136話・テンチェリィと暮らす冬休み。そのに。
―武元曹駛―
目の前の少女が、もしゃもしゃとマドレーヌを食べている。良く食べられるな。
「美味しいか?」
「はい……たべます?」
「いや、遠慮しときます」
焼肉屋で昼食をとって、帰ろうとしたところ、テンチェリィがお菓子屋をじっと見ていたので、色々と買って帰って来た。それは、まぁ、いいのだが……いや、良くない。あれだけ食べたあとなのに、まだ食べれるとは、甘いものは別腹っていうやつか。
それ以上に……
なんでドラゴン食ったあとなのに、そんなに美味しそうにもしゃもしゃとお菓子食べられるの!?
それがとてもじゃないが信じられない。もしかしたら、この子味覚がちょっとあれなのじゃないだろうかとも考えてしまったけど、ドラゴンばっかり食べていたし、そんなことはないのか? 味覚があれでも違いが分かるくらい美味いだけなのかもしれないが。美味いというか依存性が凄いというか……合法麻薬だろ……あれ……
ちなみに、俺はテンチェリィが注文したドラゴン肉の薄切りを一枚……いや、一口に留めた……少しだけ、食わせてもらったんだが、ヤバいと思った俺は、そこでドラゴンに手を付けるのはやめた。あれは、ヤバい。過去を思い出した。あの時は……うん、マジで餓死しそうになったんだよな。あれ以来、木尾も食っていないらしいが、やっぱ俺達はあの日、一生分のドラゴン肉を食ったんだろう。もう食わないぞ、俺も。
「テンチェリィ、ほんとによく食えるな」
「何がです? マドレーヌおいしいです」
「あ、うん、ならいいんだけど」
むしゃむしゃ……
もしゃもしゃ……
もぐもぐ……
もきゅもきゅ……
あれ? なんか美味そうに見えてきた。
テンチェリィがもしゃもしゃと食べ進めるマドレーヌを一つ手にとった。
「ああ、やっぱ一つ貰っていいか?」
「はいどうぞです」
包装の袋を開け、マドレーヌを取り出す。その瞬間、甘い匂いが広がる。これだって結構な値段がするものである。味もかなりいいはずだ、そうでなければあの高級店が並ぶところに店なんか構えられないだろう。
そんなお菓子を包装から摘みだして、じっと眺める。
これ、本当に食えるのか。
確かに、テンチェリィを見ていたらなんかおいしそうに思えて来たし、食えるだろうとも思った。けれど、ここに来て怖気づいたのだ。本当に口にしても大丈夫なのか。口に入れたそれを咀嚼し飲み込むことが出来るのかと……一口、その一口目に恐怖を感じる。巨大なドラゴンを初めて相手にした時。その時のような恐怖をこんなちっぽけなお菓子相手に感じる日が来るとは……人生何があるか分かったものではないな。
「たべないですか? おいしいですよ」
「あ、ああ、食べるさ」
ここに来て、テンチェリィが俺の背中を押す。俺は今ドラゴンの目の前に立たされているというのに……
俺は、意を決して、マドレーヌを齧った。
「むっ……」
「どうかしたです?」
「な、なんふぇもはふぁい……」
テンチェリィの言葉に対し、口にマドレーヌが入ったまま慌てて答えた。
やべぇ、くそ不味い。いや、きっと本当は凄い美味しいんだろうけど、くっそ不味い。なんだろう。くっそ不味い。戦闘中に口に入る土とか小石の方がまだおいしく感じるくらい不味い。これだったら、死体の臓物をむさぼっていた方がマシなレベル。つか、呑み込めない。呑み込むのが苦行レベルで辛い。
お店の名誉のために言うが、本来はきっと物凄い美味しいはずなんだ。これは全部ドラゴンの所為。ドラゴンはその身を少し齧られた程度で、俺に他の物を食えないと言う呪いを残していったのだ。
何とかして、口に入っている物を飲み込んだ。だが、その一口は、あまりにも少なかった。貝殻の形をしたマドレーヌは、ほんの少し、ごく僅かに欠けているだけであった。
少し欠けたマドレーヌ……これをどうするか。本当にどうするか。正直言って食いきれる自信はない。けれども、貰っておいて食えなかったというのも、良くないだろうし……腹をくくって食うしかないのだろうか……
「たべないのですか?」
「あ、いや、た、食べる食べる」
またしてもテンチェリィに背中を押された。目の前のドラゴンは既に口を開けていて、俺はその中にいると言うのに。それを押したら、ドラゴンの胃の中に入ってしまうじゃないか。
もう半分は諦めの気持ちだった。でも、心の中のもう半分は希望。まだ分からない。さっきの一口は何かの間違いだったのかもしれない。これは、かなり美味しいと評判のマドレーヌ。俺はさっきまで悪いイメージを強く持ち過ぎていたから、不味く感じてしまっただけかもしれない。ほんのひとかけらしか食っていないから、本当の味よりイメージの味が強く出ただけだ。そう、それだけなはず。テンチェリィだってぱくぱくと食べている。なら、俺だって……
手に持っているマドレーヌを口の中に放り込んだ。
「ふぇんふぇりぃ……」
「はい、なんです?」
「ふぉいれひってくる」
「あ、はいです」
俺は、トイレに向かって行って……そして、吐いた。
部屋に戻ると、テンチェリィはお菓子を食べ終えたようでぐーすかと寝ていた。おい、話しは。
まぁ……いいか、別に。起きてから聞こう。だって、
こんな幸せそうな寝顔で寝ているんだ。起こせるもんか。
なんてな、まぁ、テンチェリィはまだ幼いんだし、これくらい気まぐれな行動をとってもいいだろう、別に。それに、時間はいっぱいあるし、それこそ、話を聞くのは今日でなくてもいいしな。
まぁ、エアコンつけてるとはいえ、こんなところで寝ていたら風邪ひくだろうし、ベッドに移しておいてやろう。幸い、すぐそこにあるしな。
起こさないように、そっと抱き上げる。軽いな、やっぱり。テンチェリィの事は何度かこうやって抱き上げてやったことはあるが、やっぱり軽い。さっき食べた物の質量がどこへ消えたのか分からないくらいに軽い。
「んしょ……」
そっと降ろしてやって、布団を掛ける。これでよし。
それにしても、テンチェリィの寝顔見てるとなんか、俺までつられて眠くなってくるな。うーん、俺も寝ようかな。じゃあ……失礼して、俺も布団の中に潜り込ませてもらうとしよう。
ベッドの上に横になり、布団を掛けると、あっという間に睡魔がやって来た。おお、眠い眠い。まぁ、魔法使ったしな。
「じゃあ、おやすみ」
既に寝ているテンチェリィに対してそう言って、俺も眠りについた。




