表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/17

6.湖音の階段〜参

 

 4.クラ


 その老人は目が見えないはずなのにスタスタと先を歩いて行く。老人と出会った広場から更に先へと進み、積み上げた石で出来た段差がまちまちな階段を上る。連れて行かれたのは古びたテーブルと椅子、食器棚、竈、ベットのある狭い部屋だった。天井は高く、ランプが部屋の壁の四隅に掛けられ明るい。

「良かったらそこに座りなさい。紅茶を入れよう。少々長い話になるかもしれんのでな。本当はアップルパイでも出したいところだが、流石にそこまでは準備がなくてのう」そう言うと老人は竈へ向かった。その時、老人について回っていた巨大なダンゴムシがギーギーと鳴いた。

「何? 本当か? まったくお前は…….。お嬢ちゃん、良い知らせじゃ。このコっちゃんが、シナモンケーキを隠し持っておったようじゃ。皆で食べよう」黒目が震えた。


 テーブルで老人と向き合い紅茶を飲む。

「美味しい」

「そうじゃろ。神殿の奴らが飲んでいるものと同じだからな。このケーキもどうやらコっちゃんがわしに内緒でくすねて来たようじゃ」ダンゴムシがジーと鳴く。

「さて、どこから話そうかの……そうじゃな、この街の昔の姿から話そうか……」


 老人の話しは今から五十年前まで遡った。

 この湖の街に神殿もなく地下に住まう人々もまだいない頃、若くして父に先立たれた青年は、父の跡を継ぎ二十歳で街長となった。湖が大半を占めるこの土地で肩を寄せ合うように暮らしていた街人達は、幼い頃から面倒を見ていたその若者が新たな街長になるのを応援した。「俺はこいつのおむつを替えたこともあるんだぞ!」嬉しそうに言う者も何人かいた。狭い街だったのだ。

 新しい街長は父を見習い、勤勉にその職務に取り組んだ。忙しい日々は瞬く間に流れる。

 三年程経ったころだったろうか。その男がいつこの街に現れたのか、誰もはっきりとは覚えてはいない。ある者はつい最近、他所の街から流れてきたと。また別の者は、昔からこの街の外れに住んでいたと。その時、街長は結婚し子供が産まれたばかりだった。その男は、街長にある提案をした。湖の奥底に住む「湖の主」が、またいつ暴れるか分からない。今のうちに、祈りを捧げ静まっていて貰えるようお願いしようと。

 この街にはある言い伝えが今も残っていた。それは、湖の主に纏わる話しだった。遥か昔、この街の人々は湖に住まう主に悩まされていた。その巨大な爬虫類の様な生き物は湖の魚たちを喰い尽くし、陸に上がり草木も喰らい回った。六つある湖はその底で繋がっているらしく、湖の主が出没する様はまさに神出鬼没だった。困った街人達は、苦渋の決断を下す。それは、湖の主にその時の街長の娘を巫女として捧げるというものだった。言い伝えによると、巫女の犠牲により湖の主はそれ以来ぱったりと姿を見せなくなった。

 その男の提案を聞いた街長は、その男を「はて、誰だったかな?」と思ったが、その真剣な話しように無下には出来ないと思い、その提案を受け入れ寄合の話し合いの場で提案した。「具体的に何をするんだ?」当然そんな質問が飛んだ。その時も、どこから現れたのかその男は「神殿を造り、祭るのです」と言った。しかし、そんなのは大げさだし馬鹿げている。何より人手もお金も無いと一蹴された。そして、数週間が経った頃。街には様々な噂が蔓延していた。「夜中、釣りをしていたら湖で何か巨大な生き物の影を見た」、「湖の周りの木に実っていた果実が一夜にして全て無くなっていた」、「早朝の湖を散歩していたら、巨大な魚が地面を這って湖に消えた……」どれもが人から聞いた話だが、という事だけが共通していた。

 気が付くと、大半の街人は神殿を作ることが当然だと思うようになっていた。そして、街の中心にある湖に浮かぶ島に、神殿が建造され始めた。人々は疑う余地もなく仕事の傍らに建材を集め、運び、あっという間に木材が美しく組み上げられた祠が出来上がった。

