敵国の姫騎士と恋の駆け引きをしていたら、転生者の悪役令嬢が絡んできました!(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ2)
本作は「乙女ゲームの断罪の場に転生した俺は悪役令嬢に一目ぼれしたので、シナリオをぶち壊してみました!(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ1)」の続編に当たるので、まだ読んでない方は先にそっちを読んで下さい。
また、本作の続編「転生悪役令嬢の憂鬱と人生やり直し侍女の献身(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ3)」も投稿しています。
(2025.3.12追記)
シリーズ三作の繋がりを考えて加筆修正を行いました。
「ダイカルト、まさかお前がデナウ王国の侯爵令嬢と結婚するとはな。驚いたよ」
ゲナウ帝国の第二王子カイルベルトは弟の第三王子ダイカルトにそう話しかけた。
ここは、王宮の中庭で、噴水の脇にあるベンチに二人は座っている。噴水の中央に白っぽい石できた勇者マルスの像があり、その手から水が噴き出している。今日は見られないが運が良ければ虹が架かることもある。
「僕自身も驚いています。デナウ王国の王太子オーギュストから婚約破棄をされたと聞いてすぐに思いついたんです」
そう、あのときダイカルトは、すぐにこれはチャンスだと思ってジェズアルド王に直訴してエカテリーナに婚姻を申し込んだ。だが、ジェズアルド王に言った言葉とは逆に、たぶん申し出は拒否されるだろうとも思っていた。
それなのに・・・。
2年ほど前のことだ。一番上の兄、王太子アルベルトの婚約パーティーに王国から招待されていたボルジア侯爵父娘を見たことがあった。デナウ王国の王太子の婚約者だという気の強そうなあの娘を一目でダイカルトは気に入った。
もちろん、今回いきなり結婚を申し込んだのは、それだけが理由ではない。ダイカルトがジェスアルド王に言ったことは嘘ではない。帝国のためでもある。王国有数の貴族ボルジア侯爵と縁を得ることは帝国のためになると思ったのだ。しかもオーギュストからひどい仕打ちを受けた娘を妻にすれば・・・。
「だが、エカテリーナに良い噂はなかった」
兄カイルベルトの言う通りだ。帝国まで聞こえてくるエカテリーナの噂といえば、その性格に関するものばかりで、すべてが悪い噂だった。
ダイカルトは、エカテリーナが嫁いできた日のことを思い出した。
あの日、馬車から、優雅な動作で降りてきたエカテリーナは、出迎えたダイカルトに軽く膝を折って挨拶すると「ダイカルト様、お出迎え頂きありがとうございます。私が、デナウ王国ボルジア侯爵が一人娘悪役令嬢のエカテリーナですわ」と言って微笑んだ。
エカテリーナの挨拶を聞いて思わず破顔したダイカルトは「ようこそ、悪役令嬢エカテリーナ、僕がゲナウ帝国第三王子のダイカルトです。貴方のような面白い、いえ、美しい人を妻に迎えることができて僕はこの上なく幸せです」
そして二人はお互いに顔を見合わせてニッコリとした。
あの瞬間、二人とも恋に落ちたのだ。
「兄上、僕は今、エカテリーナに結婚を申し込む決断をした自分をこれ以上なく褒めてやりたい気分なんですよ」
カイルベルトは本当にうれしそうな顔している。
「本当に我妻ながら面白い女なんですよ。なんせ開口一番、私が悪役令嬢のエカテリーナですって挨拶したんですよ。それが夫になる人への最初の挨拶だなんて。それを聞いて僕の選択は間違ってなかった。そう思いましたよ」
本気でうれしそうにしているダイカルトを見てカイルベルトはやれやれという顔をして「そろそろ会場に戻るか。お前は主役の一人なんだしな」と言った。
そう、今日はダイカルトとエカテリーナの結婚披露パーティーだ。パーティーは夜まで続く。しかも3日間連続で行われる予定だ。あまりにも急な結婚だったのでパーティーが結婚から1ヶ月以上も経ってから行われるという異例な事態だ。だが本人たちは至って幸せそうなのでカイルベルトがあれこれいうのも野暮なのだろう。
今日は初日で挨拶などの公式行事を終えて一息ついたカイルベルトとダイカルト二人は、中庭で休息していたのだ。そろそろ会場に戻らなくてはならない。とくにダイカルトは主役の一人なのだから。
「おっと、申し訳ない」
カイルベルトは会場に戻るところで、一人の青年と肩が触れてしまった。その青年は心ここにあらずと行った様子で会場の入口辺りにボーッと立っていた。それを担当の侍女が一歩控えて心配そうに見ている。
「いえ・・・」
ずいぶん覇気のない青年だ。確かあれはエカテリーナの父であるボルジア侯爵についてきていた・・・。そうだ王国騎士団長のギルロイ伯爵の息子の・・・アレクセイではなかったか?
