140話・彼女との出会いは突然に。
―武元曹駛―
「お前、誰だよ……」
先ほどまで、いつもと変わらずもぐもぐとマカロンを食べていたテンチェリィが、急にその食の手を止めたかと思えば、まるで物語を語るかのように、話し始めた。その物語の主人公である女の子というのは、間違いなくテンチェリィだろう。だが、
「お前は、誰だ?」
「さあね、お兄ちゃんの方が知っているんじゃないの? 私の事は、ねぇ、お兄ちゃん」
「なにもんだって言っているんだ」
うわさに聞いていた、もう一人のテンチェリィなのか? こいつが……
でも、そうだとして、なぜ、このタイミングで現れた。どうして。
「テンチェリィに決まっている。私はテンチェリィ=カワドリャ……違う? 間違っている?」
「……間違っているとは言えないが……でも、お前は、少なくとも俺の知っているテンチェリィでは無いな、お前は誰だ?」
「ひどいなぁ……二回も助けてあげたのにぃ……」
確かに、二回救われている。一回目は、麻理の屋敷で麻理とレフィを助けてもらった。そして、二回目は、俺自身と、あの場にいた俺の仲間たち全員を救ってもらった。それに関しては感謝してもしきれなが。
「それとこれは別だ。それは俺の知っているテンチェリィの体だ」
「本当に……ひどいなぁ……残念ながらだよ。これは、もともと私の体。むしろあの子が私の体を使っているだけだよ」
「そんなわけ……」
「無いって言えるの? 絶対にないって言う保証があるの? それにしてもひどいよ、本当にひどいなぁ……私は家族だと思っていたのに。やっぱり、私は奴隷だったりするの?」
「テンチェリィは奴隷じゃ……」
「それは、お兄ちゃんの思うテンチェリィでしょ、じゃあ、私は奴隷以下だったりする」
「………」
目の前にいる少女はテンチェリィだ。ただ、それが信じられない。俺は、ずっとこいつを見ていたが、すり替わる瞬間なんてなかった。つまり、少なくともその肉体はテンチェリィの物なのだ。だけど、中身は……違う。全く、違う。いつものテンチェリィがどの程度素の状態で、どの程度仮面をかぶっていたのかは分からない。けれど、それだとしても、こいつは、何時ものテンチェリィと違い過ぎる。喋り方に、性格、顔つきまでもが違う。普段の何かに怯えたような顔つきは何処へやら、今のテンチェリィは、どこか人を馬鹿にしたような表情で、クスクスと笑っている。
「あれぇ、だんまり?」
「………」
「ねぇ、だ ん ま り ? ……私の事、嫌いになっちゃった?」
直後、左肩に激痛が走る。見て見れば、いつの間にか、フルーツナイフが刺さっていた。い、一体いつの間に、後ろに移動したんだ?
こいつは、俺に気付かれることなく、正面から俺の肩を刺し、その上で背後に回った。つ、強い。下手をしなくとも、寿命の使用制限がある今の俺よりも強いだろう。万全の俺でも、勝ちを確信することは出来ない。こいつは、本当に何者なんだ?
「痛かった? でもね、私の心はもっと痛かったんだよ、お兄ちゃんが冷たくするんだもん。せっかく久しぶりに話したのに」
「ひさし……ぶり……?」
久しぶりだと? つまり、それは、過去にこういう風に話した事があると言うのか? こいつは。でも、そんなはずは……
手に持つ食べかけのマカロンを口に放り込み、クスクスと笑い続けているその少女に見覚えはない。
「うーんとね、でもね、まぁ、忘れてても仕方ない事なんだけど、半分は私の所為だろうし、半分は運が悪かったと言った感じだけど」
「お前は、なぜこのタイミングで出てきた?」
「出てきた? ああ、表に出て来たっていうこと? 確かに、普段はお兄ちゃんの知っている方のテンチェリィが表に出ているけど……私だって、ちゃんと外で何が起きているか見えているんだからね」
怒ったようなそぶりをしながら、少女はそう言った。
「そんなことよりも、あまりにもひどい言い方じゃありませんかぁ? まるで、私が表に出てきて、この体を動かしていたらいけないみたいな言い方をして、それに、お前ってなに? お前って呼び方は酷いと思います。女の子に優しくないとモテませんよ」
「大丈夫だ、それなりにはモテているつもりだ。主に姫様に。……で、お前って言うのがいやなら、なんて呼べばいい?」
俺は、肩に刺さっていたフルーツナイフを引っこ抜きつつ、そう尋ねる。できれば、戦いたくないからな。テンチェリィの体に攻撃はしたくないし、それが無くともまず勝つ可能性よりも負ける可能性の方が高い。会話だけでこの場を収めるのがベストだ。
