刹那の栄光 その08
陰謀論は好きだ。甘くて優しいからな。
疲れてる時のチョコレートみたいに、心と身体を癒してくれる。まあ、陰謀論は麻薬入りだけど。
自分の人生においてどうしようもなく、ままならないものがあったとする。
そこにはなんの理由もない。ただ人生は残酷なだけ。そんな無謬性を許容出来る人間は稀だ。
当然俺も、自分の積み上げてきたものが親のポカで崩れ去ったその時は荒れた。今は許そうと思えたけど。
大稲デイヤもそうだったろう。飛行機事故で家族全員を失った子供。
陰謀論はそこに、答えを用意してくれる。無いはずのものに理由を付けてくれる。
自分しか知らない人生の答え、世界の秘密だと囁かれても抵抗できるのは、どれほど強い人間だろうか。
少なくとも俺には無理だろう。
陰謀論より先にニーチェ先生に出会ったから、俺は虚無感に耐えられただけ。順序が違ったら分からない。
「オレの事はどれだけ知ってる?」
「子供の頃に飛行機事故に遭ったことと、家族を失ったくらいは」
「たった一人の生き残りのオレは、でもさ、そんなに不幸じゃなかったんだよ」
大稲が頭を掻く、少し困ったように。
十年前なら六歳だ。小学校には入学していたのだろうか。俺は当時のこともよく憶えているが、きっと大稲は違ったのだろう。
突然の環境の変化から心を守るために、それ以前のことを曖昧にしてしまってもおかしくはない。
「おじさんおばさんは子供が居ないから良くしてくれたし、隣はケイトが住んでた」
それについては羨ましさしかないな! 幼なじみゲットおめでとう! 妬ましい!!
「だから物心つく頃には飛行機事故も兄貴も両親も、『過去のこと』で受け入れていたんだ。
これを言うと結構冷たいって思われるけど、自分のことだけど他人事みたいに」
「『事実などというものは存在しない。存在するのは解釈だけである』」
「ん?」
ニーチェ先生の言葉だ。首を傾げる大稲。
「あるいは『世論と共に生きるものは、自分に目隠しと耳栓をしている』だな。
大稲、おまえは過去を受け入れて乗り越えている。『過去の不幸を永遠に引きずらなければならない』なんて偏見にゃ耳を貸す必要はない」
大稲は困ったような、嬉しいような、泣き笑いみたいな説明の難しい顔をした。
「こいつ、いつもこうなの?」
「そうだ。説教くさい。面倒くさい。息もくさい」
「えー? ケーくんの息いい匂いだよ?」
「え?」「え?」「知ってます」
猫魂さんの爆弾発言に大稲とアミが青くなる。人の息の匂いなんてどこで確認してるの!?
「ケーくんは汗の匂いとかも気にしててかなりポイント高い。デイヤも気にするべき……あ、アタシ以外といる時はね?」
「うぬぬぬ……」
自分の汗の匂いを確認する大稲。いや、自分の匂いは分からんよ。
それより注目点は、猫魂さんが大稲の匂いなら汗臭くても気にならないと言った所かな??
「むしろ好きな体臭だと思っていますね」
「大稲を?」
「馬鹿。鈍感。カメムシ。話の前後を読め。彗さんをです」
うええ……取り敢えずその方向で褒められると照れるからやめてぇ。
「ククク。晴井の言うことは最もだ。オレ様は出会った時にデイヤを『過去の不幸を忘れて能天気に生きるボンクラ』だと思ったものだ」
「言われたな」
「後にそれは『不幸という呪いに縛られぬ強さ』だと分かった」
ソーマが大稲を褒めるのは珍しい気がするが、すぐにその解釈は違うと気が付いた。
ソーマは文句を言いながらも大稲とチームを組んだし、友人として隣にいる。ソーマみたいに偏屈な変人にとって、それは最大限の好意だと思えた。
そして俺は、今まで考えもしなかった事に直面していた。
馬鹿な。おいおい。大稲お前はもしかして……。
「だけど、布田博士に『真実』を聞いた時には飛びついちまった。今思うと、博士も『洗脳』されてたのか?」
「恐らくは、な」
これについては俺とマナミさんは違う意見だが、死人に関してあれこれ言うのはやめておこう。
大稲たちを利用して『向こう側』にもう一度行き、研究をしたかっただけかもしれない。
もちろん『洗脳』もされていたかもしれないが、本人の意志だった可能性がある。
「オレにしかできない使命。戦い。過去の不幸の清算。嬉しいだろ?」
「…………」
乳母崎さんも、恐らくはソーマやアミも思うところがあるだろう。陰謀論の甘い詭弁に騙された者として。
そういう点で、俺にはマナミさんがいた。今思えばあの自撮りすら警告だったのでは?