噂とはずいぶん違うなと思ったので記憶していた。噂ではアレクセイはオーギュスト・・・さすがにエカテリーナとの婚約を破棄したオーギュストはパーティーには来ていないのだが・・・の友人の一人で体力自慢で陽気な男と聞いていたのだが、カイルベルトの目には立派な体格はともかく、とても陽気には見えなかった。
まあ、そんなことはどうでもいい。
これで、また弟のダイカルトは帝国に貢献した。ダイカルトは昔から優秀だ。父であるジェズアルド王や兄の王太子アルベルトからの信用も厚い。帝国の諸策についてもいろいろと助言を求められている。おまけに性格だって悪くない。嫉妬するのもバカバカしいほどだ。
エカテリーナも性格は好い凡庸との噂のオーギュストと結婚するよりダイカルトを夫にしたほうがよほど幸せだろう。まさかとは思うがそのためにわざと婚約破棄されたのではと一瞬疑ったほどだ。確かにオーギュストは王太子だが。最近はデナウ王国より我がゲナウ帝国のほうが明らかに勢いがある。
「あれは・・・」
あれは、マルマイン王国のアルストン辺境伯令嬢だ。
マルマイン王国のアルストン辺境伯領はゲナウ帝国と国境を接している。アルストン辺境伯は国境の守備を担う武門の家だ。その武は帝国でも名高い。アルストン辺境伯の娘であるセリアは姫騎士など呼ばれて女だてらにその槍技は有名だ。
今回の結婚でゲナウ帝国とデナウ王国の関係はしばらく安定するだろう。というより徐々に帝国が王国を圧倒するだろう。ボルジア侯爵家が我が帝国と縁を結んだとなれば帝国が王国に多少図々しい要求をしたとしても王国にそれに逆らう力はない。
全くオーギュストはバカなことをしたものだ。
それに比べて我が弟の行動は早かった。
こうなってみると弟ダイカルトのしたことはすべて正しかった。おまけに本人たちもこれ以上ないくらい幸せそうなのだから、文句のつけようがない。
というわけで、帝国の・・・領土拡大に取り憑かれている我が父ジェズアルド王の次のターゲットはマルマイン王国になるだろう。マルマイン王国は小国だが鉱物資源が豊富だ。だが、マルマイン王国はアルストン辺境伯を始め武に優れたものが多い。マルマイン人は素朴だが武に優れ忍耐強い性格で知られている。カイルベルトの父であるジェズアルド王がマルマインを傘下に収めようとすれば少なからぬ血が流れることになるだろう。
そうだ! 僕が弟のダイカルトのように我が帝国に貢献できるとすれば・・・。
その思いつきは、考えれば考えるほど悪くないとカイルベルトには思えてきた。
気がついたら、カイルベルトはグラスを片手に姫騎士セリアに近づいていた。
あれが姫騎士セリアか・・・。
確かに美人と言っていいだろう。ただし、それは騎士になるような女性にしては、という但し書きが付く。間違いなく美人の部類に入るが、カイルベルトの好みからすれば、少したくましく過ぎる。今日はドレス姿だが、よく見れば筋肉が付きすぎたスタイルがややドレスの優美さを損ねている。特に肩幅が広すぎる。
カイルベルトは人込みを縫ってさらにセリアに近づく。
カイルベルトは自分が女性からは、はかなげな美青年に見えることを知っている。そう、陽気なダイカルトとはまた違ったタイプだが、自分がたいそう女性に好感を持たれるタイプであることをカイルベルトは自覚していた。
セリアの周りには数人の男がいる。どの男も体つきのしっかりした、いわゆる男らしいタイプだ。やはり姫騎士の周りにはそう言ったタイプの男が集まりやすいのだろうか?
