139話・てんちぇりぃむかしばなし。
むかしむかし……いや、少し前くらいの話です。
女の子は、その町にいました。何時からそこで過ごしているかなんて分かりませんでした。ただ、気付いたらそこにいました。それは誰しもそうでしょう。自らの記憶をたどっていっても、自分がいつからその場所にいるのかなんて、誰にもわからないことでしょうし、その女の子もまた、そういったごくごく普通な女の子でした。
ただ、その女の子には家族といったものが存在しませんでした。家族という言葉的な意味を知っていても、それそのものは知らない。これは、そんな女の子の物語です。
その女の子が自分について知らなかったのは、教えてくれる人がいなかったからです。つまり、家族どころか、その女の子の周りには誰もいなかったのです。恐らく小さい頃に親に見放されたのでしょう。
その女の子は、生きるのに必死です。
食べ物が無ければ、ゴミを漁る。それでも見つからないときには盗むこともありました。喉が乾いたら、公共のトイレの洗面台で水を飲みます。衣服は最初から着ていたTシャツを着続け、それがダメになったら、またゴミ捨て場から薄汚れたTシャツを拾ってきて、それを着るのでした。
何をしているのか、そんなことはその女の子には分からなかった。生きなければいけない、そういう生物的本能で生きているだけのような、そんな女の子でした。
目的もなく、生きる。
趣味もなく、生きる。
生きるためだけに、ただ生きる。
当然、その女の子には夢なんてある訳がなかった。自分には、自分以外の生活が理解できなかった。そんな女の子は、ただただ、生きていた。
ただ生きると言っても、自分の他の生活が分からなかったと言っても。それも、そんな生活を続ければ、少しは、その頭にも、生きるということ以外の事も浮かんでくるのです。今日は、甘い物を食べたいな、だったり、表の町で手を繋いで歩いている男の子と女性は親子なのかな、だったりと。それは、小さいようで、大きな変化だったのです。……いい意味のように感じられる、そんな悪い変化でした。
その女の子は、生きるためだけの生活をするうちに、色々な技術を身に着けていました。
盗みをするには、物ではなく、まず人の目を盗むところからです。そうしているうちに、気配を消す技術と、人をよく観察して分析する技術が身についていました。
それでも、時にはお店の人に見つかってしまうときもありました。そういうときには、全力で逃げます。捕まらないように、見つからないように。そうするうちに、すばしっこさと相手の手からすり抜けるように懐から離れると言う技術を身につけました。
時には高い所から飛び降りたりもしました。そうするうちに、着地の技術が身についていました。
乞食をするために、愛想を振りまくる技術が身についていました。自分の意志とは別に、ニコニコと笑う。生きるために。その笑顔は間違いなく本物でした。……一体なんの笑顔なのかは分かりませんが。
乞食をしていると、稀にその女の子ような幼い子相手でも催すような人もいました。そういう人たちは、その女の子に対してそういった事を迫ることも多々ありました。そういうのを最初は力づくで何とかしていました。力の差はあるのですが、人体の弱点を突いたり、技で何とかしたりしていました。そうするうちに、戦闘技術が身につきました。そして、あるとき、会話だけでそういったことを回避することに成功した女の子は、そう言うことも出来るものなのだと、出来るだけ直接戦うのは避けるようになりました。そうするうちに、会話によって人の気持ちをある程度あやつる技術を身につけたのです。
そんな彼女が、ある日、いつものように、ゴミ捨て場でゴミ漁りをしていると、あるものを見つけて拾いました。それは、壊れかけの折り畳みナイフでした。刃はまだちゃんとしているのですが、折り畳みナイフなのに、折りたためなくなっていました。きっと、前の持ち主は、開閉が出来なくなったから捨てたのでしょう。でも、そんなナイフでも、その女の子は喜びました。身を守るものが増えたと。
そんな女の子が最初に命を奪った動物は、犬でした。
ある日、店の人がいない隙を狙って、忍び込み、果物をいくつか盗みました。しかし、その帰り、犬に吠えられたのです。その犬は、所謂番犬でした。
近頃盗みを働く子供がいると、そこでは噂になっていたのです。
少しくらいは、常にあったのです。盗みというのは。なぜなら、そこは裏の町。表とは違い、金持ちばかりではないのです。なので、たまに盗まれるということはあったのです。では、なぜ噂になったかというと、それは、その女の子が原因でした。
その女の子は、少し調子に乗ったというのか……そう、分かりやすく言うならば、欲が生まれたのです。ここで、先ほどの話に戻ります。少女の変化は、いいことのように思えました。しかし、背景を何も知らない状態からすればの話です。ここまではなしたあととなると、分かるでしょう。
