6.聞きたくなかった知らせ
アルベルトに婚約を申し込まれた日の翌日。
フィーネ専属のメイド、ロナの「フィーネ様。起きてください。」という声に、フィーネはパチリと深い眠りから覚めた。
薔薇の装飾が美しい、天蓋付きベットの天井が目に映る。
自分が横たわっているのは、王宮のベットでも王宮のソファでもなく、自室のふかふかのベット。
見慣れた自室に居ることにフィーネはホッと息をつく。
(良かった……。私、ちゃんと屋敷に帰ってこれたのね。)
第二王子の婚約者を決めるパーティーで、アルベルトから逃げてきたフィーネは、馬車に乗りガレットを置いて屋敷まで帰ってきたはずだが、その辺の記憶が全くなかった。
(第二王子に婚約を申し込まれた気がしたけれど、それもきっと……夢よね……。屋敷に来るとか言っていたけれど……。うん。あれは夢だったわ。私は、アルベルト様に何も言われていないわ……。)
ロナがローズピンクの花柄の可愛らしいカーテンを手際よく開けていく。
大きな窓からは太陽の暖かな日差しが差し込む。
フィーネはカーテンを開けるのを合図にむくりとベットから起き上がった。
「……。……ロナ。おはよう……。」
「おはようございます、フィーネ様。」
まだ寝ぼけているフィーネにロナは一礼すると、アンティークの真っ白なクローゼットから、ワンピースを数着取り出す。
「本日はこちらのお召し物でいかがでしょう?」
ロナの手元にあるのは、どれも春らしい華やかな薄手のワンピースだった。
どのワンピースにもフリルがあしらわれていて、どれもフィーネの好みを抑えたワンピースだ。
「今日は、その黄色のワンピースにするわ。」
「かしこまりました。」
ロナは洗顔用の桶を持ってくるとフィーネに顔を洗うように促す。
桶に張られた水はお湯になっていて温かい。
フィーネがのんびりと顔を洗っている間に、フィーネが選んだワンピースを元にロナは靴や、髪を纏めるリボンを選んでいく。
選び終えたところで、ちょうどフィーネの洗顔も終わる。洗いたてのタオルをサッと渡すとフィーネは「ありがとう」と言って、タオルで顔を拭いた。
タオルはとてもふわふわで、フィーネの肌を傷つけてしまうことは無い。
まだぼんやりと夢心地なフィーネを大きな鏡の前に立たせると、ロナはテキパキとフィーネにワンピースを着せていく。
フィーネの頭がはっきりとしてきたのか、フィーネは鏡を見て嬉しそうに顔を綻ばせた。
薄い黄色の小花の柄の入った可愛らしいワンピースの胸元には、チョコレート色のリボンが飾られ、パンプスと同色になっている。
スカートの裾や袖にはふんわりとしたフリルがほどこされていてとても可愛い。
動く度にふんわりと揺れるのが楽しくて、無意識のうちにフィーネがスカートをゆらゆらと揺らす。
フィーネを見つめニッコリとロナが笑みを浮かべる。
「フィーネ様。髪を纏めるのでこちらにお座り下さい。」
フィーネはトコトコと歩いていき、ドレッサーの前に座る。
ロナが優しくフィーネのミルクティー色のふわふわの髪を櫛で梳かしていく。
「ハーフアップでよろしいですか。」
「うん。お願い。」
「わかりました。」
ロナは丁寧かつ手早くフィーネの髪を纏めると、最後にクリーム色のリボンを付ける。
「フィーネ様出来ましたよ。今日もとてもお可愛いです。」
「ありがとう、ロナ。」
「フィーネ様!!!」
髪を整え終わったところで、バンッと勢いよく開いたドアと慌てたような声にフィーネはビクリと肩を揺らす。
(前にもこんなことがあったわ……。前回は、お父様に呼ばれて、そしてパーティーの招待状も受け取ったのよね。)
そんなことをぼんやりと考えてフィーネは、ハッとした。
そして、壊れたロボットのようにギギギギ……と開け放たれたドアの前。肩で息をしている新人メイドのリリーを見る。
今はロナに怒られているが、先程のリリーの慌てた様子を思い出し、ひんやりとした汗がフィーネの背筋を伝う。
