公爵令嬢野球拳大好き【全年齢版】
「おっきくなったら、僕のおよめさんになってね」
「うん。ぜったいよ、ケイロン」
幼なじみとそんな約束をしたのは、何歳の頃だっただろう。はっきり覚えていないほど昔のことだ。
けれど、わたくしはずっと待っていたのよ、ケイロン・アスターン。あなたがプロポーズしてくれる日を、胸を高鳴らせながら待っていたの。
それなのに。
アスターン公爵家の令息が王女殿下と結婚するという噂が瞬く間に広がり、社交界を連日騒がせている。
ケイロンは、わたくしとの約束なんて覚えていなかったのね。
もしくは端から守る気などなかったのだろう。
なんだか、もう全部どうでもよくなってしまったわ。
ケイロン以外と結婚することなんて考えられない。でもわたくしはフェロー公爵家の一人娘。家のためにも婿をとらなければならなかった。
ほかの男性となんて考えられないのに、どうしようかしら。
◇◇◇
「オーホッホッホ! このわたくし、ティアレラ・フェローと結婚したくば、わたくしに野球拳で勝つことね! 誰でもいいわ、かかってきなさい!」
わたくしが考えた苦肉の策がこれだった。
――世界には、『スキル』という特殊な能力をひとつ持って生まれる人がいる。そう珍しい話ではない。三人にひとりはスキルを持っている。わたくしもそのひとりだ。
わたくしが持って生まれたスキルは【野球拳】。
野球拳とは、一対一のじゃんけん勝負をし、負けたほうが服を脱いでいくゲームの一種だ。脱ぐものがなくなれば敗北となる。
ところでどうしてこれが野球拳というスキル名なのかしら。語源はよくわからないけれど、ひとたびスキルを発動したら、どんなにムカつく相手でも全裸にしてしまえるというのは痛快で、結構気に入っている。
スキル【野球拳】を持ったわたくしは、今まで一度も負けたことがない。
だからこそこのような条件にしたのだ。
わたくしに勝てる者は存在しない。いつまでも勝者が現れなければ、お父さまも婿をとるのは諦めて、親戚筋から養子を迎えて跡を継がせるでしょう。
そうなれば、好きでもない男性と結婚しなくて済む。
負けないとはいえ、毎日毎日たくさんの男性から勝負を挑まれるのも面倒ね。
我が家は帝国一の資産家だ。一人娘のわたくしと結婚すれば、次期フェロー公爵になれる。たかが野球拳で勝つだけで、富、名声、美しいわたくしを手に入れられるとあって、挑戦者は絶えなかった。
またひとり、全裸の男性が屋敷から飛び出していく。
「フン。わたくしに勝とうだなんて、一億年早いわ」
負け犬を見送っていると、屋敷の前に一台の馬車が停まった。
そこから降りてきた人物を見て目を丸くする。
眩い銀髪。紫の瞳。麗しい顔貌。
「……ケイロン」
いつもどおり穏やかに微笑んだケイロンが、なぜだか一瞬だけ恐ろしく見えた。
「ティア、またおもしろそうなことをしていると聞いたよ」
「あなたには参加権などなくてよ」
「どうして?」
悪びれなく聞くケイロンに、言葉を失ってしまいそうだった。
まるでわたくしが変なことを言ったような反応だが、すでに結婚する相手がいるにもかかわらず参加しようとするケイロンのほうが間違っている。
「どうしてって、だめに決まってるじゃない!」
「誰でも挑戦していいって言ったのは君だろう?」
「……!」
そう言われてしまうと反論のしようがなかった。
王女殿下と結婚するくせに、あわよくばフェロー家も手に入れようって? なんて強欲なのかしら。
昔はこんな性格ではなかったのに。わたくしが好きだった、優しいケイロンはいなくなってしまったみたいだ。
彼との思い出が頭の中に浮かんでは消えていく。
男の子にはつまらないはずなのに、おままごとや買い物にも文句を言わず付き合ってくれた。
小さいときはわたくしのほうが背が大きかったのに、転んで足を怪我をしたときには背負って連れて帰ってくれた。
悲しいことがあった日は泣き止むまで抱き締めてくれた。
ケイロンは同世代の令嬢から大人気だったにもかかわらず、パーティーではいつもわたくしをエスコートしてくれた。お互い示し合わせたわけでもないのに、毎度おそろいのコーディネートになるほどわたくしたちは息ぴったりで、まさに運命だと思っていたわ。
いつ好きになったのかわからないくらい、彼が隣にいるのが当たり前だった。
これから先もずっと、老いても一緒だと思っていたのに。
