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1.蔦の階段

 

 左足を下ろす

 体の重みを持ち上げる

 右足に力を入れる

 景色が開ける

 疲れているのに、

 身体は駆け上がる

 陽光に目を細め、

 最上段を踏み上げる


 そして、思わず息を止める……


 初めて見る

 どこか懐かしい


 階段を、登った世界に


 いつの間にか先に駆け降りたクラは、やんちゃな眼で振り向いた

 その黒目は語る


 きっと

 この景色を気に入ったのだろう


 私も好きだ


 いつだって


 階段の街は


 私たち姉妹をドキドキさせる




「あんた達、本当に二人だけで旅してんのかい?」

 宿屋の人の良さそうな女主人は、心配と興味が半々といった顔で聞いてきた。この手の反応はいつものことだ。どこの街でも、子供だけの客などまずいない。だが、クラと私は二人で旅をしている。

「はい、妹と私二人だけです。その、私たち、父親を探しているんです」次に向けられるは同情の眼差し。それは苦手なので、何か言われる前にさっさと要件を済ます。

「宿泊可能ですか? もちろん、お金はあります」

「問題ないよ、うちは年齢制限とかないからね。食事は朝食のみ、パンはおかわり自由だからね。ただし、前金でよろしくね」

「わかりました、それでお願いします!」

「はいよ。それと、何か困った事があったら言ってね。子供二人だけじゃ大変だろう」

「はい、ありがとうございます!」

 今夜は野宿をしなくて済みそうだ。宿屋のない街も少なくない。野宿は虫に警戒しないといけないので出来れば避けたい。妹も安心したのだろう。振り向くと、クラは上の空で口をモグモグさせていた。早くも朝食のパンのことを考えている。この様子だと、この街も空振りに終わるだろう。


 クラには生まれつき特別な力がある。その一つが驚異的な嗅覚だ。もし父が街にいれば、狩猟犬のように匂いですぐにわかるらしい。確かにその嗅覚は凄い。十キロ以上離れた場所にいた私を匂いだけで探し出したこともある。この様子だと、この街にも父はいないのだろう。とりあえずこの宿に一泊し、明日はまた他の街に行かなくては。

 鍵を受け取り部屋に向かおうとした矢先、入口の辺りが騒がしくなった。

「やっぱりどこにもいない! カレンさんに言われた通り、子供の隠れそうな廃屋や倉庫の裏も探したけど、どこにもいやしない!」顔を髭で覆った大男が騒いでいる。

「そいつはまずいね。ツァルのことを最後に見たのが昨夜の九時ごろなんだろ?」

「そうだ。食堂で夕飯を一緒に食べた後、グリンのとこに寄ってから帰るって言うから別れたんだ。だが、グリンは昨夜はツァルの奴は来ていないと言っている」

「もう十二時間以上経つね。うーん、街の皆んなにも声をかけて探してもらおうか。ヘンム、ちょいと手の空いてそうな人達に声をかけてきておくれ」

 女主人の名はカレンというらしい。彼女に指図されると、ヘンムと呼ばれた小男は頷くや外に駆け出して行った。

「なあ、まさかカレンさん。まさかさ、ツァルの奴、山に喰われたわけじゃないよな?」

「モーリタリア、余計なこと考えるのはやめな。皆んなで探せばすぐに見つかるよ」

「でもさ、この前だってアイホルのせがれも。あぁ、なんだってこんな時にっ!」

「焦っても何も解決しないさ。今日中に皆んなで見つければ問題ないんだろう? 明日の引越しには間に合うさ」

 しばらく二人のやりとりは続いていたが、私は妹と部屋に向かった。


「ねえ、ムギ」

「なぁに、クラ?」

「おのね、"トンカツ"頼んでいい?」

 私たちは今、夕飯を食べに食堂に来ている。他の街と同じように、この街も崖沿いに食事を提供する店が並んいでた。ここは青い看板が綺麗だったので適当に入った店だ。どうやら当たりだったようだ。赤身か鮮やかな羊肉のステーキ、衣がきめ細かいカツレツ、焦げ目が魅惑的な白身魚のソテー。周りのテーブルに運ばれる料理はどれも魅力的だ。客と店員に活気があり、皆んな良い笑顔をしている。クラの鼻が全開放されている。油の香ばしい匂いが至る所から漂ってくる。周りのテーブルを見た様子だと、どうやら豚肉料理が自慢の店らしい。

