11.婚約話を強行したのはお母様でした。
フィーネちゃんがお母様とお話してるだけなのに、長くなってしまいました。
「お父様!私と第二王子様が婚約したとはいったいどういうことですか!?」
アルベルトと湖畔デートを楽しんだ翌日の午後。
フィーネは父であるダリウスの執務室に飛び込んだ。
湖畔デートの最後は、アルベルトの甘い雰囲気と定めた獲物は逃がさないという獣のような鋭い瞳にうっかり流され、このままアルベルトの婚約者になるのもいいかもしれない。なんてことを考えてしまったが、第二王子の婚約者なんてやっぱり荷が重すぎる、父に抗議しよう。とフィーネは執務室を訪れたのである。
しかし、貴族の娘として、たとえ貴族の娘ではなくとも最低限のマナーとして、ノックもなしに執務室に飛び込んだのは良くなかった。
執務室の真ん中に置いてある良質なワインレッドのソファに腰掛けた女性が扇子を優雅に広げ微笑む。
口元を隠すように扇子を添えると、ギロリと恐ろしい目がフィーネを捉えた。
これはヤバイ。これはとても怒られる。
瞬時に危機を察知したフィーネは、蚊の鳴くような声で『失礼しました。』と、何事も無かったかのようにくるりと踵を返す。
そして、執務室のドアに手を掛けた。
しかし、右肩をガシッと掴まれてしまい逃走は失敗に終わってしまう。
「うふふふふ。フィーネちゃん。お話があります。」
不気味な笑い声を上げる母、シエラ。
透き通るような美しい声は、威圧感があって恐ろしいとも感じる。
ビクビクしながらフィーネはチラッと顔だけ母の方へ向けた。フィーネはビクッと過剰なまでに肩を揺らす。
優雅に微笑んでいるはずなのに、母の鋭い瞳が怖すぎる。
「わ、わたくしは、あ、ありませ――。」
「さぁ、フィーネちゃん私のお部屋に行きましょう?フィーネちゃんには話したいことが、山ほどあるのですから。」
シエラはパチンと扇子を閉じるとフィーネの両肩に手を置いた。
力は全然入っていないはずなのに、母の気迫が恐ろしすぎて、逃げようだなんて考えすらおきない。
むしろ、今逃げた方があとからもっと大変なことになると頭が警報を鳴らす。
「シエラ。あんまり叱らないでやりなさい。フィーネも婚約の話を聞いて、驚いて、うっかり忘れてしまったんだろうからな。」
一切こちらを見ず、書類仕事をしていた父がフィーネがあまり怒られないようにと、母に口添えする。
「ふふっ。ダリウス。それでも、マナーは守らなければなりませんわ。だって――」
母は父の方を向いて美しく微笑んだ。
それは、もう、とても。とっても素敵な笑顔で。
「だって、フィーネちゃんはこの国の第二王子。
アルベルト殿下の婚約者なのですよ?」
婚約者の部分を強調して言う母に、フィーネの足がガクガクと震え始める。
そして、その一言でフィーネは全てを悟った。
(ああ……。婚約の話を進めたのはお父様ではなく、お母様だったのね……。
でも、婚約の署名は伯爵であるお父様がしなけれいけないわ。でも、お父様はお母様をとても愛していて割と甘いし、お母様に私たちのことを任せているという部分もあるから……。
署名するしかなかったのね……。)
「さぁ、フィーネちゃん。ガタガタと小動物のように震えてないで行きましょうね。」
母に背を押され、フィーネは執務室を後にした。
♢♢
開放感溢れる大きな窓。
白を基調とした美しく上品な部屋の中央。
背もたれが羽のようになっている美しい、真っ白なソファにフィーネは母と向かい合うようにして座る。
気心のしれた家族。
しかし、母の顔ではなく貴族の顔をしているシエラを前に、フィーネの背筋に緊張が走る。
母の目を見ていられなくて、少し目線を下へと向けると机の上に刺し途中のハンカチが置いてあるのが目にとまった。
「ダリウスにプレゼントしようと思っているのだけれど、フィーネちゃんから見てどうかしら?」
フィーネの視線の先に気がついたシエラが、ゼニスブルーのハンカチを広げる。
「お母様の贈り物でしたら、お父様は何でも嬉しいと思います。」
「そうね。ダリウスは何でも喜んでくれるわ。
でも、可愛すぎではないかしら?」
いつまで経っても恋する乙女のような顔をする母に、フィーネの顔が緩む。
両親の仲が良いのはいいことだ。
ハンカチに刺繍されたマトリカリアの花は、白く可愛らしい小花で父が使うには可愛すぎるかもしれない。
しかし、いつも母が重視しているのは花言葉だ。
「深い愛情。お母様の想いが伝わって良いと思います。」
「ふふっ。ありがとう、フィーネちゃん。
やっぱり、聞くならかっこいい息子ではなく、可愛い娘ね。
ガレットに相談したら、『いいと思いますよ。』って呆れた顔をして言われたわ。」
ガレットが母に助言などできるわけが無い。
母の惚気話にうんざりしているガレットが、いつも『いいと思う。』しか言わないあの兄が、なぜ答えてくれると思っているのか。
聞くのなら、フォレオの方がいいだろう。
フォレオは、『うんうん。』とニコニコと笑みを浮かべながら、大抵の事は優しく聞いてくれる。
まぁ、興味が無いことは聞き流されているが。
フィーネの顔から緊張の色が消えた頃、シエラが切り出す。
「それじゃあ、フィーネちゃんの緊張も解けたところで、本題に入りましょうか。」
母の慈愛に満ちた声ではなく、貴族の凛とした声に変わり、フィーネの背筋が自然と伸びる。
「最初に言うけれど、ノックをしなかったことについてはもういいわ。フィーネも反省したと思うし、ダリウスの言葉も一理あるもの。