王女殿下がいるのにわたくしを――フェロー家を手に入れようとするような男だとわかっても、嫌いになれない。まだ好きなの。
簡単に嫌いになれるなら、こんなバカげたことはしていないわ。
「――わかったわ。あなたの挑戦、受けてあげる」
「言ったね? 僕が勝ったら、そのときはきちんと約束を守ってよ」
一夫多妻は禁止されているのにどうするつもりなのかしら。
まあでも、そんな心配をする必要なんてないわ。
「どうせわたくしには勝てないもの」
容赦なく裸に剥いてやるわ。泣いて逃げだす姿を見れば、きっとわたくしのこの気持ちも冷めてくれるはずよ。
場所を屋敷の中に移した。いつも対決するときに使っている応接室だ。
向かい合って立ち、ケイロンを睨みつける。勝負の内容が野球拳だとわかっていたはずなのに、シャツとスラックス、それから肩に上着をかけただけという軽装だ。甘く見られたものね。
「いくわよ!」
「いつでもいいよ」
余裕ぶっていられるのも今のうちよ。
「スキル【野球拳】発動!」
そう唱えると、わたくしとケイロンを囲むように床に円が現れ、光りかがやく。
この円の中がスキルの効果範囲だ。じゃんけんに負けたほうの衣服を強制的に剥ぐ力を持っている。わたくしが中断するか、どちらかが全裸にならない限り円から出られない。
スキルが発動するところを見たケイロンが感嘆の声を上げる。
ケイロンはスキルを持っていないから、物珍しいのだろう。
長い付き合いだというのに、ケイロンと野球拳で勝負するのはこれが初めてだ。いつもお父さまや使用人たちを全裸にしたのを武勇伝のように誇らしげに語っていたせいで、のらりくらりと躱されて結局一度も勝負をしたことがない。
やる前から勝ち負けは決まっているのに、不思議といつもより緊張してしまっていた。
いつもどおりやればいい。
深呼吸をしてから大きく息を吸い込む。
「野球~す~るなら~、こういう具合にしやしゃんせ~」
ふたりして手振り付きで歌いはじめる。正直言うとかなりシュールな光景だ。
スキルの効果範囲内にいると勝手に身体が動き、頭の中に歌詞が浮かぶようになっている。
「アウト! セーフ! よよいのよい!」
突き出したじゃんけんの手を見比べるまでもない。
当然、わたくしの勝ちよ。
「あ、僕の勝ちだね」
「え!?」
勝ち誇っていたわたくしは、慌てて互いの手を確認する。
わたくしはパー。ケイロンがチョキ。スキルの効果範囲内では、後出しなど不正はできないようになっているから、見ていない間に手を変えたなんてことはありえない。
「わたくしが……負けた……?」
「大袈裟だな。まだ一回目だよ。ほら、何から脱ぐの?」
だって、だって、野球拳で敗けたことがないのは当然として、スキル使用中はじゃんけんでだって負けたことがないのよ。それなのにどうして!?
――あぁきっと、緊張してミスをしてしまったんだわ。
きっとそうよ。それ以外考えられないわ。
「……靴よ。靴を脱ぐわ」
そう宣言し、わたくしは自ら靴を脱ぐ。
一分以内に脱がないと強制的にキャストオフしてしまうのだ。
靴くらいどうってことないわ。それに、もう負けたりしないもの。
「気を取り直して続けようじゃない」
◇◇◇
「どうして!? どうして一度も勝てないの!? このわたくしが!」
「ほら早く脱がないと、ドレスのときみたいに弾け飛んでしまうよ」
恥辱に耐えながらスリップの裾をまくり上げる。中身がケイロンに見えてしまわないように慎重を期して、ガーターストッキングを残りの片脚分脱いでいった。
もうアクセサリー類はすべて外している。ドレスもコルセットも時間内に脱ぐことができず弾け飛んだ。残りはパンツとスリップだけだ。
こんなの人前に出るような恰好じゃないわ。恥ずかしくてたまらない。薄い生地だからあらぬところが透けてしまい、わたくしは必死で胸を隠した。
一方、ケイロンは一枚も脱いでいない。
つまり、一度も負けていないということだ。
おかしいわ。ケイロンとの勝負の前に三人も全裸にしたのに、今日はちょっと、いいえ、かなり調子が悪いみたいだわ。
中断することはできる。けれど、それは敗けを認めたも同然だ。まだ逆転の可能性が残っているのに、やめる選択肢はなかった。
だって、悔しいじゃない。
