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10.お気楽そうでクラゲはうらやましい

 バスを降りると水族館は目の前にあった。

 水族館に来たのなど、どのくらいぶりだろうか。小学校低学年の頃に家族で行ったのは覚えているから、5年ぶりとかになるのか。


「着いたぁ、楽しみですね」


 後ろから降りてきた美咲さんは、わざとらしく明るく言う。

 真夏の暑さに負けない、冷えた空気の発生を少しでも抑制しようとするかのように。


「あれ、上野さん?」


 美咲さんの次に降車する人は、当然ながら上野さんだ。

 なんだけど別人と思ってしまった。

 服装は同じだが、帽子をかぶり、メガネをかけて、下ろしていた髪も後ろで束ねている。それだけで大分、印象が違っていた。


「変装。アイドルだからね」


 さまになるウィンクをされる。


「それと真白君。私のことは梨瀬でいいよ」


 陰キャぼっちにはハードルが高すぎる要求をしてくる。


「名前で呼ばれ慣れるようにしないとだからさ」


 芸能人となると名前で呼ばれるのが普通なのかもしれないが、一般人の中でもさらに人見知りにとっては難しすぎる。


「清華ちゃんも、アイドルになるなら慣れといた方がいいと思うよ」


 後輩にアドバイスをするが、これで美咲さんから「名前を呼んでよ」と言われたらどうすればいいのだ。

 美咲さんも「そうですね」と答えはしていたが、困った表情をしているから大丈夫そうだったが。


「後輩に無理なことさせるなよ」


 助け舟を出してくれたのは松原先輩だった。


「別にさせてないよ」


 つまらなさそうに言うと、上野さんは水族館に向かってさっさと歩きだす。


「ま、待ってくださいよ」


 慌てて美咲さんが追いかける。

 その後を「ふん」と鼻を鳴らして松原先輩が続く。

 ため息をついて一番最後に水族館へ足を向ける。


 カップルを見守りながら、美咲さんとデートぽい1日を楽しむという目論見は破綻していた。だからといって、破局寸前と思われるカップルの仲を取り持つなどという高度なことをできるわけがない。


 こういう場合の陰キャぼっちが採るべき手は逃げる一択なのだが、それをやるには美咲さんの前に二度と顔を見せない覚悟が必要だった。親を説得して登校拒否とか転校をするという難事に挑むぐらいであれば、この空気に耐える方がマシだ。

