プロローグ
朝の天気予報の通りに雨が降ってきた。
家を出る時は晴れていたし、「所により一時雨」であれば大丈夫だろうと傘を持ってこなかった。
授業が終わった後、集めているコミックの発売日だからと本屋に寄ろうとせずに、真っ直ぐ帰っていれば濡れずに済んだかもしれない。
「どっちみちダメか」
コンビニの軒先に駆け込みつぶやく。
学校を出てから10分あまり。全力疾走したとしても家にたどり着ける時間ではない。途中に雨宿りができそうな場所もないので、ずぶ濡れになって帰宅するはめになっていただろう。
傘を買うか。
ビニール傘の売られる店内をチラリと見る。こづかい制の中学生にとって、500円近くするビニール傘は高い買い物だった。
しかも家に帰れば、ちゃんとした傘がある。なけなしのこづかいで買っても、明日の朝からは傘立ての飾りと化す。その内、父がどっかに忘れたとか言って自分の物とするのだ。そして、どこかに忘れてくるに決まっている。
どうせ通り雨ですぐに止むだろう。
「深山君も傘を忘れたの」
なら晴れるまでコンビニで立ち読みでもすればいい。
「あの、深山君」
「へっ」
声を掛けられたのは自分らしかった。
学外で家族以外の誰が声を掛けてくるというのだ。クラスメート達が自分を見つけたとしても、わざわざ話し掛けてきたことはない。少なくとも、これまではそうだった。
だから、すぐに気づかなかったのは仕方ない。そう自分に言い訳をしたのは相手の顔を見てからだった。
「み、美咲さん、どうして……」
学校で1、2を争うような美少女のクラスメート美咲清華。
同じクラス――それも2年続けて――という以外に、これといった接点はないはずだった。
「どうしてって。クラスメートがいたから声を掛けたんだけど……ダメだった?」
困ったというように小首を傾げられる。
「ダ、ダメなわけがない、です。えと、名前、憶えて……」
人と話すのが苦手な上に、相手は会ったことがある中で一番の美少女。まともに会話ができるわけがなかった。
視線も、どこに向ければいいのか分からない。目を合わせたら言葉は出てこなくなるだろうし、うつむいたままでは失礼になる。だからといって胸元を見ているのは、やはり問題だろうし……。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「名前を憶えてって、クラスメートなんだから当然でしょ。深山君は去年も一緒じゃない。席も私の後ろで」
こちらの感情など気にもしていないようだった。
男と話すというのに緊張しないのだろうか。
詳しくは知らないがアイドルをやっているから、男を相手にするのにも慣れているのかもしれない。
そう、アイドル。
いいのか。いくらクラスメート相手とはいえ、学外のコンビニ前などでアイドルが男子と話していて。ファンが見たら炎上とかするのではないのか。
自分みたいな人間のせいで、夢が潰えることになったら申し訳なさすぎる。
「あ、あの、話しているの見つかったら……」
慌ててまずいということを伝えようとする。
「み、美咲さんは、アイドルだから、あの、男と話してるのが見つかると……」
つっかえながらで聞きづらいはずなのに真面目に耳を傾けてくれている。
うれしいのだが、そんな風に見られるのがよくないのだ。
「ふふ。深山君、心配してくれたのはありがとうだけど、さすがに大丈夫だよ」
言いたいことを理解すると、よっぽどおかしかったのかリボンで後ろにまとめられた黒髪を揺らしながら笑う。
「同じ学校の制服を着て、コンビニ前であいさつしたぐらいじゃ問題にならないから」
「そう、なの」
アイドルの世界についての情報源はマンガやアニメだった。家族でも男キャラが出ると炎上しかねない。二次元でそうなのだから、現実であればもっとすごいことになるのではないか。
「だいたい、私は深山君が思っているようなアイドルじゃないよ……」
笑顔が引っ込み、さみしそうな顔になる。
こんな顔をするんだと少し驚く。陽性のリア充。スクールカーストの上位。順風満帆な人生。自分とは正反対の道を歩む人。
それが美咲清華に対する印象だった。
なのに、どうして自分と同じ表情をするのだろうか。
「あ、えと、その……」
何か声を掛けなければいけないのは分かった。それが励ましなのか、なぐさめなのかは分からないが、とにかく何かを言うべきなのだ。
しかし、口からまともな言葉は出てこない。
物語の主人公なら、ここで相手の心に響く言葉を発することができるのだろう。そして物語が始まるのだ。
残念なことに自分は主人公の器ではなかった。
自分のふがいなさに泣きたくなった。涙を見せてはいけないと咄嗟にうつむく。
「濡れてるよ」
すっとハンカチが差し出された。
顔を上げると、先ほどの表情が見間違いだったと思えるような優しい笑顔を美咲さんは浮かべていた。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
震える手でハンカチを受け取った。
そして固まる。濡れているから拭けということなのだろうが、自分が汚していいのだろうかと思う。いや、汚していいから貸してくれたのだろうが。
使わずに返すというわけにもいかず、仕方なしに頬を軽くなでる。
「清華ちゃーん」
いきなり美咲さんを呼ぶ声が聞こえてきた。
声のした方を見ると路肩に止まった車の窓を開けて、元気よく少女が手を振っている。雨音に消されることなく、よく通る声だった。
「もう、そんな大きな声を出さなくても……」
肩をすくめながらも美咲さんは楽しそうに笑う。
「じゃあ迎えが来たから」
事務所の車で、あの少女はアイドル仲間のようだった。
「また、明日」
笑顔で言うと、返事を聞く前に雨の中に飛び出した。小走りで車に向かう姿はドラマか映画のワンシーンのように見えた。
ほんの少し前まで自分と話しをしていたのがウソみたいだった。
白昼夢を見ていたか、現実と妄想の区別がつかなくなったのではないかという気すらした。
「ハンカチ」
手にある女性ものの青を基調としたハンカチは、夢や妄想ではない確かな証拠だった。
しばらくハンカチを眺め、返さないといけないことに気づいた。車はとっくに発進しており、返しようはなかった。
どうしようと途方にくれる。
同じクラスなのだから、明日以降いくらでも返す機会はある。ただ、返すためには自分から話し掛けるという高すぎるハードルを越える必要があった。
その前に、家族に気づかれないように洗い、アイロンをかけないとだったが。
返却までの道のりは果てしなく感じられた。
もはやマンガを買うどころではない。
新品のビニール傘を差し家路を急いだ。
初めての投稿ですがよろしくお願いします。
おもしろくなるようがんばって書きます。