 この頂上の見えない山では、豚肉は高級食材だ。大半の土地が斜面なので飼育しやすい羊肉の方が安価で庶民にはポピュラーな食材だ。しかし今、口数の少ない妹が高価なポークカツレツを食べたいと言っている。顔はリスっぽいが肉が大好きなのだ。

「いいよ、いっぱい食べな。この前の街でさ、チョーチョパリとアヘナを探したお礼に貰ったお金、まだ余裕あるから」

「食べるね」伺うようだったクラの丸い黒目が、三日月型に変わる。

 私も笑みが溢れる。

 姉は妹にいつも優しいものなのだ。

「それとね、お姉ちゃん。お父さん、この街にはいなかったよ」寂しげな黒目が愛おしい。

「うん、それは宿屋に行った時のクラの様子で気づいてた。ま、のんびり行こうよ」


 満足のいく食事を終え、宿に戻るため通りに出た。

 繁華街だ。人の往来と乾燥が賑やかだ。酔っ払いも多い。酒場では男達がカードゲームに興じている。

 陽は沈みきろうとしているが、この通りはまだまだ寝起きと言ったところか。

 しかし、街の道はどこも土が剥き出しだ。お陰で砂埃が目に沁みる。

 どこからか、風に乗って花々の香りが運ばれくる。上方に見える丘の上にある街からだろうか。

 風と共に軽快な音楽も聴こえて来た。どこかで演奏をしている人達がいるのだろう。

 見上げる山肌は赤い。

 行先を見失ったように夕陽は微動だにしない。

 山の街は、美しい。

「お嬢さん方、良かったら似顔絵はどうだい?」

 振り返り声の主を探すが見当たらない。

「ここじゃ、ここ。下じゃよ」目線を落とすと、私の腰丈程の身長のおじさんの皺くちゃな顔があった。ベレー帽を被り、手にはパレットを持っている。

「似顔絵、どうじゃ?」

 クラにどうするか聞こうとしたが、振り向くと妹は既にポーズを決めていた。

「やれやれしちゃうね」


 絵のモデルになるのは始めてだった。じっとして動かないと言うのは、思ったよりもきつい。

「出来たぞ。ほれ」

 おじさんから絵を受け取る。

「何これ……」

 そこに描かれていたのは、釣り上がったアーモンド型の翠の瞳、小振りな鼻と顎、飛び出そうとする額、そして癖毛を頭上で一つにまとめた野蛮な少女。

 そして、その横で黒い目をくりくりさせながら頬をぷっくりさせているリスだった。

「お姉ちゃんキレイ。そっくり」

「え、これがそっくりなの……?」

「お代はいらんからな。持っていきな」

 おじさんはそう言うと雑踏に消えた。

「何だったんだろうね」私は絵を丸めて鞄にしまい、通りへ出る。宿まで遠くはないが、人混みが凄い。クラと離れないようにしなくては。

 人をかき分けて進む。握った手を強く握り返された。振り向くと、クラがこちらを見上げる。

「バイオリン、フルート、カフォン?」聴こえてきた演奏の楽器のことだろう。

「へー、そうなんだ。相変わらず良く音だけでわかるね」

 お父さんと一緒で、クラも音楽好きだ。あまり音楽に興味のない私は、音だけでは楽器の種類はわからない。

 しかし、夕暮れ時に屋外で音楽を耳にするのは心地良いものだ。

 この世界に感謝しながら通りを眺めていると、ふと見覚えのある顔を見つけた。宿屋で見かけたヘンムと呼ばれた小男が向かいから足早に歩いてくる。何か考え事をしているのか、何度も人にぶつかりそうになっている。周りがあまり見えていないようだ。おそらく、行方不明になった子供がまだ見つかっていないのだろう。


