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1.明日から夏休みの放課後に教室で

 ゴールデンウィーク明けの雨の日――美咲清華(みさきせいか)さんからハンカチを手渡された日から2カ月以上が経った。

 もらったわけではないのだからハンカチは返さないといけない。なのに未だ手元にある。


 会えなかったわけじゃない。クラスが一緒なのだから毎日のように会っている。

 声を掛けられなかっただけだ。


 なにしろ相手は学校トップクラスの美少女で、人当たりもよく優しい。おのずと周囲に人が集まる。クラスカーストが高いどころか低い自分が、そこに分け入って声を掛けるなどできるわけがなかった。

 元々、人から注目されるのは得意じゃない。ハンカチを返す所を誰かに見られたら、ほんの少しの間とはいえ話題の人になる。そして浴びせられる興味本位の声掛けや視線が嫌だった。


 だから一人になる時を待った。

 いくら人気者でクラスどころか学年の中心にいるとは言っても、ずっと誰かがいるわけがないはずだった。一人になる時ぐらいあるはずだった。


 結果として一人になっている所を見ることはなかった。

 自分の見ている範囲での話だが。もちろん探偵でもストーカーでもないので四六時中、監視していたわけではない。何なら「美咲清華を見ている」などと噂になることは絶対に避けたかったので、けっこう見落としている時間はあったと思う。


 そもそもタイミングよく一人になっている所を見つけたとして、声を掛けられただろうかというのがある。どう話し掛ければいいのか分からず、まごまごしている間に人が来てしまうのがオチだったろう。

 そう、今の自分のように。


 明日から夏休みの終業式の今日、美咲さんはなぜか教室に一人残っていた。

 午前中に終業式は終わり、ホームルームをして昼前に放課となった。

 部活や委員会活動があり昼食を用意してきたクラスメート達以外は、夏休みの到来を喜び仲間どうしで遊びに行く話をしながら教室を出て行った。


 美咲さんも友人達と一緒に遊びに行くか、アイドル活動のために事務所に向かうかして学校からはすぐに出るに決まっていた。遊びに行こうと声を掛けてくる友達はおらず、部活もやっていない自分とは違って。


 お昼から2時間も経って学校に残っているはずがなかった。

 もしかして忘れ物をして取りに戻って来たのかもしれない。

 だとしたら窓際の自分の席に座り、机の上に置いたスマホをじっと眺めているという姿にどういう意味があるのだろうか。


「……深山君」


 教室に入って来た存在に気づき、顔を認識すると張りのない声を掛けてくれた。


「……あの美咲さん、具合が悪いの」


 顔色は明らかに悪かった。


「えっ。あぁ、えぇ、よくはないのかなぁ」


 いまいち要領を得ない回答が体調の悪さを表しているようだった。


「保健室に行った方が」

「大丈夫……そういうのじゃないから」


 その言い方は大丈夫じゃない人のものだった。


「でも……」

「本当に大丈夫だから。心配してくれてありがとう」


 これ以上の心配を拒絶するものだった。おそらく何を言っても繰り返しになるだけだろう。この状況を打破する言葉を持ち合わせていないことが恨めしい。


「それよりも深山君は何でいるの?」


 いつもに近い声色に戻っているが、無理しているんだろうなという気がする。だけど、それを指摘することはできない。


「図書館に行ってたのかな。いつも行ってるもんね」


 その通りだったが、どうして分かったのか驚きだった。


「う、うん。そうだけど……」

「そんなに驚かなくても。去年から放課後はよく図書館に行ってるじゃない。みんな知ってるよ」


 陰キャぼっちの行動を把握していることが驚きなのだ。


 よく図書館に行っているというのは、クラスの共通認識になっているのだろうか。入学以来クラスメートだけでなく、学校の誰かと日常で義務的な会話以外をした記憶はほとんどなかったのに。

