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三力の申し子(5)

 赫の攻撃は、一瞬で山の景観を変えた。


 ほんの瞬きの間に伊佐薙は空高くに放り投げられており、上空から眺める地上ではあらゆるものが動き回っていた。

 赫によって粉々に壊された氷塊の屑やら、その衝撃で抉れた地面の土塊やら、表出していた岩の欠片やら。それら全てがある鬼神を中心に旋回するように吹き飛んでいた。


「伊佐薙! 面を付けろ!」


 下から叫ぶ声が聞こえる。那肋だ。獄氷と岩に揉まれながらも伊佐薙の方を気にしているようだった。


 そうだ、お面―――伊佐薙は手元を確認した途端、額から冷や汗が溢れ出た。

 お面が―――ない。伊佐薙は空中で姿勢を整えながら必死になってお面を探した。


 なにがあっても離さないように握りしめていたお面が伊佐薙の手元から消えた。ともなれば、那肋に飛ばされたときに手離してしまったに違いない。

 これでお面が地上に転がっていた場合は詰みだが、空中にあるのならなにかの間違いでこっちにお面がくるかもしれない。


 伊佐薙がもがきながら首を回すと、視界の端に白く輝く欠片のような者がぷかぷかと浮いていた。しかしその物体と伊佐薙の間には大人三人分ほどの距離があった。


 くそっ、届かない―――伊佐薙は空中で精一杯手を伸ばした。


「ほう、那肋。お前はそう決断したのだな。この短時間で友情でも生まれたか?」


 赫は地上から伊佐薙を睨んだ。あれだけの高さ、あいつが飛んだとは考えにくい。俺が真っ先に伊佐薙を氷塊もろとも殴殺しようとしたのを那肋が察し、即座にあの人間をあんな高さまで放り投げたな。

 自分ごと飛ぶのでは間に合わないという咄嗟の判断からだろう。一応妖怪なだけはあるな、赫は鼻で笑いながら感心していた。


 だがあの高さともなれば、あいつが面を付ける前に俺が手を下す、というのも流石に間に合いそうにないな。

 しかし那肋のやつ、この後のことを考えてのあの高さなのか? あれでは死待ったなしだろう。 


 推定するに、あの面は付けた者の能力を底上げする、程度のものだと思うが―――あいつだって能力があるとはいえただの人間だろう。少し強化しただけであの高さから無事着地できるとは思えんが―――赫が目線を移すと、そこには衝撃の渦中でも空へと駆け出そうとする那肋がいた。


 なるほど、自分で迎えに行くつもりだったのか。どうせ妖術を使って自分を隠し、なんとかして伊佐薙の落下死を免れようとしているのだろうが―――お前の妖術には重大な欠点がある。そうだろう?


 赫は那肋に向かって地面を蹴り、棍棒を振りかぶった。


「お前の妖術、ただの衝撃にはめっぽう弱かったよなあ!」

「くっ―――この―――!」


 那肋は攻撃を受けるのを覚悟した。赫の言っていることは図星だった。

 神隠しを使って対象から存在を消したしたところで、現実世界の衝撃を受けないわけではない。神解を使ったところで、無効化できるのはあくまで妖術によって生み出されたものだけだ。


 つまり現実世界におけるただの衝撃に対して、那肋の妖術はほぼ無力といっていい。そういう意味で、赫の言っていることは図星だった。

 

 那肋が覚悟の元片目を閉じていると、閉じた目の先では金属どうしがぶつかり合うような嫌な音が、更に大音量で増幅されたような爆音が響いた。

 白銀の刀と漆黒の棍棒がぶつかると、その衝突点からは火花と共に膨大な衝撃が生まれた。


「派手にやってくれるね、ほんと」

「おお、やっと顔が見れたなあ、ユキ―――!」


 二匹はその後も神速の殴打による戦闘を繰り広げ、その周囲は誰も近づけないほどの衝撃波を纏っていた。


「那肋! まだ一八が逃げてる! 獄炎に気をつけろ!」

「おいおい―――久々だろ。俺に集中しろよ、死ぬぞガキィ!」

 

 赫が大振りでぶん回した足に蹴り飛ばされたユキは「ぐっ―――」という嗚咽とともに尋常でないスピードで吹き飛ばされた。急いで地面に氷塊を展開し、全力で勢いを殺すが中々止まらない。

