勇者と魔王
勇者は、泣いていた。己もまた、泣いていた。
迫り来る己の死の恐怖からではない。それは互いにわかっていた。ただ互いの悲運を嘆いて涙を流していた。
少し下を向いた勇者の表情はその前髪で見えない。だがその顔から滴る涙を見ただけで彼の表情まで分かってしまった。
「勇者よ」
己はなんとか言葉を発したが、臣下に話すような威厳のある声とは遥かに異なっていた。
「勇者よ」
もう一度言えば、震えているものの先ほどよりはマシな声が出た。そして、勇者がゆっくりと顔を上げる。
「己を倒せばいい。何故悲しみ、嘆いている」
「それは君にも言える事だろう…」
勇者は力無く、はは、と笑った。
「ここに来るまで色んなことがあったなぁ。国を出る時、お姫様関係で牢獄に放り込まされそうになったり、途中で魔族に惚れられたり、時空の狭間に閉じ込められたり…だけど、これだけは予想してなかったよ」
「早くその聖剣を構えるのだ」
「おしゃべりの暇も与えてくれないの?ケチだなぁ」
勇者のしたいことは痛いほど分かっていた。少しでも長くこのままでいたいのだ。攻撃したくない。だが攻撃しなくてはならない。互いをこの世に塵一つ残さないつもりで攻撃せねば。
「我々が勇者と魔王である限り、これは避けられぬ」
勇者が勇者でなければどれほどよかっただろう。彼が己を倒しに来たとしても、せめて勇者のパーティメンバーであれば。
「…じゃあ、いくよ」
「ああ、いっそ早く……」
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僕には、前世の記憶というものがあった。比較的幸せだったと思う。虐待をされていたわけでも、いじめにあっていたわけでもなかった。でも、平凡でつまらなかった。
それに比べたら今世は大変だけど楽しい。生きる目的もあって、頼れる仲間がいる。生まれは王都から少し離れた村だったけど、この世界に終焉をもたらす魔王を倒すために生まれた勇者だということが判明した。
実際、剣を習ってみるとぐんぐん上達して、同年代どころか年上にも余裕で勝つ事ができた。王都に行って学園に通った。
そこで今世1番の親友、戦士候補のラスタンと出会った。ラスタンはぶっきらぼうなところがあるけど優しくて、勇者というしがらみに囚われつつあった僕をだいぶ救ってくれた。
ラスタンと一緒に初めて授業を抜け出して川の近くで寝転んだ時、前もこんなことがあったなぁと思い出した。そうだ、×××に誘われて授業をサボったことがあったな。それ以来、時々ラスタンと前世の親友を重ねるようになった。ラスタンもそれに気が付いていたと思う。
「なぁ、ラスタン」
「なんだ」
「君は、前世の記憶って信じるかい?」
「…あるのか?」
その問いに僕ははっきり答えることなく、代わりにラスタンの手を握った。
「勇者である僕はいつか魔王を倒しにいく。きっと大変なことがたくさんある。それでも、僕について来てくれるかい?」
「どこまでも。お前が俺をどう思っていようと俺はお前についていく」
「…ありがとう」
君を君として見ていない瞬間があってもついて来てくれるなんて、いい友人を持ったのだろう。ねぇ、×××。
「マサ!!」
「!」
咄嗟に僕は反応してしまった。
「どうしたの?」
街中で突然振り返った僕に聖女であるラーシャが聞いてくる。
「いや…懐かしい名前が聞こえたから」
マサ、なんて滅多にこっちじゃ聞かない名前だ。まさか、ね、と思ってよく辺りを見渡しても、それらしい人物は見当たらなかった。その代わりに、先ほど聞こえた声と同じ声で「待って!」と犬を追いかける少年が見えた。
×××が同じように転生しているとも限らないし、していたとしても自分同様見た目が大幅に変わっているだろう。でも、きっと僕は彼に会えば一目でわかると思う。
