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神曲  作者: もてぃまー
13/16

勇③

三那 勇

14歳

中学生

開始

2022年8月22日 神奈川 午後7時56分

勇は放心していた。


無限に続く悪夢から抜け出た少年は、兄の声で現実世界に戻ってきたが

未だにその実感が湧いておらず、あれから一晩経った今も不眠のまま(ほう)けていた。

もう一度眠ったら、またあの悪夢に引き戻されるかもしれない。

その恐怖が眠ることを許さず、かといって誰に言っても理解してもらえないだろう。


実際、仕事から帰ってきた両親は真っ青な顔で放心している勇を心配したが、

自分の身に先程まで起こっていたループの話を伝えても

とても嫌な夢を見た。くらいにしか受け取ってはくれないだろう。

そのため、何の弁明もする気にはならなかった。


兄は勇の意識が戻ると、病院へ一緒に行くことを提案したが

家を出る。という行動が、またあの世界へ。

モアイ公園からゲームショップの間の無限ループへ取り込まれてしまう気がして

ただ背筋を震わせるのみだった。

そんな弟を見た兄は、一先ず静かに眠るよう進言するに(とど)めた。


そんなやりとりがあった翌日、

晩飯、朝飯、昼飯と丸一日食事をしていなかった勇だが、食欲は全く湧かなかった。

夜になって帰宅した両親は、用意していた朝飯昼飯ともに、全く手を付けずに冷蔵庫に入っていることに気付き、勇をリビングまで連れ出した。

自身の部屋から出てきた息子の様子は、昨日見た時よりも体調が悪化しているのは明確で、

青白かった顔は、最早白くなっていた。

目線もピントが合っていないのか、ぼんやりとどこかを眺めており、幽鬼のような有様(ありさま)である。


見かねた勇の父親は、息子を車に乗せると夜間急病診療を受けている病院へと向かうことにした。

その際に息子は無言で首を横に振ったが、両親の懸命な説得によって車に搭乗することになった。


バックミラー越しに見る息子は相変わらず呆けていたが

近所の森林公園に差し掛かった瞬間にビクリと跳ね、目を(つむ)ってブルブルと震え始めた。

明らかな異常な反応を見せる息子に、何度も声をかけるが返事が返ってこない。


こんな反応について、少し前にテレビで見た記憶がある。

トラウマ・・・PTSD(心的外傷後ストレス)・・・ASD(急性ストレス)・・・フラッシュバック・・・

つい昨日の朝まで、夏休みをぐうたらと過ごしていた元気な息子の唐突な変化は

誰かに何かをされたことが原因に違いない。

父親はそう確信して問いただそうと口を開きかけたが、同時にそういった心の傷を負った人間に

下手な言葉をかけるのは逆効果だということを思い出し、開きかけた口を閉じた。


無言の車内、走る車。息子は変わらず目を瞑ったまま震え、その吐息だけが聞こえる。

何度も声をかけようと思い浮かぶ言葉を必死に嚙み殺して、ハンドルを握り続けた。


病院に到着したことを伝えると、息子はゆっくりと目を開いて緩慢な動きで周囲を見渡し

震えが徐々に収まっていく。

運転席から降りて後部座席の扉を開き、息子に降りるよう促すと

「・・・うん」

と、まるで数年ぶりと感じるほど久しく息子の声を聞いた父は、少し胸を撫でおろした。


その後受付を済ませている間も息子は周囲をキョロキョロと見まわしていたが、

やがて自身の名前が呼ばれると立ち上がり、ヨロヨロと診査室へ向かい始める。

その横に寄り添って診査室に入ると、まずは息子の状態について、己が客観的に感じたあれこれを説明する。


医師は息子にいくつかの問診と触診、聴診器を使った検査を行うと、隣室のベッドへ横になるよう促した。

看護師が息子に付き添い、隣の部屋へ案内して連れ出していく。

医師がこちらを向き直ると、体調には特に問題はないこと。ただ、体力的に衰弱していることを説明。