「今日から、あなたが司祭になるのです」その男はそう言った。

 そうして司祭となった街長は家族と共にその祠に住み始めた。

 司祭は勤勉だった。日々、祭壇に祈りを捧げ、街の安寧を祈った。

 そして、街に蔓延していた不穏な噂は立ち消えた。

「もう、不安に怯える日々は過去となりました。私達には眩い未来が約束されたのです」その男は言った。

 気が付くと、男は司祭と共に祠のある家で暮らし始めた。街の誰もがそれが自然な事のように思った。

 月日が経ち、気が付くと街の人口が増えていた。

 世代が入れ替わり、司祭にも孫が出来た。

「街の構造を改革する時が来ました」男の言葉だった。

 司祭が議会で提案するや、それは即時に可決され実行に移された。祠のある場所には新たに白石造りの神殿が造られることになった。増えすぎた人口対策として、地下に街を作ることになった。地上に高層の建造物を造るには、この街は資源が無さ過ぎた。人々は、不満を感じながらも受け入れた。

 更に数年が経つ。

 気が付くと、地上の街は司祭の関係者、高度技能者達だけが住まう場所となった。

 それ以外の人間は、土の中で目を覚まし、そして土の天井を見て眠りについた。


「ま、そんな所じゃ」老人は話し終えると、ダンゴムシに何か耳打ちし、ダンゴムシはギーギーと鳴いた。老人は何度か頷き、また私に向き直った。

「それでじゃな、クラさん。お姉さんだがの、少しまずいことになっておるようじゃ」私はまだこの老人に名乗っていない。

「わしはこの後、神殿を爆破する予定なんじゃがの、君のお姉さんが神殿に向かっておるようじゃ」




 5.ムギ


 地下の通路はまるで立体迷路だった。道は曲がりくねり分岐し、規則性がなく高低差も変化する。しかし、先を行くヒサイの足取りに迷いは無い。目的の場所まで地下通路を使って行くと言った。地上は人混みが凄い上、司祭派の目につきやすい。この地下通路は、街の全ての湖の地下コミュニティと繋がっていると言う。しかし、地下の世界はさながらスラムのようだった。地べたに寝ている人、悪臭、壁を這う気色の悪い巨大なミミズ。早く地上に出たい。

「もうすぐで目的の場所に着くから。そうしたら君は自由にすれば良い」私の心を読んだかのようにヒサイは言った。

「うん、わかった。でも、ヒサイは一人で神殿に行くつもりなの?」

「いや、タルウが目的の場所で待機しているはずだ」

「それでも二人だけじゃん……」

「うん、そうだね。でも、それがウタウを助け出さない理由にはならない。ランドやダウルだってきっとそう言うと思う」

 二股の道を右に曲がり、長い上り階段を駆け上がる。上方に四角い空が見えた。久々の空は茜色だった。

「もう夕方か……」クラと離れて半日以上経つ事になる。

 地上に出ると、そこは人気のない場所だった。白樺の木がポツポツと間隔を開けて立っている。少し離れた場所には小麦畑が広がり、茜色に輝いてる。なるほど。地上の貴重な土地は富裕層と農耕の為にだけ使われている。遥か遠くで祭りの音が聞こえる。右手に湖が見える。そして、数匹の亀達がノロノロと這い回っていた。どうやらチョーチョパリと再開した場所の近くのようだ。やはり人気はない。

「タルウが近くにいるはずだ。君はもう行って良いよ。巻き込んですまなかった」ヒサイは真っ直ぐこちらを見つめて言った。優しい人なのだ。その瞳は私の事まで心配してくれていた。

「……私も、手伝うよ。ウタウさんを助けるの」気が付いたら言葉が出ていた。

「ダメだ! 殺されるかもしれないんだぞ?! 君は妹さんを探さなくちゃいけないだろ?!」

「でも二人で何とかなるの? それこそ皆んな死んで終わりなんじゃない? 私、こう見えて結構役に立つよ。妹はウタウさんを助け出してから必ず見つける」

「でも……」

「これは私の意志。困っている人がいたら助ける。それが私なの」穏やかに言うと、二人の間に沈黙が降りた。ヒサイは私の顔をじっと見つめる。

「わかった。じゃあお願いするよ。その代わり、少しでも危ない状況になったら必ず逃げてね」

「もちろんそうする。ありがとう」私は嘘をつく。

「では、タルウと合流しよう」


 湖に沿って歩く。地面を這う亀が増えてきた。踏まないよう注意しながら進む。次第に木々が濃くなり、森になった。白樺に加えて椵木、檜が群生している。斜めに降り差していた茜色の光は木々の葉に遮られ姿を消した。薄暗い中を進むと、一人の男が立っていた。