前世で一番僕のことをわかってくれた奴なんだから彼は。
僕やラスタン、ラーシャ以外の仲間も増え、旅も半ばは過ぎたであろう頃。ある夜に、みんなで寝そべりながら満点の星空を見た。
「そろそろ魔界に着くな」
「はぁ〜、あの魔族の女みたいに強くて捻くれてる奴がたくさんいるのかなぁ」
「意外と優しい人もいるかもしれないよ」
「どんな奴でも俺たちの前に立ちはだかるなら倒すだけだろ、ナァ?」
みんなが思い思いのことを言う。
「そうだね。僕は勇者である以上魔王を倒して平和を手に入れなければいけない。そのためには頑張らないと。さぁ、明日も早いし寝ようか」
そう言って明かりを消す。なんだかモヤモヤとするが、寝れば解消されるだろう。
その日、夢を見た。前世の夢だ。
「一体あなたは何になりたいの?お母さん分からない、私は一体何にお金を使ってるの!!」
ーーすみません、なりたいものなんてないです。でも普通の生き方はしたいんです。
生きたいわけでもない、死にたいと思っているわけでもない。楽しいことは楽しい。美味しいものは美味しい。面白いものは面白い。でも、それは生きる理由にはなり得なかった。
漫然と生きていた。成績は悪くなかったし、何かに熱中することもなかったからただぼーっとして生きてた。
「何やってんだ?」
放課後、窓の外を眺めていると×××が話しかけて来た。それまでは、ただのクラスメイトだった。
「いや〜、ただ眺めてるだけだよ」
笑顔を作って対応する。
「なんかあんのか?」
「いや…何も」
全く違うグループにいるし、本当に席が近かったり学校外で偶然会ったら話す程度の中だった。
「つまり、今超ヒマってこと?」
「うん…まぁ」
「じゃー俺とゲーセン行こうぜ!レッツラゴー!」
半ば強引に連れて行かれたゲーセンは思いの外楽しかった。きっと、ゲーム自体が楽しいだけじゃなくて、僕と本当に楽しそうにゲームをする彼がいたからだろう。別に遊んだり一緒に帰ったりする友人はいたけど、大体2人きりじゃなくて、さして親しくない知り合い(友人の友人)とかと一緒で、僕はちょっと離れた後ろを歩いてることが多かったから。
×××と僕はそれから一緒に過ごすことが増えた。一番仲の良い友人になった。楽しかった。同時に怖くもあった。彼は交友関係が広くて、僕以外にも多くの友人がいた。僕にとって×××は特別だけど、彼にとってはそうじゃないんじゃないかって。ふとしたきっかけで僕から離れていくんじゃないかって。
「なんで、僕なんかと一緒に居てくれるの?」
ある時、聞いた。彼は「ネガティブだな〜」と軽く言った後、僕が真剣な雰囲気で話しかけたこともあってか、ふっと窓の外を見ていつもと違う調子で話し始めた。
「お前をなんとなく遊びに誘ってゲーセン行った日、俺もすごく楽しくて嬉しかったんだ」
どこかをみる×××の顔はとても見覚えがあった。
ーーーそうだ、僕の顔によく似ている。
「俺は普段、その場に合わせて自分を作ってて…」
ーーああ、彼もだったんだ。
「自分のいる意味が分からなかった。自分がこの世にいなくても何も変わらないんじゃないかって」
ーー…。
「でも、俺と一緒にいて楽しそうなお前を見て、それだけで生きる意味が見つかった気がしたんだ。俺がいるだけでお前が笑ってくれんなら、それでいいかな、って」
「なんか照れくさいな」と言って彼は頭をガシガシとかいた。…×××がそう思ってくれているなんて今まで知らなかった。自然と笑みが溢れる。僕がいて笑うだけで彼が生きようと思ってくれるなら、僕も彼のために笑って生きよう。
そうだ、僕たちはこうして生きる理由を互いにして生きていくことにしたんだ。友情なんてものはとっくに通り越してて、互いに依存して生きていくことにしたんだ。
だから君を見た時は一目でわかったよ。