 この頂上の見えない山の斜面に点在する街々。個々の街は独立し、街を越えての交流は殆どない。トラブルが起きても街の住人のみで対処するのが常だ。

 例えば子供が突然行方不明になる。この山ではよくあることだ。街の人々で探し回る。だが見つからない場合もある。人々は"山に喰われた"と言って、諦め忘れようとする。ヘンムがこの時間にまだ探して歩いているのならば、子供はまだ山に喰われていない。


「ねえクラ、探すの手伝わない? 私達なら、見つけられるかもしれないし」

 クラは私の顔を見上げると、黒い目をパチクリさせて頷いた。


 通りの人混みを潜り抜けヘンムを追いかける。かなり歩くのが速い、中々追いつけない。カフェや酒場が立ち並ぶ通りを抜け、階段を登る。繁華街は上にも続く。相当な早足だ。私達は小走りで追いかける。演奏の音が大きくなる。通りは混雑が増す。人々の歓声が突然あがる。路上で演奏している人達の横を通り過ぎる。手にしている楽器は見たことのないものだ。クラの足が止まる。

「クラっ、そこ動かないでね、必ず戻るから!」

 クラは音楽に惹きつけられると他の事は目に入らなくなる。一旦ここは別行動するしかない。

 走る。

 ヘンムは倉庫らしき建物が立ち並ぶ薄暗いエリアで裏路地に消える。

 後を追って倉庫の角を曲がると、そこは行き止まりだった。

 倉庫と倉庫の間に蔦の絡みついた岩壁が立ち塞がっている。

 ヘンムは壁を見上げて何か呟いている。

「なんでだ、ちくしょう! 俺が先に見つけないと。もしあの女にバレたら……」

「あの、すみません!」息を切らしながら声をかける。ヘンムが小さな体をビクッとさせて振り向く。

 身長は私と変わらない。その何かに怯えているような茶色い目を真っ直ぐに見る。

「子供が行方不明なんですか? 私達、さっき宿屋にいて話が聞こえてきて。その、もしよかったら探すの手伝わせてください!」

「あ、あぁ、さっき宿屋にいたお嬢ちゃん達か。うん、ありがたいが、この街のことだからよ。俺達だけで何とかするから大丈夫だよ。ありがとうな」むしろ迷惑そうな表情でそう言うと、表通りに足速に消えてしまった。

「ふう、やれやれしちゃうね」

 しかし、こんなどん詰まりの場所で何を探していたのだろうか?

 ヘンムの立っていた場所に何か落ちている。屈んで手に取る。干からびてはいるが、林檎の芯のようだ。見上げると、無骨な岩壁が寡黙に佇んでいた。

「やれやれしちゃうね」


 宿屋に戻ると、モーリタリアと呼ばれた行方不明の子供の父親らしき大男と、赤い髪の男の子が受付近くの木製のテーブルに座っていた。テーブルの上には林檎の入ったバスケットがで置いてある。受付の方を見ると、カレンが険しい顔をして帳簿と向き合っていた。

「こんばんは」テーブルの二人に話しかける。

「ん? こんばんは。お嬢ちゃん達は?」モーリタリアは疲れ切った顔を隠そうともしない。無理もない、丸一日我が子か行方不明なのだから。それがこの山では何を意味するかを考えれば尚更に。

「あの、お子さんが行方不明なんですよね?私達、探すのを手伝いたいんです」

「あぁ、そうか。ありがとう。でも、もう暗い。今日一日、街の人にも手伝ってもらって隅から隅まで探したんだ。けれど、どこにもいなかった」

「そうなんですか。でも、例えば子供しか入れないような場所もあるかもしれません。大人が入れないような……」

「それも、グリンに今聞いていたところなんだ。グリンはカレンさんの甥でね、ツァルとも仲が良いんだ。だが、今日一緒に探した場所以外は分からないという」

 グリンは俯いて、顔を上げない。握った両手を見つめている。

「とりあえず俺は一人でも朝まで探すつもりだが、子供はもう寝た方が良い。ツァルはもう十五歳になる。一晩や二晩、一人で何とかしているはずだ」そういうとモーリタリアは椅子から立ち上がり、外に出て行った。