 タルウは二人の兄とは違い温和そうな青年だった。

 三人の中では一番細く、背が高い。目にかかる薄茶色の前髪が繊細そうな印象を与える。

「タルウ、トラブルがあった」ヒサイは私の事も含めこれまでの事をタルウに簡単に説明した。

「……そうか。兄貴達が……」状況を聞かされ鎮痛な面持ちになる。

「こっちの方は異常はなかった?」ヒサイが聞く。

「ああ、問題ない。昼から人っ子一人ここには近づいていない」

「そうか。それなら、始めようか。もうすぐ日が沈む。階段を出すのに少し時間もかかるし」

「ああ、わかった。必ずウタウを救い出そう」

「今から目の前で起こる事にびっくりしないでね」ヒサイが私に振り返り言う。

「うん。ここ最近、びっくりすることばっかなんで平気だと思う」本当の事を言った。

「じゃあ、始めるよ」

 ヒサイは湖の方を向き目を閉じた。集中しているのだろう、長い息を吐く。しばらくすると湖の表面が細かく波打ち始めた。空気が震える。周囲にいた亀達は湖に次々と落ちて行く。亀は途切れることなく現れ、湖に消える。凄まじい数の亀達が押し寄せては消えて行く。しばらくすると、亀は一匹もいなくなった。そして、空気の振動も止まる。突如、湖の表面が大きく持ち上がった。水飛沫を上げて現れたのは、亀の階段だった。亀が隙間なく筒状に連なり、湖の底へと続く階段のトンネルがそこにあった。

「ごめん……これは驚いた……」

「よし、行こう!」三人は階段を駆け下り始めた。



 6.クラ


 老人とテーブル越しに向き合う。白く濁った目が見つめる。私は黒目で問いかける。

「ふむ。あの卵形の神殿の突端に、機械式爆弾を取り付けた。この山の上層には非常に優れた技能を有する街があっての、そこで作られた爆弾だ。祭りの最後に花火が打ち上がる。爆弾をそのタイミングで爆発するよう仕掛けたのじゃ」

「何でそんなことするの? 中の人が死んじゃうじゃん」

「この街は一度壊して、作り直さないといけないのじゃ。今の街は、あの男の意のままに作られたものにすぎん。本来の形に戻す為には、あの男と司祭派の人間を一掃する必要がある」

「ダメだよ、そんなの。どんな時でも暴力はいけないんだよ」私は黒目に思いを込めた。

「クラさんは良い子だ。では、もう一つ話しを聞かせよう。今夜行われる儀式についての」


 "巫女の儀"

 それは湖神を祀り始めた最初の頃は行われていなかった。それが行われるようになったのは、卵形の神殿が完成し、人々が地下街に住むようになって数年経った頃だった。

 司祭とその兄弟、それぞれの子供、そして孫達は神殿の中で贅を尽くした日々を送っていた。一族は滅多に外には出る事はなかった。それがあの男の指示だったからだ。その代わりに、外部の人間が頻繁に神殿に出入りした。主に子供達への教育の為、有能な技能と知識を持つ地上に暮らす人々だった。神殿のある小島には一本だけ橋が掛かっていた。これを渡るのが唯一神殿に出入する方法だった。

 ある年の暮れ、一族はいつにも増して贅沢な夜を過ごしていた。その日は司祭の数人いる孫の一人が十歳になる誕生日だった。一族一堂に祝福され、数え切れない程のプレゼントを貰い、その夜、その女の子は愛らしい笑顔を絶やす事はなかった。

 そして、翌日。女の子は消えていた。神殿内部を隈無く探したが見つからなかった。司祭は使える人間を全て使い街中を探させたが無駄に終わった。

 その後、神殿に架かる橋は撤去された。神殿に出入するには許可された船に乗るしか無かった。そして湖に許可なく船を浮かべるのを禁じた。

 二年の時が経った。その年の暮れ、一族はまた孫の誕生日を祝っていた。そして、翌朝、誕生日を迎えたばかりの男の子は消えた。何人かの子供が、夜中にベタベタという変な音を聞いたと言った。大人達はそれに耳を貸す余裕がなかった。