 しばらく氷と衝撃に板挟みになりながらも、数秒してなんとか一定の場に留まった。頭からは赤い血が流れ、口の中では血の味が滲む。


 瞬時に腕で防いだにもかかわらず、あばらの辺りが激しく痛んでいる。ユキは思わず顔をしかめた。


 それでもユキは叫ぶのをやめない。息を切らしながらも、とにかく那肋に向かって叫び続けた。


「お前の苦手な赫は僕が相手する! だからお前はなんとかして一八を見つけろ! お前は索敵得意なはずだろ、僕は索敵が苦手なんだ。今から相手を入れ替える、分かったか!」

「だから―――余裕ぶっこいてんじゃねぇって言ってんだよ!」


 赫はユキに慈悲のない追撃を仕掛けた。ユキは高速で突っ込んでくる赫に向かって片手を広げた。


「獄氷操術―――頞哳吒(あたた)!」


 詠唱と共に獄氷の氷塊がいくつかに分かれて赫に襲いかかる。赫は若干速度を落とし、それら全てに対して棍棒を叩きつけた。とてつもない速度で振り回される棍棒は赫の周囲を風圧で覆った。


 思ったより赫が獄氷に食いついた。これなら多少の獄炎ならこっちで対処できるかもしれない。

 今だ那肋、飛べ。少年を助けろ! ユキが心の中で叫んだのと同時に、那肋は全速力で空へと旅だった。何度も繰り返し空を蹴り、伊佐薙との距離を縮めていく。

 

 その時、岩場の隅から小さな声で詠唱が呟かれた。


「獄炎操術―――黒縄(こくじょう)


 地面から突然生えた獄炎の火柱は、同時に那肋の背中を猛追した。その姿はまるで血で染まった八岐大蛇のようで、那肋もまっすぐ伊佐薙の方へと向かえなくなっていた。


 一八め。あそこにいたか―――! ユキが獄炎操術を放った張本人の居場所を捉えたと同時に、赫は獄氷を打ち落とし終わってユキの元へと向かっていた。

 きっと一八もこの機会を伺っていたのだろう。その威力は練り上げられていた。しかも赫、獄氷の処理が速い。どいつもこいつも計算外ばかり。ユキは焦っていた。


 獄炎に追いかけられながらも、那肋はタイミングを待っていた。ちょうど良い所で神解を打てれば、火柱を消しながら安全に伊佐薙を助けられる。その為にはまずあの火柱を一点に集める必要がある。

 那肋は空中を飛び回りながら、火柱を操ろうとしていたのだ。


 那肋は全速力で移動しながらも、機微の違和感を見逃さなかった。一本の火柱が自分を追っていなかったのだ。自分を仕留める為に放たれたと思っていた大技は、威力はそのままでただ一点に向かって伸びている。


「伊佐薙!」那肋は焦燥のあまり叫びだしていた。


 熱い、なにかが向かってくる。那肋が伝えたがっているはこのことだろう。まずい、はやくお面を取らなければ―――!

 今はお面の行方だけを追っていたいのに、さっきから下での小競り合いの衝撃が上まで届くせいで、風の流れのようなものが数秒ごとにころころと入れ替わっている。


 伊佐薙は空中姿勢を整えてお面を視界に捉えているだけで精一杯なのだった。あと少し、あと少し―――伊佐薙はまだ手を伸ばす。


 那肋の声に、赫の棍棒を刀で受け止めていたユキも表情を曇らせた。

 僕にできることはせめて―――ユキは全身に力を込めて一瞬赫を押し戻し、その間に刀を再び鞘に戻した。


 僕の鬼神刀術は抜刀術(ばっとうじゅつ)だ。刀を鞘から抜くときに、本領を発揮する。

 ユキは赫と一八が一直線上になっていることを確認して、親指と人差し指で刀を弾いた。


「鬼神刀術―――彗天(すいてん)!」


 ユキの高速の抜刀術を棍棒で受けた赫は、全く収まらない打突の勢いに声を漏らした。

 こいつ、衝突した後も地面を蹴ったり氷を蹴ったりして勢いを殺さないようにしている―――この技はできるだけ遠い距離から何度も地面を蹴って速度を上げ、その勢いのままに相手をたたき切るものだったはず。


