羅睺 その04
二人きりの部屋、二人きりの世界。
夢の中ではなく現実の世界で、私と晴井先輩は物理的に近い距離にあった。
しかし、心の距離はとても遠い。悲しくなるほど離れている。
私が先輩にどれほど想いを寄せても、先輩は静かに距離を取る。
理由なんて明白だ。
「先輩……」
「おっおう」
それでも、今だけでいい。今だけはそばにいて欲しい。
熱中症のせいで頭は痛く、身体は驚くほどにだるい。話をするのも億劫だ。
ほら、こんなにも弱っていて抵抗できないですからね。
いつも私がどれだけひどい仕打ちをしているのか分かっている。だから、その仕返しでもなんでもしてください。
胸が気になるなら好きにしていいんですよ。いつも思っていることを実行すればいいんです。
「……手、握って貰えますか」
手だけではなく、どこでも触れていいんですから。
好奇心のままに動いても、私の秘密を暴いてもいい。その程度では、私の罪への罰にならない。
ああ、そうだとも。これは罰なんだ。
幸せになってはいけない。楽しんだりしてはいけない。この世界の生き物ではない怪物が、好きな人と素敵な一日を送れるなんて浮かれていた罰。
この世界の神様はきっと見ていたんだ。私の悪徳を、許さないために。
「俺なんかでいいの?」
「はい」
あなたがいいんです。あなたにそばに居て欲しいんです。こんなワガママ許されないなら、代わりに罰を与えてください。
「手汗ひどいし、スケベで変態で顔も性格も頭も悪いし、息も足も臭いよ」
「知ってる」
少しえっちなくらい愛嬌です。顔も性格も好みです。頭がいいところを尊敬しています。足は知りませんけど、あなたの汗の匂いも吐息の香りも安心します。
そして、ああ何よりも。
「『昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか』」
「えっ」
あなたは闇の側の心を、憎しみを苦しみを知っている。
だから、分かち合えるのではないかなんて夢を見てしまうのだ。
「手……おでこも、いい?」
「ええと、うん」
冷却シートを剥がして、先輩の手がおでこに乗せられる。ひんやりとしているけれど、触れ合った部分からじんわりと、泣きたくなるほど温かいものが広がる。
切なくなって手を動かすと、間髪入れずに握られた。手袋の布地がもどかしい。もっとあなたを感じたい。
「…………つめたくて、きもちいい」
ずっと触れていたい。こんな私だけれど、こんな私でよければ。
先輩の心に見知った闇が蠢く。自己嫌悪の苦しみ。願わくば、あなたのそれを消してあげたい。
「……あかり消して」
「はいはい」
先輩が離れる。その隙に手袋を外す。素晴らしい思いつきだと思ったけれど、離れた途端に寂しさがこみ上げて止まらない。
ずっと一緒にいたいと思うのは迷惑だろう。でも、想いが止まらないのだ。
先輩が防壁を張る。異常な速度の思考が、私の邪悪な力を防ぐ。
これを無意識にやっているのだ。この人は私の天敵であり、同時に救世主であると言えた。
「まだ?」
我慢できずに声をかけた。私の所まで戻ってきて。なんなら抱きしめてキスしてくれてもいいのだけれど。
防壁が分厚くなる。すさまじい速度の思考が内容を読み取らせない。
きっと心は私を拒絶している。だけれど、先輩は優しいから。
ほら、すぐに来てくれた。躊躇いがちに手を握ってくれた。またおでこに手を当ててくれた。
とうしてそんなに優しいの? 聞いたらきっとまた、下心があるだけだとか言って誤魔化すんでしょう?
先輩の手を握る。指を絡める。両手ですがりつく。肌の接触面を、少しでも増やしたくて。
暗闇の中で、意識が落ちていくのを感じる。安心しすぎて眠くなっていた。
触れ合いながら眠れる幸せ。恐らく今だけの、一生でたった一度の幸運。
晴井先輩、お慕いしています。
晴井先輩、大好きです。
でも、何を足掻いても私みたいな怪物が好かれるはずがない。
先日読んだニーチェの本にも書いてあった。『愛されたいなどという要求自体、自惚れの最たるものである』。
私は先輩を愛している。あなたが救われ、幸せに生きることを願っている。
だが、愛されたいなんて、身の程知らずなことを願ってはいけない。
運命も、世界もクソだ。何もかもが憎たらしい。
だけど、先輩が幸せに生きる可能性があるのならば……ああでも、その時私は隣にいない。私では、先輩を幸せにできない。
私はそれを、受け入れられない。
どこかで誰かと笑っているのなら、たぶんそれがいい。なんて思えない。
ああそうか。
この世界を壊したら、私が先輩を殺すことになる。
それって、とても……………………甘美なことなのでは、ないだろうか?




