも、なんでそう思わなかったか。それは、生きているから。でも、それでも、生きている、生きていく方の気持ちが強かった理由も。それもこれも。
私が私で、私のまま、そのままあり続けたからだ。
普通のエルフ。あの村の皆ならば、その話を聞いた時、きっと、曹駛に殺意を覚えていただろう。そうに違いない。けれど、私が、最初に曹駛に覚えたのは。言葉に出来ない、よく分からない感情だった。疑問のような、感動のような、モヤモヤしているのに、どこかすっきりしている、でも、決して負の感情ではない感情。なのに、言葉にはない。複雑で、難解。そんな感情だった。
結局のところ、私はどうしたことか、数年過ごしたあの村の皆よりも、ただ一週間同じ家で過ごした旅人の方が、私の中で上にいる存在になっていたから、自殺はしなかったし、殺意も覚えなかった。それだけの話なのだ。
私が、皆ともっと仲良くしていたのならば、きっと曹駛を殺していただろう。いつものようにではなく、寿命が尽きて、本当に死ぬまで、何度でも何度でも殺していただろう。
あの時、青年……曹駛が訪れた時には、私もそれなりに成長していた。歳が近いとまではいかなくとも、そこまで離れていないと思った。最初は、他の皆に接する時と同じで、ツンケンしていた。そして、急に私に家に泊まることになった曹駛にイライラしていた。
一緒に居たくなくて、わざわざ家の外に出て座っていたのに、それでも近づいてきた彼に、急に仲良くしようと近づいてくる彼に、魔法の本を読んでいる私に話しかけてくる彼に対しイライラがピークに達し、魔法を放ったのだ。その時は、死んじゃえとまで思った。ように、まだまだ心は子供だったのだ。そんなことしたら、普通どうなるかなんて考えるだろうけど、それすら考えず、本当に殺す気で放った。でも、いなされた。何事もないかのように、私の魔法を魔法で受け止めた。
その青年が来るまで実際には見た事はなかったけれど、話に聞くに普通の人間は魔法を使えないらしいのに、どう見てもその青年はただの人間なのに、村の大半の大人よりも凄い魔法を使える私の魔法をいなした。それも、魔法で。
それを簡単に信じられる訳が無い。
失敗したのかと思った。無意識の内に死なない程度に加減して、その度合いが間違ったのかなと思った。だから、今度は、全力で放った。いや、その前も全力だったのだろうけど。そして、またいなされた。軽く受け止められた。しかも周りに被害が出ないように、彼は相殺させることが出来るような魔法で、私の魔法の威力に合わせた威力で打ち消していた。
その後、何度も何度も、魔法を放ったけれど、どれひとつ彼に届くことはなく、全て打ち消されていた。私の魔法は全てが全力。だけれど、それが今ひとつ彼には届く気配が無い。そんなこと、自分の両親以外では、初めてだった。いずれ魔力が尽き、息切れを起こしていた私に対して、彼は全く呼吸を乱していないのを見て、私は自分の弱さを知った。井の中の蛙、大海を知らず。その意味を自らがそのカエルの立場に置かれることで、痛感したのだ。そして、彼を受け入れたのだ。人間でありながら自分より凄い魔法使い。そんな彼に興味を持ったから、彼の事が気になった。
その日の夕食を食べている時、私は言った。
「お父さんと―――が戦ったらどっちが勝つの?」
お父さんは、笑って誤魔化した。
それに対して、私は、気になった思いを爆発させた。村で音緒さんにかなう者はいない。だからこそお父さんに並べる可能性のある曹駛がどれほどのものか気になった。
「じゃあ、明日戦ってよ」
その私の言葉に対し、皆苦笑いしていたが、私が駄々をこね続けていたら、お父さんは、分かった分かったと言って、次の日、戦うことになった。
次の日、村一番である私のお父さんが戦うということで、其の戦いはみんなが見に来ていた。
お父さんは、愛用の杖に魔法強化の魔法が掛けてある小さな本を手にしていて、全力を出すときの装備だった。それに対し、曹駛はこの村に入って来た時持っていたランスもシールドも装備しておらず、ただ手に白い杖を持つだけだった。
「じゃあ、始めよう」
お父さんがそう言うと、すぐに始まった。
お父さんは次々に魔法を放つ。それを、曹駛は、私の時と同じように、またしても全て相殺していった。
その戦いは、随分派手な物であった。強力な魔法のぶつかり合い。暴風が弾け、水蒸気が吹き抜け、岩が飛び散った。派手ではあるが、すべて相殺し合っているので、危険では無かった。それもあって、皆盛り上がっていた。
そして、お父さんが、得意の風魔法を本気で放ったその後、勝負は決まった。曹駛は相殺したものの、接近しソードメイクを使っていたお父さんに、杖を突きつけられていたのだ。
