7.第二王子様の訪問
朝食も終えて、昼食も終えて、時計の針が午後二時を指した頃。クロシェット伯爵家の前に豪華な装飾の馬車が停まった。
誰が来たかなんてわざわざ聞かなくても、グレイシア王国の紋章入りの馬車で一目瞭然。
馬車の扉がゆっくりと開かれる。颯爽とけれど優雅に馬車の中から現れたのは、先触れ通りの人物。
銀世界を閉じ込めたような白銀の髪に、サファイア色の冷たい瞳をした、第二王子のアルベルト・グレイシア。
真っ白なマントをなびかせながら、腰には国の紋章が入った剣を携え、左手にはアルベルトに少し不釣り合いなピンクの可愛らしい薔薇を抱えている。
「クロシェット伯爵、夫人、急な訪問をすまない。」
アルベルトは相変わらず無表情だった。
そして、サファイア色の瞳も昨日同様冷たいまま。
けれど、アルベルトの申し訳ないという言葉からこちらを気遣う様子が伺える。
そんなアルベルトを見て、両親の一歩後ろに隠れるようにして控えめに立っていたフィーネは思う。
(第二王子様は、噂のように恐ろしい方ではないのかもしれないわ……。)
アルベルトのことをよく知りもしないで、無慈悲で冷たい人だと、噂を信じ鵜呑みにした。そんな自分が恥ずかしい。
情けない自分が嫌で、フィーネはアルベルトの顔を見ることが躊躇われ、俯きかける。
「いいえ、とんでもないことでございます。」
「殿下、わざわざこのような場所まで御足労いただきありがとうございます。」
しかし、両親の歓迎の言葉にフィーネは俯きかけていた顔を上げる。
わざわざ屋敷まで赴いてくれたのだ。俯いている方が失礼極まりない。
フィーネは恐る恐るといったように、アルベルトを見る。アルベルトもフィーネの方を見ていたのか、ぱちりと目が合った。
アルベルトは無表情で、目つきは鋭く怖い。
しかし、フィーネはその冷たい瞳からから目を逸らさずに、ジーッと愛らしいピンクの瞳で見つめ続ける。
すると、アルベルトが一歩一歩ゆっくりとフィーネに近づく。その瞳がフィーネから逸らされることも無く、アルベルトはフィーネの目線の高さになるように片膝をついた。
「クロシェット伯爵令嬢。昨日は驚かせてすまなかった。薔薇が好きだと言っていたから摘んできたのだが受け取ってもらえるだろうか?」
男性から、しかも薔薇の花束というロマンチックでオシャレなプレゼントを貰ったことがないフィーネの頬は、一瞬にして赤く染まる。
「で、殿下。素敵な薔薇をありがとうございます。早速、お部屋に飾らせていただきますね。」
花が綻ぶような、満面の笑みを浮かべ、フィーネは優しい手付きでアルベルトから薔薇の花束を受け取った。
「殿下をいつまでもこんなところに立たせてしまい申し訳ありません。客間にお茶の用意をしておりますのでこちらへ。」
父であるダリウスが、アルベルトを客間に案内する。
母、シエラはくるりとフィーネの方を向き、嬉しそうな、どことなく楽しそうに、柔らかい笑顔を浮かべた。
「フィーネは素敵な花束をお部屋に飾ってらっしゃい。ゆっくりで大丈夫よ。」
「分かりました。お部屋に飾ってきます。」
「ええ。ゆっっっくり飾ってらっしゃい。」
母は一体第二王子様にに何を言うのだろうか。
という少しの不安も抱えつつ、フィーネはゆっくりとピンクの可愛らしい薔薇に合う花瓶を探すことにした。
早く客間に行ったところで、母の指示で中には入れてもらえないのだから。
♢♢
窓からは太陽の陽射しが差し込み、明るく照らされたクロシェット伯爵家の客間。
豪華とはほど遠いワインレッドのアンティークソファは、第二王子が座るだけで、上質な高級ソファに見えるのだから不思議だ。
そんなことをフィーネはぼんやり思う。
今のフィーネの装いは、朝まで着ていた薄い黄色のワンピースではなく。ロールカラーのくるぶしほどの丈のスカートをした、淡いピンク色のドレスを身に纏っている。
