羅睺 その02
『青年を確実に堕落させる方法がある』
昼間読んだニーチェの格言集には、いくつか気になる言葉と、いくつもの気に食わない言葉があった。
『違う思想を持つ者よりも、同じ思想を持つものを尊重するように指導することだ』
私は羅睺。夢を渡る怪物。この地球という次元を破壊するために見出された、邪悪なる魔人だ。
地球を破壊するための『災厄の扉』を開くために、今週末の『デュエル・ディメンション』の大会に出場し、宿敵大稲デイヤとその仲間たちを下す必要があった。
「羅睺、あなたの新しいデッキです」
「ああ」
私が今まで使ってきたデッキは、全てこの男、シヴァから渡されたものだった。
魔人のナンバーツー、参謀役を自称するこの多腕三つ目の男は、私に最適なデッキをいつも用意してくれていた。
私はデッキの内容を確認する。
いつも通りの黒単色、妨害と除去に満ちた邪悪なるナイトメアデッキ。
新しいカードが何枚か入っている。しかし、大まかな使い方には変化がない。
「…………《悪夢の支配人イザベルト》」
「あなたにピッタリのカードです。使いこなせると信じていますよ」
見慣れた、対戦相手の心を読む闇のカード。
黒の5コスト。攻撃力防御力は7/7で、いくつかのスキルを有する。
常在効果で対戦相手の手札は常に表になり、裏向きのカードを確認して良くなる。
しかし表にするにはユニットの生贄が必須だ。生贄にした数だけ、コストが下がる。
その他に闇のカードの魔力により、相手の心が読めるようになる。
私はこのイザベルトと相性がいいため、使っていない日常生活でも、相手の表面思考が読み取れる。
「そうだな、これで奴らを震い上がらせてやろう」
「使い方の助言は必要なさそうですね」
「ああ、不要だな」
この不愉快な男から距離を取るべく、私は夢を渡って移動した。昨日は嘲笑うために訪ねたが、呼び出されるのは好きではない。あの男には反吐が出る。
私は邪悪で、次元を破壊すること以外に存在意義のない怪物だ。私の感情には意味がなく、私の表向きの生活にも意味はない。
健全な世界と存在の全てを憎悪する中で、同様に歪んでいて邪悪なシヴァにはより一層の嫌悪感を抱いた。同属嫌悪というものだろう。
私を見つけ出したのはシヴァである。
ある意味で、恩人だと言えた。
異形の怪物を、この世界の爪弾きものを見つけて、存在に意味を与えてくれたのだ。
それが次元の破壊という、罪深く、愚かな、大量虐殺だったとしても。
「『この世界の存在は全てが敵だ』」
幼い頃から毎晩のように、夢の中のこの世界で教え込まれた『真実』について、私は考える。
「『誰もがお前を恐れる、嫌悪する、石を投げる』」
私は怪物だ。角があり、牙があり、瞳孔が縦で、死人のような肌をしている。
「『優しい言葉は全てが偽りだ。お前を利用するための罠に過ぎない』」
シヴァが集めた八人の『仲間』。私と同じ魔人たち。彼らは皆様々な環境で虐げられ、苛まれてきた。
この世界をひどく憎み、次元破壊に何の抵抗も持たない。疑問もない。
そんな中で、恐らくただ一人、私だけが中途半端だ。
誰よりもひどい異形と、誰よりも強い力を持ちながらも、それでもヒトと悪魔の間の子に過ぎなくて。
実際、ヒトにも悪魔にもなり切れない。
「いらない、いらない、いらない……コストカーブ、スペル・ユニット比率か。ふふ…………いやいや、これで回ると思っているのか?」
どこの誰の夢かも知らない、見知らぬ学校の教室の隅で、私は新しいデッキを広げる。
アンバランスで、思想も理解もなく、ただ入れただけのカード群。ナイトメアは嫌いじゃない。強力な能力と戦闘能力、不運な対戦相手をさらに貶める力。
しかし、それだけの力。
自分よりも弱いものをなぶるだけならば、道具にこだわる必要はなかろう。
「『悪とは何か? 弱さから生じるすべての物事だ』」
ニーチェの言葉を口にすると、不思議と気持ちが軽くなった。
世界からはみ出した弱者だからといじけて、同じような連中と傷を舐め合いながら憎悪を上塗りして。それでその先にあるのは破滅だけ。
なぜ今まで、シヴァの言葉に不満を抱きながらも疑問を持たなかったのだろう。
なぜ今まで、愛を与えてくれるヒトよりも憎悪を囁くモノを重視してきたのだろう。
いくら考えても答えはない。
何よりも、結局のところ。
私はこの次元の生き物ではなく。
この次元のどこにも居場所がなく。
この次元に存在する価値がない。
だから、自分に意味を与えてくれるもののために生きる他ない。
ないのだから。
「あー」
私は乱れた心のままにカードを乱暴に掻き集めた。口からは苛立ちの声が漏れる。意味もない、ただの嘆き。
「先輩……ハレ? ケー? …………なんて名前だったっけ」
なぜ突然その名前を呼びたくなったのか、私は深く考えなかった。突然教室の扉が開いて、不安定な人影が現れたおかげかもしれない。
そいつはこの夢を見ている誰かなのだろう。しっかりと形のある学校と違い、ひどく不安定な泥みたいな身体をして、両目にあたる場所に開いた穴から、血のような液体をボロボロと流していた。
そいつはしばらく立ちすくんでいた。自分の夢に知らない誰かが存在するのだ。誰だってそうなるだろう。
それにしても、悪臭すら漂うヘドロのような姿に私は少しだけ共感を覚えた。きっとこいつも、世界と自分が嫌いで嫌いで仕方ないのだろう。
「ねえ、こっち来たら? 一緒に遊ぼう」
私の言葉に、そいつは両手で顔を覆った。両目から溢れる血の涙が壊れた蛇口みたいに吹き出す。
そいつは私に向かって足を進めようとして、自分の血涙に侵食されて崩壊した。