耳を澄ませば、セリアの容姿や今日のドレスを褒める言葉のほかに戦場での活躍を話題にしている者もいる。その戦場での相手はほとんどの場合我がゲナウ帝国なのだが・・・。
話が途切れたのを見計らってカイルベルトはセリアに話しかけた。
「始めまして、姫騎士セリア殿。私はゲナウ帝国の第二王子でカイルベルトと申します」
「これは、カイルベルト様。私のほうがご挨拶すべきですのに、遅くなって申し訳ございません。マルマイン王国のアルストン辺境伯が長女、セリアと申します」
セリアは軽く膝を曲げて挨拶した。美しい所作だが優美というよりはきっちりしていると言ったほうが正しいだろう。
カイルベルトは、なんとなくセリアの生真面目な性格が表れているようで好ましいと感じた。さっきは容姿そのものはカイルベルトの好みからは少し外れていると感じたが、セリアの挨拶を聞いただけで好感を持っている自分を不思議に思った。
セリア、すまない。これも国のためだ。
カイルベルトは少し微笑むと「噂以上に美しいですね。戦場に咲く花のようだという噂が本当だとよく分りました」と言った。
今の自分の表情が十分魅力的だとカイルベルトは知っていた。特に女性には・・・。
しかし容姿を褒められたセリアは、返って警戒するような表情を浮かべ「本当は噂ほどではないって思ってらっしゃるんでしょう?」と返した。
おっと、なかなか手ごわいようだ。
だが、カイルベルトは男をあしらうのに慣れたような言葉発したセリアの表情を見て、セリアが本当は背伸びをして話しており、カイルベルトの憂いのある顔を直接見るのを恥ずかしがる素振りしているのを見逃さなかった。
幼い時から自分の容姿が女性を引き付けることを意識しており、またそれを利用してきたカイルベルトにとって、根が素朴で純真なセリアの本心を見抜くことなど簡単なことだった。
「すみません。いきなりぶしつけだったようですね。帝国でも有名な姫騎士に会って、いささか舞い上がっていたようです」
カイルベルトは長い睫毛を伏せるようして少し俯いた。
「いえ、こちらこそ、少々気軽にお話しすぎたかもしれません。なんだかカイルベルト様が初対面には思えなかったものですから」
セリアの顔が少し赤い。
「いえいえ、そう言っていただけて僕もほっとしました」
その後、カイルベルトとセリアはお互いに笑い合って。2度ダンスを踊った。女性に慣れたカイルベルトはもちろんセリアの運動神経もさすがで、二人が踊る姿は注目を集めた。
すべてはカイルベルトが望んだ以上に上手く進んでいた。セリアはカイルベルトの予想どおり男女のことには初心と言ってよかった。セリアがカイルベルトに夢中になるのにそれほど時間はかからなかった。
二人はお互いに自分たちが戦場で相まみえることになるかもしれないことを知っていた。それが恋心を余計に燃え上がらせたのかもしれない。
噂通りボルジア侯爵令嬢がデナウ王国の王太子オーギュストから婚約破棄をされたとすれば、そしてボルジア侯爵がそれを面白く思っていないとしたら・・・。デナウ王国一の武門の家であるボルジア家の現当主であるボルジア侯爵は娘のエカテリーナを溺愛していることで有名だ。
デナウ王国のザイラス王は、息子オーギュストの失態の後、エカテリーナに王国有数の貴族の息子をあてがおうとしらしいが、その間もなくカイルベルトの弟であるゲナウ帝国の第三王子ダイカルトのもとへ嫁ぐことになった。
帝国と王国の関係が帝国優位の状態で安定するとすれば、次は・・・。
ゲナウ帝国がマルマイン王国を攻めるとしたら、最初に戦うのはアルストン辺境伯軍だ。
その後3日間続いたパーティーの間中、人目を偲んで二人は逢瀬を重ねた。王宮の警備は厳重だったが、それでも広く豪華な王宮で二人の逢瀬の場所は意外に多かった。
★★★
「ロミオとジュリエットか・・・」
今日でパーティーもお開きだ。セリアも用意された宿に引き上げた。なんとなくカイルベルトは、今日セリアから聞いた言葉を呟いていた。聞いたと言ってもあれはセリアが思わず口に出したといった感じだった。意味を聞いても「なんでもありませんわ」と言って教えてはくれなかった。
「カイルベルト様、もしかして転生者なのですか?」
驚いたように放たれた質問にカイルベルトが後ろを振り向くと、今夜の主役の一人エカテリーナが立っていた。悪役令嬢と自称するカイルベルトの弟の妻だ。
「カイルベルト様、転生者なんですよね?」
「転生者?」
「とぼけないで下さい!」
エカテリーナは怒ったようにカイルベルトを睨んでいる。
「いや、ほんとうに何のことだか分からないんだ」
「ほんとう・・・なのですか?」
「本当だよ。本当にきみが何を言っているのか分からない」
エカテリーナ疑わしそうにカイルベルトを見ている。
「では、なぜロミオとジュリエットを知っているのですか?」
「そ、それは・・・セリアがそう言っているのを聞いたんだよ」
「姫騎士セリア様が・・・そうですか・・・」
俯いて、しばらくなにかを考えていたエカテリーナが顔を上げた。
「カイルベルト様、申し訳ありませんでした。私の勘違いだったみたいです。ダイカルト様と結婚できてうれしさのあまり気分が高揚しすぎていたのかもしれません。お許しください」
そう言うと、エカテリーナはカイルベルトのもとを足早に去っていった。
悪役令嬢エカテリーナ、不思議な人だ。
カイルベルトには、さっきエカテリーナが一瞬みせた表情は悪役令嬢にふさわしいと思った。
あれは一体なんだったのだろうか?