薄くて軽やかなオーガンジー生地のため、小柄なフィーネでも疲れることはない。
フィーネから見て左側の胸元には、可愛らしい花の装飾が。そして、スカートはフィーネが大好きなフリルがたっぷりとあしらわれ、ふんわりと広がっている。
足元は、ドレスと同じ色のお花がたっぷりと乗った、ヒールのパンプス。
足首にはリボンがストラップのようについている。
ハーフアップはグレードアップし、編み込みが加えられた。
まとめられた髪を留めているのは、サファイア色のリボン。第二王子のアルベルトの瞳を彷彿とさせる色だ。
紅茶を飲みながら、フィーネは正面に座るアルベルトをチラリと盗み見る。
ゆっくりと薔薇を飾り客室へと向かうと、父と母はニコニコと笑みを浮かべ、フィーネがなにか言う暇も与えずアルベルトと二人きりにさせられた。
客間に押し込められてからというもの、会話らしい会話はしていない。
お互い黙って紅茶を飲んでいるだけだ。
フィーネは震えそうになる手を膝の上でぎゅっと握りしめる。
(このままでは、いつまでも第二王子様のことが分からないわ。どんな方なのかは、噂ではなく自分で見て確かめないと。)
意を決してアルベルトの冷たい瞳を見つめて、フィーネは口を開く。
「あ、あの、第二王子様……。」
「なんだ。」
怒っているとも感じられる、芯のある低い声。冷んやりとした空気を纏うアルベルトにフィーネは怯みそうになる。
それでも、目を晒さぬままフィーネは言葉を紡ぐ。
「さ、先程は素敵な薔薇をありがとうございました。その……お花を貰うのは初めてで、とても可愛くて嬉しかったです……!」
フィーネが顔を赤く染めながら、必死に話している姿を見て、アルベルトが微笑ましそうにフッと笑う。
ほんの少し、目を細めて微笑んだアルベルトを見てフィーネは目を見開く。
(第二王子様がほんのちょっとだけ笑ったわ……。表情は怖いけれど、やっぱり優しい人なのかもしれないわ。)
「クロシェット嬢はその話し方がいいな。」
アルベルトがなんのことを言っているのか分からなくてフィーネは首を傾げる。
「昨日、会った時に堅苦しい話し方をしていただろう?」
そこでフィーネはハッとする。婚約者になって欲しいと言われ、屋敷にも来てもらい、すっかり気が緩んでいた。
「殿下に失礼な態度をとってしまい申し訳ありません。」
「咎めてる訳じゃない。昨日も言ったが、俺はクロシェット嬢に婚約者になってもらいたいと思っている。」
婚約者という言葉にフィーネはびくりとする。
「安心しろ。無理強いはしない。だが、俺はクロシェット嬢のことを諦める気もない。」
そこは諦めてくれませんか?と思ったが、フィーネは黙ってアルベルトの言葉に耳を傾ける。
「だから、クロシェット嬢には俺の事を知ってもらいたい。もちろん、俺もクロシェット嬢のことを知りたい。」
「……俺はクロシェット嬢のことが知りたくてここにいるんだ。言葉遣いもクロシェット嬢が好きなようにして欲しい。」
アルベルトの嘘のない真っ直ぐな瞳に射抜かれる。
昨日より、恐怖は感じない。それに、フィーネ自身もアルベルトのことをもっと知りたいと感じた。
(全く怖くないと言ったら嘘になる。第二王子は相変わらず怖いし、今もとても逃げ出したい。でも、ここまで言ってくれた第二王子様のことを無下にもしたくない。)
大丈夫だと言い聞かせるように、フィーネは胸の前で震える手をぎゅっと握りしめる。
「わ、わかりました。婚約者とかはまだ、あの、考えられないのですが、でも、殿下のことは知りたいと……思いました。なので、が、頑張ります!」
決意のこもった、強くでも柔らかい優しい声色でハッキリと告げる。
「ありがとう。クロシェット嬢と話せることを楽しみにしている。」
先程までは、どこか冷たく何かを押し殺しているような声色だったが、今、アルベルトはどこか気持ちが晴れやかな、柔らかく耳にスっと届いてくる声だった。