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乳母崎ラコ その01


 水曜日は雨だった。七月の雨は湿度がつらい。学校という空間にはなんとまあ何百人という人間がひしめいていて、そいつらが出す熱気が不快指数を底上げするのだ。

 服は身体に張り付くし、汗はかく。一昨日から、俺はハンカチと制汗スプレーと、汗拭きシートを持ち歩くようにしていた。


 俺はこれでも思春期の男の子である。女子の近くにいる際は、自分の汗が気になるもの。

 ニーチェ先生は『他人に恥をかかせるな』と仰っているが、同じくらい不愉快にもさせるべきではないと俺は思う。


 というわけで、少し明るい話をしよう。


 いいだろうか? 私立高校普通科は、男女比が半々。つまりこのひしめく生徒の半数が女の子である。

 さらに、彼女らには平均して二つの、そう、大小にまあ誤差はあるものの二つのおっぱいを有しているのだ。


 ああ、もちろん大きいに越したことはない。巨乳最高だ。おっぱいは正義だ。

 では小さいのはどうなのか? ここはニーチェ先生ではなく古代ギリシアの哲学者ソクラテスの言葉を借りよう。


『とにかく結婚し給え! 巨乳と結婚すれば幸せになれる!! 貧乳と結婚しても、ほら、哲学者になれるよ?』


 湿度の高い日は、夏服の薄いワイシャツが肌や下着に張り付いて透けやすい。ガードの固い女子は下着の上に肌着を着るからそれも見えないが、俺のレベルになると肌に張り付いて身体のラインがピッチリと出るだけでも十分なのだ。


 そんな雨の昼休み、俺は図書室に足を向けていた。図書室は漫画は無いがラノベはある。これまでも時々利用してきた。

 そして、その中で俺は利用者のチェックもしていた。うるせー。いいだろ別に! 図書委員と常連のバストサイズを妄想するだけなら罪ではない。気付かれたら気持ち悪いし村八分だろうけど、想像するだけなら悪じゃないんだよー。


「…………いた。けど、アレは」


 派手な赤い髪を逆立てた、図書室ではあまり見かけないタイプ。適度に筋肉質で、明るくてやんちゃで、笑顔があどけなくて、女子が放っておけないタイプのバカな男子。もちろん顔はいい。

 俺はその男と、彼の前で清楚(せいそ)な笑みを浮かべる女子生徒を見比べた。ひどく気分が悪い。胸の奥に鉛を流し入れられたような気持ちだ。胸がムカつき、吐き気がする。


 何か冗談を言ったのか、男が大きな声で笑い、女がクスクスと笑う。俺はどちらに対しても強い憎しみを覚えた。

 いや、この感情は嫉妬(しっと)だ。身を焦がすような激しい嫉妬に蓋をするために、俺は男女から目を逸らして書架を移動した。ここにいてはいけない。


 『孤独を味わうことで、人は自分に厳しく、他人に優しくなれる。いずれにせよ、人格が磨かれる』


 ニーチェ先生はそう教えてくれる。そうだ。俺はこの苦しみの中で強くなればいいのだ。それだけのことだ。

 意識を新刊に移す、興味のある本をパラパラと読む。男女から意識を反らして。


「先輩」

「うおっ」


 遠慮がちに裾を引かれ、俺は驚きの声を上げた。振り返ると、さっきの女子がそこに居た。

 この暑い中、カーディガンを羽織り、その下にはベスト。黒タイツに白手袋。冷感素材の黒いマスク。髪形は鋭角なボブ。黒いインナーをしっかり着込み、首の露出もない。真夏なのに着込み過ぎで、バストサイズがまるで分からない!


乳母崎(うばさき)さん」

「さっき見ていたな? キモい。汗臭い。服がベタついている。目付きがいやらしい」

「悪かったよ、もういいの?」

「いい。絡んできただけだ。私よりも猫魂(ねこだまし)先輩に会いに行けばいいのに」

「マジそれな」


 長いまつ毛、鋭い視線。さっきの男、猫魂さんの幼なじみである大稲(だいな)デイヤに向けていたものとは、まるで違う。攻撃的とも言える目つき。

 まあ、そりゃそうだよ。俺は気持ち悪い変な男で、あっちはスポーツ万能なイケメンだし。


「読書の邪魔。消えろカス」

「マジごめん、何読んでたの?」

「…………」


 詮索するなと目が語る、俺は肩をすくめて手にしていた新刊を書架に戻した。


「今日だけどさ」

「RAILの確認はした。黙ってろ。用もないのにその汚い顔を見せるな」


 一言交わすたびに罵倒が三つは飛んでくる。俺はめそりとする心をグッと食いしばって耐えた。

 もうすこしその、手心と言うか……。


 俺みたいな底辺ゴミカスおっぱい偏執狂に優しくしてくれとは言わないから、せめてその辛辣(しんらつ)な言葉のナイフを半分にして頂きたいと願うのは不可能だろうか。

 やっぱり半分でも辛いな。


「昨日の対戦で気になった点について提案というか……」

「負け犬が? 勝った私に?」

「…………はい」


 鼻で笑う乳母崎さん。実際俺は乳母崎さんのデッキにボコボコに負けた。場の状況だけを見ればワンサイドゲームだった。

 そんな俺が乳母崎さんに助言とか提案とか、見当違いも(はなは)だしいというもの。


「あっち、日陰だし密談向きだ」


 しかし、乳母崎さんはあっさりと俺を受け入れ、罵倒もなしに奥に案内した。

 目立たない場所にある椅子に座る乳母崎さん。俺はその正面に着くと、ポケットからカードホルダーを取り出した。


 ポイントカードとかを複数入れるポケットタイプのカードホルダーである。もちろん中身は『アルメ』のカード。


「何この間抜け面」

「ひどい」

「……いや、比較的凛々しい」

「ひどい」


 俺が提示したカードは、確かに間抜け面したボロボロのおっさんが汗を拭きつつ笑っているカードだ。

 フレーバーテキストも『危なかった、死ぬかと思ったぜ』と、もうダメそうな雰囲気。


 だが何よりも、俺の顔をマジマジと眺めた後におっさんを褒められると泣きたくなってくる。


「私黒単色だが? 馬鹿か? 脳みそ空っぽか? それとも色が判別つかないのか? 悪いのは目の方か?」

「茶色との複色を勧めてんだよ。でも、このカードだけなら黒単色でも使える」


 そう、おっさんは防御が得意な茶色のカード。名前は《帰ってきたサバイバー》。


「…………除去よけ?」

「だけじゃないんだなぁ」


 テキストは『このカードが戦闘ダメージ以外の方法で場から捨て札に移動する場合、捨て札ではなく手札に戻る』。

 戦闘能力は皆無。1コスト使ってまで表にする理由のないザコだ。


「レアなの、コレ」

「2枚持ってるぜ。使うならどうぞ」

「…………」


 乳母崎さんは逡巡(しゅんじゅん)した後、(うつむ)き、小さな声でこう言った。


「ありがとう」



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