 こいつ、この刹那にうまく技を転用したな。赫は低く轟く声で一八に警告した。


「お嬢! 避けろ!」

「はぁ―――!?」


 尋常ならざる速度で近付いてくる巨体を前に一八は反応が遅れ、結局三匹は三つ巴になって巨大な岩に突っ込んだ。

 鈍い音と共に岩は砕け、三匹はそれぞれが空中分解したようにそれぞれの方向に転がり出た。


「くっそ、やりやがったな―――おい、お嬢。しっかりしろ」赫は一八の身体を揺すった。

「大丈夫よ、この程度―――何があっても絶対術は解いてやらないんだから」


 一八は慣れない打撃に片手で頭を抑えながらも、もう片方の手は今もなお広げたままで術を操っていた。


 ユキと赫の正面衝突。一八の獄炎が生んだ上昇気流。それら全てが少しずつ作用した結果、伊佐薙の手元にはようやく角の生えたお面が届けられていた。


 伊佐薙は片手で強引にお面を引き寄せ、すぐに頭に押しつけて細い紐を頭の後ろに回す。

 あれ―――俺今お面付けたよな? そう不安になるほど、お面は伊佐薙の頭の形にちょうど上手く整合していた。元から自分用に作られていたものだった、といわれた方が違和感がないくらいだった。


 まあこれも呪われてるお面だからなのかな―――伊佐薙は緊張感もなくそんなことを考えていた。やばめの装備品とかを付けたら外れなくなった、なんてのはよくある話だしな―――いや、そうだ、呪い。

 思い出した伊佐薙は空中で両の手を握ったり開いたりして感覚の違いを確かめた。


 特に力が強くなっている、といった感触はない。おかしいな―――そう思っている間にも、獄炎は迫ってきている。

 やばい、避けなきゃ―――! 伊佐薙は那肋のように空を蹴って身体を捻った。すると思いの外空中を移動できたおかげで火柱の突進を避けることに成功した。


 おお、体感では大したことないのに、意外と力は強化されているんだな。伊佐薙はそのままの勢いで地面まで急降下した。身体を閉じることで更に空気抵抗が薄まり、より降下の速度を上げる。


「だめだ、伊佐薙! そのまま着地したら無事では済まんぞ!」


 先ほどの空中移動に違和感は持ちながらも、那肋は伊佐薙に向かって警鐘を鳴らした。今自分は獄炎を誘導していたこともあって伊佐薙とは距離が離れている。今から伊佐薙の方へ向かっても間に合うかは怪しい。

 だが伊佐薙が空中で両手を広げて空気抵抗を一身に受け、少しでも落下の速度を落としてくれたら可能性はある。


「神下り妖術―――神解!」


 いてもたってもいられない那肋はその場で妖術を使い、巨大な火柱の一部を消失させた。そのまままっすぐ伊佐薙方へ向かったが、伊佐薙が速度を落とすことはなかった。


「伊佐薙! 身体を広げろ!」


 那肋の声もまともに耳に届かず、伊佐薙は鈍い音をさせながら地面に突っ込んだ。妖四匹はその場で動けずに、ただ固唾をのんでいた。


 伊佐薙が生んだ土煙の側で立ち尽くす那肋は、開いた口がふさがらなくなっていた。

 また、守れなかった。もっと早く神解を使って強引に伊佐薙の方へ向かっていたら? 自分が鬼神らのようにもっと速く動けていたら? 考え出したらキリがない。

 

 那肋がおずおずと歩を進めて伊佐薙に近付くと、そこからはまだ微かに物音がしていた。生きている―――! 歓喜のままに那肋は伊佐薙の元まで駆け寄った。


「大丈夫か! 全く、なぜ私の言うことを聞かないのだ。聞こえていたはずだろう。しかし傷は酷いだろうからな、はやく治療するためにも―――」


 そう言いかけた那肋の目の前にいたのは、肩を回したりしながら服の汚れを払っている伊佐薙だった。


「おお、那肋さん! このお面すげえっす、ほんとに身体が強化されてるっぽいんですよ。今なら絶対逃げ切れる。自信ありますもん。ほら、早くあいつら撒いちゃいましょ」

「待て、怪我はどうした。あの高さから落下したのだぞ。面を付けていようが、無傷ということはあるまい」

 那肋に言われて伊佐薙は身体の節々を確認したが、そこに大きな傷は見られなかった。


「うん、大丈夫っす! 今ならさっき飛ばされた高さまで自分の足でいけちゃいそうーなんて」


 ははは、と豪快に笑う人間を前に、那肋は困惑を隠せずにいた。確かに妖力にも親和性のようなものはある。この面の妖力とこの人間が異常なほどに親和性が高かった、だからこれほどまでの強化が施されている―――そう考えるほか無いのだろうか。


