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8.楽しいデートの始まりだといいんだけど

 今、思い返しても終業式の日の午後の数時間は夢だったんじゃないかという気がする。


 夢ではなく現実だという証拠は、時代遅れのガラケーの電話帳に「美咲清華(みさきせいか)」の名前が登録されていることだった。

 ショートメール――メッセージでした、今日のデートの付き添いについてのやり取りも残っている。


 何なら今日の朝も「おはよう。今日はよろしくね!!時間に遅れちゃダメだよ」と送られてきていた。

 それに対して「分かっています」とだけしか返していない。「楽しみにしています」とか書けばいいのだが、どうしても恥ずかしくて送れず事務的なものになってしまうのだ。


「行きたくないな」


 家を出る準備を終え、時計を確認するとつぶやきがもれた。


 学校で一番の美少女と、その友達のアイドルと一緒に遊ぶというのに、全くテンションは上がっていない。それどころか逃げ出したいという気持ちの方が強い。

 どうして、こんな約束をしたのだと後悔は、美咲さんと喫茶店で別れて家に帰ってからずっとあった。


 別れ際に、「梨瀬さんに確認して、行先とかの連絡はするから。断られることはないと思うけど、万が一そうなったらごめんなさい」と言われていた。


 美咲さんの独断で誘われたということが分かり、これは明日ぐらいに断りの連絡がくるなと身構えた。期待しすぎると裏切られた時の衝撃が大きいから、事前に悪い方の予測をしておくというのが陰キャのスキルなのだ。


 しかし案に相違して、その日の夜に「OKだったよ」とメッセージが届いた。

 その後、何度かやり取りをして今日を迎えた。


 おかげで、この数日間は情緒不安定だった。楽しいと不安が交互あるいは同時に押し寄せ、美咲さんからメッセージを待って落ち着かなくなる。気づけば当日を、都合のいい展開でシミュレートしていた。シミュレートではなく妄想といってもよかったが。


 一緒に出掛けたことで美咲さんと仲良くなってとか、どうしたって考えてしまう。


 だけど、世の中がそんなに都合よくないことも知っている。美咲さんは、ガラケーを使用しているから、情報漏洩の可能性が限りなく低いということで誘ってくれたにすぎない。

 もちろん、雨宿りをしている姿を見つけて声を掛けてくれたり、友人の大事なデートの付き添いの同行者に選んだりしてくれるということは、悪い印象を抱かれてはいないからだろう。


 ただ、そこに恋愛感情がないというだけで。

 別に付き合いたいというわけじゃない。付き合ったらと妄想はしても、それが現実になるとは思えなかった。


 だいたい奇跡のようなことがおきて付き合ったとして、まともに会話が成立するのかも怪しい。

 憧れのクラスメートという距離感が多分ちょうどいいのだ。

 それなのに、これから一緒に――会ったこともないカップルの同行者として半日を過ごすことになる。


 自宅の玄関を出るまで、「やっぱり断るべきだったよなぁ」と数日前の自分を責め続けた。

 好きになってもらえるためにがんばるではなく、嫌われずに今日が終わりますようにと祈っていた。


 外に出て待ち合わせ場所の美咲さんのおじさんがやっている喫茶店までの道中は、そのようなことを考えている余裕はなかった。真夏の太陽の作り出した暴力的なまでの気温は、ネガティブな思考すら許してくれなかった。