 それに逃げる以外のもう一つの手段、自分の存在を極限まで薄くして流れに身を任せるもある。


 などと、自分の力での事態の打開は早々にあきらめ、とぼとぼと3人について行く。

 水族館は、夏休みが始まったというのに思ったよりも混んでいなかった。学校が休みになったとはいっても、平日であり親は働いているからだろうか。


「この水族館は穴場なんですよ。あんまり大きくはないですけど、そんなに混まないんでゆっくりと見れますから」


 確かに、こんな所に水族館があるとは知らなかった。


「あっ、カップル割だと安くなるんで、それでお願いしますね」


 穴場というよりも、カップル割があるから選んだんじゃないのかという気がした。

 そして料金表を見ると、カップル割と書いてあったが、中高生だと正規料金から100円安くなるだけだった。

 案の定、上野さんは「別々でも大した変わらないじゃん」と言っている。


「カップルでいいだろ。ちょうど2組になるんだし」

「私と真白君ってこと?」


 何を言い出してるんだ。


「だ、ダメですよ。深山君は私と……」


 チラリとこちらを美咲さんは見てくるが、「そうですよ」などとは恥ずかしくて応じられない。


「冗談だって」


 笑いながら上野さんは、「チケット買お」と松原先輩と連れ立って券売所で注文を始めた。


「じゃあ私達も」

「あ、うん」


 入場料を出そうとしたら、「いいよ、私が出すから」と美咲さんに止められる。

「無理に誘ったんだし。今日のお金は全部、私が負担するからさ」


 そりゃそうだよなと、当然の様に申し出を受け入れられるわけもない。


「自分の分ぐらい出すよ」


 ちっぽけなプライドかもしれないが、やはり自分で払いたかった。


「そう」


 払う払わないでもめても迷惑と判断したのか、美咲さんはあっさりと引いてくれた。


「すいません、カップル1組で」


 券売所のお姉さんが、僕と美咲さんの組み合わせを見て「釣り合ってないな」と思っている気がしてならない。

 料金を払うと、カップル専用という入場券が渡された。


「つながるようになってるんだね」


 入場券の片方ずつにイルカとペンギンが描かれ、合わせると2組のカップルができあがるという仕掛けだった。

 2人の記念になるが、別れたら片方だけが手元に残り悲しさが高まりはしないだろうか。このイルカとペンギンのカップルも別れちゃったんだなぁと。


「けっこう、かわいいよね」


 イルカとペンギンのカップルの行く末を案じていたのを、絵柄がかわいらしくて見ていたと思われたらしかった。


 先に入場券を購入していた本物のカップルは、入り口の辺りで待っていてくれた。

 会話はしていたが、弾んでもケンカしているようでもなかった。無言で険悪な空気でいられるよりはずっとよかったが。


「じゃ行こっか」


 合流すると、なぜか上野さんのテンションが上がっていた。


「考えてみたら1日フリーなんて次はいつになるか分からないんだから、ちゃんと楽しもうと思ってさ。それに水族館なんて久しぶりに来たし」


 デビューしたての現役アイドルなんだから、休日などないくらいに忙しいと思う。学校がない期間となれば尚更、公演やレッスンの予定が入るに違いなかった。

 その貴重な休日を、あの空気で過ごして台無しにするというのはもったいなさすぎる。付き合わされる方もたまったものではないし。


「私達は2人で回るからさ、そっちも楽しんでよ」

「はい。ぜひ楽しんできてください」


 気が変わらない内にというか、松原先輩が余計なことを言う前に美咲さんは2人を送り出した。

 まぁ同じ道順を進むのだから2~3メートル前方にいるだけだったが。


「どうするの?」


 先に歩く2人を見ながら聞く。

 水槽が並ぶ「海の魚」のゾーンに入ると急に薄暗くなる。そんなに人がいないため2人を見失うことはないが、それでも少し離れていると様子は分からない。


「近づいてみる?」

「えっ、あぁ、そうだね」


 泳ぐ魚達に興味が向いているようだった。


「あんまり近くにいると、こっちに話しを振ってきそうなんだよね」


 それは確かなので、距離をとりながら、後を着いて行くことになった。


「クラゲだ」


 スマホを取り出して、パシャパシャと写真を撮っているのを横目に2人を監視する。別にいいのだけど、役割は逆なのが本来の姿ではないのか。


「ぷかぷかして漂ってるの深山君みたいだね」


 失礼なことを言われている気がするが、美咲さんが楽しそうだからいいとうことにしておいた。


「もう2人、行っちゃいますよ」

「えー、梨瀬さんちゃんと見てないの」


 きちんと水槽を一つずつ見て、パネルも確認しているようだったが、美咲さんみたいに写真を撮るまでにはなっていない。というかクラゲって、そんなに熱心に見るほどかわいいものか。


 クラゲの水槽に視線をやると、何が楽しいのか知らないがぷかぷかしている。似ているかどうかは知らないが、悩みもなく浮いているのはうらやましくはあった。

 名残惜しそうにクラゲの水槽を後にした美咲さんは、今度は泳ぐウミガメを発見し、「深山君、亀だよ」とはしゃぐ。


 これは単純に美咲さんが水族館に来たかっただけじゃないのか。


「あの、美咲さん、楽しそうにしているところ申し訳ないんですけど」

「何、トイレ?」


 ウミガメの写真撮影に忙しく、こちらに顔も向けてくれない。


「上野さんと松原先輩って付き合っているんですよね」


 シャッターボタンを押す指の動きが止まる。


「……そうだよ」


 それ以上、言葉を続けることはなく水槽の前を離れる。

 黙ったまま水槽の間を進む。気まずいといったらなかった。


 水槽が終わり明るくなり、ペンギンの居住エリアに出た。


「かわいい」


 トコトコと歩くペンギンに思わず美咲さんはつぶやいていた。上野さんも、そう思ったみたいでスマホで写真を撮っていた。ほかのお客さん達も同じように撮影している。


「私だって、あんな感じになってるって思わなかったよ」


 ペンギンをフレームに収めながら、美咲さんは口を開いた。


「会えない期間が長くなって距離ができてるって言ってた」


 スマホを握る力が強くなったようだった。


「お休みにデートすれば、距離は縮まるかなってさ提案したんだ。梨瀬さん、最初は『気にしないで大丈夫だよ』って言ってたけど。すれ違いでダメになるっていうのは聞いてたから、ちゃんと会った方がいいって」


 そうしたら、この状態だったと。


「待ち合わせのおじさんのお店で会った時から、2人とも目もほとんど合わせないでさ」


 2人の関係が終わろうとしているのを、その時に気づいたのだろう。


「でも、上野さんだって、こんな感じだとは思っていなかったんじゃないの」


 美咲さんに迷惑をかけると分かり切っていれば、デートに付き添うというような話は断るはずだ。実際に久しぶりに会ってデートしたら、以前のような関係に戻れると考えていたのでは。そうしたら関係は修復不能なぐらいに冷え切っていた、と。


「どうだろうね」


 大きなため息を美咲さんはつく。


「ごめんね、こんなことに付き合わせちゃって」


 瞳は申し訳なさでいっぱいだった。

 謝る美咲さんを責める気はない。しかし、2人の仲を何とかしようと言う気にもなれなかった。


「別にいいよ」


 そう、考えてみればどうってことはないのだ。


「美咲さんが誘ってくれなかったら、家で昼過ぎまで寝てて、その後もダラダラとしてたに決まってるし。クラゲとペンギンを美咲さんと見れただけで、すばらしい1日なったから」


 生産性の欠片もない夏休みの1日となるはずだった今日が、一生のそれも楽しい思い出になったのだ。

 同行している2人の仲が微妙などというのは些末事でしかない。


「ありがとう」


 やっと、こっちを向いてくれた。


「でも、今日の予定はまだ3分の1も終わってないよ。すばらしい1日とか最後に言うことでしょ」


 まだ3分の2も残っているのか。やっぱり、ちょっときついかも。


「すばらしい1日は言い過ぎだったかなぁ」

「そうするために、これからがんばるんだよ」


 ポンと背中を美咲さんが叩いた。

 笑顔になってくれたことがうれしかった。何をがんばればいいのかは分からなかったけど。


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