其の四 呪いの物に囲まれて
3人で黙々と津田さんについていくうちに、古いビルの1階、呪物展の受付に着いてしまった。津田さんが僕らを黙って見下ろしている。その手にはチケットがゆらり、ひらりと揺れている。
チケットも買ってある。会場にも着いている。
それでも決めかねてしまうのは、それだけ恐れているからだ。
深呼吸を繰り返す僕らに津田さんがふっと笑った。そしてロッカーの横へてくてくと移動し、あのでっかい縦長ボディバッグからいくつか小物を取り出した。
「……君たちに障りが無いように、これをあげよう」
赤い石と黒い石、それから水晶らしき透明な石の連なる腕輪だ。それらを幸虎くんと二木さんに渡し、僕には、例の鈴になにか唱えてくれた。
「これで大抵のモノは寄り付かないよ」と津田さんが微笑むので僕らはほっと安心した。しかも、3枚のチケットにも何かごにょごにょとおまじないをかけてくれた。
この道具が僕らを守ってくれるなら。津田さんが僕らを庇って死ぬことは防げるだろう。というか、もっと早くそうしてくれてたら、僕たちがこんなに怯えることもなかったと思うんだけど。
津田さんは鞄の中から沢山の畳んだ布と、布に包まれた何かを幾つか取り出し、手提げ鞄に移した。大きな鞄はロッカーにしまう。
僕は鈴をリュックにつけているのでそのまま持ち込んだけど、二木兄弟は2人で1つのロッカーに荷物をぎゅうぎゅうに押し込んでいる。
「ささっと見て、淳矢に図録でも買って、早く帰ろ」
幸虎くんが明るく言った。
よし、と気持ちを奮い立たせ、僕らは会場に足を踏み入れた。その後ろで津田さんが険しい顔で立ち止まって動こうとしない。
「津田さん?」
「いいか、たとえ何かが起きても、それは君たちのせいでは無い」
突然、津田さんが僕らに言い含めるような口調ではっきり言った。
「え?」
「……冗談だ」
と、珍しく悪戯っぽく笑ってみせた。
「もう、脅かすなよ」と二木さんがつられたように笑った。
展示場は大部屋の四方、壁沿いにぐるりと机が置かれ、その上に色々な、呪物とされる品々が置いてあった。ガラスケースに入っているわけでもなく、一つ一つ、顔を近づけて本当に間近で見ることができた。
ただ、直に触っては駄目らしい。まぁ、触れと言われても触りたくないけど。
石棒と大きな宝貝、片腕が欠損した人形や荒縄で縛り上げられた土偶のようなもの、歴代の所有者に不幸や変事を齎したと伝わる謎の像などが陳列されている。
……僕、てっきり、丑の刻参りの藁人形とか、そういう呪いの儀式に使うものが沢山見られるのだとばかり思っていた。
おどろおどろしい風貌の人形の隣で、若い男女のカップルが、石棒と宝貝を指さして何か言って騒いでいる。
「これって、アレだよね」
と二木兄弟も照れた顔で囁き合ってる。
これでどうやって人を呪うんだろう。
呪物の横には、どこで発見され、誰が持っていたかなどの簡素な説明書きがそれぞれに置いてある。
【この人形は勝手に首が動いていつもこちらを見ている。気味悪く思った前所有者が手放すにあたり、根木司氏に託した】とか、
【呪いの人形。百年ほど前、とある農家の子どもが腕を失い亡くなったと伝わる】とか。ちなみに石棒と貝の説明書きには
【石棒:男性の陽物を模した石。男性Aの恋人Bが、共通の知人女性Cに贈った。
宝貝:CがBに贈ったもの。
Bは子宝に恵まれず、後にCの妊娠が発覚。鑑定の結果、父親はA氏と判明した。A氏およびB氏は失踪し、現在も行方知れず。寄贈:A氏の両親】と書いてあった。でもこの三者の関係もどこが呪いなのかもよく分からない。解説文を読んで
「……どういうこと?」
「Aって男が浮気したってこと?」
と僕と幸虎くんは悩んだ。
「でも、BさんとCさんはAっていう男の人を取り合ってたのかな。なのに“子作り”をイメージさせるものをわざわざ相手に贈るの、おかしくない?相手に赤ちゃんできちゃうのが呪いなの?」
「いや、どんな呪いだよそれ。この棒を手放したら子ども産めなくなったとか?……ねぇ、兄ちゃん、どう思う?」