 予報では40度近くまで気温が上がるとなっており、お昼にもなっていないというのに既に35度を超えようとしていた。


 汗だくになりながら、集合時間の10時少し前に喫茶「ルーアン」へと到着した。

 オープン前ということもあり、看板は「CLOSE」となっていた。

 カギは開いているということだった。いつもであれば入店するのに逡巡するところだが、とにかく冷房の効いた室内を求めて躊躇うことなく扉を押した。


 カランコロンという音とともに店内に入ると、カウンター近くの4人掛けの席に座っていた美咲さんが視線を向けてきた。


「深山君、おはよう。遅いよ」


 いきなり頬をふくらませた美咲さんから、怒りをふくんだあいさつをされた。


「えっ、だって、まだ10時じゃ……」


 中学入学に合わせてガラケーとともに祖父から贈られた腕時計を確認する。まだ10時まで5分はあった。


「もう、みんな集合してるんだよ。5分前行動――はできてるか、デートなんだから30分前行動だよ」


 机をバンバンと叩きそうな勢いだった。

 シック系の半袖のワンピースという服装もあって、怒っていながらもかわいさの方が勝っていて迫力はなかったが。


「清華ちゃん、そんな怒んないでいいじゃない」


 呆れたように隣に座る美人――上野梨瀬さんが宥めてくれる。

 現役アイドルと知っているからか、放っているオーラがクラスの女子達とは全く違うような気がした。


「こーいうことは、ちゃんと言っておかないと本人のためにならないんですよ」


 いくら何でも待ち合わせの30分前に来なくていいだろうと思ったけど、「ご、ごめん」と謝っておく。


「大変だねぇ。一応、名前は聞いてるけど。私は上野梨瀬、よろしくね」


 茶髪のショートカットで、美咲さんとは違いパンツスタイルの活動的な服装をした上野さんは、立ち上がり手を差し出してあいさつをしてくれた。


「アイドルやってるんだ。だから握手」


 握手会という言葉が頭を巡る。


「あ、えと、深山真白、です」


 出された手を握ると、小さいのに温かかった。


 女性と手を握るというのは、小学校の時のダンス以来だったと思う。それも高学年の頃からは感染症の流行で接触が禁じられていたから、どれくらいぶりか分かったものではなかった。

 だから、惚けた表情で、どうしようもない感想を抱いても仕方がない。


 そして上野さんの前に男の人が座っているのに気づくのが遅れたことも。事前に聞いている今日のメンバーからすると、それは彼氏ということになる。

 彼氏の目の前で、彼女と握手をしていてはまずいと慌てて離す。


「気にすんなよ」


 こっちの考えを読んだかのように、スポーツマンらしく髪を短くした上野さんの彼氏は言ってくれた。


「俺は、松原修也」

「ど、どうも」


 相手がスポーツマンというだけで、陰キャぼっちは緊張してしまうのだ。


 というか、この2人は本当にカップルなのだろうか。

 美咲さんの話だと、3カ月ぶりぐらいに会うカップルのデートが見つかってスキャンダルにならないように同行するという話だったのに。

 2人が醸し出している空気はカップルとは思えないほどに剣呑なものだった。


「外、暑かっただろ」


 おじさんが氷の入った水を手渡してくれた。


「あ、ありがとうございます」


 汗で水分を失っていたこともあり、口にふくむと身体に染み渡っていくのを感じた。


「飲んだら出発だよ」


 美咲さんは元気よく告げる。


「少しはゆっくりしてからでいいんじゃないの。真白君は来たばっかりでしょ」


 初対面、それも出会って数分で当たり前のように名前を呼ぶのは、さすがアイドルという感じがした。


「何を言ってるんですか。早く行かないと時間がなくなっちゃいますよ」


 上野さんは出されているアイスティーを飲みながら、「慌てすぎ」と落ち着いていた。


「夏休みで、外は暑いから水族館は人が集まるに決まってるじゃないですか」


 午前中に水族館に行って、昼食後はウィンドウショッピングをしながらゲーセンに行くという予定のコースだった。


「ゆっくりしてたら入場制限で中に入れなくなっちゃうじゃないですか」

「そうしたら、そうしたで別のとこに行けばいいでしょ」


 焦る必要は全くないという態度の上野さんに、「別のとこなんてダメに決まってるじゃないですか」と美咲さんは主張する。


 水族館に行きたいのは美咲さんなんじゃないのか。

 上野さんは、そんなに乗り気には見えないし。もう一人の主人公の松原先輩は、我関せずというようにアイスコーヒーを飲んでるし。


「バスの時間もあるから、行くなら出ないとだと……」


 メッセージで送られてきていた今日の行程表を思い出す。


「そうなのか。なら、さっさと行かないとだろ」


 松原先輩は、そう言って立ち上がる。上野さんよりは行く気はあるようだけど、予定は把握していなさそうだった。


「そんなに行きたいの、水族館」

「……まぁな」


 投げやりといってもいいような返事だった。

 そういえば店内に入ってから2人が会話したのを見るのは、これが初めてだった。


「ほ、ほら、梨瀬さん」

「はい、はい」


 促されて仕方ないというように上野さんは席を立った。


「暑いんでしょ、外」

「それは、もう」


 ついさっきまでを思い出しながら答えた。


「だよねぇ」


 互いに目を合わせることもなく、上野さんと松原先輩は店の外に出て行こうとした。

 本当に大丈夫なのだろうか。


「どうして……」


 美咲さんのつぶやきは不安を加速させる。

 カップルのデートを見守っていればいいという単純な話ではないような気がした。恋愛とは縁遠い陰キャぼっちには荷が重いことが起きようとしている。


「深山君、行くよ」


 決意したように2人に続いて美咲さんは店の外に出て行く。

 どうにかして、このまま帰る方法はないだろうかと考えたが、いい案は何一つ思い浮かばない。

 おじさんのご愁傷様というような表情に見送られながら、灼熱の屋外へと歩を進めた。


 それでも美咲さんとデートできるわけだから、などと今日を楽しみにしていた過去の自分に教えてやりたかった。

 地獄が待ってるぞ、と。


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