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9.カップルのデートでいいんだよね

 暑いはずだ。


 気温は正確には分からないが、朝の予報では日中に36~37度まで上がるとなっていた。なら現時点で35度の猛暑となっていてもおかしくない。少なくとも体感では35度を超えている。

 実際、喫茶店まで歩いている最中は、暑さでネガティブになることさえ許されず目的地に早くたどり着くことばかり考えていた。


 なのに今は暑さをあまり感じない。

 会話もなくずんずんとバス停に向かって歩みを進める、上野さんと松原先輩の間に流れる冷たい空気のおかげだった。


 2人の間から冷気が発生しているとしか思えない。この原理を解明することができれば、エネルギー問題は解決しノーベル賞だってもらえる。


「ね、ねぇ、美咲さん」


 2人の後ろ姿にいたたまれなくなり、少し前を歩く美咲さんに声を掛ける。


「何」


 振り向いた美咲さんの瞳もまた冷気を放っていた。

 今が夏であることに感謝した。冬だったら凍死していた気がする。


「あ、その、今日って……」


 2人のデートを見守るんだよねとは続けられなかった。

 凍えた美咲さんの瞳が溶解しそうになっていたから。


「暑いね」


 美咲さんは、「そうね」と応じる。

 その一言にどれだけの意味が込められているのか、鈍い身では全てを察することなどできなかった。


「……深山君、タンブラーとか持ってきてる――わけないか」


 水分補給の道具を持っていないのは見れば明らかだ。


 ワイシャツに薄手のジャケットで、ポシェットなどはつけていない文字通りの手ぶらというのが今日の――というか外出する時のいつもの服装だった。

 妹からは「お兄ちゃん、少しは考えたら」と注意されるが、考えた結果の最適化なのでどうしようもない。


 流行りの服などに興味はなく、かといってジャージでうろつくというのも好きではないため、適当にコーディネートしても大外れはしないオールドファッションが外出時のスタイルだった。

 ジャケットにワイシャツ、スラックスのためリュックやポシェットは似合わない。なので財布やガラケー、ハンカチといった最低限の必需品はポケットに入れる。そのため猛暑の中でもジャケットを羽織る必要があるのは欠点だったが。


「細目な水分補給をするようにって言われてるでしょ」


 暑いなら冷房の効いた部屋から外に出なければいいを実践していたので、暑さ対策など気にすることはなかった。

 学校でもないのに、こんな日中に外出するということは美咲さんに連れ出されていなければないのだ。


「喉が渇いたら、どっかで水でも買えばいいかなって」

「それじゃ遅いんだよ。喉が渇く前に水分補給はしなきゃなんだから」


 夏休み前だったかに、熱中症対策を担任がホームルームで説明していた時に、そのようなことを言っていた気はする。自分には関係ないと聞き流していたが


「これからは気をつけるよ」


 関係ないと思っても人の話はちゃんと聞くべきなのは実感させられている。

 世の中というのは、思っている以上に何が起きるのか分からないものなのだ。そんなことは3年ほど前の感染禍で嫌というほど体験したというのに。過ぎ去れば、あっさりと忘れるものらしい。


 冷えた空気のままバス停にたどり着き、時間に遅れることなく到着したバスに乗り込んだ。

 バス内の冷房は効いていたが、半分ぐらいの座席が埋まっていることもあってか、暑くはない程度で涼しいとまではいえなかった。


「清華ちゃんは、こっち」


 上野さんは、自分の隣に美咲さんを座らせる。

 必然的に自分が座るのは、松原先輩の隣ということになる。


 あまりというか、かなり気は進まない。喫茶店で会ってから、ずっと険しい顔をしているのだ。

 スポーツマンな外見というだけで、陰キャぼっちは勝手に威圧されるのだ。しかも険しい顔をしていては、自分に原因がないとしても怒っていると委縮してしまう。まして相手は先輩ときている。


 窓際を譲り、できるだけ距離を置いて通路に落ちんばかりの感じで座る。


 出発すると後ろの席からは、美咲さんと上野さんの楽し気な会話が漏れ聞こえてきた。


 対する男子席は無言の気まずい空間と化していた。


 初対面の不機嫌そうな先輩相手に話し掛けるなど、人見知りでなくても難しいに決まっている。

 この状態で松原先輩と会話できるとしたら、本物のコミュ強者か、空気を全く読まずに話したいことだけを話すタイプのコミュ障だろう。

 そのどちらでもない人見知りの陰キャぼっちは、ただ黙って目的地に着くことを願うだけだった。


 というか、話が違いすぎないか。

 喫茶店の時から薄々どころか、はっきりと感じていたが上野さんと松原先輩は久々のデートを喜ぶカップルじゃない。察しが悪く鈍いと自他ともに認める人間ですら分かるレベルなのだから、これはもうやばい状態だ。