 司祭は居を移すと言った。しかし、あの男は言った。

「この神殿に神聖なる司祭一族が住まう事が人々の心を一つとする象徴となるのです」司祭は頷くしかなかった。

 二年後、年の暮れに誕生日を迎えた孫がいた。大人達は笑顔で祝福したが、頭の中は三度目の悪夢に囚われていた。

 その夜、子供は集まり、大人達と眠りについた。

 翌朝、昨夜と同じ顔ぶれが食卓に並んだ。大人達は安堵した。しかしその夜、司祭はふと目が覚め寝室を出て子供達の部屋の方へ向かった。胸騒ぎがしたのだ。階下の子供部屋に行こうと階段を降りようとした時、誰かが子供部屋のある階から下へと降りて行くのが見えた。神殿にある階段は最上階まで吹き抜けの螺旋階段だけだ。誰かが階段を降りていれば上から見下ろせる。ベタベタと奇妙な音が響く。角度が悪くその姿が見えない。だが次の瞬間、それは姿を現した。黒よりも黒い表皮で全身を覆われた化け物たった。頭部には大きな口だけがついている。それが孫の一人を担いで階段を降りていた。

 司祭は恐怖で固まった。だが、遠ざかるそれをただ見ている訳には行かなかった。恐怖で震える足で後を追った。それは地下へと向かった。司祭は地下に来るのは初めてだった。そこは剥き出しの岩が転がる洞窟だった。見渡すと、湖に繋がっているのか水が洞窟の奥にまで続いている。化け物の姿は無かった。だが、岩壁の一部が更に奥へと続く細い洞窟になっていた。そこからベタベタという音が聞こえる。司祭は人を呼びに行こうか迷ったが、見失う恐れがあるので一人で追うことにした。あの孫が産まれた時のことを思い出しながら。その小さな体を初めて抱き上げたあの時を。

 殆ど光の届かない洞窟を進むと、下に降りる石の階段があった。三段先より下はもう何も見えない。黒よりも黒い闇がそこで口を開けている。

「この先に、連れて行かれたのか」司祭は階段を降りた。一段、一段、足元を確かめながら。気がつくと完全な闇に包まれていた。"シー"という空気の気配のような音だけが静かに鳴っている。一段、一段。降り続ける。ゆっくりと足を伸ばし、降ろす。しかし、そこに感触は無かった。周囲を足で探る。何もぶつかるものがない。突如、階段は終わったのだ。司祭は闇に取り残された。元来た階段を手探りで探す。しかし、その手に触れるものは何も無かった。次の瞬間、司祭は体が浮くのを感じた。何も見えない中で思った。違う、これは落下しているのだと。


 神殿は司祭と孫がまた一人いなくなったことで、大騒ぎになっていた。だがあの男が言った。

「今日からあなたが新しい司祭です」

 初老を迎えつつあった司祭の弟は、その日から新たな司祭となった。

 そして、それから二年後。巫女の儀が行われた。地下街から選ばれた未成年の子共が、神殿に入り"湖神"に仕える。神聖な役目だった。選ばれた子の親は栄誉な事だと喜んだ。我が子と会えなくなるのは寂しいが、神に仕えるのだ。大切に育てた甲斐があったと。

 それから二年おきにその儀式は行われた。気がつくと街を揚げての祝祭となっていた。だが、あるときから妙な噂が流れ始めた。"巫女となった子は儀式の後、姿を消す。地下の階段を降りて二度と戻らない"と。

 選ばれた子は神殿で聖なる職務に励んでいると思っていた大人達は動揺した。しかし、儀式は行われ続ける。巫女選出の時期になると、地下街の子を持つ親達は、割れる寸前の風船のような気持ちで日々を過ごした。選ばれた子の家族は扉に鍵をかけ、家の中で呪われた運命に泣き崩れた。選ばれなかった子の家族もその夜は扉に鍵をかけ、子供を抱きしめ選ばれた子に感謝した。

 そして、今年の御巫の儀か行われる時が来た。


「あと数時間後に神殿の地下で儀式が行われるだろう」老人は言った。

「あの一族は地下街の人々を搾取するだけではなく、自らの子供の身代わりとして犠牲にもしているのじゃ。今まで、何人の子供が犠牲になった事か。これでも、クラさんはわしがする事に反対するかい?」私は真っ直ぐな黒目で二つの濁った虚空を見た。