★★★
「アルストン辺境伯、それにセリア、久しぶりです」
たった一日前に先触れを寄越しただけで、突然屋敷を訪問してきたカイルベルトをアルストン辺境伯は不機嫌そうな顔で出迎えた。
今の帝国とマルマイン王国の関係の中、まさか数人の護衛を連れただけでマルマイン王国を訪問してくるなどバカとしか思えないとでも思っているのだろう。
「カイル様、ようこそお越しくださいました」
アルストン辺境伯の隣では頬を赤く染めた笑顔のセリアがカイルベルトに挨拶した。1ヶ月前に会ったばかりなのに、ずいぶん久しぶりだとカイルベルトには感じられた。
それほど自分はセリアに会いたかったのだろうか?
娘の様子を見たアルストン辺境伯は、諦めたような様子で「ようこそ我が屋敷へ、カイルベルト殿下」と挨拶した。
結局、うれしそうにカイルベルトを迎える愛娘のセリアを見たアルストン辺境伯は、カイルベルトを追い返すことなく屋敷への滞在を許可してくれたのだった。
ゲナウ帝国でこのことを知っているのはカイルベルトの父であるジェズアルド王と王太子である兄アルベルトだけだ。
カイルベルトがアルストン辺境伯領を訪問したいと言うと二人は危険だと最初は反対したが、カイルベルトの計画を聞いた父ジェズアルドが、思ったよりお前は豪胆だなと喜んでくれたのをキッカケになんとか了解を得た。その代わり手練れの護衛を10人以上付けてくれた。アルベルトがどう思っているのかはカイルベルトには分からない。たぶん3人兄弟の中で一番凡庸なカイルベルトが功を焦っているとでも思っているのだろう。それは、まんざら間違っていない。
カイルベルトにとって田舎ともいえるアルストン辺境伯領で過ごす時間は新鮮だった。何より隣にはセリアがいる。
「カイル様、あれはこの辺にしか咲かないアルブラッドと呼ばれる花です。この時期にしか咲きません」
カイルベルトはアルストン辺境伯領にある小高い丘にセリアと二人してやってきた。丘の上からのはアルストン辺境伯領が一望できる。そして二人の周りにはセリアが教えてくれた無数の小さな赤い花、アルブラッドが咲き乱れ風に揺れている。
ここから見ると北東に峻厳な山並みが見える以外は、なだらかな草原のような場所が多いのが分かる。ところどころに町や村も見える。
「ずいぶん広いですね」
「ええ、アルストン辺境伯領は、たいしたものがない代わりにマルマイン王国の中では広い。そして一部を除いて見通しがいいのですわ。広いと言ってもゲナウ帝国やデナウ王国とは比べものにはなりませんが」
セリアは薄っすらと街道が走っているのが見える南東を指さすと「あれがカイルベルト様が通っていらした街道で、その向こうがゲナウ帝国です」と言った。
カイルベルトは少し目を細めてセリアが指した方を見た。
「カイルベルト様、このようにこの場所は陣を敷くのにとても適しています」
「なるほど」
カイルベルトは改めて、この小高い丘からの景色全体を見回した。確かに見通しがいい。
「戦場全体が見渡せそうですね」
「はい」
セリアは、少し間を置いてカイルベルトを見た。
「ですので、この場所を取り合って多くの血が流れました。大昔の戦いで大量血が流れた結果、アルブレッドはこのように赤い花を咲かすようになったと言われています」
「大昔?」
「はい。まだゲナウ帝国とデナウ王国が一つの国だった時代よりさらに前のアトラス大帝国の時代です」
「それは、ほんとうに大昔だね」
300年前まではゲナウ帝国とデナウ王国は一つの国だった。それが兄弟喧嘩の末二つの国に分かれたのだ。以来両国は仲が悪い。そしてさらに1000年前にはその二つの国さえアトラス大帝国の一部だったのだ。
「そう英雄アルベルトによりアトラス王国がアトラス大帝国へと変貌していく中の戦いでここで多くの血が流れた結果、それまで白い花を咲かせていたアルブラッドは赤い花を咲かせるようになった」
アルブラッド・・・そうか、その名前もその故事からきているのか。英雄アルベルト、カイルベルトの兄の名と同じだ。いや、王太子である兄の名のほう英雄にちなんで付けられたのだ。
「美しい花ですよね」
カイルベルトは周囲に咲き乱れるアルブラッドを見る。セリアの話を聞いてから見ると一層その赤色が鮮やかに感じた。
「血のような色でしょう? 不吉な花とも言われています。まるで私のようです」
「セリアが不吉などと」
「私は姫騎士と呼ばれています。この手は多くの人の血で染まっているのです」
確かに姫騎士と呼ばれているセリアは多くの人をその手で葬っている。そして、そのほとんどがゲナウ帝国の騎士だ。
カイルベルトはアルブラッドを指すセリアの手にそっとキスをすると、今度は立ち上がったセリアの唇にキスをした。