フィーネは、ダリウスにアルベルト殿下との婚約の件で話がしたくて執務室に向かったのでしょう?」
フィーネはコクコクと頷く。
「だったら、その話は私とするべきよ。
フィーネも薄々勘づいていると思うけれど、アルベルト殿下とフィーネの婚約を強行したのは私だもの。」
シエラは優雅に立ち上がると、ゆっくりとフィーネの右隣に腰を下ろした。
膝の上で硬く手を握っているフィーネの手に、自身の手をそっと添える。
「フィーネちゃんは、アルベルト殿下のことが苦手?」
クロシェット伯爵夫人としてでなく、フィーネの母として尋ねる。
フィーネの本心を教えて欲しいというような、柔らかく優しい瞳に促され、フィーネはぽつりぽつりと話し始めた。
「初めてアルベルト殿下と出会った時は、とても怖かったんです。青い瞳はとても冷たくて、射殺されてしまいそうで。
自分で確かめてもいないのに、冷酷だっていう噂を信じて覚えてしまって悪いことをしたと思いました。」
そこで区切り、フィーネはゆっくりと深呼吸をする。
「屋敷にいらっしゃった時、私が好きだと言ったバラを贈ってくれて、婚約したいけれど私の想いを尊重すると言ってくれて嬉しかったんです。
湖畔デ、デート……の時は、歩幅を合わせて歩いてくれて、私のためにエスコートをしてくれて、たくさんお話して、表情は怖いけれど、優しい人だって分かったんです。
それに……私のことを本当に想ってくれているのだと気づきました。」
「ええ、そうね。屋敷にいらした時に、少し話をしただけなのだけれど、アルベルト殿下はフィーネのことを本当に大切に思っていて、フィーネのことが好きというのも、とても伝わってきたわ。」
アルベルトと母が何を話したかフィーネは知らない。
でも、母から語られるアルベルトを聞いて、アルベルトは嘘偽りなく本当にフィーネのことが好きなのだということが伝わってくる。
「貴族は政略的な結婚が多いわ。私はダリウスと一緒になりたくて公爵家も婚約者も全て黙らせて、ダリウス・クロシェットの元に嫁いできたから、恋愛結婚だけれど、あまりない例よ。
でもね、フィーネちゃんにも幸せになって欲しいのよ。だって私の大切な娘だもの。政略結婚でも、フィーネちゃんが幸せになれない道には進んで欲しくないわ。
だから、私は、アルベルト殿下との婚約を進めた。フィーネちゃんの事をあんなに思っているのだもの。
愛のない方と婚約を結ぶより、フィーネちゃんを想ってくれている、アルベルト殿下ならばフィーネちゃんの事を絶対に幸せにしてくれると思ったのよ。」
「ねぇ、フィーネちゃん。あなたが少しでもアルベルト殿下のことを良いと思っているのなら、迷う必要は無いんじゃないかしら?」
「で、でも、私には殿下の婚約者は荷が重いのです。」
「それは、どうして?」
フィーネはまん丸の瞳から大粒の涙をボタボタと零しながら呟いた。
「私は、礼儀作法も苦手で、カーテシーも下手で、舞踏会やパーティーが怖くて、参加せずに逃げてきました……。そんな私に、殿下の婚約者が務まるはずがありません……。」
シエラはハンカチを取り出すと、フィーネの涙をそっと拭い、そして優しく抱きしめた。
「そう。フィーネちゃんは自信が無いのね。
フィーネちゃんの事をずっと見てきたお母様から言うと、フィーネちゃんは礼儀作法も完璧、カーテシーも美しいわ。
それに、王族や公爵家の舞踏会やパーティーにはちゃんと参加していたでしょう?
だから、フィーネちゃんはちゃんとできているわ。
フィーネちゃんがどうして、そんなに自分に自信が無いのか、人の目を気にする性格になってしまったのか、私はフィーネちゃんの母親に分からない。
でも、フィーネちゃんは努力家で真っ直ぐで人を見る目がある優しい子だと知っているわ。
だから、大丈夫よ。フィーネ。自信を持ちなさい。
それに失敗しても、アルベルト殿下が助けてくれるわ。」
母の言葉にフィーネの心が軽くなる。
まだ、自信なんて持てない。アルベルトの婚約者も不安だらけ。
でも、厳しい母が……優しい母が……認めた相手。
そして、フィーネもアルベルトが優しい人だと、きっと失敗しても笑わない人だと、過ごした時間は短いけれど、それくらいは分かる。
フィーネ自身のことを、フィーネはまだ信じきれない。
でも、母が大丈夫というのなら、アルベルト殿下から逃げることばかりを考えるのではなく、頑張って見ようと思った。
フィーネは真っ直ぐに母の目を見る。
「私、頑張ってみます。」
「ええ。フィーネならできるわ。」
母が優雅に優しく微笑む。
「婚約も大事だけれど、二週間後には学園での生活が始まるのだから、そっちの準備もしなくてはダメよ。」
母の言葉にフィーネは呆然とする。
学園に通うことは覚えていたが、二週間後ということを失念していた。
「まさか、フィーネちゃん。あなた、学園に通うことを忘れて……いたのね。」
母にはすっかりお見通しなようで、フィーネが何も言わずとも、忘れていることを言い当てた。
「フィーネちゃん。寮生活が始まるのだからもう少し、しっかりした方がいいわ。」
「が、頑張ります。」
アルベルトの婚約者に学園生活に新しく始まる寮での生活。不安だらけで、フィーネは泣きたくなる。
でも、頑張ると決めたのだから、とりあえず前を向いて行こうと意気込むのだった。
次から、ついに学園生活スタートです!




