乳母崎ラコ その04
「朝はご活躍だったな、え?」
「なんでそんなに機嫌悪いの?」
「うるさい。悪党。女たらし。クズ。ゴミ。お前に食わせる弁当はない」
「ごめんなさい」
異様に当たりが強い乳母崎さんに、俺はとりあえず頭を下げた。
何がそんなにご不満なのだろうか。俺のやった事は大稲デイヤに発破をかけた事だけ。そのついでに約得として猫魂さんの肩を抱いたりしましたが、女の子ってあんなに華奢で柔らかくていい匂いがするのね! ぐへへ。
「ほら」
「わーいありがとう! 嬉しくて泣きそう」
「馬鹿。大げさ。逆にムカつく」
「いや、女の子の手作り弁当だよ?」
「女の子の?」
「乳母崎さんのでした。女の子なら誰でもいい訳じゃないですごめんなさい」
「うん、よし」
乳母崎さんが差し出したのは、紙袋に入った密封タッパーだった。上の段にはラップに包まれたおにぎり。下の段にはおかず。
「いただきます」
「味の期待はするな」
「感想はいる?」
「…………」
言った方がよさそうだな。とりあえずぎゅうきゅうに押し込められたおにぎりを一つ取る。
口を大きく開けてかぶりつく。
「待って」
前にストップが入った。何でしょうか?
「お米の下に海苔が、それと塩むすびだから具はない」
「あ、海苔が別包装ってことはパリパリ楽しめるのね! 乳母崎さん気が利いてる。お弁当初心者とは思えない」
「……………………」
海苔を巻いてかぶりつく。海苔はしなしなもパリパリも美味しい。どちらも味がある。おにぎりは少し力を入れすぎていた。俺かため好き。思ったより密度があるが塩気が多めなのでモリモリ食べれる。
一つ平らげた所で上の段をどかして下の段をオープン。
「お弁当初心者って……嘘でしょ?」
「お世辞はやめろ。苛つく」
おかずは唐揚げ、卵焼き、きんぴらごぼう、ブロッコリーとミニトマト。
まず彩色がよい。緑赤黄色、男の子の大好きな茶色。完璧よ。
「ネットで調べて家にあるものを詰めただけ。きんぴらはま……マナミさんが作った作り置き」
「つまり唐揚げと卵焼きは乳母崎さんね。オーキードーキー」
初心者マークが付いててニコニコしちゃうぜ。焦げっぽくてべちゃっとしている唐揚げと、表面がクマみたいな色した卵焼き。感動的!
唐揚げはさー、難しいよね。お弁当の揚げ物は湿気吸って衣がじっとりしちゃうし。そもそも衣の味が濃いと揚げた時点でベタつくじゃん?
「乳母崎さん真面目。優しい。食中毒が気になって確実に中まで火を通そうとしてくれてて嬉しい」
「下手なだけ。言い過ぎ。ただ焦がした。ガンになれ」
焦げ色は半ナマではなく火を通そうと努力した結果なのだ。少し焦げの味がする部分もあるが、消し炭ではない。
ちなみに卵焼きは甘い味付け。俺はしょっぱいのもどっちも好き。ただ、甘いのは焦げやすいよね。仕方ない。
全体的に味は濃いめ、お弁当だと味が薄く感じるからなのか、乳母崎さんの好みなのかはわからない。
「暑くて汗かくし、味が濃くて助かるね。すげーおいしい」
「おいしい?」
「マジおいしい」
乳母崎さんが目を伏せる。まつげ長いな。マスクのせいで表情の半分は見えないけれど、喜んでいると俺は判断した。
俺はうまいうまいとガツガツ食べた。実際味も悪くない。だが、作ってくれたという喜びが何よりもお弁当の味を良くしてくれていた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
「おいしかった! でさ、いまさらだけど……何で作ってくれたの?」
「本当に、いまさら」
だって、聞いたら機嫌悪くしてやっぱり無しって言われそうだし。それは、それだけは避けたかった。お弁当だよ? 乳母崎さんの手作り弁当。最高だった……!
「…………お詫び」
「猫魂さんのこと?」
「それもある。嫌なことを話させた」
何を言っているのか一瞬理解できなくて俺は苦情した。高校の話か。
「いいのに、別にもう気にしてないし」
「……………………」
うそつき。そう聞こえた。小さな声だったので確実ではないが。
「ダサい。見栄っ張り。鼻につく、癪に障る」
「そんなにぃ?」
「嫌なら言いたくないと言えばいい。先輩は気を遣い過ぎだ。馬鹿みたい」
「ふふ」
俺はつい笑ってしまった。当たりの強さは変わらないけれど、結局乳母崎さんは生真面目で優しい。
「乳母崎さんには言われたくないな」
「はぁ?」
「俺のこと好きじゃないけど、ミカヅキモよりかはマシでしょ?」
「…………まあ、カマドウマよりかは」
不快害虫よりマシかぁ……地味にダメージデカいな。
「それで?」
「評価が変わってるはずなのにずっと罵ってくるの、それが乳母崎さんの『素』だからじゃない?」
「い、意味が分からない。デリカシーがない。最悪。苛つく。とんだ風評被害だ」
しまった。これはやってしまった。訳知り顔であーだこーだ言われて、いい気分はしないだろうに。
だが、言ってしまったことは仕方がない。伝えるべきことを最後まで伝えないと。
「あーいやその、普段他の人にもそう思ってても、口に出してないのは優しさかなって」
「本当に優しい人はそもそも罵倒しない」
「そうかもね」
でも、それだけではない。誰にでも隠された一面、裏の顔はある。シスター・マナミは極端だけど。
「本当に優しい人の心にも深淵はあるし、怪物は潜んでいる。だからニーチェ先生の言葉が警句として機能している」
「…………逆も」
「ん?」
「逆もありえるのか?」
悪の化身みたいな存在にも、優しさは潜んでいるのか。何を言っているやら。
「当たり前じゃん。カンダタがクモを助けることに、誰も不思議を感じないだろ」
「……………………」
黙り込む乳母崎さん。何が癪に障ったのか。心当たりが多すぎるな。
これはあれだ。ビンタの覚悟が必要だろう。
「大変遺憾。この上なく腹立たしい。しかし、それでももしも先輩の言が正しいのならば、先輩はやはり見栄を張るな。卑怯」
…………ええと?
どこの合意を得たのか一瞬理解できずに俺は思考停止した。見栄か。つまり、戻った訳だ。
「でもね、『私を破壊するに至らないすべてのことが、私をさらに強くする』ってニーチェ先生も言ってたし、俺はこの状況を受け入れてる」
「…………馬鹿。鈍感。朴念仁。やせ我慢はほどほどにしろ」
えぇ……なんでまだ罵られなきゃならないの?