「反対です。やっぱり暴力はダメです。神殿の人達は地下街の人達に謝らないとダメです」

「ふむ。その通りでもある。失われた者は戻らない。さてそろそろ日も暮れる。クラさんはどうする? お姉さんはそろそろ神殿に着くようだ」

 確かに先程から、一旦は遠くに行ったお姉ちゃんの匂いがまた近づいて来ているのを感じていた。

「神殿に行って、爆弾を捨てて来ます」

「ほう。それならば丁度良いぞ。ここは神殿の真下じゃ。先程の地上まで吹き抜けの場所、あそこを抜ければ神殿がある」

「ここは何なんですか?」

「言ったじゃろ、わしが掘った穴じゃ。いつの日か、神殿を破壊する為に。まぁ、厳密に言えば掘ったのはクダムシ達じゃがの」

「クダムシ?」

「ほれ、そこにもいるじゃろ」見ると、例の人の手のひらのようなものが無数に生えた大きなミミズがいた。

「これが掘ったの?」

「昔、暗闇の世界でこのコっちゃんと友達になっての。このダンゴムシは山の地底世界と地上世界の狭間に生きるものでな、地上世界の地底の民であるクダムシと意識を共有出来るのじゃ。クダムシが見聞きしたものはコっちゃんにも見える。意識を共有すればこの街の全てのクダムシに大きな穴を掘ってもらう事もできる。人と違い、掘って良い場所とそうでない場所も分かっておる」

 私達は吹き抜けの広場に戻った。見上げる空は暗くなりかけている。

「地上からは神殿にはいけん。橋はない。泳いで渡ろうとしても警備艇に捕まえられる。唯一の方法はここを登ることじゃ。じゃがの、見ての通り壁には掴めるところはない。爆弾はクダムシ達に運ばせて取り付けた」私は壁を見上げた。相当な高さだ。でも、他に選択肢がないならやる事は一つだった。

 壁に指をかける。体を持ち上げる。足を壁に突き立てる。反対の足を壁に突き立てる。いける。

「ほう。登るか」

 壁を掴む、足を上げる、壁を……しかし、土が崩れ足が壁から離れ、地面に体を打ちつけた。

「大丈夫かの? まだ低いところだから良いが、上から落ちたら只じゃすまんぞ?」

 その後も何度か繰り返したが、体を打ちつけるだけに終わった。気がつくと全身泥だらけになっていた。

「諦めたらどうじゃ? クラさんには関係のない事じゃろ」

「……人が暴力を振るわれるのは、ダメなことだから。目の前でそれが行われるのなら、止めなくちゃいけないから……」

 再び土壁に指を掛ける。足を突き刺す。そして指をを掛ける……しかし掴んだのは土壁ではなかった。柔らかいそれはしっかりと土壁に吸着し、指を掛けるには十分な大きさがあった。そして何よりその無数のヒダヒダが滑り止めとなり、安心して体重を預けることが出来た。クダムシだった。見上げると、等間隔で数えきれないほどのクダムシが並んでいる。

「ほう。そう来たかコっちゃん」ダンゴムシはジーと鳴いた。

「でほ、わしはここで見物させてもらおう。今夜がどんな結末を迎えるのかを……」


 クダムシを掴み上り続ける。日の暮れかけた空が近づく。もうすぐ地上だ。その時、下から老人が叫ぶ声が聞こえた。

「おーい! クラさーん! たった今、湖の中にいるクダムシから連絡があってのーう! 湖の底で何やら巨大な爬虫類が暴れているらしいぞー。今夜は何が起こるか分からん。十分気を付けなされーっ!」

「わかったよー! おじいちゃーん! ありがとーねー!」

 老人は小さくなった少女からダンゴムシに視線を移し呟いた。

「……しかし、何故に湖の主がこのタイミングで動き出したのじゃ? 今、この街でいったい何が起こっているのじゃ……」ダンゴムシがジーと鳴いた。




 7.ムギ


 亀の階段の中は暗かった。先頭を行くタルウがランプを持って降りていく。もうかなりの距離を下っている。相当長い階段になるのだろう。チョーチョパリの言葉が頭をよぎる。

 ”余りにも極端な力で場所通しが繋がると、この世界には歪みが生じてしまう”