「それは戦争なんですから、仕方のないことです。それにセリアの手はこんなに美しい。血に染まってなどいませんよ」
セリアにキスできてうれしいのに、なんだか胸が苦しい。小さな赤い花が咲き乱れる中に姫騎士らしく姿勢よく立つセリアは凛としてこの世の何よりも美しいとカイルベルト思った。
セリア、すまない・・・僕は・・・。
「カイルベルト様、どうかされましたか? 少し顔色が・・・」
「なんでもないよ、セリア」
最初の訪問の後も、カイルベルトは短期間に何度もアルストン辺境伯の屋敷を訪問した。
カイルベルトを警戒しているアルストン辺境伯だが、うれしそうにカイルベルトを迎える愛娘のセリア見て、結局カイルベルトを追い返すことはなく毎回渋々ながら屋敷への滞在を許可した。
そして、カイルベルトは恋に目が眩んだ世間知らずの王子を演じ続けた。
カイルベルトが何度かアルストン辺境伯を訪問するうちに、恋に目が眩んで近いうちに戦争になるかもしれない敵国に何度も訪問してくるバカな王子に、アルストン辺境伯の警戒心は徐々に薄れていった。それどころかアルストン辺境伯はカイルベルトからゲナウ帝国の情報聞き出そうとさえした。
しかしアルストン辺境伯の思惑とは逆に、何度かアルストン辺境伯を訪問してセリアと逢瀬を重ねているうちに、カイルベルトのほうが先に目的を達した。
恋に目が眩んだバカ王子ことカイルベルトは、戦争になった場合に最初にアルストン辺境伯が取る作戦について辺境伯とセリアが話しているのを盗み聞きすることに成功したのだ。
盗み聞きが成功したとき、カイルベルトにはなんの喜びもなかった。あったのはセリアにすまないと思う気持ちだけだった。
いつの間にかカイルベルトはセリアを本当に愛していたのだ。だが、これでカイルベルトも弟に引けをとらない帝国への貢献をなすことができる。
カイルベルトが最後にアルストン辺境伯の屋敷を訪問したとき、去り際に「カイル様、次に会うときは戦場かもしれませんね」とセリアが言った。
それほどまでにゲナウ帝国とマルマイン王国の緊張は高まっていた。
★★★
カイルベルトは100人ほどの精鋭を率いてザナル山脈の東の裾を回り込むようにマルマイン王国へ迫っていた。こんな場所を騎士団が通れるようになっているとは・・・。このルート以外、周りは峻厳な山や崖に囲まれてとても騎士団が通り抜けられるような場所ではない。普通では・・・少なくとも帝国の者には気づくことはできなかっただろう。
空は曇っており、そうでなくても木々が空からの光を遮っているので辺りは暗い。まるでカイルベルトの心のようだ。
セリアすまない・・・。
この先にはセリアが数十騎のアルストン辺境伯の騎士を率いてゲナウ帝国攻めるため集合しているはずだ。
カイルベルトがそれを知っているのは、二週間ほど前にアルストン辺境伯の屋敷でこの計画をカイルベルト自身が盗み聞きしたからだ。何度もアルストン辺境伯の屋敷に通ったかいがあって、カイルベルトは耳を押し当てると辺境伯の執務室の声が聞き取りやすい壁を発見していた。
それによりカイルベルトはアルストン辺境伯とセリアの会話を聞くことができた。
不用心ともいえるが今までこんなことをする者はいなかっただろうから、仕方がないと言える。辺境伯は辺境伯で、カイルベルトのことを人の良いぼんくら王子とでも思ったのか帝国の内情を聞き出そうとしていたのだからお互い様ではあった。
カイルベルトは今、愛するセリアと戦うために歩みを進めている。
カイルベルトが盗み聞きに成功したことにより、ジェズアルド王が絶対に飲めない鉱物資源に関する要求をマルマイン王国に突きつけ、それを理由にマルマイン王国に攻め込むことを決意したからだ。
カイルベルトが盗み聞きしたアルストン辺境伯の作戦は、ゲナウ帝国に攻められた場合、本体とは別にセリア率いる少数の精鋭部隊が、今正にカイルベルトが通っているルートでゲナウ帝国騎士団の背後を突くというものだった。最初、アルストン辺境伯はセリアが危険だと言って反対していた。辺境伯の声が自然と大きくなったのでカイルベルトにもよく聞こえた。それでもセリアが少数で帝国の侵攻を食い止めるためにはこれしかないと引かず、最後は辺境伯を納得させた。
やはり、セリアは勇敢だ。できればセリアは殺さずに捕虜にしたい。だからカイルベルト自身がこの部隊を率いる司令官に志願した。
ここまできても僕はやっぱり甘いなと、カイルベルトは思っていた。
「カイルベルト様、そろそろです」
副官が注意を促した。副官の声にカイルベルトは一層足取りが重たくなるのを感じた。
あれだ!