 那肋は首を振った。今考えるべきはこの現象の実態ではない。全員で逃げ切ることだ。那肋は伊佐薙の方へと顔を近づけた。


「そうか、怪我がないなら良かった。お前が動けるようになったのならこちらとしてもありがたい。いいか、まずはお前が一番に逃げろ。二匹は私とユキが相手する。今のお前ならとっとと逃げられるはずだ」

「分かりました、けど二人は大丈夫なんすか? その後で二人一気に逃げることなんて厳しいんじゃ―――」

「絶対に大丈夫、とは言えないが、先ほどまでは我々もお前のことを一番に考えながら戦っていた訳で、勝手気ままに戦えるとなればもう少し戦況は良くなるに違いない。だから安心して逃げ切れ、いいな」


 那肋の言葉に、伊佐薙は「うす」と首を縦に振った。


「やっぱり普通の人間じゃねえじゃねえか―――異質、奇妙、それに危険。ここで消しておくのが得策だな、なあお嬢」

「当たり前でしょ、気持ち悪い連中だよ本当に」


 二匹の鬼神は服や装飾品も汚れ、若干疲れた様子だったが、その目には先ほどまでとは比べ物にならないほどの殺意の炎が燃え盛っていた。


「無事だったんだね、良かった良かった。理屈はよく分からないけど、これで全力でやり合えるね」


 ユキは首を回しながらすたすたと歩いてきていた。まだまだ余裕です、といった表情だ。

 

 三対二。その構図ができあがったとき、山は今日一番の静寂を生み出した。

 鳥の声一つ無い荒廃した山の頂上付近にて、その決戦は幕を開けようとしていた。


「那肋、分かってるね」

「ああ、勿論だ。私は一八に食らいつく。そっちは頼むぞ」

「ふっ、そうだね。気張れよ、ここが山場だ」


 那肋とユキが互いに戦闘態勢を取った。しかし鬼神側は特になんの動きもない。まるで廊下に立たされている学生のように、ただその場でぼうっと立ち尽くしていた。


「なあ、時にお前ら。三対二なんて卑怯だ、とは思わんのか」

「今更何を言い出すかと思えば―――情緒はどうしたんだよ情緒は」

 ユキは赫に呆れた声を浴びせた。

 

「はっ、そういうことじゃない。お前らが申し訳なさから本気を出せないのではないか、とこちらは心配しているんだ。二匹に対してこっちは三匹。人数有利で本気を出すなんて大人げないよお、といった具合でな」

「いらん心配だ、そんな甘えはない。はやく構えろ、さもなくばこちらからいくぞ」


 那肋の威嚇を受けて、赫は声たかだかに笑った。その笑い声は静かな山々を反響していた。


「まあまあ、黙ってこちらの善意を受け取れよ」


 赫の笑いが収まった瞬間、ユキは二匹の後ろに新たな妖力があることを察知した。


「お前ら、身構えろ! くるぞ!」


 ユキの声とほぼ同じタイミングで、一帯は激しい鬼気に包まれた。

 

 那肋は前足を折り、歯を食いしばった。赫のものとは桁違いの鬼気。己の全てが持っていかれる感覚。今はまともに妖術すら出せないような気がしていた。

 冷や汗と身体の震えが止まらない。目の前の存在に対する恐怖が止まらない。今すぐ自分だけ逃げてしまいたい。


 邪狼にそう思わせるほどの鬼気ともなれば、それを発している存在は一つだった。


「いつか来ると思ってたけどさ―――ほんとに来ることないでしょ―――」


 ユキは左手は刀に添えたまま、右手の甲を歯で噛みしめて鬼気を薄めていた。手からは血がしたたり落ち、ユキの表情には苦悶が浮かび上がっていた。


「なんで、そんなこと言うの―――ユキちゃん。また―――昔みたいに鈴姉(すずねえ)って―――呼んでよ―――」


 けだるげに話す女性は額に一本の角を持ちながらも、それが隠れるくらいの長髪を地面に引きずっていた。だぼっとした和服を纏ってはいるが、いつ脱げてもおかしくないような適当な着方で、隣にいた一八に「あんたまただらしない格好―――」とちくちく指摘されていた。


