第3話 監獄迷宮での生活① —待ってろよ—
22時、23時、24時にも2話ずつ公開するので、そちらもゼひご覧ください!
「あっ、ああっ……!」
フランチェスカは、今の今まで自分の主人が立っていた場所に手を伸ばした。
当然、何にも触れられない。
膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか堪え、ベニートに詰め寄った。
「ベニート様、今すぐレオ様を連れ戻して!」
その胸ぐらをつかみ、前後にゆする。
「皆の者!」
ディエゴが叫んだ。
教会の扉が開かれ、騎士たちがなだれ込んでくる。
「貴様、なにをやっている!」
「ベニート様から手を離せ!」
罵声とともに、鋭い視線が自らに突き刺さるのを感じる。
フランチェスカは胸ぐらをつかんだまま、ベニートだけに視線を向けた。
「——ベニート様!」
「無理だ」
「……はっ?」
フランチェスカは、口をポカンと開いて固まった。
「あの強制転移陣は一度しか利用できない。もう、誰にもやつを連れ戻すことなどできない」
ベニートはフランチェスカを見下ろし、平坦な口調で告げた。
「なんですって……? それじゃあレオ様は——」
「貴様、離さんか!」
騎士たちにより拘束される。
それでも言葉は止めなかった。
「監獄迷宮はあの勇者パーティーでさえ全滅した場所だ! いくらレオ様でも、生きて帰れる保証はない!」
「生きて帰れる保証はない? 違うな。やつは死ぬしかないのだよ!」
ディエゴが豚さながらに鼻を鳴らす。
フランチェスカはそちらには目もくれなかった。
無視されたディエゴの額に青筋が浮かぶが、そんなものはどうでも良かった。
「レオ様が死ねばあなたは殺人犯だ。あなたは殺したことになるんだ——昔はあれだけ可愛がっていた弟を!」
ベニートの瞳がわずかに揺れた気がした。
訴えが届いたのだろうか。
確信は持てなかった。
「貴様、いい加減にしろ!」
拘束していた騎士により地面に叩きつけられる。
視界いっぱいに床が広がり、呼吸がうまくできない。
「吸血の勇者は、厄災の異端児とも呼ばれる恐ろしい存在です。そんな怪物を監獄迷宮に送還する素早い判断……さすがディエゴ様、お見事でした」
「そうであろう、そうであろう。牧師はそこの平民の女と違って話がわかるな」
ダヴィデがゴマをすり、マンチーニ家の当主が満足そうに笑う。
ふざけるな、と叫ぼうとした。
無理な体勢を強いられているフランチェスカの喉からは、空気しか漏れなかった。
証拠もなにもない話を理由に追放などしていいはずがない。
結局、ディエゴは吸血の勇者にかこつけてレオを追放したかっただけなのだ。
「っ……!」
唇をかむ。
涙が出そうだった。
なにもできない自分が情けない。
ディエゴの命により、フランチェスカは牢屋に入れられることになった。
騎士に連れられて部屋を出ていくとき、ディエゴの死角にいたダヴィデが、フランチェスカに向かってニヤリと口元を緩めた。
牢屋に入れられて少しすると、フランチェスカは落ち着きを取り戻した。
時間にすればたった数分の出来事が脳裏を駆けめぐる。
一瞬だけ瞳を揺らしたように見えたベニートの表情も、ダヴィデの謎の笑みの意味も、もちろん気になる。
しかし、それ以上に気がかりなことがあった。
フランチェスカが声をかける直前、レオの口元で何かが輝いたのだ。
自身も必死だったため、記憶が定かでないところはある。
それでも一瞬見えたそれは、
「……キバ、だった?」
あれは、職業が吸血の勇者だったこととなにか関係しているのだろうか——。
◇ ◇ ◇
監獄迷宮内は薄暗かったが、あちこちに点在するぼんやりとした水色の光のおかげで視界は確保できた。
周囲に魔物の気配はない。
「えーっと、持ち物は……APD、以上!」
APDを持っていたのは不幸中の幸いだが、それだけ。
水も食料もない。
しかし、レオは慌てなかった。
義母のアリーチェが死んで以来、レオの屋敷での生活は決して快適とは言えなかった。
義父のディエゴに虐げられ、義兄のベニートや使用人のほとんどは見て見ぬふりをするか、一緒になって嫌がらせをした。
その影響もあり、ここ数年はもっぱら冒険者に混じって迷宮に潜ることが増えていた。
彼らと一緒に迷宮で何日かを過ごすこともあった。
その経験の数々がレオを落ち着かせていた。