 重い足取りが彼の心境を物語っている。


「ねえグリン」私は話しかけてみる。「あなたとツァルは親友だったの?」

「だったじゃない。親友だ」ゆっくりと顔を上げる。その目が攻撃的で、声の掛け方を失敗したことに気づく。

「僕とツァルは幼馴染、同い年のね。だけど、今ツァルがどこにいるのか全く見当もつかない。探せと言われても、思い当たるところは全部見て回った。あいつの知っているところは、僕も全部知っている」

「ごめんなさい。もし力になれることがあればと思って。ツァルは明日、引っ越す予定だったんだよね?」

「うるさいな! 余所者に出来ることなんか無いよ!ツァルは山に喰われちまったんだよ!」どうやら、嫌われてしまったようだ。

「ちょっとっグリン! 大きな声出さないで!」カウンターにいたカレンがヒステリックに叫ぶ。

「こっちは今日も帳簿が合わなくて大変なんだよ。子供達は寝る時間だよ。ツァルの事は明日また皆んなで探す手筈になってるから。わかったかい? モーリタリアには無事に引越しを終えて欲しいとこだよ。さ、寝た寝た」

 従う以外に選択肢はないので、クラと私は三階の部屋に向かう。グリンも後に続いて階段を上がってくる。

「僕は、三階の端の部屋に居候させてもらっているんだ。君達の部屋の隣だよ。ま、陽当たりが悪くて客室には出来ない部屋なんだけど」

「そうなんだ。そういえば、さっきヘンムさんに会ったんだけど、ヘンムさんもここの人なの?」

「ヘンム? あぁ、そうだよ。この宿の雑用とかしてて、彼は一階の部屋で寝泊まりしているよ。他所の町から来て仕事を探していたのを、カレンおばさんが雇ったんだ。ま、最近は仕事サボって酒場でカードゲームばかりしているから、カレンさんは雇ったの後悔しているみたいだけど」部屋の前に着く。

「じゃ、おやすみ」グリンは自室に入ってしまった。


 窓から月明かりと鈴虫の鳴き声が入り込む。この音は何故、夜にこんなに合うのだろう。

 音楽のことは詳しくないが、アンサンブルというものはこういうことを言うのではないか?

 床で寝ているクラはころころ寝返りを打ちながら、スヤスヤ寝息を立てている。私はベットで目を閉じ、聴こえる音と同化する。しばらくそのままでいる。眠気はこない。

 ——カチャリ

 待っていた音が聴こえた。気がつくとクラも目を覚ましている。

「十数えたら行くよ」ヒソヒソ声で言う。眠そうな黒目でクラは頷く。


 夜でも外は寒くはない。半袖が心地良い。グリンは後ろを警戒することもなく、倉庫街を目指す。

 クラの足音がふと消える。振り向くと、その黒目と目が合う。

「お姉ちゃん、階段なの?」

「うん、多分ね。だいたい、ことの成り行きはわかったから」

 クラは、同意を示して黒目を少し細めた。


 倉庫の角を曲がると、グリンが岩壁を見上げている。

「夜のお散歩にしては、渋い場所ね」驚いて振り向いたグリンは、持っていた包みを落とした。

「それ、ツァルに渡す食べ物でしょ? 林檎とパンかな」グリンは、攻撃的な目で睨み返してくる。

「なんでお前がここにいるんだ! お前には関係ないだろ!」

「あなた達がしていることは、誰の為にもならないからお節介しに来たの」

「どういうことだよ?!」

「あなた達、この壁の上に、二人だけの秘密の場所があるんじゃないの? そこに、今もツァルがいるんじゃない?」

「なんっ!」グリンは言葉に詰まる。私は、二歩近寄る。落ちた林檎とパンを拾いグリンの手に渡す。

「とりあえず、食べ物を届けてあげたら?」

「お前、何言ってんだ? ツァルはここにはいないぞ!」

「引越しで離れ離れになりたくないから、誰にも見つからない二人だけの秘密の場所に隠れて騒ぎを起こして、引越しを先延ばしにしようとしたんでしょ。でも、そんな一時凌ぎは周りに迷惑なだけ。それに、もう一つ問題があるみたいだし。それについては、上で話しましょ」