 自分のことを認識していないクラスメートの方が多いとすら思っていた。


 もちろん話し掛ければ無視されるということはない。クラス全体で何かやることがあればちゃんと誘われる。体育祭や文化祭だって、きちんとクラス内での役割は果たした。

 ただ、友人と楽しい会話をしたり、放課後や休日に遊んだりするということは一度もなかった。


「深山君こそどうかしたの」

「えっ」

「急にボーっとしちゃったけど」


 心配していたのが逆になってしまう。

 口を開こうとして、自分が心配される側になると「大丈夫」とか「何ともない」としか言いようがないことに気づく。


「保健室に行く?」


 少し前と逆の立場に自分がなったことがおかしく思わず口元に笑みが浮かぶ。


「ど、どうしたの」


 美咲さんでも慌てることがあるんだと、おかしさがさらに増す。ボケっとしていたのに急に笑うという、普通ではない挙動を目の前で見せられれば誰だって戸惑うだろうに。


「ご、ごめん。いや、『保健室に行く』って聞かれたら、確かに『大丈夫』って答えるしかないなと思っただけで」


 2、3回まばたきをして伝えたいことを理解したのか、美咲さんは口元に手を当てて「そうだね」とほほ笑む。


「うん、大丈夫って答えるよね」


 誰もいない夏休み前日の教室で、美咲さんと笑い合うことになるとは10分前には思ってもいなかった。予想外の出来事というのを、いい意味で使うなど初めての経験だった。


「それで美咲さんは何をしていたの?放課後はいつもアイドル活動をしているのに」


 よほど答えたくないのか、質問と同時に笑顔は引っ込む。


「あ、その、答えたくないなら別にいいんだけど……」


 せっかく楽しい空気になったのに、一瞬で台無しにしてしまう。こんなんだから友達ができないのだ。


「ごめんなさい」


 この上ない程にはっきりとした拒絶だった。


「い、いいんだよ。言いたくないことはあるに決まってるし」


 自分の興味本位に近い質問で、申し訳なさそうな顔をさせてしまったことにいたたまれなくなる。親しくもないクラスメートの不躾な質問など、冷たい一瞥を答え代わりにくれてやればすむのに。


「ありがとう」


 それなのに追及しないことに感謝までしてくれる。


「えーと、それで深山君は何で教室に?」

 聞いてから「あっ」と口元を抑えた美咲さんの仕草はえらくかわいかった。

「答えないくせに聞いちゃってずるいね」


 どこもずるいと思えなかったが、美咲さんの様な真面目な人はそう感じてしまうのだろう。


「気にすることなんてないよ。ただ教室に忘れ物取りに来ただけだから」


 本当は忘れていたわけではなく、図書館に荷物を持っていくのが面倒で教室に置いていただけだった。そのことを言うのが恥ずかしいと思ってしまった。どうしてと聞かれても理由など分からない。思春期特有の何かだと察してもらうしかない。


「そうなんだ」


 少し目を細めて小さなため息を美咲さんはついた。


「カバンを忘れたの?」

「えっ、あっ、その……」


 指定の通学カバンは机に置きっ放しだった。これを忘れて帰るというのは手ぶらということになる。そんなことあるかと自分でも思う。


「もしかして言えないようなことをされてたとか?」


 冗談じみた表情と口調だったが、目は真剣そのものだった。

 言えないようなことというのは、イジメに類することを指しているに決まっていた。イジメられていたのを隠していた、と思われてもおかしくない行動を確かにとっていた。


「さ、されてないよ。図書館で本を読んでいただけだから」


 本当かなという視線を向けられ、慌てて「だ、大丈夫だから。イジメとか受けてないよ」と付け加えるが信じてもらえたかは微妙だった。

 しかしイジメを受けていないのは事実だ。過去を振り返っても、小学校低学年の頃に多少からかわれたことがあるぐらいだった。


 難関大学への進学率の高い私立中高一貫校の試験に合格できるだけの学力はあったが、他のスポーツや芸術に関する才能は壊滅的で、コミュニケーション能力も低く友人と呼べる者はいなかった。

 小学生にとっては学力などよりも大事なものが、いくつもなかったのにイジメられはしなかった。ニュースや噂などでイジメに関わる話を耳にするたびに、小学校時代のクラスメートにいかに恵まれていたのかを思い知らされる。


 中学生になってもコミュ力が向上したとかはない。それどころかとりえだった学力すら周囲が優秀な者達になったことで、中の下から下の上といったレベルにまで落ちた。客観的には、かなりどうしようもない状況にある。