 このことを美咲さんは知っていたのだろうか。

 破局寸前なのを何とかしようとしている、という可能性はあった。終業式の日、教室でふさぎ込んでいたのは、2人の仲を考えてのこととすれば説明はつく。


 2人の内どちらかが恋人関係の継続を願っていて、手助けか邪魔をしてほしくて呼んだというのなら分かる。だけど、どちらも関係を続けたがっているようには見えない。

 別れる意思を2人が固めているのであれば、美咲さんがデートに同行する必要もない。そういえば、今回のデートは誰が言い出したものなんだ。2人が約束していたデートに美咲さんが呼ばれたのか。美咲さんがデートを企画したのか。


 考えるほどに分からなくなる。

 そもそも分かったところで、現状の始まったばかりの苦行が終わりはしない。


「悪いな」


 聞き間違えかもと思い、声のした方向を向いた。

 心苦しそうにする松原先輩の伏し目がちの顔がそこにはあった。


「……いえ、大丈夫です」


 何が大丈夫なのかは分からなかった。


「中学はどこだ」


 会話をしてくれるらしい。

 無言に耐えられないと思っていたのに、いざ会話が始まろうとするとそれはそれで困った。

 陰キャぼっちとは面倒くさい生き物なのだ。


「燕雀中です」

「同じクラスって言ってたから、そりゃそうか」


 喫茶店で美咲さんは説明していたのだろう。


「彼女とはうまくいっているのか?」


 質問の意味はすぐに理解できなかった。

 彼女というのが美咲さんを指し、付き合っていると勘違いしていることに気づいた。


「付き合ってないですよ」


 おかしなことになる前に否定しておかないとだ。


「そうなのか。仲良さそうだったし」


 比べる対象が上野さんと松原先輩であれば、それは仲が良いとなるかもしれないけど。

 そもそも美咲さんとでは、どう見たって釣り合っていない。


「Wデートって聞いてたからさ」

「……誰が言ったんですか、そんなこと」


 消去法でいけば上野さんだが。


「梨瀬からの連絡じゃ、そうだったぜ」


 予想は当たっていた。


「とにかく違いますよ」


 美咲さんに彼氏などいないことは、上野さんだって知っているのに、どうしてWデートなどと言ったのだ。

 そうすれば松原先輩がデートに来てくれるからか。

 だったら、もっと松原先輩にアプローチしてこんな空気になってないよなぁ。


「だけど好きなんだろ」


 後ろに聞こえないように、松原先輩は声を潜める。


「えっ、そんなことは……ないってことはないですけど」


 好きか嫌いかでいえば好きに決まっている。

 付き合いたいかと聞かれれば、そりゃ付き合いたいになる。

 ただ、この好きとか付き合いたいとかいうのは、アイドルに対してのものと違わない。何なら今日、初めて会った上野さんも好きだし付き合いたいになる。


 だから好きかと聞かれるのは、返事に困ってしまう。

 考え過ぎとか、感情が重いということなのかもしれない。けど、好きとか付き合うというのは、自分にとってそんな気軽なものではないのだ。


「まぁ、がんばれよ。目はありそうだし。ライバルも多そうだけどな」


 目など、どこにもありそうではないと思うが。

 話題は途切れ、松原先輩は窓の外に視線を向けた。釣られて見ると、目的地の水族館近くのバス停まですぐそこに来ていた。


「次のバス停ですよ」


 後部座席から、ひょこっと顔を出して美咲さんが教えてくれる。

 先程のまでの松原先輩との会話を思い出して、顔を見るのが恥ずかしかった。


「あっ、うん」


 他にも降りる人がいるのかブザーは押されていた。


「酔ってない」

「ないけど」


 車酔いをしているような顔なのだろうか。確かに車にはよく酔いはするが。


「バスに弱いじゃない。去年も酔ってたし」


 校外学習でバス移動をした時に車酔いはした。そのことを美咲さんは覚えていてくれたようだった。


「松原先輩と話してたから大丈夫だったよ」


 それと流れる冷たい空気のおかげで、車酔いを忘れていたというのもあった。


「なら、よかった。せっかくの水族館なのに、車酔いしてたら台無しだもんね」


 台無しになるのは車酔いとは関係なさそうだけど、とは言わないでおいた。水族館の力で、カップルの仲が良くなってほしいというのは本音であったから。

 しばらくして到着のアナウンスが流れ、バス停に止まる。


 楽しい水族館デートが始まってくれ、と願っていた。


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