王女殿下と結婚するんだから、わたくしとの結婚はどうやったって無理なんだもの。わたくしを妾にでもするつもりなのかしら。そんなの許容できるはずないから、敗けることはできない。
「降参しないの?」
「しないわ。まだわたくしが敗けって決まっていないもの」
きっぱりと答えると、それまで一切崩れなかったケイロンの笑顔が消える。ごっそりと感情が抜け落ちたかのようだ。
「…………そんなに僕と結婚するのが嫌?」
「え……?」
ぼそりと呟かれた言葉に耳を疑った。
しかし聞き返すよりも先に歌われる。どちらかが歌いだすとじゃんけんするまで止まれない。
「よよいのよい!」
――また負けだわ。どうして勝てないの? こんなこと今まで一度もなかったのに。
「……ぱ、パンツを、脱ぐわ」
「お願いだからもう降参してよ」
「嫌よ! 嫌ったら!」
ふたたびスリップの下に手を入れ、下着のふちに手をかける。恥ずかしさのあまり震える指で、ゆっくりと片脚ずつ脱いでいった。
最後は丸めて、先に脱いだものの下に隠す。
「はあ……どうにかなりそうだ」
ため息とともに吐き出された言葉の意味が理解できなかった。
「つ、続けるわよ」
「敗けたときの覚悟もできていないのに、どうしてこんな勝負をはじめたの?」
「……っ」
「あなたがほかの女性と結婚するから」なんて、残酷なことをわたくしの口から言わせたいのかしら。
黙ったまま何も答えないでいると、ケイロンが唇を噛み締めるのが見えた。
「僕との約束は忘れちゃった? 僕のお嫁さんになってくれるって言ったのは嘘だったの?」
顔を強張らせたケイロンは、今にも泣きだしそうだ。どうして彼がそんな表情をするのかわからない。泣きたいのはわたくしのほうだわ。
そのうえ責めるように言われ、頭にカッと血が昇る。
「あなたが裏切ったんじゃない!」
「……どういうことかな」
「わたくしはずっと待っていたわっ、ケイロンがプロポーズしてくれるのを待ってた。それなのにあなたは……っ。……おめでとう、王女殿下と結婚するんでしょう。噂ではなくて、せめてあなたの口から聞きたかったわ」
本音をこぼすと、どうしても涙が溢れてくる。
わたくしはどうすればよかったの? いつかあなたが「妾になってくれ」って迎えにくるまで、じっと耐えていればよかった?
そんなの嫌よ。妾になるくらいなら、一生誰とも結婚しないほうがマシだわ。
目を瞠って固まっていたケイロンが、突然しゃがみ込んで大きく息を吐き出した。うつむいて髪をぐしゃりと乱すさまは、普段の冷静沈着な姿からは考えられない。
「……なによ、その反応」
「ティア、それ兄さんだよ」
「……?」
「王女殿下と結婚するアスターン公爵家の令息は、兄さんだよ」
「うそ!?」
おもむろに立ち上がったケイロンが近づいてくる。思わずたじろいで、足がもつれた。倒れそうになったところをすかさず支えられる。
しかしすぐに慌てたように手を離したかと思うと、肩にかけていた上着を脱いでわたくしを包み込んでくれた。
慣れ親しんだケイロンの匂いがふわりと香る。ほっとして、余計に涙が出そうだった。
「僕だと勘違いして、自棄になっちゃったの?」
「……」
「僕との約束、覚えていてくれたんだ」
「……」
「僕のこと、まだ好きでいてくれる?」
「……」
全部の言葉に頷き返すたびに、睫毛から涙が散った。
ばかみたい。恥ずかしい。勝手に勘違いして、ひとりで怒って、挙句の果てにこんなことして。
でも、よかった。ケイロンも約束を覚えていてくれて。わたくしのことをまだお嫁さんにしたいと思っていてくれて、すごくすごくうれしい。
「愛しているよ、ティア」
「ケイロン……」
「君と出会うまで僕の人生は平坦でつまらないものだった。でも、君はいつも思いもよらないことをしでかしてくれて毎日がハプニングの連続でさ、君といると退屈なんてする暇なかったよ」
「それって褒めてる?」
「破天荒なのは君のいいところだよ」
小さい頃からずっとお母さまに「淑女らしくしなさい」と口を酸っぱくして言われてきたので、欠点を上げ連ねられたようにしか思えない。
でも昔の思い出を振り返るケイロンの表情はとても愛おしげで、本音で語っているとわかる。
「ずっと君をひとりじめしたかった」
「…………」
「君だけを一途に想っていたよ」
言葉を尽くして気持ちを伝えてくれるのはうれしいのに、面映ゆくて居た堪れない。
「どうしてプロポーズしてくれなかったの」