その変化が必ずしもいいものではないと、彼女にとっては、むしろ悪い物なのだと。
彼女の欲は、彼女自身を、生きるために生きる人から、生きるために盗む盗人に変えていたのです。必要のあるものを必要のある分だけ盗むということから、必要なだけ盗むと言う形に変化したのです。
そうして何度も何度も盗んでいれば、噂にもなるでしょうし、対策もされるでしょう。そうして、たまたま忍び込んだその店がした対策という物が、その番犬でした。
その番犬は大きな声で何度も叫びます。それは、まるで「店主、泥棒だ。店主、泥棒だ」と言っているようでした。店の人は、裏にはいるのでしょうし、早く逃げないと、それに、匂いを追われても困る。そう思ったその女の子のとった行動が。
殺害でした。
その行動は実に的確でした。確かに、そこでその犬を仕留めておかなければ、彼女は間違いなく捕まったでしょうし、その後何をされていたのかも分かりません。それこそ、人権を真っ向から否定するような行為をされていたのかもしれませんし、即殺されていたかもしれませんし、あるいは、衛兵に突き出されたか。それは、分かりませんが、それでも、そこでその犬を殺したのは間違いないでしょう。
その女の子がナイフを突き刺すと、その犬は抵抗することなく絶命しました。犬は女の子の一撃を躱せなかったのです。その女の子は知らず知らずのうちに身体能力もかなり良くなっていたのでした。ですから、犬がナイフの存在に気付いた時には、既に自分の喉は貫かれてしまっていたのでした。
ナイフを突き立てた少女は、急いでナイフを犬の喉から引っ張り抜き、そこから走り去りました。
全力で逃げた彼女に追いつけるものは誰もいなかった。いや、まず犬が死んでいることに戸惑い、彼女を追うことが出来なかっただけなのかもしれない。
逃げ切った先で、その女の子は気づいた。ナイフの刃がない事に。
引き抜いたと思っていたが、どうやら折りたためない折り畳みナイフは、折りたためなくなっているだけに、刃と持ち手の接続部が壊れていたのですから、無理やり引き抜いたら壊れるのも当然でした。ナイフは無くなったが、命は助かったし、盗みも成功した。それで十分だと思言ったはずです。自我を持ち始めた当時のその子ならば。
ですが、その女の子は、またナイフが欲しいと思ったのです。ですが、都合よくゴミ捨て場にまたナイフが落ちているということはありませんでした。
だから、
盗みました。
そう、女の子にとって、もう盗みとは大した作業でもなくなっていたのです。こうなれば、もはや彼女はただの盗人です。生きるためのという肩書も、必要なと言う三文字も失い。ただの盗人となり下がったのです。
そんなことをしていれば、いずれ捕まるのも当然の事。いくら色々な技術を身に付けたからと言って、大人が束になって掛かれば、いくらなんでも捕まってしまうのでした。
その女の子は、あまりにも、色々とやりすぎてしまいました。
人こそ殺しませんでしたが、番犬の類の生物の命を沢山奪ったり、追及の手から逃れるために、人の肩を突き刺したり、足の腱を切り裂いたりと沢山の人を傷つけました。
そうして、最後に捕まったのです。
少女は大人たちに囲われたとき、無抵抗で捕まりました。それらの大人たちは、奴隷商に通じている者達でした。ですので、無抵抗だった女の子は暴力を振るわれると言ったことはされませんでした。彼らがどういった人物であるというその情報をその女の子が知っていたかどうかは分かりませんが、無傷でその場を切り抜けたのです。
そうして、その女の子は売られ、ずっとお店に居ました。
そのお店で、少女は、自分の部屋を与えられました。奴隷とは思えない扱いでした。むしろ、ご飯と寝床が付いている分、今までの生活よりも何倍もいい物でした。
しかし、買われてしまえば、その生活とは離れなければいけない。それに、奴隷として買われた日には何をされるか分かったものではない。だから、少女は、自分の部屋に、その店のお客さんが入るたびに、身を潜め、やり過ごしていました。ですが、ある日、あるお男の人に見つかったのです。
その男の人は、自分のイメージしていたお客さんという存在より、優しい人でした。ですが、それも、きっとその場だけであるだろうと思ってもいました。
その女の子は去り際に、お前を買うだけの金はあると言われて、恐怖しましたが、結局買われることはありませんでした。正直に、女の子は、助かったと思いました。
それと、いつの間にか、その建物から豪華な部屋が消えていました。中に住まうエルフごと。
女の子はそこで察したのです。ああ、あの買われるはずのないエルフが買われたから、自分は助かったのだと。買われたエルフを憐れむ一方、感謝もしていた。ありがとう、おかげで自分は買われずに済んだと。
だけれども、数日後、またその男は来た。そして、その日、少女はついに買われたのだ。
「そうでしょ、ねぇ、お に い ち ゃ ん……ふふふ……」
曹駛の部屋で、少女は笑っていた。




