1.休息中の呼び出し
柔らかな太陽の光が、ガラス張りの温室に差し込む。
庭師が丹精込めて育てた花達はどれも美しく、いつ訪れても色とりどりの綺麗な季節の花が出迎えてくれる。
時計の針が午後三時を指した頃。
ミルクティー色のふわふわとした髪の少女が温室に足を踏み入れた。
少女が歩く度に、いく層にもフリルが重なったスカートがふんわりと揺れる。淡いピンク色のワンピースは、真っ白なレースの装飾が施されていてとても可愛らしい。
腰に巻かれたベビーピンクのリボンは、少女の腰が隠れてしまうくらい大きい。
緩く結ばれたハーフアップを飾るリボンもワンピースと同じ色をしている。
おとぎ話に出てくるような、クリーム色の石畳を進んでいく。
温室の中央まで来ると鉄製の真っ白な丸いガーデンテーブルが。そして、同じく真っ白なイスが向かい合うように二脚置いてある。
ここからの眺めはとても素晴らしいものだ。
上を見上げれば青空が、周囲を見渡せば美しい花が。どこを見ても少女の目を楽しませてくれる。
長い黒髪をシニヨンにしたメイドが真っ白なイスを引く。
黒色のサテン生地のロングワンピースにモスリン生地の白色のエプロンはシワひとつない。襟についた赤い色のタイも緩むことなくきっちりとつけられている。
隙のない完璧なメイドに促されるまま、少女は白いイスの背もたれに背中を預けるように腰を掛ける。少女の体をふわふわのクッションが柔らかく包み込む。
花柄のクッションは少女が快適に過ごせるようにと、優秀な使用人が用意したものだった。
ガーデンテーブルに置いてあるお菓子を見て、わくわくとした気持ちを抑えられず少女が無意識に体を揺らす。
いちごのような甘さを含んだピンク色の瞳は、ガーデンテーブルに置いてある美味しそうなスイーツに釘付けになる。
この小柄で可愛らしい少女こそ、この屋敷に住まうお姫様。伯爵令嬢フィーネ・クロシェット。
可愛いワンピースを身に纏い、お花で溢れる温室で一人お茶会をするのがフィーネのお気に入りの過ごし方だ。
同じ年代の貴族が主催するお茶会にも招待されこともある。もちろん参加することもある。招待されるお茶会は大規模なもの。目立ちたくないフィーネは存在感を消して、まるで空気のように過ごすのが恒例だ。
そんなお茶会よりも一人で気兼ねなくお茶会をする方が何倍も楽しい。悪意のある目をぶつけられることもなければ、下手な礼儀作法をお披露目してしまうこともない。そして、それを笑う人はここに居ない。
美しい花と大好きなスイーツに囲まれて、フィーネは上機嫌に頬を緩める。
フィーネが席に着いてすぐに、無駄のない動作で入れてくれた紅茶を一口飲む。
いちごの風味が口いっぱいに広がる。
メイドが入れてくれたのは、フィーネが大好きなストロベリーティーだった。
「美味しいわ……!」
小声でフィーネが呟くと、メイドはニッコリ微笑む。
スイーツや軽食の並んだケーキスタンドを見て、フィーネは思案顔を浮かべる。
ケーキスタンドの一番下のお皿には、ふわふわのパンに、卵がぎっしりと詰まった卵サンド。シャキシャキのレタスに高級そうなハムが挟まれたサンドウィッチ。
真ん中のお皿には、ふっくらとしたスポンジとたっぷりのクリームが層になった、大きないちごがのせられたショートケーキ。それと、サクサクの生地にいちごが散りばめられたミニタルト。
一番上のお皿には、ドライフルーツが練り込まれたスコーンが。果肉がゴロゴロとした、いちごジャムやクロテッドクリームも添えられている。
見た目も美しく華やかなそれらは、小柄なフィーネに合わせて普通のスイーツよりも、一回りほど小さなサイズだ。
数分悩んだあと、フィーネは一番下のお皿に手を伸ばした。
(まずは、卵のサンドウィッチからにしましょう。)
ケーキスタンドの一番下に載せられた、卵がぎっしり詰まったサンドウィッチを手に取り一口食べる。
(ん!パンも卵もふわふわで美味しい!!)