『あなただけに秘密の写真』興奮と勘違いを誘発する言葉だ。詐欺師の常套手段であり、陰謀論でも使われるやり口。
眉に唾を付けてフラットな視点でいられたのは、マナミさんのおかげ……だめ、もう俺は自分を騙せない。マナミさんがそこまで深く考えているとは思えないし。
「大稲、おまえは布田博士や司馬を許すことができるか?」
「許すも何も、もう受け入れるしかねーだろ? 終わっちまった事だ。それに、おかげでお前に会えた」
「ん?」
俺の中でニーチェ先生が頷く。
『心の中に至るべき未来のビジョンを抱け。そして今の己は過去の末裔であるという迷信を忘れよ。さすれば未来へ向け工夫し、やらねばならぬ事が限りなくあると気付くだろう』。
大稲は恐ろしいほど過去に対して公平だ。そして、感情に素直で、誰よりも正直に生きている。
それは不幸を乗り越える力であり、不動の明るさであり、猫魂さんが太陽と呼ぶに相応しい揺るぎなさ。
あまり認めたくない。だが。
きっと、大稲は俺の知る誰よりも『無垢』に、ニーチェ先生の提唱した『三段階の階梯』の最上位に近い。猫魂さんが惚れるのも、乳母崎さんが惹かれたのも分かる。
大稲はなんだかんだで人格的に器が大きい。彼こそが『超人』なのだと言われたら、悔しいけれど納得してしまいそうなほどに。
「晴井、あまりにも唐突に現れて、俺たちの何もかもを完膚なきまでに破壊した。
お前は恐竜を滅ぼした隕石みたいな奴だよ。そしてそれは、次の時代を作るのに必要な破壊だった」
大稲の俺評に苦笑いをする。そんなにだいそれたものではない。俺は、他の連中が見えなかったものが見えていただけ。
「俺はすごいもんじゃないだろ? ただ教えただけ、それぞれの運命は、それぞれが選んだ行動の結果だ」
「ククク、ならばお前は『兆しの星』だな」
ソーマが笑う。その後を引き継ぐように、乳母崎さんが一同を見回す。
「凶兆として困惑するもの。
新たな人生へ花開く祝福に見えたもの。
そして、ただの光に意味はないと無視をしたもの。
私たち全員の心に変化のきっかけを与えたほうき星。それが彗先輩ですよ。
『運命潮力』に呪われず、誰よりも『無垢』に私たちと向かい合ってくれましたから」
その評価に、俺は苦笑いした。一時的にでも、俺も『無垢』の領域の領域に手が届いていたのかな? ニーチェ先生は、どう思う?
『人は行動を約束することはできるが、感情は約束できぬ。なぜなら、感情は気まぐれだからである』
『常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある』
当たり前のことのように、脳内に格言が再生される。その内容に、俺は呆れ返った。
ごめんなさい、そうですね。全くもってこの期に及んでも俺は『脳みその足りない案山子』だった。
『無垢』とは。『超人』とは。
その答えは、ニーチェ先生自身が身をもって出していたではないか。
感情は約束できない。この世に永遠なんてない。
たとえ『超人』に成りえたとして、それは所詮、刹那の栄光に過ぎないのだ。
であるならば、届かないと嘆くのではなく手を伸ばし続けることに意味がある。ほんの刹那でも、指先に触れただけで意味があるのだ。
最期は狂気と没落であったとしても、ニーチェ先生も手を伸ばしていたんだろ?
だから俺も、もうちょっと頑張ってみるよ。
まずは、俺自身と大稲を肯定するところから。