山裾から少し開けた場所に予想通りマルマインの騎士が集合していた。
だが・・・。
それは予想と違って数十騎どころか百を優に超えていた・・・。
「カイルベルト様、後ろにも」
い、いつの間に・・・。
★★★
「そうか、誘われていたのは僕のほうだったのか・・・」
捕虜として捉えられたカイルベルトは放心状態で呟いた。
「カイル様、ごめんなさい」
セリアは日頃のハキハキした様子とは違って、カイルベルトのほうを真っ直ぐに見るのも辛い様子だ。
「カイル様、戦場ではとても駆け引きが大切なのです。私が女だてらに15歳で戦場に出てからもう7年です。私が女にしては武力に秀でていることは確かですが、それだけでは姫騎士という名声を手に入れることはできませんでしたわ」
「そうか・・・。戦場でも駆け引きにも優れていたからこそ・・・か」
「はい」
最初から、ずっと王宮の温室育ちであるカイルベルトが相手になるはずもなかったのだ。
カイルベルトは途中から計画通りに自分に惹かれているセリアに同情さえしていたのに・・・。
「ふ、お笑いだな」
「そんなことはありません。私が普通の貴族令嬢ならカイル様の思った通りになったでしょう」
セリアは慰めるように言った。そう、セリアは普通の貴族令嬢ではなかった。転生者なのだから。前世での経験も入れればカイルベルトの倍以上の人生経験を積んでいる。
「だが、きみは普通の貴族令嬢ではなかった。男に混じって姫騎士と呼ばれて戦場で活躍しているきみが普通の貴族令嬢であるはずはなかったのにな。やっぱり僕は甘い。これではダイカルトに勝てるはずがない」
カイルベルトは最初にセリアに会ったときのことを思い出す。
最初にセリアを見たとき、美人の部類ではあるが背も高くがっしりしているセリアを噂ほどではないと思った。これなら、僕の魅力には抗えないだろう。そう思ったのだ。
そして最初はカイルベルトのアプローチに警戒していたセリアもあっという間にカイルベルトに心を奪われ・・・そして、あの3日間の逢瀬に繋がった。
その後のアルストン辺境伯領でセリアと過ごした時間もかけがえがないものだった。
恋は激しく燃え上がった。そう思っていた。セリアは自分の初めてさえカイルベルトに捧げてくれた。そう思っていた。
恋心というものは障害が大きほど抑えきれないほどに大きくなる。すべてカイルベルトの予想通りに進んでいると思ったのだが・・・。
だが、セリアは逆にカイルベルトの思惑を見抜いて、誘惑されているように見せかけて実は誘惑されていたのはカイルベルトのほうだったのだ。
「それで僕はどうなるのかな? 殺されるのかい?」
すべてを理解したカイルベルトは、憑き物が落ちたようにサバサバした気持ちになっていた。カイルベルトは勝負に負けたのだ。これは戦争なのだ。
「まさか。カイル様という手札で帝国に和平を申し込みます」
なるほど。だが自分がそれほどの手札になるだろうか?
