3.恐ろしき招待状
現在グレイシア王国には二人の王子がいる。
一人は、第一王子のロラン・グレイシア。
そしてもう一人は、第二王子のアルベルト・グレイシア。
第一王子ロラン・グレイシアは、とても温厚で常に笑顔を絶やさない気さくな王子様として有名だ。
ロランは次期国王としての責務を全うするだけの力を持っていれば、周りからの信頼も確固たる物になっている。
ロランは普段は温厚な王子だ。しかし、国の敵だとみなした人物に対しては容赦がないとも言われている。この話は、噂に過ぎないが、何よりも国の未来を想うロランだから、全てが嘘とも言い難い。
そんなロランには唯一、心を許している女性がいる。
婚約者の、クラリス・レフィナン公爵令嬢だ。
いつも堂々としていて、何事も妥協しない真面目な性格をした、筋の通った美しい女性。
芯が強く、いつでも堂々とした姿にクラリスのことを慕う人は多い。もちろんフィーネもその一人だ。
いつも穏やかな笑みを浮かべ優しい一面も持つ彼女だからこそ、惹かれるものがある。
そして、今回開催されるパーティの主役である第二王子のアルベルト・グレイシアは、一切笑みを浮かべることはない冷酷な王子で有名だった。
アルベルトは騎士だ。剣術でアルベルトの右に出る者はいないと言われているほど、凄腕の騎士と言われている。
第二王子でありながらアルベルトは、フィーネと同じように社交の場に顔を出すことは滅多にない。
だから、アルベルトに関することは凄腕の騎士ということしか知らなかった。
ロランにはクラリスという美しい婚約者がいる。
しかし、アルベルトには婚約者がいない。そして、浮いた話も全く聞いたことがない。
アルベルトも今年十七歳となる。婚約者を作ろうと言うことでパーティーを開くことになったのだろう。
フィーネはソッと招待状を封筒の中に戻した。
招待状を仕舞いはじめたフィーネに父が怪訝な表情をする。
「フィーネ?」
ブルブルと小刻みに震えていたフィーネの身体が、がくがくと震え始めた。
(無理だわ!婚約者を決めるパーティーなんて、第二王子を狙うギラギラとした令嬢たちの狩場でしかないじゃない!そんな恐ろしいパーティーに参加するだなんて、絶対に無理よ!!)
第二王子が令嬢に狩られてしまう。なんてそんな事はない。ましてや狩場でもない。
しかし、怖がりなフィーネにとって、婚約者を決めるパーティーというのは、王子を狙う令嬢の狩場であり、戦場のように恐ろしい場所としか思えなかった。
先ほど、心配をかけないと誓ったが前言撤回。
全力で首を横に振って拒否する。
「む、む、無理です!行きたくないです!私のようなものが婚約者になどなれるわけがないですし、行かなくても平気なはずです!」
父は、そんなフィーネを見て苦笑する。
またフィーネの社交嫌いが始まったと言わんばかりの表情だ。
「第二王子の婚約者になりなさいとは言わない。でも、フィーネはクロシェット伯爵家の娘として、このパーティーには参加しなければならない。これは、国王陛下主催のパーティーというのはわかるね?」
国王陛下主催のパーティーという言葉に、フリーズして震えが止まる。
フィーネの色白の肌が、だんだんと真っ青になっていく。
(国王陛下、主催のパーティー?国王陛下が主催だなんて聞いてないわ!!
国王陛下主催ということは、当然、貴族がたくさん集まるわ。そして、いつもの小規模のパーティーのように、頭のてっぺんから爪先まで不躾な目で見られて……そして……嘲笑われるんだわ!)