皮肉なものだ。
それらの経験に基づき、真っ先にやるべきことを決めた。
「とりあえず、うんこするか」
【魔力弾】——魔術の基本技である、魔力の塊を撃ち出す技——を地面に向かって放つ。
子供が入れそうなほどの穴ができあがった。
「戦闘中に漏れそうになったらやべーもんな」
戦いながら糞尿を垂れ流して鼻の良い魔物を倒してしまおう作戦も考えたが、それは人として大切なものを失いそうなので、最後の手段としてとっておくことにする。
無事にトイレを済ませ、穴を塞いでから歩き出す。
「とりあえず、水と食料は探さねーと」
フランチェスカにあんなことを言ってしまった手前、泥をすすってでも生還しなければならない。
もしレオが死ねば、彼女の心に癒えない傷を残してしまうだろうから。
アリーチェが他界してから、フランチェスカは単なる侍女というより母親に近い存在だった。
からかわれることはしょっちゅうだった。
歯に衣着せぬ物言いもしてきた。
それでも、そこには常に愛情があった。
ほぼすべての使用人や騎士が離れていく中、彼女だけがずっと側にいてくれた。
レオはよく、仲良くしている冒険者などから能天気だの自由奔放だのわんぱくだの能天気だのと言われていた。
それだけポジティブでいられたのは、間違いなく彼女のおかげだろう。
「恩を仇で返すわけにはいかねーかんな。必ず生還してやんぜ」
レオはよしっ、と拳を握った。
職業が吸血の勇者だったこと——自分が一部では世界を滅ぼすと言われている危険な存在である可能性——については、ひとまず置いておくことにした。
「わかんねーことは考えても仕方ねーし、なんか変だったらそんとき考えればいいもんな」
——こういうところが、レオが能天気と言われる所以なのだろう。
監獄迷宮といえど、その造りは他の迷宮と大差ないようだ。
地面も壁も天井もすべて岩からできており、ところどころゴツゴツと飛び出していた。
道は迷路のように入り組んでいる。
足元には魔力を栄養にする植物が生え、魔石があちこちに転がっている。
それらは水色に発光しており、陽の光の差さない迷宮内をぼんやりと照らしていた。
魔石は、魔力を含んだ石だ。
その効果はまちまちだが、生活に使えるものも多い。
「おっ、これたしか、火を起こせるやつじゃん。これは……水を出せるやつか」
役に立ちそうな魔石を拾いつつ、道なりに進んでいく。
数回曲がったところで足を止めた。
右前方の壁の奥に、ナニカがいる。
「人……じゃない。魔物か」
姿を現したのは人型の魔物——ゴブリンだった。
いつもなら魔法を使わなくても倒せる相手だが、目の前の個体は明らかに普通のゴブリンではないようだ。
——果たして、その直感は当たっていた。
レオの姿を認めるや否や、ゴブリンは地面を蹴った。
突進してくる。
とても、鈍足で知られるゴブリンのものとは思えない速度だ。
「おおっと」
レオは体を逸らした。
ガラ空きの首筋に手刀を叩き込む。
「グアッ⁉︎」
ゴブリンは地面に倒れこんだが、すぐに起き上がった。
レオにはそのコンマ数秒があれば十分だった。
ゴブリンが再び突進の構えを見せたときには、すでにその懐に入り込んでいた。
「ゴブリンにしては強かったぞ」
魔力で作った剣——【並魔剣】を下から斜めに振り上げる。
驚愕の表情を浮かべたまま、ゴブリンの顔は宙を舞った。
監獄迷宮は最高難度と言われるだけのことはあり、総じて他よりも優秀な個体が多いようだった。
ゴブリンの他にもいくつかの魔物と遭遇したが、どれも手ごわかった。
しかし、それはあくまで普通の個体と比べればの話だ。
事実として、レオはこれまで【並魔剣】しか使用していない。
魔力で生成できる剣の種類はいくつかあるが、【並魔剣】はその中でもオーソドックスかつ平凡なものだ。
特別なオプションがなく、すべての性能が並である代わりに、もっとも魔力消費量の少ない剣。
他には長さや太さを変えられる剣もあるが、それらの助けを借りなければならないほどの敵はいなかった。
「わんちゃん、結構浅い層に転移したんじゃねーか?」
もしそうなら、意外と簡単に生還できるかもしれない——。
淡い期待に自然と足取りが軽くなる。
しかし、現実は甘くなかった。
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