カミラ
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「おまえは王太子妃になるんだよ」
もの心がついたころにはそう言われていた。言ったのは父。母はその横でほほえんでいた。でもちょっとだけ悲しそうだった。
「おうたいしひ」がなんなのか、カミラにはわからなかった。それでも「おうたいしひ」になれば、父も母も喜んでくれるのだと思った。
「わたくしは〈おうたいしひ〉になるの」会う人ごとにそう話した。
すると人々は「まあ、えらいわね」とほめてくれる。「カミラさまなら王太子さまも喜んで選んでくださいますよ」とにこやかに言ってくれる。
そうか。「おうたいしさま」に選ばれて、「おうたいしひ」になれば、みんなが喜んでほめてくれるのだ。幼心にそう思った。
「おうたいしひ」になるためには、いろんなことを学ばなくてはいけなかった。
行儀作法。外国語。この王国の歴史、産業。隣国との関係。
とくに、貴族たちとの関係には気を遣った。勢力争い。対人関係。仲よくしていい家。仲よくしなくてはいけない家。仲よくしてはいけない家。
園遊会。というものがある。王宮にお呼ばれするのだ。庭園でお菓子や軽食やお茶やジュースがふるまわれる。
一番下の貴族からカミラの家のような最上級の貴族まで勢ぞろいする。
子どもたちにとっては、楽しいお祭りだけれども大人にとってはさまざまな思惑が絡まった顔合わせの場。
カミラははじめて王太子殿下にあいさつをした。習ったように完璧な淑女の礼で。せいっぱいのおすましで。
王太子殿下の顔はちゃんと見ていない。じっと顔を見るのは失礼だから。どんな顔をしているのか、よくわからなかった。
でもたぶん、一番前で一番高いところにいる子どもが王太子殿下なのだ。
園遊会でカミラはひとりの女の子と仲よくなった。たまたま同じイチゴのプチフールを食べていた。
「おいしいね」
アンジェラというその子が話しかけてきた。
「うん、おいしいね」
カミラも答えた。それでいっしょに遊び始めたのだった。
アンジェラが「仲よくしていい家」の子かどうかはわからなかったけれど、きょうはお祭りなのだから、いいんじゃないかしら。
お城の使用人が、子どもに対してもうやうやしくお菓子やジュースを取ってくれるから、いっぱしの大人になったような気がして、浮かれていたのだ。
アンジェラとふたりで、お菓子を食べジュースを飲んで、庭園の中で花の蜜を吸ったりちょうちょを追いかけたりした。
とっても楽しかった。
父と母は大人のお付き合いに忙しく、子どもたちはそれぞれ勝手に遊んでいた。
とっても楽しかったのだ。とっても。
「カミラ」
とつぜん後ろからかけられた父の声はなぜか冷酷だった。びくりと振り返ったら、険しい顔の父と困ったような顔の母がいた。
「帰るよ。来なさい」
逆らってはいけない。そんな雰囲気だった。もっといっしょに遊びたかったのに。
「またね」
アンジェラは手を振った。
「ええ、またね」
うちに遊びに来て。ほんとうはそう言いたかった。でもそう言ってはいけないのだろうな。と思った。
父からはそんな圧力を感じた。
家に帰ると父は吐き捨てるように言った。
「子爵の娘などと親しくしおって」
「王太子妃になるのなら、そんな下級の者と親しくしてはいけない」
「なんのために、家庭教師をつけているのだ」
カミラは肩をすくめて、父の暴言をやりすごした。
どうやらアンジェラと遊んだことが、父の機嫌を損ねたらしい。それもかなり。
「仲よくしてはいけない家」の子だったのだろうか。
お祭りだったのに、楽しいことはいけないことだった。楽しかったその日の思い出はしゅうっと音を立ててしぼんでしまった。がっかりした。
わたくしは公爵家の娘なのだから、下級の者と親しくしてはいけないのだ。「おうたいしひ」になるために。
父の機嫌を損ねないために。
父がおともだちを用意してくれた。「仲よくしていい家」の子どもたち。何人か入れ替わったけれど、最終的に三人が残った。この三人はいつもいっしょにいてくれる。
でも楽しくはない。
あの園遊会ほど楽しい思い出はない。
アンジェラに会うことは二度となかった。
それでいいの。だって会っても話をしてはいけないんだもの。
それからいっしょうけんめい学んだ。お作法に礼儀。淑女にふさわしい身だしなみ。流れるような完璧なダンス。
王太子妃にふさわしいように。
カミラは「王太子妃」に選ばれなかった。
「役に立たない娘だ」
父はカミラの顔すら見なかった。それ以来、父はあいさつすらろくにしてくれなくなった。母はやはりちょっと悲しそうな顔で笑っていた。
「王太子妃」になれなかったわたくしは、なにになればいいの?
役立たずのわたくしは、どうすればいいの?
わからないわからないわからないわからないわからない……。
アンジェラとお話したから?
花の蜜を吸ったから?
王太子殿下がわたしをあざ笑っている。ルーク殿下も。
役立たずだから。
あああああああああああ。