「パーティーのための衣装は明日、仕立て屋を呼ぶからフィーネの好きなように仕立てなさい。」
少しでもフィーネが楽しめるように提案したが、父の言葉はフィーネの耳に全く入っていかない。
「……。」
(所作が美しくないと笑われて、ドレスも流行遅れと笑われて、社交界での私の評判がどんどん落ちて、社交界の笑われ者になるんだわ……!そしたら、お父様とお兄様、お母様にも迷惑が掛かって、そして……。)
「……フィーネ?」
父がフィーネを呼ぶ。しかし、考えがトリップしてしまっているフィーネには父の声が全く届かない。
しだいに、フィーネの薄ピンク色の瞳が潤み始める。
(そして……!愛想が尽きたと、追い出されてしまうんだわ!そんなの嫌!でも、国王陛下主催のパーティーに出席しない訳にはいかないし……。)
「フィーネ!戻ってきなさい!」
父の声にハッとする。
「うぅ……お父様、パーティーに行きたくないと思っていてもちゃんと参加するので、追い出さないでください……。」
ついにフィーネの瞳からポロポロと涙が溢れ出す。
「そんなことで追い出したりしないから、泣くのは一回やめなさい。」
父が上着の内ポケットからシルクのハンカチを取り出し、フィーネに手渡す。
受け取った上品なハンカチには美しい薔薇が咲いていた。
真っ赤な薔薇の刺繍が施された真っ白なハンカチは、イニシャル付き。
グレイシア王国では、恋人や結婚相手に愛を伝えるためのある一種の手段として、女性から男性にイニシャル付きのハンカチを自分で刺して贈るという風習がある。
このハンカチにも父のイニシャルが施されていることから、母が父のために愛情を込めて刺したものだとすぐにわかった。
そんな美しいハンカチを使うのは気が引けるが、フィーネは涙を拭い、鼻までかんだ。
その光景を見て父が一瞬嫌そうな顔をしたが、フィーネは全く気づかない。
「さっきの続きだが、今回のパーティーはガレットがエスコートをしてくれる。だから、フィーネが一人で参加することはないから安心しなさい。」
「ガレットお兄様ですか……?」
オレンジ色の瞳を細め何か良からぬことを企むような、笑みを浮かべた兄の顔が瞬時に思い浮かぶ。
「ああ。そうだ。」
「フォレオお兄様ではなく?」
フィーネと同じ薄いピンク色の瞳に、穏やかな笑みを浮かべた兄の姿を思い浮かべる。
挨拶をしてくると言って、すぐに居なくなってしまうガレットよりも、パーティー中ずっと一緒に居てくれるフォレオがいいなぁと思いながら、フィーネは尋ねた。
しかし――
「今回は、ガレットからの申し出なんだ。」
フィーネの願いは父の一言で呆気なく崩れ去った。
「ガレットお兄様のことだから、絶対に何か企んでいるの決まっています……。」
フィーネは拗ねたように、少し口を尖らせて小声で呟く。
フィーネの小さな声はしっかりと父の耳まで届いていたらしい。フィーネが呟くと父は苦笑いを浮かべた。
「そうだな。ガレットのことだから何か考えがあって、フィーネのエスコートをすると言ったんだろう。」
「そうに決まってます。優しい笑顔を浮かべながらいつも、心で悪いことを考えているお兄様ですもの。」
「ガレットは第一王子、ロラン殿下の傍に仕えてるからね。周りをよく見て、行動しているんだろう。常に目を光らせていると言ったところだろう。」
分かってはいる。ガレットがそういう立場にいることはしっかりと。しかし、あの不正を見つけた時の目は、絶対に楽しんでいるとしか思えない。
全てが仕事だからではなく、ガレットの私情も入っているだろうとフィーネは思う。
物語に出てくる魔王のような顔をしながら、ニコォと効果音がつきそうな、黒い笑みを浮かべてたガレットの姿はとても恐ろしい。ガレットのことは絶対に敵に回したくないと思う瞬間だ。
「フィーネ。」
兄のことを考えていると、父に真剣な表情で名前を呼ばれる。自然と背筋が伸びるのを感じた。
「たとえパーティーで失敗したとしても、見捨てたりしないから楽しんできなさい。」
「はい。お城の美味しいデザートをたくさん食べてきます。」
冗談めかして笑いながら言うと、父はニッコリと微笑んだ。
その笑顔はとても穏やかで、背中を押してくれるようだった。