「君との結婚を許してもらうために、君のお父上に何度も挑んでいる最中だったんだ」
「もしかして……」
「そう、飲み比べ勝負」
お父さまはスキル【酒豪】の持ち主だ。飲み比べで勝とうと思ったら、同様のスキル、もしくは【状態異常無効】くらい持っていないと無理な話だった。
お父さまはわたくしをお嫁にやる気も、婿をもらう気もさらさらなかったんだわ。
昔からちょっと過保護気味かもしれないと思っていたけれど、娘の結婚を阻止するために求婚者相手にそんなことをしているとは想像もしていなかった。
「僕と結婚の約束をした日から、それまで『お父さまと結婚する』と言っていた君が『ケイロンと結婚する』と言い出したのがよほどショックだったみたいだよ。以来ずっと目の敵にされてるんだ」
「もう。お父さまったら、なんて陰湿なの。ケイロンには何のスキルもないし、それにあなた、お酒すっごく弱いのに……」
「ティアと結婚できるならなんだってやるよ」
微笑むケイロンだが、お父さまと飲み比べをしたときのことを思い出したのか少し顔色が悪い。
「ティアがまた変なことをしだしたって聞いてびっくりしたけど、結果的にはよかったのかもしれないね。お父上との勝負では勝ちの目が見えなかったから」
「そうだわ、どうしてわたくしに勝てるの!?」
「僕もスキルを持ってるんだ」
初耳だ。けれどたしかによくよく思い返してみれば、スキルを持っていないとはひとことも言っていなかった気がする。
「どんなスキルなの?」
「【ラッキーボーイ】っていう、大体のことが僕の思いどおりになっちゃう、簡単に言うとすごーく運がよくなるスキル。だから生まれてこのかたじゃんけんに負けたことがない」
「そ、そんなのずるいわ!」
率直な感想を突きつけると、ケイロンはくすくす笑った。
「そもそも君の【野球拳】は強制的に野球拳に持ち込むだけで、絶対勝てるというスキルじゃないよ。今まで敗けなしだったのは、【ラッキーボーイ】の僕が、君が勝つように願っていたからさ」
「えぇっ!?」
ケイロンの心持ち次第ではいつでも全裸になる危険性があったと思うと、ぞっとする。
スキル【ラッキーボーイ】なんてふざけた名前なのに、とんでもなく便利だわ。ちょっとしたラッキーが偶発的に降りかかるわけではなく意のままに起こせるのだというなら、【神に愛されし者】にでも改名すべきだ。
青褪めた顔をケイロンが覗き込んでくる。
「どうする? 勝負はまだ続ける?」
「…………野球~、す~るなら」
ケイロンのスキル【ラッキーボーイ】とやらの実力を確かめてみたいという軽い気持ちだった。
掛け声とともに出した手はグー、ケイロンはパー。当然のように負けて悔しがるわたくしを挑発するように、ケイロンがひらひらと手を振って笑った。
「あと一枚しか着ていないのに、大胆だね」
ケイロンがわたくしに着せてくれた上着がある。
それに――。
「ま、まだもうひとつ残っているわ」
「これ……」
おずおずと左手を掲げる。小指にはまっているのは、結婚の約束をした日にケイロンがくれた指輪だ。薬指にぴったりはまるサイズのものを贈ってくれたのに、今は小指でもきつかった。
子どもの頃にもらったものを今でも大切にしているのが露見すると恥ずかしいから、いつもは手袋をして隠していた。
「でも、もうわたくしの敗けでいいわ」
スキルを解くと、床に浮かび上がっていた効果範囲を示す円が消えてなくなった。
「僕と結婚してくれるってこと?」
「ええ」
返事をするのとほぼ同時に腰を抱き寄せられ、唇が重なる。
「うれしい。幸せだ。君と結婚できるだなんて、僕は世界で一番ラッキーな男だよ」
「ふふっ、そうね」
もう一度、今度はわたくしからキスをしたあと、そっと身体を離した。
とうとうわたくしを負かした男性が現れた、とお父さまに報告に行かなければならない。ついでに、今までケイロンを隠れて牽制していたことを咎めないと気が済まないわ。
「ティア、愛しているよ。僕のラッキーで、君を世界でいちばん幸せにするからね」
いつもどおり微笑むケイロンの表情を見上げ、わたくしは自嘲の笑みをこぼした。
表情や仕草、言葉のひとつひとつからこんなにも愛情が伝わってくるのに、なぜわたくしは彼を信じられなかったのだろう。あのときはどうかしていたみたいだわ。
「わたくしも、愛しているわ!」
おわり