前回同様。嫌な予感がしてたまらなかった。
「リ、リリー?あ、慌てて入ってきたけれど、どうしたの?」
フィーネは優しくリリーに問いかける。しかし、その声はとても震えていた。
「い、今から、第二王子のアルベルト殿下がいらっしゃるそうです!!!」
いつもは完璧で滅多に動揺することのないロナでさえ、第二王子が来るという言葉に大きく目を見開く。
その横で、フィーネはうさぎのように真ん丸な眼を大きく見開き、ガクガクと足を震わせていた。
(あ、あれは、夢じゃなかったのね……。冗談でもなかったのね……。)
あの時、婚約を申し込んできた王子の真剣な瞳を見て、フィーネと婚約をしたいと言ったのは王子の本心だった。
しかし、王子がクロシェット領に、フィーネの住まう屋敷に来ると言ったのは半分くらい……冗談だと思っていた。
クロシェット領は王都の南に位置しているが、第二王子の住まう王宮から馬車に乗って四時間とそこまで掛からない。
来られなくもない距離だが、四時間も掛けてわざわざ来ないだろうと、忙しいから来れないとフィーネは思っていたし、何より考えたくなかった。
(ま、まって!昨日の夜は疲れてすぐに寝てしまって、家族に相談してないわ!!ど、ど、どうしましょう!このまま第二王子様が来てしまったら、お父様もお母様も反対しないし、ノリ気になってしまう!そしたら、私は第二王子様と婚約するしかなくなってしまうわ!)
リリーはそのフィーネの父に言われて伝えに来たのだから、もう既に第二王子が来ることは家族に、屋敷中に伝わっている。
第二王子の婚約者を決めるパーティーの翌日に第二王子が来るということは、フィーネを気に入ったのだと父も母も察していた。
そして、絶対に嫌がるであろうフィーネを第二王子の婚約者にする算段は、フィーネが絶対に逆らうことが出来ない、フィーネの母であるシエラ・クロシェットが既に考え動いている。
「リリー伝えてくれてありがとう。第二王子殿下はいついらっしゃるか分かる?」
フィーネより先に、我に返ったロナがリリーに尋ねる。
「二時間後にはいらっしゃるそうです!」
(王宮からここまで四時間かかるはずなのに、二時間ってどういうこと!?)
フィーネはその場で呆然と立ち尽くす。
その顔は真っ青で今にも倒れてしまうのではないかという程だった。
しかし、そんなフィーネとは反対に、ロナはテキパキと動き始める。
フィーネが逃げ出さないようにするために、シエラがあえて遅く伝えてきたのだと、ロナは全てを察したのだ。
「ありがとう。リリーはもう下がって大丈夫よ。フィーネ様は私が責任をもって連れていきます。とシエラ様に伝えておいて。」
「わかりました!すぐに伝えてきます!!」
パタパタと出ていったリリーを普段なら叱るところだが、今はそんなことを気にしている暇は無い。
ロナは先程から一言も言葉を発しなくなった、放心状態のフィーネを、もう一度大きな鏡の前に連れていく。
「さぁ、フィーネ様。ドレスにお召し換えいたしましょう。」
ロナは今にも倒れてしまいそうな、隙を見て逃げ出しそうなフィーネの目を見てニッコリと微笑む。
その笑顔からは絶対に逃がさないという圧力を感じる。
「フィーネ様は元から可愛らしい方なので、今でも大変可愛らしいのですが、第二王子様がもっと可愛いと思って下さるようにめいいっぱい着飾らせていただきます。不安にならなくても大丈夫ですよ。私におまかせ下さい。」
ロナの腕は信用しているし、可愛くしてくれるという言葉も信じている。
でも、第二王子に会うのは不安でしかないし、何も大丈夫ではない。
フィーネは、恐怖で顔を引き攣らせながらも、歪な笑顔を浮かべる。
「う、うん。ま、任せたわ。ロナ……。」
フィーネの震えた声が部屋に虚しく響く。
それを聞いたロナは、震える声にはあえて何も言わず、優しく微笑みドレスを選び始めるのだった。