晴井彗 その06
「なんでわざわざ来る? 今日の気分が最悪になった。二度と来るな。死ね。
猫魂先輩は嫌な目に遭いませんでしたか?」
布田の研究所からバスに乗って学校に戻った俺たちは、併設する教会に向かった。RAILで連絡していたので、乳母崎さんが俺と猫魂さんを出迎える。
「使ったら捨てろ」
「ありがと、気が利くじゃん。洗って返すよ」
「雑巾だから本当にいらない」
投げつけてきたタオルは安物だが雑巾と呼ぶには少しばかり小ぎれいだった。
跳ねながら歩くせいであちこち濡れてる猫魂さんを、乳母崎さんが甲斐甲斐しく拭いてあげる。シスター服にマスクに手袋。今日も全身防備だ。
「見るな、死ね」
「めっ、うっぴーもうちょっと優しく」
「死んでください」
「えらいえらい」
「言い方が丁寧になっただけじゃねーか」
俺に対する氷点下の態度は置いておいて、猫魂さんには甘々、大稲デイヤには清楚に微笑んでいた。うーむ。もやもやする。もやもやだが……!
「分かったよ猫魂さん、これが猫か!」
「お、ケーくん分かる? このうっぴーの猫科ぢからが、外ではお高く澄ましてて、一部の相手には甘えん坊、それ以外にはツンツンツンツンデレ!」
乳母崎さんが猫科のツンツンだと考えると、耐えられる気が……いつかデレておっぱいの、いや、まず顔を見せてくれる時が来るといいな。
こないだの「ばーん!(ハートマーク付き)」も素晴らしかったが。
「先輩に向けるデレは未来永劫寸毫もないが?」
「あ、さっきのデレはありがとう。助かった」
「え!? なになに!? うっぴーデレたの! お赤飯!?」
「デレてません。風評被害だ。舌を引き千切り歯という歯をへし折って、タコ糸で口を縫い付けてやる」
「《抜け落ちた記憶》役に立ったよ〜」
「ああ…………ええ。あれは、ちょっとしたお詫びの気持ちかな」
「え? もしかしてうっぴー熱ある? 帰ろうか?」
「大丈夫です。熱はありません」
歯切れの悪い乳母崎さん。俺と猫魂さんは首をかしげる。お詫び? お詫びとは? 今さら普段の悪口雑言のお詫びとでも?
「最初に、私は先輩を雑魚と呼んだ……もう『運命潮力』の話は聞いたな?」
「聞いたし、信じがたいが疑いようがないと思ってるよ。乳母崎さんも高いんだろ?」
頷く乳母崎さん。やはりという気持ちが先行する。
「私には何となく『運命潮力』の強さが分かる。先輩は取るに足らない。そして、私の『運命潮力』は対戦相手のデッキに作用する」
「へえ〜」
「結果、凡百の人間では私の相手にならない。最悪の手札事故に苦しんで、抵抗すら出来ずに負ける」
それだから、乳母崎さんは『アルメ』が楽しいとは言えなかったのだろう。またやろうという俺に困惑したのだろう。
「でも、俺も負けたじゃん?」
「食い付いてきた。先輩は。後少しで私の喉笛を食い千切っていた」
顎を上げ、白い襟に隠された首筋を撫でる乳母崎さん。うーん、ごめんね。すげーえっち。
うなじの良さに目覚めそう。見えないけど。隠されたうなじに噛みつきたーい。
「猫魂先輩のデッキは、強かった。相性以前に、明らかに精度が上がっていた。
『運命潮力』だけで見れば先輩はコンクリートに這いずる赤ダニ以下の存在だが、それ以外は遺憾ながら称賛に値する」
「やっぱ熱あるよね? ケーくん、どうしよう」
「その格好が原因だと思うから脱がせるのがいいと思うなぁ!」
乳母崎さんは目を伏せた。小さく息を吐く。ちなみに下心が九割九分九厘だけど、正論だからね?