 だとしたら、この階段はどんな歪を産み出してしまうのだろうか。ぼんやりとした不安が形を成さずに漂う。

「そういえば、この階段はどうやって見つけたの?」まだ聞いていなかった事を思い出し、目の前を歩くヒサイに言った。

「うん。話せば少し長くなるかな。でも、まだしばらく歩く事になるから丁度良いかもね」

「うん、良いよ。聞かせて」

「巫女の選別が始まったのは知っていた。ウタウがその対象に含まれている事も。ただ、まさか選ばれるとわ思わなかった。きっと、皆そうなんだろうけど。選ばれたら早かったんだ。あっという間に神殿に連れて行かれて。儀式の日まで神殿で過ごすんだって。ろくに別れの挨拶もする暇も無かったよ。しばらくは嘘みたいで、すぐにまた帰って来るんだろうと思っていた。ウタウの笑顔は黒目が笑うんだ。分かるかな? 物静かなんだけど、感情は豊って言うか」

「うん。分かるよ。私の妹もそんな所があるから」

「うん。それでね、それから夜、眠れなくなってね。昼も起きているの分からないような日々が続いて。

 夜はさっきの湖畔の森に毎日、行くようになったんだ。あそこからだと、遮るものがないから神殿が遠くに綺麗に見えてね。ウタウは今、何を思っているんだろうって考えたりして。そんな日々が続いたんだけど……..。その日の夜も、ウタウの事を考えていた。知っての通りあそこは亀だらけなんだけど、その夜は何時にも増して亀が多かった。僕の気持ちも限界に来ていたんだと思う。ウタウに会いたい。ウタウの顔が見たい。ウタウと明日を過ごしたい……。意識を失っていたんだと思う。ウタウが目の前に現れて、優しく微笑んでくれたんだ。目を開けると、亀の階段があった。訳が分からず、その日は家に帰った。でも、また次の日に行って、ウタウの事を考えていたら亀達が集まって来て階段が現れた。その後、何度かランプを持って中に入ってみて、ランドにも話した。神殿に繋がっている階段だろうという事になって、今回の計画の話が動き出したんだ」


 気が付くと階段は上りに変わっていた。

「丁度、半分まで来たようだ」先頭にいるタルウが振り向く。

「この街の六つの湖は底の方で全て繋がっている。今、中央の湖に入った所だ」

 なるほど。ここから神殿の地下まで上って行くという事か。

「そういえば、まだ聞いてなかったけど、作戦とかあるの? 神殿に着いてからの」

「あぁ、まだ伝えてなかったね」ヒサイが真剣な表情になる。

「まず、ランド、ダウル、タルウの三人が暴れて司祭派の連中を掻き乱す。そして僕がその隙にウタウを奪い返して逃げる」そこでヒサイは言葉を切る。

「……うん。それで?」

「それで? いや、これで全部だよ」

「はっ?! 何それ? そんなの作戦なんて言わないでしょ?! それにランドもダウルもいないし」

「そこだよね……当初の作戦だと成功率八割って言うところだったんだけど。今の状況だと六割ってところかな……」ヒサイはやれやれといった表情だ。

「ちょっ! 何で?! どうしたらそういう計算になるの?!」

「えっ? どこの部分?」

「全部だよ、全部!」

「うーん。何かおかしいかなぁ?」どうやら真面目に言っているらしい。

 先頭を行くタルウをちらりと見る。その細い体が誰かと殴り合っている絵が想像できない。吟遊詩人ですと言われたら疑いなく納得するような風貌だ。きっと、詩をこよなく愛しているタイプだ。

「ねえ、タルウ。詩とか書いたりする?」

「詩? ポエムの事? うーん、最近は書いてないかな。ただ、詩は好きだよ!」振り向いたタルウの顔は嬉しそうだ。

「へぇー……やっぱりね。何かそんな気がしたんだ」

「美しい言葉は、重力と戯れる羨望の羽のようなものだからね!」

 ……やはりだめだ。私が頑張らねば。

「二人とも。そろそろ神殿に着くよ。ここを少し上れば、神殿の地下洞窟に出る。皆、自分の身を一番に考えて。危なくなったら迷わず逃げる、約束だよ?」

「あぁ、分かっている。お前も無茶はするなよ、ヒサイ」

「うん。それとムギは、僕らの後ろに居てね。僕が動けない場合は、ウタウの事を頼むね」

「分かった。必ずウタウさんを救出して、皆で無事に逃げよう」

 三人は見つめ合い頷いた。

「さて、では行こうか」




 ——湖音の階段〜参——






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