6話 魔物メシマズ化作戦
地の果てにあるという無間奈落……一度落ちれば永遠に近い時間落下し続けると言われる果てしない大穴の奥底には、燃え滾る溶岩の海が広がっている。
その燃え滾るマグマの中空に、あらゆる世界を混沌に陥れんと企む邪悪な魔神ガオラスが悍ましい羽を広げて浮かんでいた。
「ガオラスさん! 大変です!」
溶岩の滝から飛び出して来たのは赤い鱗を身に纏った参謀の竜人、ゼルバだった。
「何用だ……ゼルバよ……」
「魔物の戦力が全太に喰われまくって2割近く減っています……このままじゃ我々魔神軍は全滅です」
「マジで!?」
「大マジです。抵抗しようにも全太が強すぎてどうしようも無くなってる感じです」
「……片腹痛い。雑魚がいくら減ろうが関係ないわ!」
「今更大物ぶってる場合じゃありませんよ。魔物がいなくなったら国王軍も攻めて来るかも知れません。奴ら転移を使って来るんで無限奈落の底にいても安心できませんよ」
「グッ……それはまずい……」
「それに幹部級も食べられてるので手当が馬鹿にならないと思いますが……ちゃんと私の給料払ってくれるんでしょうね?」
「それは……もちろんだ……」
ガオラスはこのところ寝ずに無間奈落の迷宮を彷徨い、貴重な鉱石を探し回っていたのでこれ以上どうしようも無かったが、そう答えるしかなかった。
「とにかく……何か対策を考えないといけませんね」
「奴の弱点は無いのか?」
「弱点は知りませんが、倒した魔物は全部食べてるみたいですしとんでもない食いしん坊みたいですね」
「……それだ! ……奴の食いしん坊を利用するのだ! 魔物共の体にまずい粉を塗って全太の戦意を挫くのだ!」
「おお魔神さんにしてはいい案ですね」
「当然だ……我は魔神だぞ」
そして、魔神軍の研究班が試行錯誤を繰り返した結果、魔物を不味くする塗り薬が完成したのだった。
「これで我がしもべをこれ以上食べる事は出来まい! さてどうする全太よ! ガハハハハハハ!」
奈落の奥底に、ガオラスの邪悪な高笑いが響いた。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
「よっしゃー! 勝負だ! いくらでも掛かってきやがれー!」
ポーラは、いつもの様に荒野で魔物達を狩る全太の姿を苦笑いで見守っていた。
英雄としての使命感も無く、最低限度の身だしなみも整えられない全太であったが、その強さはポーラが見て来た英雄の中でも頭一つ抜きん出ていた。
今では南の森に住まう魔物は既に狩りつくしており、全太は東の荒野へと活動拠点を移していた。しかし……
「チクショウ……こいつもダメだ……! どうなってやがる!」
「全太、どうしたのですか?」
全太は魔物の残骸の傍らで、珍しく落ち込んだ様子で座り込んでいた。
「私でよかったら何でも聞きましょう」
「最近喧嘩売って来る奴らを喰っても恐ろしくまずいんだよなあ……妙な臭いもしやがるし」
「それが普通です。魔物が美味しい訳が無いのです!」
「嘘つくな! 今まで喰って来た奴らは美味かったぞ!」
「それはきっと全太が人間として成長したからでしょう」
「父ちゃんが好き嫌いしたら大きくなれないって言ってたぞ!」
「本来食べたらダメな物は食べなくていいのです! いいからいつも通り魔物を蹂躙するのです!」
「でも……勝っても喰えない奴と戦ってもしょうがねえぜ……」
「燻製肉あげますから!」
「うまいのはうまいけど……やっぱり俺は自分で狩った肉が喰いたいぜ……」
「……ぐうう……何と自分勝手な」
それきり二人は口を閉ざし、荒野に沈黙が流れた。
全太が寝ころんでふて寝を開始しようとした時だった。
「ん? 何かこっちに来るぞ」
「あれは……アリエル?」
黒い外套を風になびかせ、荒野をしっかりと進む少女の姿は、まさしくアリエルだった。
しかしその眼差しは鋭く、真っ直ぐに全太を見つめ、少しも目を逸らす事は無かった。
「誰かと思ったらこの前勝負したアリエルとかいう野郎じゃねえか! 俺を睨みやがって! また喧嘩してえのか?」
「アリエル……あなたの目を見れば分かります。辛い修練を経て成長したのですね」
やがて、ポーラと全太の眼前まで歩んだアリエルは、鋭い眼光はそのままに立ち止まった。
「ポーラ様……そして全太様……私は覚醒しました」
