晴井彗 その09
昨日のことがどれほど俺の中で大きくなっているのやら。乳母崎さんに愛を囁かれながら抱き合う夢を見た。
最高の夢のようであるが、目覚めひどく切ない気持ちであり、同時に朝イチから恐ろしいほどに目が冴えていた。
時計を見るとまだ六時で、俺はしばし熊のように部屋をうろついた。
今すぐ会いたいという衝動と、そもそも俺と乳母崎さんの関係はなんなのだと諭す理性がせめぎ合う。
まだ出会って一週間もしていない、友達未満の存在。猫魂さんという共通の友人を持つ知己に過ぎない。
なのに、こんなにも、彼女のことを想うだけで胸が締め付けられる。これは重症だ。
俺はうろうろしながらRAILを開き、何度も文章を打ち込んでは消した。おはようはいい。その後の言葉が、RAILを送る必然性が必要だった。
無意味におはようRAILなんて、きっと気持ちが悪かろう。
【ハレ:おはよう。具合はどう? 良くなったならいいけど】
昨日の時点で夜は問題なかったはずだから、わざわざ送ってはおかしいか?
助けてくれニーチェ先生、俺を導いて……やっぱりいいや。ニーチェ先生は女性関係に失敗続きで、女性嫌悪や女性蔑視発言が多い。
そもそもソクラテスの言を逆説的に考えると、哲学者ってモテないんじゃないの?
俺は少し考え、前々から考えていたことを実行に移した。可愛いクマキャラのスタンプを購入。これだ。これがいい!
さっきの文言の後に、クマの【だいじょうぶ?】スタンプを張る計画。俺から滲み出る気持ちの悪い悪臭は、全てクマが中和してくれるはず!
送って一分もしない内に返信が来た……違う!! お前じゃない!!
【マッハ:おはようハレさん(ハート)いくらおねだりしても買ってくれないから自分で買いました(キスマーク)悪いんだ(ハートハート)】
【(修道服姿でゴムを咥えた自撮り)】
おま……ふざけんな!! シスター服姿でも性的に見るようになっちゃうだろ!!?
セクシーな流し目、ボディラインの全てを隠したシスター服でも隠しきれない爆乳。四連包装のコンドームを口にくわえて……あー、いけません。これはいけません。
【ハレ:朝からなにやってんですか、やめてください】
シスター・マナミの自撮りを百万回保存する。毎朝送ってこられたらイライラして仕方ねーぜ! 最高!
すぐに、返信音。早いなシスター。
【さきうば:おはよう先輩。もう大丈夫。クマちゃん可愛い。先輩には似合わない。可愛い】
俺はそんな乳母崎さんが可愛いよ。何回可愛いって言ってるの?
俺のイラつきは月の向こうまで吹っ飛んだ。癒し! 圧倒的な癒し効果……!
【ハレ:可愛いだろ? 女子相手に送れるスタンプが無かったから猫とクマの可愛いのを購入したのだ。】
【さきうば:わざわざ? キモい。】
【さきうば:ドン引き。非モテの悪あがき。努力の方向音痴。】
ですよねー……。
【さきうば:しかしクマちゃんの可愛さでそのキモさも緩和、上書きされる。随時使え。これは命令だ。】
【ハレ:(クマのやったー! なスタンプ)】
【さきうば:可愛い…】
よし! なおこの間に来ていたシスターの返信は無視。俺は朝食を食べて身だしなみを整えてバイトに向かう。
【さきうば:がんばってね】
がんばる。乳母崎さんは学校から特待生扱いらしいが、そのせいでアルバイトができない。
ということは、彼女と遊びに行きたいならば、俺がお金を用意する必要がある。もうすぐ夏休みだ。行くとしてショッピング、映画、水族館とかそんな感じか……? いや、もちろん映画以外はまだ誘ってすらいないからお断りされる可能性が高い。
でも、必要になった場合に備えてお金を稼ぐ必要がある。
…………そうだよ! 取らぬ狸の皮算用です! 乳母崎さんが一緒に出かけてくれるなんて到底思えないし、次がうまく誘えるかも分かんないけど。
それに、本人は目の前にすると大分攻撃的というか。俺のこと嫌ってそうな罵倒がばんばん飛んできて辛い。
RAILだと優しくて可愛いから期待しちゃう。
【さきうば:お疲れ様】
【猫命:こっちは楽しくやってるよ〜】
【(さきうばが画像を添付しました:猫耳ピースの猫魂さん)】
【(猫命が画像を添付しました:二人で抱き合った画像、マスクを外してコップのお茶を飲む乳母崎さん、テーブルの上に突っ伏した乳母崎さん)】
三枚目はよく分からんが一二枚目は最高に素晴らしい。むっちゃ可愛い二人のツーショットと、マスク外してる乳母崎さんを心行くまで鑑賞できる。ヤッホー!
【猫命:三枚目はうっぴーのデッキ、茶色入ってるのケーくんに見られたくないみたい】
茶色ということは俺の助言を聞いてくれたということだ。でも、それを俺に知られるのは恥ずかしいと。
ふふふ、俺の言葉に従うことに抵抗があるみたいだな。次会ったらそこら辺詳しく聞いてみようっと。
俺はニマニマしながら二人に返信し、休み時間をRAILしながら過ごした。午後もがんばろう、そう思えた。
午後七時まで仕事をして、俺の今日のバイトは終わり。
【ハレ:バイト終わりました。そっちはどう?】
写真付きのいくつものRAILを確認して、俺はグループのRAILにコメントした。
【猫命:今帰り道〜、この時間でも明るいし暑っついー】
【ハレ:昼間に比べりゃましだけどね】
【猫命:地球温暖化激し過ぎだろ。やはり海。海とビキニは全てを解決する!】
【ハレ:猫命さんのビキニか!】
【猫命:イエスマーシャル!】
【ハレ:結構厄いネタぶち込んてくるね】
猫魂さんとそんな感じの他愛もないバカ話をしながらも、俺は乳母崎さんから連絡が無いことを気にしていた。
食事中だろうか? なにかトラブルだろうか? しかし、乳母崎さんに直接呼びかけるのは気が引ける。
そのまま帰宅し、風呂に入り、食事を終えた。
だが、乳母崎さんからのRAILはない。俺はスマホばかり気にしている自分に気付いていた。その愚かさも理解していた。期待をするな。期待をするな。
今朝までの乳母崎さんが気まぐれだっただけ。俺と連絡を取る筋合いもない。
もしこれで、シスターに「乳母崎さんなにかありましたか」なんて聞いてみて「何もない」なんて言われてみろ。俺は勝手に浮かれて勝手に心配する自分の愚かさに立ち直れないだろう。
だから何もするな。向こうからの連絡を待て。
そのまま、俺は大会に向けてデッキの最終調整などで時間を使った。
十時になっても乳母崎さんからの連絡はなく、猫魂さんからのおやすみRAILに合わせて、俺も乳母崎さんに『おやすみ』のクマのスタンプを押した。
いつまで経っても既読は付かず、日付が変わる頃に俺は諦めて床に付いた。




