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晴井彗 その14


 常勝無敗の人生と、七転八倒の人生、どちらがいいと思う?

 そりゃもう、イージーモードで楽な方がいいに決まってるよ。当然、負け知らず失敗知らずで生きていけるならそれに越したことはないだろう。


 しかし、そう簡単に物事は進まない。人生はあざなえる縄の如し。ニーチェ先生の言葉を借りるならば『人は常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある』。

 だからこそ敗北の味を知り、砂を噛み、苦悶しながらも運命を受け入れて、その苦難の中から学ぶんだ。次をより良くするために、未来を明るくするために。





 ちゃんちゃら、おかしいよね。





 ははは。もうさ、何言ってんだろう。馬鹿じゃねえの? 敗北から学び、苦痛を受け入れて、それが自分を強くする?

 そんな風に強く生きれるはずないじゃん。ニーチェ先生だって結局ルサンチマンに負けたでしょ?


 俺はそれまで信じていたもの、努力を重ねれば結果がついてくるという信念(かみ)を、高校受験で殺された。

 親の勘違いと手続きミスなんて、ギャグみたいな出来事で、人生と価値観がぐちゃぐちゃにされたのだ。


 それから俺はずっと無意味の世界に住んでいる。努力は無駄。研鑽(けんさん)は無価値。人生はクソ。俺自身はもっとクソ。

 ニーチェ先生の言葉を借りるならば『消極的ニヒリズム』。


 『絶対的価値観が破壊され無価値化したことによる精神力の喪失、疲弊(ひへい)、絶望。

 想像力や独創力を失い、流れに身を任せ生きていくだけの奴隷状態』である。



 返す言葉もない。



 俺はさ、偉そうにニーチェ先生の言葉を借りて説教してるけど、結局の所はニーチェ先生が侮蔑(ぶべつ)する、弱さを笠に着た劣等感(ルサンチマン)の奴隷なんだよ。

 結局はどこにもたどり着けないし、結果を出せない。猫魂(ねこだまし)さんを大稲(だいな)デイヤの所まで連れてこれたのは、猫魂さん本人の努力の成果なんだ。


 乳母崎さんは俺みたいになりたいって言ってくれたけど、俺は支配されて重荷を背負い、流されるままに働くだけの『第一階梯(ラクダ)』なんだよ。

 疑問を持ち、反逆して、自らの主人を自分自身だと定めた『第二階梯(ライオン)』の乳母崎さんにはまるで及ばない。


 俺なんかがどれだけ頑張ってもさ、どうせ大した結果は出せないんだ。

 分かってる。分かっている。今はそれなりに押してるけど、きっとソーマには勝てない。





 でも…………。






 本当は俺、勝ち進みたいんだよ。

 夢を見て、手を伸ばすことが、諦め切れないんだよ。



 『運命潮力(ディスティニー・ドラフター)』とかいう運任せにあぐらかいてる連中に目にものを見せてやりたい。


 猫魂さんには尊敬されたい。最高の相棒だって自慢して欲しい。


 マッハの目的を達成させて、『向こう側』とかいう面倒ないざこざは終わらせたい。


 その上で、後顧の憂いの何もない状態で、乳母崎(うばさき)さんに……。



 観客席最前列、大将側に乳母崎さんがいる事を俺は知っていた。あんまり見ると目が離せなくなるし、なんか変なこと口走りそうで見ないようにしていた。

 ちらりと見る。素晴らし過ぎるボリュームのおっぱいと、セクシーな水着と、美し過ぎる紫の肌のコントラスト。


 やべー最高に過ぎる。好き。控えめに言って人類史上最高の美女。可愛いのレベルが三桁くらい上。

 俺の努力はきっと無駄だし、何事も成し得ないし、勝ち目はないし、何もかもが無意味かもしれないけれど。


 でも、たぶん。いや、絶対に。

 乳母崎さんの存在だけは、価値があるんじゃないかな。


 今もつまらなさそうに仏頂面(ぶっちょうづら)の乳母崎さんを笑顔にできるなら、それだけで俺という存在にも意味が生まれるんじゃなかろうか。


 俺は息を吸う。ニーチェ先生から脳内にいくつもの苦言が呈される。


 『目的を忘れることは、愚か者にありがちだ』。

 おっしゃる通り。俺の一番の目的はおっぱいで、そして最大のもの、つまり乳母崎さんに集約される。

 でも、同時にこうも思う。乳母崎さんならおっぱいの有無に関わらず、俺の目的になりえる。哲学者にだってなれるだろう。


 『なぜ生きるかを知る者は、ほとんどあらゆる「どう生きるか」に耐える』。

 乳母崎さんのために生きるならば、俺自身の失敗や恥など物の数には含まれない。


 でもこれ、俺は逆だと思うよニーチェ先生。『なぜ生きるか』なんて漠然な問いに答えを出せる奴なんていないよ。

 自分で見定めた『どう生きるか』の積み重ねが、より良い運命を導いてくれるんだろ?


『大きな苦痛こそ精神の最後の解放者である。この苦痛のみが、われわれを最後の深みに至らせる』。

 目を逸らし続けていた痛みに目を向けろ。消極的ニヒリズムからの脱却だ。ルサンチマンというぬるま湯から出る時が来たのだ。


『真の自由の象徴、それは自分自身に対して恥じないことだ』。

 太宰治じゃないけれど、恥ばかりの人生だった。


 自分に恥じないのは難しいけどさ、まあ、最低限おっぱいと乳母崎さんに顔向けできない生き方はしたくないじゃん?


『お前が出会う最悪の敵は、いつもお前自身であるだろう』。

 そうだね。最後に立ちはだかるのは、いつだって俺自身の意気地の無さだ。


『君の魂の中にある英雄を放棄してはならぬ』。

 そんなものどこにも居ないって思ってきたけど、ちょっとだけ信じてみるよ。俺じゃなくて、そう言ってくれるニーチェ先生を。


 だからまず、ソーマに勝つ。勝つ努力をする。

 そしたらなんだか、俺を支配している無力感(ニヒリズム)から抜け出せる。そんな気がするから。


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