「うーん、カワドリャ?」
「いや、それテンチェリィだろ」
「まぁ、必死に考えた名前だし、せっかくなら呼ばれたいなぁって思うんだけど、その顔見る限りじゃ嫌そうだね」
「……まぁ、な……」
「よし、正直。……仕方ないか、思った以上に、あの子に愛着湧いちゃったみたいだし……まぁ、あめって呼んでよ。天空の『天』の字で『天』、それが私の名前、本当のね」
「……あめ?」
「うん、そうそう」
天……か、記憶には……有るような無いような、そんな名前だが。
「で、どうだった、私の昔話は」
「なんでそんな嬉々として訊けるんだよ、そんな内容じゃなかっただろ」
「そう? そうかな? えへへ……」
「いや、褒めてない褒めてない」
「いやいや、そうじゃなくって、その、まぁ、久しぶりにお兄ちゃんと話せて、ちょっと楽しかったから。やっぱ見ているだけって言うのと、実際に話すのは全然違うね、嬉しいよ」
「それは光栄なこって……って、そうじゃなくて、えっと何の話してたんだっけ?」
「いや、だから、感想……感想を聞いていたんだよ」
そういや、そうだったな。でも、感想と言っても、なんというか、そう言うような話じゃなかっただろ、あれ。結構、大変だったんだな。とでも声を掛ければいいのだろうか。というか、さっきの話は、天の話だったのかテンチェリィの話だったのかも分からないし。本当にコメントに困る話なのだが、それにコメントを求めてくるってのも、変わったやつだな。
「えっと、まぁ、その、大変だったんだな」
「だよね、私もそう思う。あの子は良く頑張ったと思うよ、それに、最後には捕まっちゃったけど、おかげでお兄ちゃんと会えたんだし、結果的には感謝してるよ」
「って、テンチェリィの話だったのか」
「あれ? お兄ちゃんはテンチェリィの過去についてを聞きたかったんじゃないの?」
「いや、まぁ、そうなんだけどさ……」
でも、それは、そもそも、お前の事を調べるためであって、テンチェリィの過去そのものに興味があったわけじゃ……とまでは言わないが、メインの目的はそっちじゃないからな。
「うーん、ノリが悪いなぁ、お兄ちゃん」
「ノリが悪いも何も、そんな話していたっけ?」
「してないけど、久しぶりに話すんだし、もうちょっとくらいもりあがってくれてもいいんじゃないの?」
「久しぶりって、今何歳だよ、お前……」
その体で久しぶりって言っても、大して前でもないだろ。長くてもせいぜい3、4年くらいのはず。そんな中にこいつの記憶はないぞ。
「えっと、今で、何歳だっけな? えっと、37歳かな?」
「嘘付けっ! どう見ても、そうは見えないぞ、おい」
「まぁ、そうだろうね、当たり前だよ、でも、それを言ったら、お兄ちゃんだって47歳には見えないし、麻理お姉ちゃんだって、41歳には見えないけどね」
「ん? ああ? どういうことだ?」
「そのままの意味だよ、お兄ちゃん」
その呼称に、初めて違和感を感じた。それに、麻理の事も、お姉ちゃんと呼称した。なんだ、この表現のしようがないこの不安感は。
「お前も、この半不死能力を持っているとでもいうのか?」
「ううん、持ってない持ってない。もう持っていないよ、その力は」
「………」
声も出ず、思わず、唾を飲みむ。
もう持っていない。ということは、持っていた時もあるということだ。
「私は、お兄ちゃんの友達の満曳さんと恩さんに近い感じで、不老だけ、老化しないし、老死しないだけ。普通に傷つけて殺そうとすれば死ぬよ」
「それで、37歳って事か。でも、その力は……」
その力は、あの洞窟に行くか、俺に術よってもたらされなければ、基本的には不可能なんじゃ……もしかしたら、俺が無意識の内の死にかけの天にその術を掛けていたとか? いや、それはないはずだ、あの術を使ったのは、木尾、満曳、恩の三人だけなはず……
「うん? あれ? 本当に気付いてないの?」
「なにがだ?」
「ああ、気付いてないんだ。察しはあまりよくないのかなぁ?」
「だから、なにが」
「私が誰なのか……まぁ、いいけどね」
今のところ、天の正体に心当たりはない。ない・・…けどなんだろう胸騒ぎというか、なんだ、本当になんなんだこの感情は。
「私はね……」
「お前は……?」
「私は……」
天は少し間をおいて、言葉を続けた。
「私は武元 天。ここまで言えば、いい加減わかるよね。それともわかった上でとぼける? 親戚なんていう言い訳も許さないからね、お兄ちゃん」
天は、そう言った。
俺は、その名前の意味を理解することを、数秒間放棄した……