幸虎くんが聞いてもなぜか二木さんは弟をじっと見つめて黙っている。
「兄ちゃん?」
そこへ津田さんが淡々と言った。
「別に石棒は、手放したところで不妊を齎す呪いのアイテムになるわけではない。古代遺跡から出土する本物の石棒については、子孫繁栄や豊穣を願う祭祀の意味合いが示唆されている。むしろBがCの妊娠を願ったとも推測できる」
聞きながら、うーん、津田さんにもこれがアレに見えるのか……。
なんて間の抜けたことを僕は思っていた。
「いやいや、なんで他の女に彼氏の子産ませるの」笑う幸虎くんに、
「Bが“妊娠可能な”人かどうか明記されていないからね」
それを聞いて、幸虎くんが、ぎょっとした顔で
「Bって男だったり……?」
「ま、他人の恋愛や、ましてや妊娠のような繊細な事柄をあれこれ言うのは止そう」
津田さんがぱんぱんと軽く手を打って、次の呪物へと移動した。
「あの、今更ですけど。呪物って、人が特定の誰かに嫌なことが起きるようにって願うためのアイテムだけじゃないんですか? 不気味なこととか不思議なことが起きて、誰かが不幸になる物のことも含まれるんですか?」
と幸虎くんが津田さんに尋ねる。
「どちらも指して呪物と言うよ。人の意志が関わるかどうかに関わらず、超自然的現象を起こすものだと捉えれば良い。……もっとも齎すのは禍いだけとは限らない、人に福を齎すものもある」津田さんは言葉を切り、「この子の場合は、いわゆる呪いではなく、祈り、おまじないだね」と、腕のない男の子の人形を労しげに見つめて言った。
え、この人形のせいで、子どもは死んじゃったのに?
「貧しい小作農家の子どもは腕の怪我がもとで、寝込みでもしたんだろう。医者に診せる金がない中、両親は我が子の怪我が治るよう願って、子どもの気に入りの人形の腕を壊して身代わりに仕立てた。だが子どもの怪我は治らないばかりか悪化し、亡くなってしまったのだろう。……腕を壊された人形の呪いによるものと思わなければ、子どもの死を受け止めることが辛かったのかもしれないね」
あくまでも、僕の推測だがね。と津田さんが話を締めくくる。
思わず僕と二木兄弟、それから近くに居たさっきの若いカップルがぱちぱちと拍手するなか、
「ほー、キミは空想力が豊かだ、話をでっち上げるのが上手いね」
なんて、誰かが馬鹿にしたように言った。振り向くと、そこには茶髪でひょろっとした風采の男性が立っていた。
「……貴方が、呪物集めに熱心な根木司氏ですね」
津田さんの皮肉に根木司氏が不快そうに顔を顰めた。
「キミね、ワタシをただのコレクターだと?」
「貴方がただの収集癖から呪物を漁っているのでないなら、一つ一つ懇切丁寧な解説をお願いしましょう。……まずはその、腕のない人形の謂れを、どうぞ彼 が納得するよう」と津田さんが手のひらで示したのは、さっきの人形。
「え、……」
通路に対して正面を向くように立たされていたはずなのに。今は明らかに、津田さんの方へ体ごと向いている。
「キミ、展示物に触ったのか!?」
根木司氏が、津田さんに掴みかかる。
「いっ……」
津田さんは後ろに倒れそうになったけれど、周りは呪物だらけだ、必死に踏み止まった。でも体の揺れた感じからすると、少し右足を挫いたみたいだ。
「……誰がこういう品々に不用意に触りますか。それくらいは弁えています。あなたと同列にしないでほしい」
「津田、ストップ」
二木さんが見兼ねて口を挟んだ。
「あー、っと、呪物の背景とかの、津田の解釈も面白いけどさ、せっかく蒐集した根木司さんがいらしてるんだし、入手した時のエピソードが聞きたいな」
「……そうだな、実際の入手時の様子は、本人の口から説明してもらおう。そのほうが有意義だ」
津田さんも二木さんに同意して、ちらりと根木司氏に視線を遣った。根木司氏はまだ津田さんを疑わしそうに見ていたけど、二木さんの言で機嫌が良くなったらしい。
「よろしい。素人の諸君に正しい経緯を聞かせてやろうじゃないか」
