其の一 津田の語り
ヒトツカリに僕が行ったのは一昨年の1月……大学4年の、卒論を出し終えた頃だ。ヒトツカリとは、D県L郡の山間部を流れる尸頭川の上流域を指した呼称で、その地名の由来は諸説ある。漢字表記の記録はなく、一里塚の里と塚が逆転して一塚里をそう読んだとか、山越えで人 が疲 れて立ち寄る里ところの意だとか。ただ、一つ借りて十、すなわち九を表すという説と、牛田、鹿角、虎出など、この辺りに特有の字>や、前述の川の支流の名前が下流の飛立香村では満千川に、更に下ると底井川と変化していくことを考え併せると……彼の地の言い伝えとも符合する、とある説が浮上するが、また後で話そう。尤もヒトツカリの村々は今は住む人が絶え、民家や寺社の廃屋が点在する荒れ地と化している。一つ山を越えた多釣村は、清流釣りを楽しむ観光客の訪問があり、飛ぶ月と書いてたつき亭という食堂兼土産物屋が今も営業している。この辺りの特産品の、桂の木で作った小物入れなどが買えるよ。
……そういえば、釣りを嗜まず、登山を趣味としているわけでもない僕が、なぜヒトツカリに足を運んだのか、まだ話していなかったね。
「近頃、妙な輩が入り込み、あの地を荒らした、助けてくれ」と泣いて頼まれたからだ。もっとも実際に涙を流していた訳ではないよ、彼、いや、……彼らは目を持たないので、流涙は不可能なんだ。それでも泣いていると感じたね、僕は。
ん? 結局、この件を僕に依頼した彼らとはいったい誰かって?
……あぁ、その秋に伯父の家へ届いた、一対の鹿の角さ。