パイソンカマムシの夢
コロンさま主催『酒祭り』参加作品です。
『パイソンカマムシ』というワードはコロンさまよりお借りしました。ありがとうございます!
ひとりの部屋で、酒を飲んだ。
心の奥にあるマントルがふつふつして、そのくせ気分は冷たく沈んでる。
清掃業になんか就くんじゃなかった。
人の住む空間を綺麗にしたくて入社した。
女性社員は私ひとりだった。
あの提案をしたのは、べつに私の頭のよさをひけらかそうとかいうつもりはなくて、ただ会社のためを思って、ふつうに『このやり方はおかしい』と思ったからだったのに……。
「どうして床からまず綺麗にするんですか? 上のほうを後にすると埃が落ちて、また床が汚れるでしょ?」
「上のほうをまず掃除してから、最後に床を綺麗にしたほうがいいと思います」
こっぴどく怒られた。
会社のやり方を否定するのかと叱られた。
大学卒だから、低学歴の俺らを見下してんのかと文句を言われた。
私なんて3流大学を1年ダブってようやく卒業できたやつなのに……。
職を転々としてるのは他人と上手にやれないからだ。今回も嫌われてしまった。
結婚する気なんて、ない。他人と暮らすなんて、他人と違うことを言いたがる私には、無理だ。
またこの会社もすぐに辞めることになるのかな……
寝よう。
忘れるために飲んだお酒が効いてきた。
眠れる。
眠れる……
ふと気がつくと、私の前に、緑色をした巨大なカマムシがいた。
知ってる──
パイソンカマムシ。なぜか私はその巨大昆虫の名前を知っていた。
虫が苦手な私なのに、心配そうに顔を覗き込んでくれる優しいその目に、気持ちが安らいだ。
名前と違って、物騒な鎌なんてどこにも持ってないのも、かわいかった。人間と同じく指が5本の手を『こんにちは』みたいに振ってる。
「聞いて、パイソンカマムシ」
私の口から自然に言葉が出た。
「知に働けば角が立つの。みんなと違うやり方をしたらいけないの。自分の頭で考えてこの方がいいと思っても、黙ってみんなと同じやり方をしないといけないの」
パイソンカマムシがうなずいた。
「いや……。でも……」
私は思い直した。
「考えてみれば当たり前よね。入社したばかりの、しかも女に新しい仕事のやり方なんて提案されたら、怒られて当然よね? 私が先輩のおじさんの立場だったら……やっぱりカチンとくるのかも?」
パイソンカマムシは黙って微動だにせず、ただ聞いてくれた。
「教えて、パイソンカマムシ」
その優しい目を見つめて聞いた。
「他人と上手にやるにはどうしたらいいの? バカにしてんのかって思われないためには、どうしたらいいの? 自分を殺して、みんなのやり方に合わせて、おかしいって思っても黙ってればいいの?」
パイソンカマムシが口から緑色の液を垂らした。
それがだんだんと泡になって、緑色のシャボン玉になって、ふわっと飛び散った。
どこだかわからない虹色の空間の中で、私はグロい感じの緑色のシャボン玉に囲まれて、笑った。
私が消えていく。
私は悟った。私は人間じゃなかった。
私もパイソンカマムシ。緑色の彼とは違って、ピンク色の巨大昆虫。
きっと正体がバレたら嫌われて、駆除されて、この人生が夢だったように消えてしまう、そんなもの──
「ありがとう、パイソンカマムシ」
私は笑顔で涙を拭いた。
「正体がバレないよう、気をつけて生きていくね」
仲間がいたんだ──
ひとりじゃなかったんだ──
そんな思いが私を強くした。
目が覚めると私は人間の姿をしたパイソンカマムシだった。
もう、大丈夫。
私は巨大昆虫だから、他人と違ってて当然なんだ。正体がバレたらキモがられるのも当然なんだ。
だけど今、私は私の正体に自信をもっている。
だって私と同じ巨大昆虫の彼は、優しかったから。
他人のやり方には口を出さず、ただ誇り高きパイソンカマムシとして、ネットで自説を主張していこう。そう、思った。
テーブルの上に飲みかけのまむし酒があった。
原材料を見ると『日本酒、パイソン、マムシ』と表記されている。
知ってる。マムシは毒蛇だが、ニシキヘビの仲間のパイソンには毒がない。
「そうか……」
私には、ようやくわかった。
「『パイソンカマムシ』じゃなくてあれ、『パイソンかマムシ』ってことだったのか……」
あっはっはと笑ったら、気が軽くなった。
私は毒を注入することも、優しく巻きついて寄り添うこともできる、そんな蛇でありたい。
ぐいっとお酒を飲み干したら頭の中で、緑色の彼が優しく微笑んでた。