仮になったとしても・・・。
「カイル様の思っている通りです。これで一旦戦争が終結したとしても、ゲナウ帝国は今やデナウ王国を気にする必要もなくなった大国。小国のマルマイン王国はいずれ帝国の傘下になるか、また戦争が起こって滅ぼされるのか、マルマイン王国の将来は、そのどちらかでしょう」
「そんなことを僕に話していいのかい?」
「私はカイル様のことを信用しています。もし取引が上手く行ってカイル様が帝国にお帰りになったら、マルマイン王国のことを少しは気にかけていただけるとありがたいです。虫のいい話ですみません。でも私もマルマイン王国も必死なのです」
だが、もしカイルベルトが帝国へ帰ったとして、何ができるだろう。セリアに手玉に取られたカイルベルトのことを王や兄、そして優秀の弟は・・・。
「すべてはセリア、きみの計画通りなのか・・・」
「いいえ、カイル様、すべてではありません」
カイルベルトはセリアの強い口調に顔上げた。
セリアの顔が少し赤い。
一体どういう意味なのだろうか?
「そうだセリア、これだけはきみに言っておくよ。僕はきみを騙して誘惑しようとした。だけど途中からそんなことは忘れてきみと会うのを本当に楽しみにしていたんだ。やっぱり僕は甘いね」
最後に本当のことを伝えておこう。今のカイルベルトは単なる捕虜で、殺されるか駆け引きの手札になるかどっちかしかないのだから。
「ありがとうございます」
顔を伏せて肩を震わせているセリアは、戦場を駆け回る姫騎士ではなく普通の令嬢に見えた。
★★★
「カイルベルト兄上を引き渡す条件は停戦だ」
ダイカルトは新妻に言った。
「ジェズアルド王やアルベルト殿下はどうなさるのでしょうか」
エカテリーナの質問に「父上はカイルベルト兄上が思っている以上にカイルベルト兄上のことを気にかけている」と答えた。
エカテリーナは、ダイカルトに負けず劣らず顔立ちが整っていて、ダイカルトとは異なりちょっと憂いに満ちたカイルベルトの顔を思い浮かべた。
「それでは、ジェズアルド王は停戦に応じられると」
「そうなるだろうな」
しかし・・・。
「いずれ、また戦争になる」
「マルマイン王国の鉱物資源は魅力的ですものね」
また多くの人が死ぬ。マルマイン人はセリアを見ても分かるように武に優れ忍耐力もある。マルマイン王国は小国だが簡単には屈しないだろう。お互いに多くの犠牲を払うことになる。
「早く兄上が後を継いでくれるといいのだが」
ジェズアルド王の領土拡大の野心は異常なほどだ。ジェズアルドが王であるかぎりまた戦争になるのは間違いない。王太子のアルベルトはジェズアルドほどの野心はないように見える。
確かにアルベルト王の時代になれば・・・。
エカテリーナは夫であるダイカルトの顔を見る。ダイカルトが何を考えているのかは分からない。
「エカテリーナはどう思う?」
「カイルベルト様がセリアと結婚すればいいのです」
エカテリーナの言葉が予想外だったのか、ダイカルトはちょっと驚いたような顔して「それで」と話しの続きを促した。
「その上で、セリアをマルマイン王国の代表にしてマルマインを帝国の自治領にすればいいのですわ」
「自治領?」
「マルマイン人は自主独立の気風が強い。それに武に優れ我慢強い性格です。小国とはいえ、また戦争になれば両者とも大きな犠牲を払うことになるでしょう」
「ですからマルマイン人に自治権を認めた上で帝国の傘下に収めるのです。すぐにはお互いに納得しないかもしれませんが、とりあえず二人を結婚させて、その方向を目指してみるのはどうでしょうか? ダイ様が言われたように義父がカイルベルト様が思っている以上にカイルベルト様のことを気にかけているとしたら、少なくとも時間稼ぎにはなるのでは?」
エカテリーナは、ちょっといたずらっぽい目をしてダイカルトを見て「でもダイ様、私の意見など聞かなくても、何かお考えがあったのでしょう?」と尋ねた。
確かにダイカルトも小国であるマルマインとの戦争にあまり時間や費用を掛けるべきではないと考えていた。だが、カイルベルト兄上と姫騎士セリアの結婚など、具体的なことまで考えていたわけではない。
だが、言われてみればいい案に思える。武を尊ぶマルマインにおいて姫騎士セリアの人気は高い。そのセリアとカイルベルト兄上が結婚して、いずれはマルマインの自治を認めた上で帝国の傘下にする。
なるほど・・・。
ダイカルトは、デナウ王国から自分の元に嫁いできた自分を悪役令嬢と称する新妻の顔を見る。悪役令嬢どころか自分はかけがえのない宝を手に入れたようだ。
ダイカルトは、そっとエカテリーナを引き寄せると軽くキスをした。
「しかし、マルマイン人の自治権など父上が認めるかな?」
エカテリーナは何も答えない。
