悪夢の始まり
「いきなりなんですか!」
王妃さまがぴしゃりと言った。
お嬢さまもルイーズさまも驚いて立ちあがったきり、固まってしまった。衛兵の団体ってこわい。わたしも固まってしまったもの。
だいたいことわりもなく、王妃さまのいる部屋に入って来るなんてありえない。無礼極まる。
「王妃さまっ!」
そこへ息せき切って飛びこんできたのは王妃さまの侍女長だった。
「たいへんです! 王太子殿下が!」
侍女長がこんなにあわてるなんて。
なにが起きた。
衛兵の先頭に立っていた士長が口を開いた。
「王太子殿下に毒が盛られました」
……なんだって?
「レディルイーズ・カーソン。あなたが持ってきたケーキに毒が仕込まれていたのです」
がちゃん!
ルイーズさまの手からティーカップが滑り落ちた。
そんなバカな!
ありえない!
「ま、まさか、そんなこと……」
「あなたには、ルーク殿下とともに王太子殿下暗殺の容疑がかかっています」
がちゃん!
こんどはシャーロットお嬢さまの手からティーカップが落ちた。
あるわけない! そんなこと!
「王妃さま、あなたにも嫌疑が」
「な、なんですって?」
「ご同行ください」
有無をいわせず、ふたりは衛兵に取り囲まれた。
「ま、待って。ウィリアムさまはご無事なの?」
「ウィリアムはどこにいるのです!」
王妃さまとルイーズさまの声が重なる。が答えはない。それぞれ、槍に囲まれて引き立てられる。
ちょっと! そんな犯罪者みたいに!
「待ちなさい。だれの指図です。無礼ですよ!」
そんな声を残しながら、ふたりとも連れていかれてしまった。侍女長とルイーズさまの侍女メアリはおろおろとそのあとをついていった。
そして部屋の中にはシャーロットお嬢さまとわたしだけが残された。
ハッと気づくと、お嬢さまは真っ青な顔で小刻みにふるえていた。
「お、お嬢さま」
なんて言っていいのかわからない。
「……アメリア」
それはお嬢さまも同じ。ようやくしぼりだすようにわたしを呼んだ。
「ど、どうしましょう」
お嬢さまがのばした、すっかり冷たくなってふるえる手を握る。その目は涙でいっぱい。
「ルークさまが……。王太子殿下が……」
もう、だれがなにやら、なにがどうなったのやら、さっぱりわからない。
「と、とりあえずルーク殿下にお目通りを」
「そ、そうね。そうしましょう」
ふたりで手を取り合いながら、外宮三階の執務室へ向かう。廊下は衛兵たちでいっぱい。だれもがあわただしく走りまわっていた。
廊下の途中に衛兵が立ちふさがっている。
この奥が国王陛下や高官の執務室なのに。
「ここから先はお通しできません」
じろりと見降ろされた。仁王立ちで動こうともしない。
「無礼ですよ。エバンス侯爵家のものです。通しなさい」
びしっと言ってやる。
「申し訳ございません。だれもお通しできません」
通せないの一点張りだ。埒が明かない。
「ルーク殿下にお目通りをしたいのです。通してください」
もめていると衛兵の後ろから上官があわててやって来た。
「レディ・エバンス」
きっちりと騎士の礼をとる。
「ルーク殿下には王太子殿下暗殺の嫌疑がかかっております。どなたも会うことはできません」
「なにかのまちがいです! そんなはずはありません!」
お嬢さまの声が悲痛だ。
「残念ですが」
上官の返事に、お嬢さまがぎりっと歯を嚙みしめた。
「ではけっこうです」
くるりと踵を返した。
ルーク殿下、ここにいることはいるんだな。それは覚えておこう。
「お嬢さま」
「おとうさまがいるはず。おとうさまを探します」
とにかくお嬢さまから離れないようにしないと。すたすたと歩くお嬢さまの後を追う。
三階を探しても見つからず、では二階かもと階段を下りていく。
おかしいよね? これ陰謀なんじゃない?
お嬢さまも巻き込まれるよね。ヤバくない?
階段の途中で、ヘンリー卿に出くわした。駆け上がって来たのか息が上がっている。
「レディ・シャーロット!」
「ヘンリー卿! 王太子殿下は!」
「あ、ああ。いま医者がついています」
「だいじょうぶなのですか?」
「それよりもすぐにお帰りください。危険があります」
不自然に遮ったな。それにお嬢さまが危険? やっぱり?
「でもルークさまが!」
そこでヘンリー卿は声を潜めた。
「いいですか。これはブライス公とグレイ伯の陰謀です」
うわあ! やっぱりそうだった!
お嬢さまも目を瞠った。
「なんとかします! 王妃さまもレディ・ルイーズも。ですからどうかご自宅でお待ちください」
なんとかって、味方はいるの?
「……でも」
お嬢さまは渋る。気持ちはわかりますけど……。
「ちゃんと考えていますから。それよりも、ここにいたらあなたも利用されてしまいます。だからいまのうちにお帰りください」
うん、そうですね。シャーロットお嬢さまがなにかしらの取引材料にされるかもしれない。
急に接触してきたジェームズが気になる。
あれがなにか仕掛けてくるかもしれない。
めっちゃヤバい。
「お嬢さま、いちど帰りましょう。エバンス侯からの連絡を待ちましょう。そのほうがルーク殿下も安心できます。ね?」
必死でお嬢さまをなだめる。
ルーク殿下のことを言われると、お嬢さまも無下にはできない。しぶしぶうなずいた。
「たのんだよ」
強く言われた。ヘンリー卿にも余裕がない。すこし髪も乱れている。
それもまた、カッコよし。
いやいや、それどころじゃない。
わたしは「はい」と返事をするのが精一杯だ。お嬢さまを連れて一階まで降りた。もうはしたなくてもなんでも、とにかく急いだ。さすがに走りはしなかったが、とっても速足。
車寄せに行って、馬車を呼んで。使いをやっていないから馬車が来るまでしばらく待たないと。
とにかくすこしでも早く王宮を出たほうがいい。