「上って何だ? 何を言ってるんだよ!」

「やれやれしちゃうね」私がせっかちなのか?

「じゃあ、こっちで階段、出させてもらうね」


 ——目を閉じ、呼吸に集中する

  眉間に熱を感じる方角に、息を吐くと同時に熱を送り出す。

「"ココロ"より生まれし階段よ、姿を現せ——」


 月に照らされ陰影が複雑な模様を描く岩壁。そこに這うように群生する蔦が動き出す。

 蔦は軟体類の触手の如く地面にまで伸び、形を帯び始める。

 現れたのは、

 岩壁に沿うように上層へと伸びる、

 "蔦の階段"


「フー」一気に息を吐く。これをやると、必ず眉間が痛くなる。

「さあ、一緒に登りましょう。上の景色を見に!」

 グリンは呆気に取られ、口を開けたまま階段を見上げている。

「な、なんでお前がこの階段を出せるんだよ?!」

「私は隠れた階段と会話が出来るの。行くよ」蔦の階段を踏み締める。表面は柔らかいが、微動だにしない芯を感じる。丈夫な階段だ。左足、右足、交互に踏み上げる。街の方に目を向けると、赤茶色の建物の屋根達を見下ろせる。岩壁は高さが百メートルはあるだろうか?この階段は三十メートル程登った途中の岩場まで続いているようだ。


 この頂上の見えない山では、人の強い思いが階段を作り出すことがある。作り出した人間を"ココロ"と呼ぶ。通常その階段は"ココロ"にしか呼びたぜないが、私は階段と会話が出来る。意識を集中し話しかけると、階段はそれに応えてくれる。何故そのような能力が自分にあるのかはわからないが、チョーチョパリは「ムギが階段好きだから」と言っていた。あのウサギは適当だ。


 家々がミニチュアのようになっころ、蔦の階段の終わりが見えた。

 歩みを遅める。真後ろにいるクラを見る。嬉しそうな黒目が景色を観てと言う。私は広がる景色を見下す。

 左右の視界いっぱいに広がる街並み。幾何学的に並ぶ建物。住居、商店、広場。それらを縫うように伸びる道。そこには人々の営みが広がっている。

 景色の果ては、無慈悲な崖。

 そして、闇。

 残りの階段を駆け上がる。

 辿り着いた岩場は、思いの外に広かった。持ち込んだのだろう。毛布や地図、空のガラス瓶等が散乱している。

 ツァルは、おかっぱ頭で細身の少年だった。

「遅いよ、グリン。腹減りすぎて、死にそう」

「お前な、俺も大変だったんだぞ! そもそも何で昨日の夜から隠れているんだよ? 計画は今夜からだったろ」グリンはツァルに詰め寄る。

「ここから見てたから、だいたいのことはわかってるよ。後で説明するから。それより、凄いねそこの女の子。どうやって階段出したの?」ツァルが私に目を向ける。

「私は階段と会話が出来るの。この山に隠れている階段を見つけられるの」

「何だそりゃっ?! グリン、お前とんでもない子と出会っちまったな」そう言うとツァルはしばらく笑い続けた。

「この蔦の階段はあなたとグリンが作り出したの?」

「そうだよ。俺達、秘密基地みたいな場所探してたんだけど、なかなか良い所がなくて。それでたまたこの下の倉庫街で二人で悩んでたら、何か蔦がニュルニュル近寄って来てさ。気持ち悪くてビビったけど、しばらくしたらこの階段が出来てさ。不思議だと思ったけど、お陰でこの岩場を手に入れることが出来たんだ」ツァルはグリンを見る。

