晴井彗 その01
―――これは、俺の神が死ぬまでの物語である。
「オタクくん、カードゲーム分かる?」
期末テストも終わった七月の昼休み、外は熱中症に気を付けねばならないうだるような暑さだが、教室の中はエアコンが効いている。
俺は昼メシの惣菜パンを咥えながら、机にカードを広げていた。いつもツルんでいる連中は、図書館に新刊のラノベが入ったとか言っていた。なので一人、トレーディングカードゲームのデッキを組んでいた。
トレーディングカードゲームとは、あれだ。トランプやウノみたいに最初から内容物が決まっているものではなく、ルールに従い好みのカードで山札を作り、対戦する知的遊戯である。
「やるよー、つーか猫魂さんこういうの興味あるの?」
「あるある、アタシもやってるし」
「マジで?」
「マ」
前の席に座り、背もたれの上に腕を組む。俺はカードから視線を上げた。上げられなかった。途中で引っかかって止まってしまったからだ。
「なにやってるの? 『モンカ』? 『クラフト』? 『フラバ』?」
「おんなじだよ、アタシも『アルメ』」
男子ならば分かってくれるだろう。俺の視線が安物の中古スマホみたいに、ワイプの途中で止まった理由が。
その前に説明しておくと、猫魂さんはいわゆるギャルだ。明るくて、皆と交流があって、ちょっとバカなタイプ。
髪の毛は明るめの金髪のセミロング、内側をダークな紫にしている。どういう技術なんだろう。小麦色の肌で目が大きい、名前通り猫っぽい雰囲気。クルクル表情が変わり、よく笑う。よく眠り、よく走る。男子からの人気は高い。
人気の理由は可愛さもある。だがそれ以上に、隙が多い。
ミニスカートなのによくカバンでスカート挟んでる。足を開いて座る。階段をぴょんぴょん上がる。前屈して物を拾う。
分かるな? みんな猫魂さんが大好きだよ。だって、目で追ってれぱ毎日のようにパンツ見せてくれるんだよ?
一部の女子からはウケが悪いけど、本人がマジモンの天然で、びっくりするほどノリが軽いから、いつしか呆れて反感も無くなる。
ああ、念の為に言っておくと、俺は違う。パンチラもパンモロも興味はない。もっと気を使えと心配になるが、喜ばない。俺はそんな連中とは違うんだ。
いいか? 大事なことだ。
有志の調査によると94のGだ。何の話かだって? もちろんバストサイズ。おっぱいに決まっているだろう!
エアコンが効いているとはいえ、教室の気温は28度前後、我慢できない暑さではない。それでも薄っすら汗ばむ。
ワイシャツのボタンはみんな上まで閉めていないし、当然ガードの緩い猫魂さんは第三ボタンまでオープンだ。
さて、話を戻そう。今の猫魂さんの姿勢だ。
椅子の背もたれに腕を組み、その上に重そうなバストをよいしょと重ねている。腕に持ち上げられた小麦色の谷間。薄いパープルの下着はフリフリだし、もしかして見せブラではない? いや、見せでも見せちゃダメでも同じだ。俺のような非モテにはどちらも同レベルに見えたら嬉しい。
嬉しい? 小学生か? 語彙を失って赤ちゃんになってしまったようだ。だがしかたないよ。おっぱいの前では誰だって赤ちゃんだよ。ばぶー!!
薄いパープルのアジサイのようなフリルの付いたブラに包まれた、むっちりとしてつややかで適度な弾力があって柔らかなそのおっぱいを間近で見ることができた。この世に生まれて良かったと両親に感謝をするしか無い。サイコー! ブラチラ、谷間サイコー! 生きててよかった!
俺は心のシャッターを連打し、メモリがはち切れんばかりに保存をした。永久保存だ。これまでの人生で、これほどのおっぱいをこんな近距離で見れることなど無かった。つまり、今この瞬間が俺の人生の最高潮ということになる。
心の中でニーチェ先生が囁く。俺の尊敬する哲学者ニーチェ先生。彼の言葉が警告として脳裏を駆け巡った。
『おっぱいを覗き込む時、おっぱいもまた君を見つめている』違う、そっちではない。いや、合っているけれど。おっぱいは視線に敏感なのだ。
『最も人間的なこと、それは誰かに恥をかかせぬことだ』そうそれそれ!
勘違いしてもらっては困るが、俺はおっぱいが大好きだが、同時に紳士である。女の子に恥ずかしい思いをさせるのはもっての外だとニーチェ先生も言っている。
「お、これ買った? 金曜発売の新パック」
ここまで俺の思考は一瞬だった。猫魂さんの「おんなじだよ、アタシも『アルメ』」に対してよどみなく答える。視線の移動も外から見れば滑らかだ。何の不信感も抱かれていない。
ちなみに『アルメ』は『デュ『アル』・ディ『メン』ション』の公式略称『アルメン』がさらに略されたいわゆる通の呼び方だ。
「えー、知らなかった!」
「今整理してるけど、猫魂さん何色?」
『アルメ』呼びをするということは猫魂さんはプレイは長い、しかし、自分から情報収集をするタイプではない。
恐らく、見知ったカードを触ってるのを見て話しかけてきたのだろう。俺は可愛くて巨乳の女子と至近距離で話すという激レアイベントに感激しつつ、その出会いを提供してくれた『アルメ』に感謝する。
「紫、見ていい?」
「もちろん!」
『アルメン』には八色のカードタイプがあり、同じ色のカードを集めたほうが強いカードが使いやすくなる。
しかし、対策されやすくなったり、一つの色ではできない事があったりと制限も多い。
猫魂さんが前かがみになり紫カードの山を手に取った。一枚ずつテキストを熟読する。やはり事前情報は集めないタイプみたいだ。
俺は汗に湿った谷間に視線を送りながら、偉大なる我らが乳神様と世界の全てに祈りを捧げた。
「神よ……」
「あ、オタクくん神様信じてる系?」
口に出ていた。
俺は平静を装って話題を変える。
「紫だと、『アグロおでん』?」
「キモいカードニガテ、ハヤニエじゃん?」
『アグロおでん』は現在環境トップデッキの一つ、紫の大型フィニッシャーである《捧げられたウォーデン》を高速かつコストを踏み倒して呼び出す速攻デッキだ。
しかし、そのイラストは確かにグロテスクで、槍で串刺しになった老人にカラスがたかっているものだ。
「欲しいカードある?」
「…………オタクくん、名前なんだっけ」
俺はショックを受けなかった。こちらは毎日お世話になっているが、猫魂さんにとっては俺は十把一絡げ。教室の背景に過ぎない。
「晴井彗だよ、憶えなくていいけど」
「寂しいこと言わないでよ、つーかアタシはケイトだよ! おそろいじゃーん! ケイとケイトでK2的な?」
満面の笑みを向けられて、俺の心臓がギュッとなる。心臓発作で死にそうだ。
「でさ、ケーくん。お願いがあんだけど」
「なんでも言ってください」
両手を合わせた衝撃で、猫魂さんのおっぱいが揺れたのを見逃さない。なんでも聞きます。
「アタシに『アルメ』を教えて! どうしても強くなりたいの!!」