「遅かったな鈴蘭(すずらん)、待ったぞ」

「炎は見えたんだけどね―――来るのが―――ちょっと―――」

「どうせめんどくさかったんでしょ、全く」一八は口を尖らせた。


 まずいな―――鈴蘭が来たとなると、さっきの作戦では彼を逃がすことができそうにない。ユキは血眼になりながらも頭を捻っていた。


 こんな鬼気を常に張られていたら、きっと僕も那肋も普段の力の二割も出ないだろう。それではあの二匹を相手に優位に立つことなんて叶うはずもない。

 僕の鬼気で鈴蘭の鬼気を少し薄められるか―――いや、そんなことをしても効果は誤差、意識を集中させるだけ無駄だ。


 ユキが一旦戦況を立て直すために獄氷を展開しようとしていると、隣で重たい腰を上げる青年の姿が視界に入った。

 顔はまっすぐ下を向いている。膝を抑えている手は震えている。それでも、彼は少しずつ上体を起こしていた。


 どういうことだ―――この面に鬼気を薄める効果なんて無いはずだろう―――?


「これ―――やめろおおおおおお!!!!」


 伊佐薙の咆哮は、声量による威圧以外の力を纏って鬼神らへと襲いかかった。

 

 鈴蘭は目を見開いて伊佐薙を睨み付けていたが、それ以外の妖も例外なく驚愕の渦中にいた。

 それだけ、その事実は信じがたいことなのだった。


「お前―――誰だ」


 鈴蘭は自らの鬼気が中和されたことにより、珍しく声を張っていた。握りしめる拳は震え、目には怒りが込められていた。

 正確には未だに鈴蘭の鬼気は存在していた訳だが、その大半が今この瞬間にかき消されたことも事実だったのだ。


「おいおいおい、これは見て見ぬ振りができない所まで来てるぞ。お前ら、それでただの人間を語っていたのか」

 

 赫も棍棒を握りしめ、身体の進行方向を伊佐薙に向けた。一八も扇子を開き、胸の前で広げた掌に鬼火を展開していた。


 伊佐薙は肩で息をしながら、鬼神らを睨み返していた。この鬼気、実体は分からないがこの面を付けている間は大丈夫そうだ。あれに負けないように強く自分を保とうとすれば、なんとか弾いて身体への影響を抑えられることが分かった。

 これは今すぐユキと那肋にも教えてやらなくては―――そう思って首を回すと、その二匹は既に普通に立ち上がっていた。


「あれ、二人も無事なんだ―――僕がなにか言うまでもなかったかな」

「伊佐薙―――なぜお前がそれを使えているんだ」


 那肋は目を細めて、伊佐薙を怪しんだ目で見ている。

 どうして、そんな目で俺を見るんだ。せっかくあの危機の対処法が分かったというのに。

 伊佐薙は助けを求めるようにユキの方を見た。


 そこにはこれまた気まずそうにしているユキが目線を外して立っていた。


「ねえ、ユキさん。あの鬼気は本気で―――こう、自分の中にあるもう一人の自分、みたいなのを強く意識すれば弾けることが分かったんです。これでお二人はもっと自由に戦える、そうでしょ」


 ユキは何も言わない。その空気に耐えきれなくなった伊佐薙は、とうとうその場で黙り込んでしまった。


 そしてユキは、しびれを切らしたように伊佐薙の方を向いて言葉を紡いだ。

 それは困惑のようでもあり、どこか納得したような声色だった。


「どうして、君が鬼気を扱えているのかな」


 


 



 

 


ついに覚醒した三力の申し子、平坂 伊佐薙。

彼の力はどれほどのものなのか、そして自分とは一体何者なのか。

その正体に迫るため、伊佐薙は目の前の存在と全身全霊で対峙する。


次回、"能力と妖力(1)"


お楽しみに。

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