「で、俺達はこの後、下に行って親父やカレンさん達に頭下げて回らないとな」

「おい、ツァル! お前それでいいのか? だってそしたら……」

「いいんだよ。予定が変わっちゃったし、大勢に迷惑かけちまったからさ。俺はさ、グリン。お前と最後の夜に、この岩場での思い出を作りたかったんだよ。それが、こんな女の登場で終わるとは思わなかったけどな!」ツァルは嬉しそうだ。

「あんた達さ、私と大して歳変わらないでしょ? 何ガキっぽいことしてんのよ」能天気な奴らを見ると腹が立つ。この世界に来るまでは、私も同じだったはずだが。

「おいグリン、下に行こう。皆んなに謝ろう。親父には二、三発殴られるな」

「ツァル……わかったよ」

 月明かりに照らされ岩場の壁に二人の影が並ぶ。

 影は蔦の階段を目指した。

 そして、一つの影が消えた。

「クラっ!」私が叫ぶよりも前に妹は動いていた。

 蔦の階段から落下しそうになったツァルをクラが岩場に引き戻した。

「おい、やっと見つけたぞ。こんなとこにいたとはな」ヘンムの顔が蔦の階段から現れる。

 その茶色の目は先ほど見た時とは違い、濁った泥水のようだ。

「いったいこの階段はどこから現れたんだ?  まあいい。お前ら全員、山に喰われてもらうからな」

 岩場に上がると懐からナイフを取り出し、手振りで私達を壁際に集める。

「あんた、何でせっかく雇ってもらったのに、恩を仇で返すような事したのよ?」ヘンムとの距離を慎重に詰める。近づき過ぎてもいけない。

「ふん、こいつから聞いたのか? あの女はな、俺のことを馬鹿にしていやがった。わかるんだよ、俺にはな。人のことをゴミを見るような目で見やがって」ヘンムとの間には誰もいない。

「だから売上金を盗んだの? カードゲームに負けて借金でも作ったとか? 呆れた。嫌なら別の仕事すればいいのに」もう二歩、近づく。

「うるせーな! 仕事にありつくのがどれだけ大変か、お前みたいなガキにはわからねーだろ!」今だ。

「あんたが無能なのが悪いんでしょ!」

「あんだとーっ!」

 ヘンムは|小鬼の如き形相で、ナイフを向け突進してくる。

「今だ!」私は目を瞑り意識を眉間に集める。

 出来るだけ小さく、速く。

 突如、岩場の地面から石の階段が現れる。

 突進していたヘンムの顔面とぶつかる。

「あがぁ——」ヘンムの叫び声と、石が崩れる音が同時に響く。

 目を開けるとヘンムが倒れ、石階段は消え瓦礫が散乱している。その場にいる全員が私を見ていた。

「今の、何だ? ヘンムの前に階段みたいなのが——お前、そんなことも出来るのか?」ツァルとグリンに見られてしまった。クラの可愛い黒目が心配そうに見つめてくる。

「今のは見なかったことにしといて。ところで、ヘンムは平気?」

 グリンがヘンムの様子を確かめる。

「息をしているから大丈夫だと思うけど。意識を失っているだけだと思う」

「それなら良かった。それはそうと、ねえ、ツァル。そろそろ貴方が宿屋で見たこと、そして何故ここに隠れ続けることになったか、そしてヘンムのこと。全部話して」

「何でもお見通しなんだな、お前何者なんだ? まあ、グリンには話しておかないとな。見ちゃったんだよ、ヘンムが宿の売上金盗むとこ。俺昨日さ、夕飯を親父と食べた後、お前のとこに顔出そうとしたんだ」