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生きる目的をお前にしたのになんて皮肉だ。
お前が俺を殺すために生まれてくるなんて。わかった時はこの世の運命を恨んだ。
もうお前を笑わせることはできないのか。それどころか泣かせることしかできないだろう。俺はこの運命を知ってるがあいつは俺と会うまで知らないはずだ。
他の奴らと話す時の作った笑顔とは違う、少し眉を下げて照れたように笑うあの笑顔が好きだった。あの笑顔を引き出せるのが俺ならそのために生きよう。そう思ったのに…。
魔王として生まれた時は、役目を与えられて生きるのは楽だと思った。そりゃ、人間を殺すのかー、と思ったけど魔族も人間も大して変わらないし、人間に被人道的なことされてるやつもいた。魔王として存在する以上、俺はこの役目を全うしようって決めたんだ。
お前が勇者だって分かった時、かなり悩んだ。今すぐここから逃げ出してお前と一緒に、また歩めたらどれだけいいだろう。でも俺は魔王でお前は勇者だ。これは運命。きっと変えられない。俺が生きてお前が死ねばこの世界は人間ーーお前側にとって苦しいものとなる。それにお前も“勇者“という存在に生まれたからには魔王を倒す以外の人生を歩むのは苦労するだろう。優しいお前がこの世を救うという目的を与えられてるんだ。きっと、運命通りの方がお前は幸せだろう。
「申し訳ありません魔王様。私、勇者を逃しました。私が意図的にやったこと。いかなる咎めも受け入れますわ」
魔族の女、リーシャはそう言って深々と頭を下げた。彼女はきっと全てを覚悟している。だが、己は馬鹿みたいにでかい椅子から降りるとリーシャの肩に手を当てて言った。
「リーシャ…勇者は素晴らしかろう、それが勇者を勇者たらしめているのだ」
リーシャは黙って言葉を聞いている。
「好きなところへ行き、好きなように生きるが良い」
リーシャはばっと顔を上げる。その顔には驚きの表情がありありと浮かんでいる。
「準備はあらかた整っている。其方は強力な魔族ではあるが今更其方1人いなくなったくらいで揺らぐような魔王軍ではない」
「…ありがたき幸せ」
そう言ってリーシャは立ち上がりゆっくり扉に向かって歩いた。扉を開けて、閉める直前に少し振り返って言った。
「さようなら、魔王様」
バタン、という音がいつもよりも重々しく感じられた。
リーシャはもう戻ってこない。マサは優しいからリーシャを攻撃することないだろう。初めて、いや正確には初めてじゃないけど、とにかくあいつを初めて意識した時も優しかった。俺は人に道を聞かれたら答える程度には親切だ。でも、迷ってそうな人に声をかけるほど親切じゃない。
初めて見た時のマサヤは不審な行動をしていた。同じところをぐるぐる回ってしまいには深呼吸を始めた。なんだと思ってしばらくみていると、お年寄りに道案内を申し出た。結局、そのお年寄りはタクシーを待ってただけであいつは恥ずかしがってたけど。学校でのイメージと違ったから、話してみたいなと思ったんだ。
あいつが来るまでに念入りに計画を練った。あいつと俺が2人きりになるように。勇者パーティが一人一人途中で足止めできるように対応する魔族を割り当てて。ようやく会えた。いや、会ってしまった。
会った瞬間、虚しく感じた。いかにも勇者、と言った輝く金の髪に空色の目。背が高く整った顔立ちは群衆の中にいたら目立つ見た目だ。
けど、違う。あいつはもっと地味だ。普通の茶髪に平均よりも少し小さいくらいの背で、ちょっと猫背。そんな凡庸な見た目でも、俺ならあいつが何十人、何百人、いや何千人の中にいようと一瞬で見つけられる。そして俺が見つけたのに気づくとやっぱり少し眉を下げて笑うんだ。
俺はお前の笑ってる顔が好きなんだから、笑えよ。