あまりの美味しさに、フィーネは口を綻ばせる。
それを見たメイドはホッとした表情を浮かべた。
フィーネは小さな口をもぐもぐと動かし、あっという間に一つ平らげた。
(次は、手前にある一番大きないちごの乗った、ショートケーキにしよう。)
ショートケーキに手を伸ばした所で、バンッ。と音を立てて勢いよく温室のドアが開かれた。
音に驚きフィーネはビクリと肩を揺らす。ショートケーキに伸ばした手もその場に止まる。
ノックも断りもなしに慌てた様子で温室に駆け込んできたのは、最近新しく雇われた新人のメイドだった。相当慌てて来たのだろう。髪が少しボサボサだ。
新人メイドの姿を見て、フィーネの隣で給仕をしていた、ベテランのメイドが小さくため息をつく。
「いくらフィーネ様がお優しく温厚な方だからと言って、駆け込んでくるのはメイドとしてふさわしくありません。次からはちゃんとノックをして、主の返事を待ってから入るように。」
フィーネ専属のメイドが新人メイドに注意をする。十年以上フィーネに使えている専属メイドのロナの言葉は、ほんの少しの注意であっても重みがある。
ロナは厳しい顔をしていたが、その瞳はどこか温かかった。
新人メイドは、はっとした表情を浮かべ、勢いよくフィーネに向かって頭を下げる。
「すみませんでした!」
フィーネは特に気にした様子もなく、ショートケーキに伸ばしていた手を膝の上に乗せると、穏やかな笑みを浮かべた。
「気にしないで。でも、ロナの言った通り次から気を付けてね。」
「フィーネ様、ありがとうございます。」
フィーネは美しい薔薇の模様が施されたティーカップに口付ける。口いっぱいに紅茶の甘さとフルーツの甘酸っぱさが広がる。ホッと一息ついてから、フィーネは口を開いた。
「それで?慌てて入ってきたけれど、要件は……?」
新人メイドは、またもハッとした表情を浮かべる。
「旦那様から、大事な話があるのですぐに執務室に来て欲しい。と伝言を預かりました。」
大事な話にフィーネは嫌な予感がしてならなかった。フィーネからしたら良くない話だろうと、自分の直感がそう告げる。
「……わかった。すぐに行くわ。」
覇気のない声で言う。
メイドはペコリと一礼をして、優雅に退出した。
パタンと温室の扉が閉められたあと、パタパタと走って行く足音に、ロナの眉間に皺が寄る。新人メイドはまた注意されるだろう。二回目は注意ではなく、指導という名のお説教かもしれない。
「フィーネ様は執務室に行かれるのですよね。」
ロナの言葉にフィーネはあからさまに嫌そうな顔をした。その表情から、執務室に行きたくないというのがひしひしと伝わってくる。
「……うん。このスイーツは、また後で出してくれる?ショートケーキ、まだ食べていないもの。」
しょんぼりとした顔をするフィーネにロナは苦笑を浮かべた。貴族令嬢として表情がすぐに顔に出るのは褒められたものでは無い。本来であれば主人が社交の場で恥をかかぬよう、やんわりと注意すべきだがここはフィーネのテリトリーでありリラックス空間だ。この場であえて口にする必要も無いだろう。
それに、フィーネはやる時はやれる子。今更、ちょっとのことで注意することもない。
「わかりました。後ほど新しいものをお出し致しますね。」
それでも、美味しそうなケーキを前に今食べたいという欲が湧き出てくる。
そんな欲を振り払うように首を振り、欲求にフタをする。ショートケーキに後ろ髪を引かれる思いをしながら、フィーネはしぶしぶといった様子で立ち上がった。
「行ってらっしゃいませ。」
「行ってきます。」
ロナに笑顔で送り出されたフィーネは、重い足取りのまま執務室に向かった。