その声は少女の声とは思えない程低く、冷たかった。
「地獄の修練の果てに私は気付いたのです。……全ては肉なのです」
「おお! 中々話が分かるじゃねえか! 俺もそう思うぜ!」
「改めまして、私は肉の聖女アリエル……全太様の助けになりたく参上致しました」
「肉の聖女!? アリエル! あなたは水の聖女でしょう!?」
「申し訳ございませんポーラ様……私はもうその領域はとっくに超越してしまいました」
「……アリエル」
ポーラはそれ以上何も言えなかった。
「良く分かんねえが助けになってくれるんなら頼むぜ! 魔物がまずくなっちまって困ってるんだ!」
「いいでしょう! 肉の聖女アリエルにお任せください! レッツ! クッキングウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!」
「おお! ノリがいいじゃねえかお前!」
「まずはあああああああああ! 魔物の肉をグジョグジョに潰して行きまああああああす!」
「おう! 俺も手伝うぜ!」
「出て来た体液は鍋に入れてくださいねええええええええええ!」
「よっしゃあああああああああああ!」
ポーラは思わず目を背け、吐き気を必死に堪えた。
――あの大人しく優しかったアリエルが……あんな残虐な調理を平然とこなすまでに変貌を遂げてしまうとは。
アリエルは一体どれ程辛い鍛錬を重ねて来たのだろう。
ポーラは自分の不徳を恥じるしかなかった。
「臓物もおおおおおおおお余さず使っちゃいまああああああああああす!」
「こうかああああああ?」
「そうです! その感じです! 全太様!」
「後はマンドラゴラの根っこを入れてえええええええええ! コトコトに込んじゃいまあああああああああああす!」
「うおおおおおおおおおお! いい匂いがしてきやがったぞおおおお!」
ポーラが耳を塞いでも、地獄の悪鬼のような叫びはポーラの鼓膜を容赦なく震わせるのだった。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
一時間後、どうやらアリエルと全太の悪魔的調理は終わりを迎えたらしかった。
「出来ました! 魔物肉団子のスープです!」
「うまそおおおおおお! いただきまあああああああああす!」
「……どうですか?」
「……!? うめえぞおおおおおおおおお! 根っこの苦みと辛みで、肉の臭みが逆にいい感じになってやがるうううううううう! お前すごいぞおおアリエルうううううううううううう!」
「私は肉の聖女ですからね……肉がどう調理して欲しいか手に取る様に分かるのです」
ポーラは、はしゃぐアリエルと全太を脇目に一人岩陰に座りながら俯いていた。
そんなポーラに、アリエルが声を掛ける。
「ポーラ様……美味しいですよ? 食べないんですか?」
「ありがとうアリエル……でも私は女神として魔物の肉を食べる訳には……」
「ポーラ様。お言葉ですが、肉に貴賤はありません。全ての肉は等しく美しく、価値がある物なのです! 私は辛い修行の果てにその境地に辿り着きました」
ポーラは少しだけ顔を上げた。
「私は肉の聖女へと覚醒してしまいましたが、それでも世界を救おうとするポーラ様の事を尊敬しています! どうか今まで通り接してください!」
「ありがとうアリエル……では頂きましょう」
恐る恐る椀を受け取り、そっと口元に傾けるポーラ。
その表情は驚きと感動に輝いた。
「美味しい! 野性的な肉の臭みが……マンドラゴラの根で上品な香りに変貌するとは! そして煮込み具合と肉の舌触りまで……全て計算し尽くされています! あの残虐にも見えた調理法にも全て意味があったのですね!」
「……良かった! ポーラ様なら分かって頂けると思っていました!」
「ポーラ! うめえええええなあああああああ!」
「全太……アリエル。本当にありがとう。共にこの世界を救う為、皆で協力してガオラスを打ち倒しましょう!」
「はい! 迷える肉達を苦しめるガオラスの野郎は、絶対に引き肉にしてコットコトに調理してやります!」
「良く分かんねーけど、アリエルがただえさえ美味いガオラスの奴を更に旨くしてくれんのか? よっしゃああああああ! 楽しみだなあああああああああ!」
「はい! 楽しみにしておいてください!」
ポーラははしゃぐ二人の人の子を見守りながら、柔らかく微笑んだ。