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勇者と魔王は2人きりでいた。それぞれの仲間はそれぞれの敵と戦っている。
勇者は戦うのが怖かった。魔王も怖かったが、怖さゆえにこの戦いを早く終わらせようとしていた。
勇者がとうとう聖剣を構える。魔王もまた巨大な闇の剣を構えた。勇者は魔王に向かって走り出した。もうそこに、ためらいはなかった。
聖剣は魔王の右肩に深く刺さり利き腕が使えず、体力も魔力も切れた魔王に戦う術は残っていなかった。勇者は出血が激しく、まだ剣は持てるが死ぬのは時間の問題でもう生き残れないだろう、という傷だった。これでは共倒れだろう、と魔王は思った。勇者が自分よりも強いことは薄々分かっていたし、何より自分の知るこの手の話では、ほぼ毎回勇者が魔王を倒していたから、思っていた運命とは違った。が、魔王と勇者の役目を全うできたならいいだろう、とも思った。最後に勇者の顔を見ようと思い目を開けると、しわくちゃな顔をした勇者がいた。
そして、今にも消えそうな声で魔王のーーいや、彼の親友の名前をつぶやいた。
「ダイキ」
勇者の流した涙が魔王の頬に落ちた。
もう、魔王と勇者の役を演じるのは無理だった。
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「面白い話だがよ、自分の命と引き換えに魔王を倒したあの勇者はどうやってそれを伝えたんだ。前世だなんだは作り話としては上出来だが真実味に欠けるぜ」
追加の酒を注文しながらうだつの上がらない風をした男は黒髪の青年に向かってそう言った。
「あー、やっぱりそうだよな」
「いっそ新しい勇者の話を自分で作ったらどうだ」
「アドバイスありがとう。ここは俺がもとう」
青年はテーブルの上に左手で金色の硬貨をいくつか置いた。
「おいおお、酒で頭が回ってねぇのか?デカいお釣りがきちまうぜ」
「俺は酔わないんだ。それをお前だけで使いきれないならお前の仲間の分だと思ってくれ」
「随分と気前がいい兄ちゃんだな。おーい、なんかこのにいちゃんが奢ってくれるらしーぞー」
男が振り返り仲間に声をかけると、仲間は不思議そうな顔をして「どの兄ちゃんだよ」と言った。青年が不思議に思って前を見ると、そこにはもう誰もいなかった。
「やっぱり誰も信じちゃくれねぇな。まぁ、俺とお前だけの秘密でいいんだけど」
青年は先ほど秘密にしたい部分はあやふやにしながら伝えてみた自分たちの話の反応を思い返した。ただ単に、互いに依存して生きてきた2人の少年が勇者と魔王に転生した、と言った内容を教えた。
なんとなく教えてみたのは、今日は勇者が死んだ日で誰かに思いを打ち明けたかったからかもしれない。
青年は、神秘的な場所にいた。森の中の突然開けた場所。陽の光が降り注ぎ、白い花が大量に咲いている。その中心には銀色に光る剣が刺さっていた。
青年は右手で聖剣に触ろうとしたが、やはり右腕は思ったように動かなかった。聖剣に背中を預けて座り込み、1人で喋り始める。
「悪いなぁ、俺だけ生き残って。でもお前が俺を刺した時、お前すごく辛そうな顔してたよ。その瞬間思ったんだ。やっぱり世界の運命とかどうでもいい。運命は決まってて変わらないかもしれないけど、お前のためにもがけるだけもがこうって。お前が俺に生きてて欲しいなら」
聖剣を左手で撫でながら話し続けた。
「最後、お前も我慢できなかったろ。せっかく運命に従ってお互い勇者と魔王として戦ったのに。卑怯だよ、あそこで名前を呼ぶのは」
奇妙なことに、勇者は死に、自分は生きているが世界に終焉など訪れてはいない。青年の親友は自分の命と引き換えに魔王を倒した勇者として歴史に名を残した。
「運命ってのは案外大したもんじゃないな」
青年はそう呟いて立ち上がった。