06
そして閉店後。海老茶式部から、セーラー服に着替えて、マスターが作った餡蜜を食べる。うん、美味しい。
さっきまで餡蜜を食べていた可哀想な少年こと英輔さんは、マスターとカウンターの方で何かを話している。
ああ、あの怠惰なマスターが作ってくれた餡蜜なんて、とても貴重だ。あ、写真とっておけばよかった。ちょっと食べちゃったけど、今からでも間に合うかな。
慌てて鞄からケータイを取り出し、餡蜜の写真をとっていると、ちゃりん、っと音がした。聞き慣れたそれは、入り口のドアが開いた音。
「いらっしゃいませ」
条件反射でそう言って、ドアの方を振り返る。振り返ってから、あれ、クローズの看板出したよな、と訝しく思う。
入り口に立っていたのは、黒ずくめの男だった。身長が高い。二メートルぐらいあるんじゃないだろうか。枯れ木のようにほっそりしているのに妙な威圧感がある。
いらっしゃいませ、を言ったまま、中腰になっていた私は、そのまま立ち上がるのも座ることも出来ず、スプーン片手に彼をじっと見てしまう。
「すみません、もう閉店なんですよー」
言ったのは英輔さんだった。その言葉に、はっと我にかえる。<kbr<じっと見たのは失礼だったかもしれない。ぱっと視線をカウンターの方に向ける。
予想外に英輔さんは真剣な顔をしていた。いつもへらへら笑っているのに。
「お前は?」
男の声は低い。少しざらついている。
「ただのしがないバイトです」
「……店長は」
「ゴミ捨て」
「呼べ」
英輔さんはちょっと躊躇ってから、カウンターからキッチンへ身を乗り出す。いつの間にか、マスターはゴミ捨てのため席を外していたらしい。ゴミ捨て場は、キッチンの奥からでてすぐだ。
「さーわーむーらーさーん。なんかきたー」
おおよそ、客商売で、お客様の前でするとは思えない呼び出しの言葉。普段ならば、先輩バイトとしてたしなめるところなのだが、今日はそんな気分になれない。
営業時間外だし、そもそもこの男、本当にお客様なの?
「はぁ?」
マスターの怪訝な声がして、次いで足音。
「何?」
嫌そうな声で出て来たマスターは、男の姿を見ると顔を歪めた。
「なにしに来た」
「決まっているだろう」
マスターが舌打ち。いつもだらだらしているマスターに相応しくない、真剣な顔。あと少し、怒っている?
なんだか嫌な空気に、心臓がどきどきする。子どものころ、両親の喧嘩を見てしまった時みたいな気分。
胸元のペンダントに手を伸ばすと、唇だけで呟く。ピラマ、パペポ、マタカフシャー。
「来るのはやい」
「営業は終わっただろう」
「だから良いってもんじゃねえだろ」
いらいらとそう言うと、呆然と見ていた私に気づき、困ったように笑う。
「ごめんね、理恵ちゃん」
なんで謝られたのかわからずに、それでも慌てて首を横に振る。
マスターはまた、怖いぐらいの顔で男を見ると、
「表で話す。一旦外に出ろ」
そう告げる。男は意外にも素直にそれに従った。ちゃりん、と鈴が鳴る。
「英輔。悪い、あと片付けといて」
「わかった」
「理恵ちゃんもごめんね」
「あ、いえ」
よくわからないけれどもそう言う。私の方を見たマスターは、いつものマスターだったから。
「英輔、理恵ちゃん送ってあげて」
「へ?」
「はいはい」
マスターの思いがけない言葉に、素っ頓狂な声をあげる私とは対照的に、英輔さんは当たり前のように頷く。
「え、え、私、平気ですよ?」
そんなに遅い時間でもないし。いつものことだし。
「いいから」
「だけど」
「心配だから」
マスターが真面目な顔でそう言うから、それ以上何も言えずに黙る。だって、心配されるのは、気にしてもらえるのは、嬉しいから。
私が黙ったのを見てマスターは、少し満足そうに頷くと、
「餡蜜はゆっくり食べていいから。じゃあね、お疲れさま」
片手を上げて、男と同じようにドアの外に消えた。
「お疲れさまですっ」
ちゃりん、と閉まったドアに慌てて声をかける。一体なんだというのか。
英輔さんの方を見ると、人でも殺しそうな鋭いまなざしでドアを睨んでいた。
「……英輔さん?」
恐る恐る呼びかけると、
「なぁに?」
いつものへらっとした笑顔をこちらに向けてきた。なぁに? は私の台詞だ。
「……今の、誰ですか?」
「理恵ちゃんが知らない人を、新米バイトの俺が知っているわけないじゃん」
嫌だなぁーと英輔さんが笑う。
「嘘っ」
知らないのにあんな対応をとっていたら、そっちの方が問題だ。
「なんか怪しいから警戒しただけだよ」
へらへらっと笑われる。それから、
「餡蜜、食べなよ」
それだけ言うと、片付けするからー、と言葉を残してキッチンの奥に消えていく。
絶対なにかわけありだ。
餡蜜を睨む。そこに答えなんてないけれども。
どうしよう。実は借金取りとかなのかな。この店借金がたくさんあるとか。だってそんなに儲かってなさそうだし。
マスター、困っているのかな。すごく真剣な顔をしていたけれども。
溜息のような吐息がこぼれ落ちる。
私には何も出来ないけれども、だからマスターが心配だ。
残った餡蜜を口に運ぶ。
なんだか味はよくわからなかった。