結局、お父さんが強いということになっていたが、それは違った。多分、前日に二人が、夜遅くまで話していたし、その時にある程度段取りは決めていたのだろう。それも、今思えばだが。
確かに、子の前や村の皆の前で、村一番が負けるというのは、皆を不安がらせるかもしれないし、私の前で格好も付かないから、その可能性が高い。でも、その時の私は、お父さんはやっぱり強いと喜んでいた。
でも、それと同時に、魔法戦ならお父さんと並べるかもしれない曹駛にも興味を持っていったのだ。
それから、曹駛が村を去るまで、ずっとべったりだった気がする。魔法についてあれこれ聞いたり、どこから来たのか聞いたり、何のために旅をしていたのか聞いたり。大半は教えてくれなかったけれど、楽しかった。そして、それも束の間。彼は去って行った。
その後、少しだけ彼から教えてもらっていた、魔法の練習をした。次に会った時には色々見せて驚かそうと、他の魔法もいくつか練習していた。だけど、新しく魔法を習得することなく、再開した。
村の外れで魔法の練習をしている時だ。曹駛が、村の方に歩いて来た。曹駛は私を見るや否や、表情を変えてこういった。
「今すぐ、村から逃げろ。一人でも多く逃げれるよう、出来るだけ多くの人にも逃げろと伝えろ。早く」
私は、その言葉の意味が分からず、首を傾げていた。なぜ逃げる必要があるのか聞こうともしたが、そのただならぬ雰囲気から、何も聞けず村に戻った。そして、まずはそのことをお父さんとお母さんに伝えた。すると、お父さんは、戦いの準備を始め、お母さんは村の皆に逃げるということを伝えて回った。
そうこうしているうちに、曹駛が村に来た。
村の人たちの曹駛の受け入れ姿勢は、完全なる敵対だった。
「え? みんな、なにしているの?」
私は何も分からず、お母さんにそう尋ねた。
「お母さんは、ただ逃げろと言った」
なんで、と何度尋ねても、逃げろとしか言わない。
そんなお母さんが怖かった。ピリピリとした雰囲気を放つ皆が怖かった。普段よりも数段真面目な顔で完全な戦闘モードに入っているお父さんが怖かった。
でも、なにより、鎧を着て、大きなランスとシールドを持った曹駛が、なぜか一番怖かった。
戦いは、急に始まった。何人かが焼かれたのだ。曹駛の魔法で。
曹駛は、それほどに大きくない火球を飛ばしてきた。みんなはそれを見て守りを固めていたが、お父さんとお母さんだけは顔色を変えて、全力の炎魔法を放って相殺しようとしていた。だけど、それは悪手だった。お父さんとお母さんの全力の炎魔法は全て曹駛が放った火球に吸い込まれるように消えてしまったのだ。さらに、それを放ったのが私のお父さんとお母さんだったのが悪かった。村の皆はそれで安心しきって、守りから攻めに転じようとしていた。そこを、曹駛の火球が襲ったのだ、地面に着弾した火球は、前方の辺り一面を焼き払った。そこにいた人たちの大半が死んだ。
次の瞬間、そんな悪夢のような火球が大量に飛んできた。
その瞬間、こちらは崩壊した。そう、みんな散り散りに逃げ出したのだ。一人、また一人……そんな風に数えられないほどの速度で皆が焼け死んでいく。私は、怖かった。怖かった。そして、私もまた、逃げ出した。
本当は聞きたかった。なんで曹駛がそんなことをするのか。あの日々は、一週間だけだけど楽しかったあの一週間は全部演技だったのか。色々と聞きたかったけど、ただその時は曹駛が怖くて逃げだした。
走って走って逃げた。逃げて逃げて逃げた。
また村に戻れるか、その時曹駛とお父さんが和解していて、二人に話を聞けるのか。そんなことを思っていた。
お父さんは一回勝っているし、それに、今回はお母さんもいる。負けるはずがない。それに、お父さんとお母さんはやさしいから殺しはしないはず。だから、きっとまたみんなに会える。みんなも死んだように見えるけど、きっと倒れただけだ。本当に死んだわけじゃない。
もはや、逃避のような考え。それでも、そう考えずにはいられなかった。だから、ずっとそう思っていたのだ。
次に会ったら、絶対にあの青年の事叱ってやる。なんてことも思っていた。けれど……日が沈み、また昇った頃に、村に戻ると、もう村はなかった。そこにある村の痕跡は黒い炭だけ。木々が覆いしげる普通の森と化していた。確かにあちこちに炭はあるが、それだけだった。人の亡骸も建物の痕跡もなく、ただそこには木々が生えていた。森だった。
全て夢だったのだろうか。
だとして、どこからが夢でどこまでが夢だったのだろうか。
私は、そう考えている時に、撃たれた。銃声と、強烈な眠気がそれを教えてくれた。
そうして、私は奴隷になったのだ。
奴隷になった私は、色々とあったが、最終的に曹駛に買われ、今に至る。
「レフィさん、留守を頼みます。あのバカお兄様を探してきます」
メアリーがそう言って、曹駛を連れ帰しに外へ出て行った。