「みたいだな」グリンが真剣な眼差しでツァルを見つめる。

「で、お前の部屋に行こうと裏口からこっそり宿いに入ったら、最初は気がつながったけど受付の下の金庫の前に屈んでいるヘンムがいたんだ。声をかけるか迷ってたら急にこっち振り向いてさ、目が合った。その目があまりに怖くて、俺は見ちゃいけないもの見た気がして走って逃げたら追いかけてきて。アイツ、相当足速くてさ。何とか倉庫の角を曲がって、ギリギリ階段出してここに逃げたんだ。だけどアイツ、朝まで下をうろうろしてたんだよな。やっといなくなったと思ったら、今度はすんごい顔した親父が街中走り回ってるのが見えて、ヤバいと思ってさ。言い訳考えているうちに昼になって、もうこのまま引越し当日まで隠れていようと思ったんだ。持ち込んであった食料も多少あったしね」

「モーリタリアさん、本気で心配してたよ。早く顔を見せてあげな」もうここには用はない。

「みんな、そろそろ下に降りよう」



 翌朝、宿を出た私達は通りを渡り倉庫街を目指す。

 パンを食べ過ぎたクラはフーフー言いながら後ろをついてくる。一点を見つめる黒目が必死だ。可愛い。

 ヘンムはこの街を追い出された。他の町でもトラブルを起こしていたらしい。

 ツァルは父親に殴られることはなく、泣きながら抱きしめられた。かえってどうして良いかわからず「ごめんなさい」とだけ言ったらしい。

 先程、馬車に運ばれ上の街へと向かった。

 子供が大切ではない親などいないのだ。


 蔦の階段に話しかける。ニュルニュルと伸びてきた蔦が階段となる。明るいところで見ると少し可愛い。

 昼の街の景色を見下ろす。空はどこまでも続いている。鳥の群れが上方の雲の彼方に消える。

 岩場には一人、グリンがいた。

「結局、最後までツァルのお見送りに来なかったね」

「どんな顔したらいいか、わからなかったから。今まで、話したい事は散々ここで話してきたから最後に話すこともないし」

「ここはどうするの?」

「居心地いいから、このまま残しておくよ。大人になったらここで酒を飲もうって約束もしてあるし」

 岩場からは街の端から端までが見渡せる。抱えていた悩みをここで打ち明け合い、そんなの大したことないよなと笑いあった時もあったのだろうか?

 そんな会話をしてみたくなる場所だ。私にそんな相手はいないが。

「じゃあね、グリン。私達は、ここからさらに上に行くから」

「こっから上に?」怒った顔ばかり見ていたが、案外綺麗な顔だ。性格に難はあるが、顔だけなら悪くない。しかし、もう会うこともない。

「ここから行きたいの」

「よくわからないけど、元気でね。お父さん、見つかると良いね。僕はもう会うことが出来ないし」

「うん、ありがとう」

 じゃあ、行こうか、クラ。


 ——目を閉じ意識を眉間に集中させる。

「蔦の階段よ、もっと上の景色を私達に見せて!」


 鳥の鳴き声が一斉に響き渡る。

 岩壁に這うように広がっている蔦が、階段へと姿を変える。

 蔦の階段は私の願いに応えてくれた。

 遥か上方にへと続くその道は、誰もが上ったことのない道。

 振り向くと、クラがワクワクした黒目で見つめてきた。グリンは口を開けて固まっている。

「じゃあね、グリン! この階段は一回限りだから、真似しないようにね!」


 左足を下ろす

 体の重みを持ち上げる

 右足に力を入れる

 花の香りが濃くなる

 疲れているのに、

 身体は駆け上がる

 陽光に目を細め、

 最上段を踏み上げる


 そして、思わず息を止める


 燃え盛るように咲き誇る花々に


 クラは目を閉じその香りに身を預けている


 きっと

 この景色を気に入ったのだろう


 私も好きだ


 いつだって、


 階段の街は


 私たち姉妹をドキドキさせる



 ——そして、そこで私達は見ることになる

 燃え盛るように

 咲き乱れる花々

 その中心にいる

 炎に包まれた少女を


 その、ガラスのような瞳を



 ——蔦の階段——






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