エカテリーナとて、ジェズアルド王が簡単にマルマインの自治を認めないこと、逆に自治を認めてもマルマインが簡単にゲナウ帝国の傘下に入るとは限らないことなど百も承知だ。
ただ、とりあえず時間稼ぎをするための方便にはなる。
それに、エカテリーナはダイカルトの能力ならジェズアルド王とアルベルト王太子をまるめこむことなど容易いと知っている。乙女ゲーム『心優しき令嬢の復讐』の隠れ攻略対象であるダイカルトのスペックは高い。
とりあえず時間を稼いている間に、例えば、ジェズアルド王の興味を他に向ける。エカテリーナの故郷であるデナウ王国にしてもまだ完全にゲナウ帝国の傘下になったわけではないのだから、そちらに興味を向けさせるのも良いだろう。
そうこうしているうちに・・・。
「ふむ、エカテリーナの言う通り、とりあえず時間稼ぎにはなるのか・・・。その間にアルベルト兄上の時代になれば・・・」
ダイカルト王の時代になるかもね、などとエカテリーナが考えていることは今はまだ秘密だ。
「そうだな、僕がなんとか説得してみるか・・・。だが兄上はともかくセリアには申し訳ないな。まあ、そこは自分の国が存続するためだから納得してもらうか。政略結婚なんてそんなもんだしな」
「私はむしろカイルベルト様がどう思われるかちょっと心配ですわ。カイルベルト様は結局セリアに騙されていたのですから」
「いや、兄上は大丈夫だろう。むしろ喜ぶんじゃないかな」
「そうなんですか?」
ダイカルトが見たところ、兄のカイルベルトはセリアを誘惑しようとしていたが、実際にセリアに惹かれている様子だった。幼い頃から知っている兄のことだ。まず間違っていないと思う。今回の作戦のことだって父上とアルベルト兄上にだけに話したようだがダイカルトにも丸分かりだった。
「むしろ、僕はセリアがちょっと気の毒だけどね」
セリアは若いが何年も戦場で名声を轟かせた姫騎士なのだ。少し線の細いカイルベルト兄上が好みだろうか。まあ、国同士のためなら関係ない。どうせ政略結婚なのだ。政略結婚で誰もがダイカルトのように本気で愛せる伴侶を得られるわけではない。いや、むしろそのほうが圧倒的に少ないだろう。
やっぱり自分は幸せ者だ。ダイカルトは美しい妻のことを見つめた。
「ダイ様、セリアのことなら大丈夫ですわ」
ダイカルトは、ずいぶんとはっきり言い切った新妻に驚いて、その顔を覗き込むと衝動的にもう一度キスをした。
「そうなのか?」
「も、もうダイ様ったら。それはそうと、きっとセリアはカイルベルト様のことを愛しています」
「まさか?」
「その、まさかです」
エカテリーナは王宮のベランダでカイルベルトが呟いた言葉を聞いた。
あのとき、カイルベルトはロミオとジュリエットと呟いた。そしてそれをセリアから聞いたと言ったのだ。
それでセリアが転生者だと知った。だが今はそれはどうでもいい。
もしセリアがカイルベルトを騙しているだけだったなら、自分たちのことをロミオとジュリエットに例えたりはしないだろう。そしてロミオとジュリエットとは違って二人にはハッピーエンドを迎えてほしい。
特にセリアには幸せになってほしい。
エカテリーナの例を見ても分かる通り転生なんいうものは不幸な死に方をした者に起こる現象だ。
「ですからダイ様、ダイ様の力で是非この結婚を上手くまとめて下さい!」
ダイ様の言う通りでカイルベルト様がセリアを愛しているのなら、きっと二人の結婚は上手く行くはずだ・・・。
そう、私たちと同じように・・・。
エカテリーナは上目遣いで夫のダイカルトを見ようとしたがそれは叶わなかった。
ダイカルトがすぐに顔を寄せてきてキスをしてきたので目を瞑ったからだ。
メインで連載しているハイファンタジー「ありふれたクラス転移」の息抜きに書いた短編「乙女ゲームの断罪の場に転生した俺は悪役令嬢に一目ぼれしたので、シナリオをぶち壊してみました!(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ1)」が予想外に好評だったので調子に乗ってシリーズ化して続編を書いてみたのですが、どうでしょうか? また本作の続編「転生悪役令嬢の憂鬱と人生やり直し侍女の献身(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ3)」も投稿していますので是非読んでみて下さい。
本シリーズに少しでも興味を持っていただけたら是非「ありふれたクラス転移」も読んでみて下さい。とても力を入れて書いています。
それから、読者の方の意見が知りたいので、感想やレビュー、ブックマークへの追加と下記の「☆☆☆☆☆」から評価してもらえるとうれしいです。
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