私は、夢を見ていたのだ。
何度か夢を見ていた。
あの日の火の海だけじゃない。当時は名前も知らなかった曹駛と一緒に居た日の事を夢に見ていたのだ。そうして、今日、その時の彼が、曹駛であることが分かった。それだけ。ただ、一つ、気がかりなのは、あの日、あの出来事。それで、何人が生き残ったのか。流石に私一人ということはないと思うけど、曹駛はどれくらいの人を殺したのか。
曹駛がしたことは許されることじゃないし、お父さん、お母さん、皆を殺した事を許すつもりもないけど。別に殺意は湧いてこない。
私は少し怖かった。
曹駛が死んでしまうのが。みんなが死んでしまうのが。
また誰か死んでしまって会えなくなるというのが怖かった。
でも、曹駛は死んでも死ななかった。死んでも死なない人だった。いくら殺しても死なない人だった。だから、一緒に居ても、きっと寂しくなる日は来ないだろうと思っていた。
でもまさか、曹駛が、本当にあの時のあの青年だったなんて。
雰囲気は似ていると思ったけど、曹駛自身何も話してくれないし、それはないと思っていた。けれど、本当にあの時の青年だったなんて。でも、私は、曹駛とどう接すればいいのだろうか。
曹駛は、想いでの人だけど、仇でもある。でも殺意までは沸いてこない。それは、きっと、あの戦いが曹駛の望むものでないと知っているからでもあるんだろう。曹駛は、逃げろと言っていた。村の人を一人で多く逃がせとも言った。だから、あれは曹駛が望んでやったことじゃないことくらい分かる。けど、それでも、曹駛がやったこと自体は、許していいものではない。なんせ、私のお父さんとお母さんを殺して、村を壊滅させたから。
私は、どう接すれば。
いつも通り、いつも通り接すればいいだろうか。
いつも通りという物は、考え始めると、何がいつも通りなのか分からなくなる。私はいつも曹駛にどう接していただろうか。
考えれば考えるほどわからなくなって、深く考えてしまった。
そうこうしているうちに、日は暮れはじめていた。
そして、私はなぜか曹駛の部屋にいた。
曹駛の部屋に居れば、普段どうしているか思い出せると思ったのだ。けれど、それでも曹駛に対して普段どう接しているかは分からなかった。いつもどうしているかをこの部屋で想像してみたりもしたり、演技してみたりもしてみたけど、どうもわざとらしい。
さらにちょっとして、頭を抱え悩んでいたら……
「あ、えっと、よ、よう、レフィ」
いつの間にか帰って来ていたらしい曹駛にそう声を掛けられた。
「あ、曹駛、帰ってきていたんだ」
「は? え、あれ?」
よく分からない返答を返した曹駛のその背中には知らない女の子。うーん、奴隷だろうか。
「いや、は? ってなによ。は? って、それはあんまりな返事じゃない?」
いつも通りするなんて悩んでいたけど、とっさに出てきたその対応は、多分いつも通りの物だと思った。
なんだ、考える必要なんてなかったんだ。いつも通りは、いつも通りだからいつも通りなんだ。悩むことじゃなかった。
「それよりも、曹駛、あんたいい加減捕まるわよ、背中の子、どうしたの? 拉致でもしてきたの?」
「え、いや、別にそう言うわけではないが……」
いつも通り。いつも通りの会話だ。私も奴隷じゃなくなるらしいし、これからもまたこんな関係であり続けられるだろう。
「えっと、こいつはミン=モンケル、新しい俺の奴隷だ」
「あ、あの、よろしくお願いします」
曹駛の背中からその子は降りて、お辞儀をした。
礼儀正しい子だ。まぁ、私が普通の人になったら、奴隷もいなくなるだろうし。これくらいはいいのかもしれない。
「私はレフィ=パーバド、じゃあ、よろしくね」
「は、はい」
「それにしても、どうしてまた奴隷を増やそうと思ったの? あ、もしかしてテンチェリィが奴隷じゃなくなったから、その代りって事? あー、もう、ミンも災難だったわね」
「え、いえ、そんなことは……」
「おい、俺が悪い奴みたいに扱うなよ」
「えっと、曹駛、帰るの遅かったから出前を取ったわよ、ついさっき届いたばかりだし、ミンちゃんの事は後にして、ご飯にしましょ、曹駛が帰って来たって事はメアリーも一緒に帰って来ているんでしょ」
「あ、ああ」
出前なんて、別にとってないけど、注文すればすぐ来るだろう。今日は、いっぱい食べよう。ミンちゃんもいるし、楽しくご飯を食べよう。そうしたら、きっと、今日の出来事なんて忘れて、また同じように過ごせるだろう。
「じゃあ、先に下に降りているわよ」
私はそう言って、部屋を出た。
願うのは今まで通り。そうそのままでいたい。もうちょっと平穏になればそれが一番いい。もう戦いたくはないけれど、それでも、この生活が続くのならそれも悪くない。
私は、階段を下りながら、そんなことを考えていた。