と上から目線で言い、それぞれの呪物について、どういった呪いが発動するものか説明しつつ、いつどの地域のどんな人から譲り受けあるいは託されたか、また、どんな場所で手に入れたかを得意げに話し始めた。
根木司氏による解説を聴こうと、カップルのお二人も含め、お客さんが集まってくる。
呪物の前に皆でぞろぞろと移動し、ひとしきり根木司氏の語る蘊蓄を聴き、また次の呪物へと移動する。ガイドツアーの様相だ。ただ、根木司氏の話の合間合間に、津田さんがぼそっと、僕らにしか聞こえないような声で補足訂正を入れ続けていた。
たいていは真面目な話なのに、木材を継ぎ接ぎして作られたらしい人形は「要はナゲットだね、細切れの材料で成形していて」、その人形の奥にある一木造りの像は「あれは唐揚げ」などと、至極真剣な面持ちで言うものだから笑いを堪えるのが大変だった。
ちなみに、その2体の人形に呪いの力はなく、たまたま入手から程なくして所有者に変事が起きただけだろう、とのことだった。
「都合の悪い出来事を、所有した物のせいにする。……物を呪物に変えてしまうのは、いつだって人間の心と行いだよ」
そうやって一つ一つ、ガイドの進行と同じ調子でゆっくりと鑑賞していた津田さんが、突然引き返した。
「ありがとう」
と例の片腕の人形に伝えていた。すたすたと戻ってきた津田さんに
「どうした?」
二木さんが訊く。
「ん、さっき……右足首を捻挫したのだが、治った。あの子が引き受けてくれたから」僕らはぽかんとして津田さんと例の人形を見比べた。人形は通路に対して正面を向いている。え、いつの間に?
「……でもまぁ、痛くなくなったのは良かったね」
そう返せる二木さん、凄いな。
僕と幸虎くんは人形にそういう呪力があることにも、勝手に向きが変わっていることにも、恐怖しか抱けないというのに。
「これは、三ヶ辻 山のQ村に伝わる油だ」
根木司氏が一つの小瓶を指し、
「これを妊婦に塗っていたと言う事実しか伝わっていないが、この山には人間を食う黒い衣の鬼が住むと言い伝えられていることから推測すれば、生まれてくる赤子を鬼から守るための儀式だったのだろう」
と言ったところで、津田さんが心底不快そうな顔をした。二木さんが「顔に出過ぎだぞ」と囁く。津田さんは今まで以上に声を落とし、
「三ヶ辻山のQ村の鬼と聞いて嫌な話を思い出したんだ。僕が聞いた話のコクイの鬼も確かに人を喰うのだが、……あの油は人の屍から抽出したもので、それが……鬼の人狩りの要因の一つになったと聞いている。非常に陰惨な話なので詳細は伏せるが、Q村が廃村になったのはコクイの鬼のせいだ」
どういうこと?本当に鬼が居るの?と僕らが首を傾げると、津田さんは深い溜め息をつき、歯切れ悪く語り始めた。
「この村の女性に、都市へ嫁いだ人がいたのだが、……夫が病没した数年後に村へ出戻った。だが彼女は身籠っていた。当時、村は不作の年が続いていて、豊作祈願の儀式が執り行われた際に妊婦は山の神への人身御供にされた。儀式では、妊婦にその油……村人の死体から集めたものを塗ったらしいが、目的は僕も知らない。……彼女は生きたまま山中に置き去りにされ、山の神に捧げられることとなった。まぁ、儀式と言っても村の伝統的なものではなく……不作に伴う口減らしのためか、腹の不義の子の始末のためか、あるいは……栄養豊富な肥料作りのためか……、とにかく一度限りのものだったようだ。村は儀式の数年後に絶えたが、その原因は、若い妊婦を喰った‘山の神’が生贄の“おかわり”を求めて村を徘徊したためだ」
「え? 山の神=黒衣の鬼なの? なんでそれで村がなくなっちゃったの」
幸虎くんが訊く。
「そうだよ。両者は同一のもので実在する。もっとはっきり言ったほうが良いか?……つまり、黒衣の鬼は人喰いの黒毛の熊で、村が滅んだのは、その“食害”のためだ」
「……そりゃあんな顔にもなるわな」
二木さんが青い顔で言った。
その間にも根木司氏によるハチャメチャな解説ツアーは続いていた。ようやく出入り口から一番遠い壁沿いに並べられた呪物の一群の前に着いた。
あの、ポスターに載っていた尸頭 (しかず)川のミイラ群だ。