 一番どうしようもないのは、今の状況を改善しようと何か努力をしようともしない所だろうが。


「まぁ、そうね」


 納得したという風ではなかったが、これ以上は同じことの繰り返しになるだけと思ったのか追及はしないでくれるようだった。

「それで」この流れで、いきなり話題を変えてくることに何かを引き出そうと会話を誘導してくるのじゃないかと身構えてしまう。「深山君は今日のは行くの?」


 身構えたそばからこれだった。


「夕方から集まれる人だけでカラオケで1学期の打ち上げやるってグループで流れてきたけど、知らない?」


 うん、知らない。


 スマホのトークアプリのグループに入っていないのだから情報は回ってこない。学校から永久貸与されているタブレットに入っているアプリにもトークグループはあったが、生徒間の遊びの連絡などは回せないことになっていた。

 仮にしてよいことになっていたとしても、教師や親が見ることのできるものでプライベートの連絡を取り合うことなどない。


「深山君、去年からクラスの全員が入っているグループにいないよね」


 登録していないのだから、いないのは当然だ。


「どうしてだろうって疑問だった」


 クラスどころか学年、学校全体の1軍である美咲さんは、自分みたいな下層の人間をちゃんと認識してくれていた。


「男子に聞いても『いいんだよ』とか、1人でいるのが好きなんだから邪魔しないんだみたいなことしか言わないし。班分けとかで除け者にもされてなくて、文化祭の割り当ての連絡とかもちゃんといってたみたいだし」


 疑問には思うが、わざわざ問題にする必要はなかったということなのだろう。


「それに私が下手に口を出すと面倒になるかもだから黙ってた」


 自分の持つ影響力を美咲さんがきちんと把握していて助かった。


 これといった特技が本当にない冴えない男子が学校トップクラスの女子から気に掛けられたら、からかわれるに決まっている。そうなった時、うまい返しどころか挙動不審な動きを自分がするのは分かっていた。

 そういったところからイジメというのは始まるのだ


「だけど違ってた。学校の外での集まりとかの連絡はもらってなかったんだね。気づかなくてごめん」


 悔いるような悲しそうな顔で謝罪してくれる。


 美咲さんは文化祭などのイベントでは、「クラス全員で団結してがんばろう」などと口にして、アイドル活動で忙しいというのに率先して活動していた。

 そんな人だから、ちょっと浮いているクラスメートを心配し、イジメとはいかないまでも仲間外れになっていることを知れば何とかしないとと思ってしまうのだろう。


 人としてすばらしい心の持ち主だが、どうしても危うさの方を感じてしまう。美咲さんの言動は、並の男子であれば自分に恋をしているのではと勘違いするレベルだ。優しさが、いつか取り返しのつかない事態を呼び込むんじゃないと逆に心配になる。


「……美咲さんが謝るようなことは何もないよ」


 実際にそうなのだ。

 残念なことにかどうかは分からないが、美咲さんの思っているようなことは何もない。


「私のただの自己満足だけど、クラスのみんなで仲良く卒業したいの。それで何年経っても集まれる関係になりたい。ダメかな」

「ダメじゃないよ。そうなったらいいとは思う」


 本心からそう思う。中学や高校の同級生が一生の関係になるというのは憧れる。

 どうしてか本当にうれしそうな顔をする。


「深山君が人と関わり合いたくない、わけじゃなくてよかったよ」


 うまくのせられたのだろうか。


「いきなりクラスのみんなと仲良くは難しいから、まずはグループに入ろう」


 クラスに馴染ませるための第一歩としては正しい。それを実行する上で致命的な問題がある点を除けばだが。


「招待するからスマホを」


 どうして、こんな事態になってしまったのか。

 美咲さんのまぶしい笑顔にどう返事をするのが正解なのだろうか。

 正解というのは、自分が美咲さんに嫌われないとか呆れられないとかではなく、傷つけないためにだ。


 さぁ早くとうながす美咲さんの目に、もう逃げられないと悟る。

 真実を告げるしかないのだ。


「えと。スマホ持ってなくて……ガラケーなんだ」


 時が止まる。

 目を驚いて見開く美咲さんもかわいいなと現実逃避をしていた。


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