「全て取り消す。キモい。変態。二度と口を開くな。空気が汚れる。それ以上踏み込むな。床が汚れる」
「先生! ウチのコが、ウチのコが息を吹き返しました!」
「払った犠牲は大きかった気がするなぁ……」
だが、猫魂さんが冗談で済ませてくれて助かった。俺は今、自分が思っている以上に苛ついていたし、弱っていたようだ。
いま乳母崎さんがくれた言葉は、俺にとって何よりも代えがたい、砂漠でさまよった後に与えられたおっぱいのように、一も二もなくむしゃぶりつきたい言葉だった。
『運命潮力』はなくても、それ以外でも勝負できると。プレイングとデッキ構築能力を評価されたのだ。嬉しいに決まっている。
「ニヤケるな。キモい。虫唾が走る。先輩を喜ばせるような事を言った不快感で吐き気がする」
「ちなみに、乳母崎さんが相手の手札事故の心配をしないで済む方法を考えたんだけど」
「…………」
機関銃の掃射のような罵倒が止まる。よしよし、乳母崎さん的にもこれは嬉しいということかな?
「自分で作ったデッキではなく、構築済みや他人の作ったデッキと交換して使ったことは?」
「…………人の作ったデッキなら」
「あちゃー、残念」
行けると思ったんだけどな。
「自分で作ったデッキでないと効果が薄いって聞いたからさ、もしかしたらって思って」
「…………は?」
「最悪、俺の勧めたカードを入れると出力が落ちるんじゃねーかな……」
だとしたら、俺ってなんの価値があるのかな。アドバイスもできないのか?
そんな使ってないサブスクより無駄な俺を、乳母崎さんが鼻で笑う。どうぞトドメを刺してください。
「猫魂先輩は強くなったぞ?」
「そうだよ。ケーくんの先生が言ってたんでしょ?」
「何を?」
俺は顔を上げた。先生? ニーチェ先生か。何を言った? すぐに気付く。最初の日に猫魂さんに言ったことを。
『高みを目指すならば。
「『人の背中と頭に頼らず、自分の足と頭で考えろ』って。だから、ケーくんに教わったこととお勧めから考えて自分でデッキ作ったし、それで強くなれたよ?
今日さ、ブッティ相手にして確信しちゃったね」
猫魂さんは布田を、ライバル的なチームの一つだと言っていた。だから俺は、研究所に行く前に一つだけ助言をした。
できるだけ、デッキを元の状態に戻してから行くこと。
強くなった猫魂さんを、可能な限り秘密にしておきたい。そんな俺の要望に応えて、猫魂さんは弱いデッキで布田に負けた。
悔しい思いをさせて申し訳ないが、偵察としての価値はとても高かった。
「オススメされても、使うかどうかはアタシが決める。そういう事だと思うよ?」
「…………なるほど。先輩、私にもデッキの組み方を教えてくたさい」
「乳母崎さん大丈夫? 突然高熱出して吐血したりしない?」
「誰がするか。変態。妄想狂。気持ちが悪くてじんましんが出る。人の心配よりも自分の右腕と気道の心配をしておけ」
アームロックは嫌だけど、ヘッドロックだったらもしかして頭におっぱい当たるのでは? それって……ご褒美が過ぎるでしょ? むしろぜひお願いしたいんですけど?
「死ね」
「あ、お菓子買ってきたけどうっぴーも食べる? 手の汚れないやつ」
「ちょっと待ってください」
スマホを取り出す乳母崎さん。RAILかな?
机の上に置かれるパッキー、個包装のおせんべい、ラムネ。手が汚れるお菓子はカードゲームと相性が悪い。
「は〜い、おやつ食べるのくらい確認しなくてもいいんですよ〜」
ドアを開いてシスター・マナミが入ってきた。笑みを絶やさない長身のちょいぽちゃマシュマロ系シスター。バストは推定108! 俺の煩悩が全て詰まってるぜ。バブみを感じる。オギャりたい!
というか、乳母崎さんは夕飯前におやつを食べていいかどうかを尋ねたのか……可愛い。
「ま……マナミさん、わざわざ顔を出さなくてもいいのに」
「うふふ〜、ラコちゃんのお友達の顔が見たくて〜」
シスター・マナミから溢れる母性は、その規格外の巨乳爆乳……いや、超乳ゆえだけではない。乳母崎さんへの態度によると思っている。
乳母崎さんを構いたくて仕方ないのだろう。
「猫魂さんはチーム集まったの? ラコちゃんは説得できそう?」
「その話は……」
困った様子の乳母崎さん。そうだった。三人目のチームメンバーのことは、頭の痛い問題だ。
あーあ、乳母崎さんが入ってくれればいいのに。そして、ついでに顔とおっぱいも見せてくれれば最高なのにな〜。