それから その04
「らっしゃい」
「店長、お座敷空いてますー?」
「アイヤー!? 晴井サン! ウチ豚肉料理仰山アルよ!」
「この子イスラームじゃなくてカトリックなので大丈夫です」
バイト先の中華料理店はそれなりの繁盛だった。カウンター席は満席。テーブル席はそこそこ。二部屋あるお座敷は……ラッキー。空いてるね。
「ラコさん、そっち」
ちなみに俺からの呼び方は、一周回ってさん付けに落ち着いた。
頭の中では未だに乳母崎さん呼びだけど、いずれ慣れるでしょ。
「待って待って晴井サン。割引するからちょっと来るアルよ」
「先座ってメニュー見てて」
「わかりました」
乳母崎さんが座敷に上がると、店長がワナワナしながら詰め寄ってくる。
「こないだのゴージャス美女はどうしたアルか?」
「あれは今の子のお母さんで、ナシ付けられました」
「モテ期! モテ期アルね? 私も奥さん欲しアルよ!」
「まずそのインチキキャラやめたらどうです??」
生まれも育ちも横浜市金沢区の純正日本人なのになんちゃって中国人キャラなのは……まあ、店長はオッサン客に人気だから今更キャラ付けやめれないよね。
「お付き合いするアルか?」
「それ、伝える必要ありますか?」
「時給払うからなれそめから告白まで惚気て頂戴。人の幸せで酒が美味い! それと、夏休みのシフト減るならバイト募集しないといかんアルネ」
「募集お願いします」
「…………そりゃめでたい! 盛り上がってきたアルネ」
人の幸せを肴にできるって……店長は聖人かな?
お座敷は四畳半で、まんなかに掘りごたつ。夏はただのちゃぶ台だ。乳母崎さんは難しい目でメニューを見ている。
「もちろん奢るから、食べたいもの選んで」
「食べたことのないものばかりで……」
「外食初めてだっけ、ラーメン食べたい? 俺のオススメでいい? 辛いの平気?」
「平気です。オススメでお願いします」
真夏にラーメンは暑いもんね……。
一応店内はエアコン効いてるけど、汗だくになりそう。乳母崎さんは厚着だし、別のものにしよう。
「店長! レバニラ定食とマーボー定食お願いします!」
「アイヨー」
「水汲んでくるね」
セルフサービスではないのだけど、勝手知ったるバイト先。俺は二人分の冷水を用意して座敷に戻った。
乳母崎さんは本を開いていた。俺が戻ったのを見て閉じる。
「読んでていいよ」
「いえ、手持ち無沙汰だっただけです」
「何の本か聞いていい?」
俺の質問に、乳母崎さんは視線をそらした。え? 何その反応!? 聞かれて困る本……?
「単なる好奇心だから、言わなくてもいいよ。でもさ、俺は実はラコさんのこと全然知らないんだよね。
好きな食べ物、好きな本、好きな音楽、趣味……図書室にいつもいるから、本が好きなことは知ってる」
「変態。正直キモい。メモに取らず暗記しているのも逆に怖い」
「…………図書室に出入りしている女子の胸の大きさリストを脳内で作っていることですか?」
深々と頷かれた。それを言われると辛い。いや、弁明しておきますと、考えただけで誰とも共有していないし、ささやかな楽しみだったんだよ。
『図書室』と口にした途端に脳内にデータが出てきたのは不幸な事故だよ??
「先輩のそういう趣味は理解に苦しむ。クソが」
「口汚いよラコさん……」
「私以外を見るなら目玉をえぐってやろうか。と思うが、私が最高である限り許す」
「突然デレないでよ心臓に悪い」
まあ、おっぱいは大きければ大きいほど良いのが持論ではあるものの、張り、形、バランス。何より美の極致である紫の斑紋がある限り、乳母崎さんはぶっちぎりの一番なんだけどね。
考えてくださいよ、Kカップながら重力に逆らって正面向いてるおっぱい! 張りがあり過ぎる! なに? 加齢とともに垂れる? バカめ! その変化すら愛おしく美しいものなんだろがッッ。一日一日好きになっちゃう!
「うるさい」
「はい」
「買ったのはニーチェ」
「? 言ってくれたら貸したのに」
「自分のために一冊手元に置きたかった。ちなみに普段はライトノベルを読んでいる」
へー、意外。ちなみにニーチェ先生の本を手元に置きたい気持ちは分かる。なにか自分のための言葉が欲しいときに、パラパラ流し読んだりするし。
「ライトノベルとは違うかもしれない……児童小説? 恋愛や冒険そのものよりも『めでたしめでたし』が欲しい」
「てことは『オズ』も履修済み?」
「はい。先輩は『ブリキの木こり』に似てますよ。さっきも言ったけれど、よくも悪くも」
物語が誰かを救うとして、その理由は様々だろう。
少なくとも俺は、架空の恋愛や冒険を楽しみこそすれ、そこに救いは求めなかった。
しかし、乳母崎さんはどうだったのだろう。世界の敵という孤独の中で、物語は荒む心をひとときでも癒やしてくれていたのかもしれない。
これからは俺がその一助になれれば良いのだけれど……そう思うのは傲慢だろう。
「『アルメ』の背景ストーリーに、《のけもののゴブリン、ンヌー》というのが居る」
「ああ、『押し出しくん』……背景は知らないや」
《ンヌー》の表にする効果は『同じ戦域にいるすべての味方ユニットを隣接する戦域に移動する』。弱点として同じ戦域に味方を移動させられない。
移動済みの味方を押し出して擬似『俊足』にするのが主な仕事だ。ちなみに色は紫。ゴブリンは黒のユニットだが、《ンヌー》はゴブリンから追放されているらしい。
「誰よりも知能の高い《ンヌー》は愚かで残虐なゴブリンの中で孤立し、人里に降りて石を投げられた。
どこにも居場所のないのけもの。私と同じだ」
違う。と言えるほど俺は乳母崎さんを知らない。まだ、会って一週間足らずなのだ。
「《ンヌー》は迫害されながら流れに流れ、とある修道院で一人の女に出会う。彼女は周りの人々から《ンヌー》をかばい、こう言う。
『こんなにも美しい魂の持ち主は見たことがないですわ』…………《盲目の聖女ロドゥバ》」
目が見えないからこそ、見た目に惑わされずに《ンヌー》の良さを感じ取れたという話か……耳が痛いな。俺、見た目重視だもんね。
でも、乳母崎さんがおっぱい皆無の不美人だったら? まあ、顔は俺も人のこと言えないし、哲学者になってたんじゃないかな??
「…………ええと」
「あれ、大丈夫? ……あでっ」
心配すると同時に掘りごたつの中でつま先が飛んできた。なんで蹴ったの!?
「馬鹿! 女たらし! 物忘れの名人! 心を読まれてるのを忘れているぞ! いきなり求婚するな!!」




