乳母崎ラコ その02
「ありがとう」
「はあ? 聞こえんなぁ〜」
「調子に乗るなゴミカスが。死ね。死んでこの暑さで腐乱して身元不明になれ」
「冗談はともかく、下心ありありだから安心して受け取ってね」
戦闘ダメージ以外では捨て札にならずに手札に戻るユニット《帰ってきたサバイバー》。
乳母崎さんはその強さをすぐに理解したようだった。
…………《帰ってきたサバイバー》の能力条件は破壊ではなく『場から捨て札に移動する』である。それはつまり、破壊だけではなく生贄も効果の範囲に含まれるということ。
この間抜け面のおっさんは生贄にされようが火あぶりにされようが「死ぬかと思ったぜ」の一言で帰って来る。ナイトメアのように生贄を多数要求するデッキにとっては救世主のようなおっさんなのだ。
「…………」
俺の下心に警戒心を抱いたのか、手の止まる乳母崎さん。やだなー。俺ってそんなに信用ない?
信用ないだろう。当たり前だ。乳母崎さんから見れば可愛い先輩をそそのかす悪いオトコ。NTRを企む外道に見えているに違いない。
「乳母崎さんのデッキ、中速のクセに序盤にアドバンテージ取れないと中盤に息切れするでしょ?」
「は? しないが」
「してたじゃん? 猫魂さん相手に生贄不足でジリ貧になって負けてたし。俺の時も《悪食のナイトメア》まで生贄にしてギリギリだったし」
「黙れ。事実暴露はスパイ容疑で裁判無しの極刑だが? ロープがないから図書室のカーテンで代用してやる」
「なので俺からの提案は《あ! クマ》を活かして序盤を耐え抜く戦術です」
乳母崎さんが目を閉じた。まつ毛長いな。胸の前で腕を組む。猫魂さんのおかげで腰が細いのを知っているからいいものの、知らなかったらこの豊満なバストのカップに心悩まされて毎晩と授業中しか眠れなかったことだろう。
ちなみに《あ! クマ》は同じ戦場の敵味方全員の攻撃力を-2するスーパーなごみ系かわいいちゃんだ。
「今すぐ永眠するか?」
「なんで!?」
「続きは」
あ、それは聞く体制だったのね。
「《あ! クマ》の攻撃力減少能力は小型の相手には有効だよ。でも攻撃力4以上には《あ! クマ》が耐えられない。中盤以降は不利になる。
そこで俺が提案するのはこちら。茶色で《あ! クマ》をさらに硬くする。あるいは危険にする」
「危険? クマちゃんを危険に晒すと?」
「乳母崎さんクマ好きだよね」
「…………」
黙り込む乳母崎さん。クマが好きなのは見れば分かる。デッキケースにぬいぐるみ付けてる時点で普通に分かる。
「はいこれ《攻守交代》」
「紙?」
『紙』とは、カードとしての価値が低い、役に立たないゴミみたいなカードを指す蔑称である。
《攻守交代》は、まあその、つまり弱い。攻撃力と防御力を入れ替える効果があるのだが、これがまた使いづらい。
そもそも攻撃力と防御力に偏りのあるユニットが少ない。同じコストでもう少し優秀な除去がある。使っても有利になれない。など。
最後が特に理解が難しいので説明をするとしよう。対戦相手のカードに使うとして、こちらの目的は『頑丈な相手を倒したい』あるいは『攻撃特化の相手を止めたい』になる。
前者で発生するのは『突然攻撃力の塊になった敵ユニットと味方ユニットの相打ち』。つまり二体一交換で不利。
後者では、そのターンだけの時間稼ぎ。それだったらどちらかのパターンだけでも確実に除去できるカードが欲しいのよ。
「《あ! クマ》を2枚置くか、他に攻撃力を下げる方法と組み合わせると即死級の効果になる」
「例えば?」
「これ」
「あっ、可愛い〜!」
俺が出したカードのイラストは、ファンシーな乗り物遊具で遊ぶファンシーなぬいぐるみたちというもの。ちなみにこっそりと天使や悪魔みたいなのも混ざってる。
乳母崎さんが黄色い声を上げた。目元もニヤけている。掴みはオーケー。
「そこは紳士の社交場。攻撃力を-1する戦場だ」
「…………」
「下心ありありだから安心して受け取ってね」
警戒心も露わな乳母崎さん。俺はさっきと同じセリフで道化てみたが効果は薄い。
「書いたはず。私は参加しない」
「知ってる」
「ならなぜ」
そう、昨日グループRAILでチーム戦への参加をお願いした猫魂さん。だが、返事はつれないものだった。
「俺の周り、同レベルで勝ったり負けたり出来るプレイヤーが居ないんだよね」
「…………」
「昨日の対戦、俺は楽しかったし悔しかった。野郎いつか泣かすって思ったね」
「ははっ、無理」
煽り散らかす乳母崎さん。いつか泣かす。ガチ泣きされたら困るので、悔しがらせて地団駄踏ませるくらいで勘弁してやろう。憶えてやがれ。
「乳母崎さんは楽しくなかった?」
「…………」
「俺はすげー楽しかったよ。似た熱量の相手と対戦して、カード見ながらあーだこーだやるのは楽しい」
「手札事故ってたのに?」
「手札事故はカードゲームの醍醐味だろ? 怖がってたら楽しめないよ」
乳母崎さんの目元が緩んだ。笑ったのかもしれない。理由は分からないけれど。
「今度リベンジな。次は負けねーから」
「冗談」
「これが俺の下心」
鼻で笑う乳母崎さんだったが、俺の言葉に瞬きした。またやろう。またやりたい。それを一番伝えたかった。伝わったかな?
「先輩、今から私は一つ嘘を吐く」
乳母崎さんの突然の言葉に、俺は首を傾げた。いきなり何? 嘘宣言?
「馬鹿、変態、キモい、息が臭い、言うことも臭い、生理的に無理、性格も最低、胸ばっかり見るな、ゴミカス以下、ゴキブリの方が好感持てる」
突然の罵倒ラッシュに、俺は死んだ。あまりにも理不尽。ちょっと待って、待ってください。
どれか一つ嘘ってこと? 一つだけ嘘だとしても、残りが本当なら致命傷を大いに越えてオーバーキルだよ?
予鈴が鳴る。激しいダメージに息も絶え絶えな俺を見下すように乳母崎さんが立ち上がった。例のカードホルダーは拾っていく。
致死量の言葉に身動き出来ない俺の肩に、乳母崎さんが手を置いた。耳元に顔が近寄る。髪が揺れ、爽やかでいい匂いがした。甘い吐息が耳元をくすぐる。
「…………でも、好き」
トドメを刺されて全く身動き取れなくなった俺を振り向くことなく、乳母崎さんが去っていく。お、お前……そんな、そんなことが許されると思ってるのか……?
最後の一言が嘘であることは確実、間違いなしであった。
けど、俺を身悶えさせるには十分以上の効果があった。
そのまま俺は……午後の授業に遅刻した。
明日はお休み頂きます。