加えて、父親から聞いた内容と照らし合わせると、身体よりも精神的な問題の可能性が高いこと。

夜間は精神科医が常駐していないため、詳細な検査は日中でないと行えないこと。

食事も睡眠もしていないとのことで、点滴の投与と、睡眠剤を処方することを伝えてきた。


一晩入院することも出来るとのことで、一通り医師からの説明を受けた後は隣室へ向かい、

点滴を受けている息子へ入院するかと問うと、帰宅を希望したため家に帰ることにした。

再び車に乗り込んだ際、息子は小さい声で父に懇願した。

「モアイ公園とゲーム屋の前は通らないで」

と。


2022年8月22日 神奈川 午後10時2分

息子の希望通り、最短の道とは異なるルートで車を走らせ帰宅した二人。

車を自宅の車庫に止めると、待ちかねていた妻が玄関から駆け寄ってきた。

一先ず身体的には問題ないことを伝えながら、息子を家に入るよう促して自室のベッドまで付き添った。


妻には薬を服用するための水を持ってくるよう頼み、何も言わずに息子に寄り添う。

両目を開いて天井を見続ける息子に何ができるか考えたが、こうやって隣にいることが

息子が最も安心できる行動だと考えた結果だった。

程なくして妻が処方された薬と水、それと冷やしたタオルを持って息子の部屋に入ってくる。


おろおろとする妻を落ち着かせて、息子に薬を飲むよう促した。

何も言わずに薬を飲んだ息子を再び寝かせ、その額に冷えたタオルを置いてやる。

ベッドからはみ出した右手を妻が両手で包み、暫く二人で傍にいてやると

息子はようやく眠りについた。


起こさないよう、静かに二人で部屋を出てリビングへ降りて行くと

いつの間にかもう一人の息子が帰宅していた。

「どう?勇の様子は」

そう聞いてくる息子に、先ほど医師から聞いた話を伝えた。

身体的には問題がないこと、精神的な原因である可能性が高いこと。

ただ夜間は精神科医がいないため、点滴と処方だけ受けて、明日改めて来院することを告げた。


「そっか」

取り乱すこともなく冷静にそう返した息子とは裏腹に、妻は再びおろおろと動揺し始めた。

「落ち着いて、母さん。勇もやっと眠れたみたいだし、出来るだけ静かに寝かせてあげよう」

その一言で、立ち上がってうろうろし始めた妻は再び椅子に腰かけた。

明日は自身が仕事を休んで付き添うと申し出た妻だったが、

この状況で付き添ってもらっても不安なことは口に出さず、自身が仕事を休んで付き添うと伝えた。


それと病院へ向かう途中、近所の森林公園を通過する際に異常に反応していたこと。

帰り道でも、森林公園と、息子がよく行っているゲーム屋の前を通らないで欲しいと懇願したことを

二人へ伝える。

あわせて、以前テレビでやっていたPTSDやASDの症状に見えること、

それらの場所で、誰かに何かをされたのではないか、と。


「・・・」

(いぶか)しい顔で聞いていた息子だったが、チラリと時計を見ると口を開いた。

「俺、たぶん明日から(しばら)くゼミで缶詰になると思うからもう寝るよ。勇をよろしくね」

そういった息子は申し訳なさそうな顔をしたが、問題ないと背中を押してやる。

妻も息子を応援し、その日は3人とも眠りについた。


2022年8月22日 神奈川 午後11時59分

「・・・」


ベッドを抜け出した青年は、静かに窓を開いて部屋から抜け出した。

夜風を肺いっぱいに吸い込むと、ゆっくりと吐き出す。


「・・・」

()だる様な日中の暑さとは違う、(まと)わりつくような熱中夜の空気は

日中に熱されたアスファルトが冷えていくにおいと、付近の公園からくる青臭い香りが

混ざった複雑な味だった。


青年は1階から突き出した屋根の上で、隣の部屋に眠る弟を窓越しに確認し、静かに呟いた。

「・・・行ってくるよ。勇」


青年は一息に夜の世界へ飛び降りた。

ヴィオラの演者は楽器の存在にまだ気付いていない

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